Asian Railway Plaza

アジア各国の鉄道やJR南武線の話題などをお届けします

鎌倉車両センター中原支所有料撮影会に参加

2022年12月19日 21時58分08秒 | 南武線
最近、JRE MALLでは各車両センターや車両工場などにおいて有料撮影会が実施されていますが、私の元地元である南武線の車両基地である鎌倉車両センター中原支所(旧中原電車区)においても各種の有料撮影会が実施され、今年は7月16日と10月8日の撮影会に参加させていただきました。


7月16日の撮影会は南武線E233系8500番台のN36編成と浜川崎線205系W1編成、水素電車のFV-E991系「Hybari」が主で、 朝9時45分から正午12時までの2時間ちょっと、お値段は13,500円でした。車両や社員の手配、準備などを考慮するともう少し経費がかかるのかもしれませんが、私も交検庫や台検庫に入れるのはおそらく201系の展示や新製205系が到着した以来、約35年ぶりのことでありますので、昔の懐かしさを味わいたいということで参加させていただきました。
まずは受付を済ますと7番(参加人数20名まで)の札を受け取り事務所の2階へ上がり、用意された席に着くとご希望の列番、種別、行先表示を書く紙が机の上にありました。
えっ!この紙、ご希望のものにしてくれることを何も考えておらず、正直、何にしたら良いのか、頭によぎるのは無頓着な列番ばかりで、矢向はできるのですかと質問しましたが、矢向はできないとのことで、私はあり得るものを選択しました。
考えたの単純に始発と最終列車でE233のほうは休日快速の1番列車である3960F、浜川崎線205系は始発の502H、最終の2213Hで、参加者の方からすると、なにこれってまったくつまらないなんて言われてしまうのかもしれませんが、私は単純なほうが好きであえてこれを選びました。
あとで考えれば武蔵中原から送り込みしていた600Hの姿が良かったのではないかと思いますが、また、このような企画は実施されるのかもしれませんので、次回のお楽しみということで期待したいと思います。


10時ちょうどから交検庫に案内され、順番でご希望の列番、種別、行先表示に変えてくれて撮影タイムが開始されるのですが、正直、私自身も自分の選んだものにはそれほど興味がなく、単純にこの撮影会を楽しめれば良い感じで、社員さんとのお話しできるほうが楽しく過ごせました。


ただ、私の順番になった時に浜川崎線205系の尻手行きの列番がなぜか始発列車の502Hのままであった時に、社員さんに列番が変わっていませんよと注文を付けてしまいました。


最後の僅か15分ぐらいでしょうか、水素電車であるHybariのある台検庫で撮影させていただき、あらゆる行先表示に変えてくれて参加された皆さんはカメラのシャッターを盛んに切られていました。
社員さんや区長さんがおっしゃるには、良いデータは収集されつつあるものの日中の試運転を実施する上では南武線上においては営業している列車が多いので、現時点での日中時の試運転はある程度実績などがないと難しいかもとのことで、この時点では当分は営業列車の走らない深夜帯を中心にHybariの試運転が継続されるのかもしれませんとのことでした。


続いて、10月8日になりますが、7月の撮影会において引退した相模線の205系を手配して、神奈川県内の205系を並べて撮影会を予定していると社員からご報告されていました撮影会が実現し、この日に晴れて実施されました。
撮影会で用意された車両は浜川崎線205系のW1、鶴見線205系のT11、相模線205系R1、南武線E233系N1、8500番台のN36の5編成が並べられました。
この撮影会のお値段はいつもより高い25,000円と前回参加させていただいた撮影会に比べ2倍くらい高いのですが、相模線205系を国府津から手配することを考慮すると、これくらいの金額がかかってしまうのかもしれません。

まずは前回同様に撮影会においての注意点などの説明を受けたのち、参加者は車庫の構内に案内されると立川方から撮影できるように各編成の頭が揃えられていました。


相模線の205系が南武線で見れることは今までであればまずなかったはずかと思いますが、このようなことが11月26日の武蔵中原駅でのイベントにおいても実現しました。
また、撮影会の後半では恒例の水素電車であるHybariの撮影は用意されていませんでしたが、このような夢のような並びだけでもお腹いっぱいというような感じであり、今後もリバイバル南武209系の企画なども期待したいところです。






近所でEnjoy!〜南武線・鶴見線〜、武蔵中原駅で開催

2022年11月28日 00時34分39秒 | 南武線
10月15日から11月27日まで「近所でEnjoy!〜南武線・鶴見線〜」が開催されていましたが、11月26日は武蔵中原駅でこのイベントのフィナーレには相応しい車両展示や洗車体験などが実施されました。

9時過ぎに武蔵中原駅に行ってみると、この季節では恒例の川崎市内小学校の修学旅行列車の運行のためE257系5500番台が停車していました。(この日は送り込みで宿河原でしばらく待機し、9時過ぎに武蔵中原に到着し、一旦、車庫の中原支所に引き上げ後、すぐに下中線に入線)
この日の修学旅行列車は向河原駅の近くにある玉川小学校でしたが、駅の構内アナウンスで「たまがわしょうがっこうの~」なんて言っていました。「ぎょくせんしょうがっこう」が正解なのですが、地名などの読み方は難しいです。
また、前日に国府津の車庫から送り込まれていた相模線の205系がしばらくして上中線に入線し、南武線では普段は見慣れない車両同士が並びました。



その修学旅行列車であるE257系5500番台が出発すると、しばらくしてからは洗車体験用の列車に充当されたE233系N3編成が入線し、招待客を乗せるため長い間停車していましたが、その後、中原支所の車庫へと出発して行きました。
ちょうどこの時間に車交しなければならなくなったらどうするのか、もちろん車交になる確率は低いと思いますが気になるところです。



洗車体験用の列車は洗浄線へと進み、私もその姿を見たいということで見に行ってみたのですが、誰もその姿を撮影しておりませんでした。左側の列車が洗車体験用の列車です。



又玄寺の交差点にあるボリュームたっぷりの地元では有名な「どん亭」(溝口に住んでいた頃はよく高津店を利用していました)で食事後、武蔵中原駅に戻り、13時前にこの日の主役とも言うべき水素電車のHybariが登場しました。それも相模線の205系が停車している上中線と同じところに縦列で停車していたのですが、ホーム有効長が8両あるものの、相模線のほうは6両停止位置よりも川崎寄りに停車していたため、何かサプライズがあると期待していたところにやはり期待どおりHybariが登場してくれました。



Hybariの行先表示は色々と入っているのですが、Hybariの行先表示は今回は変えないとのことで、お楽しみの南武線や鶴見線などの表示は残念ながら見れませんでした。



車両の中は見せられないとのことで目隠しされていますが、スゴイ音が床下から聞こえてきます。よく聞いてみると空襲警報のようなサイレン音のような音がして、なんとも不気味な感じがしますし、時より水蒸気を床下機器から発生させていました。



一方、もう1人の主役でもある相模線205系は行先表示を変えてくれたのですが、ほとんどレアな四方津や豊田、寒川、原当麻などの行き先ばかりで、普段よく見られた橋本や茅ヶ崎は表示されず、唯一、八王子が最後のほうで表示されただけで、私のようなオーソドックス好きな者にとっては残念でした。


昨年に引き続き、今年も武蔵中原駅で展示してくれましたが、来年も引き続き車両の展示があるのか、展示するとしたら鶴見線の新車や浜川崎線の後継の車両となるのかなど期待するところでもあります。

久しぶりのクモハ12とのご対面

2022年11月13日 23時34分55秒 | 南武線
昨年1月以来の久々の投稿になりますが、本日は先日11月6日に東京総合車両センターで開催されたクモハ12の撮影会に参加させていただきましたので、クモハ12に関する話題について述べていきたいと思います。
前回7月に東京総合車両センターで有料の撮影会が実施されましたが、私も申し込んだものの残念ながらすぐに定員に達し参加できませんでした。しかしながら先日の11月開催の撮影会に申し込んだところ参加することができ、おそらく2008年の一般公開以来の再会かもしれません。
静態保存ながらピカピカになった姿を是非見たいと期待していたところ天気にも恵まれ綺麗な姿を見ることができました。


どうしても反対側の貫通型のほうは人気がないようですが、この顔も良いのではないでしょうか。私は20年以上も南武線沿線に住んでいたものの、クモハ12が南武線本線上で使用されている姿は見た事がありませんが、旧国晩年の昭和50年、南武線の73系基本編成の立川方1両に組成されていたようです。通常、浜川崎線用のクハ16+クモハ11の2両が付属編成として南武線の本線上で使用されたり、時には基本編成で73系にクハ16+クモハ11が組成された姿を見ることがありましたが、これらの車両は17mであり、通過の際、独特なジョイント音を響かせるので、慌てて通過する姿を眺めたものです。


国鉄時代、中原の検修の方からいただいたこのサボ、アクリル製で、現在でも劣化が見られず、このサボを使ってほしいと進言しましたが、他の撮影会との不公正さが生じるため、今回、掲示は難しいとのことでした。ということで、今回はいただいたサボを私の手元に持って私の遺影を兼ねて記念撮影していただきました。


武蔵溝ノ口の反対側は川崎で、こちらも綺麗な状態です。女性の係員が私のサボを見て綺麗ですねと褒めていました。
次回以降、このサボを使用してもらえると良いのですが、さあどうなることやら。


以上が撮影会の様子でしたが、現役時代のクモハ12の思い出として、南武線ではJR1周年を記念して、1988年4月3日にクモハ12053の1両が川崎〜稲城長沼間で使用されました。
前日の4月2日にも川崎〜稲城長沼間で101系Mc188 M'c186がワンマン電車運転が実施され、同時に中原電車区一般公開で201系4両編成Tc134 MM'263 T'c134が公開され、201系が初めて南武線に入線しました。


クモハ12の営業運転は1996年が最後かと思いますが、この頃は各地から大勢の鉄道ファンが押し寄せていました。



以上、簡単ではありますが、クモハ12の話題ということでお伝えしましたが、また、時間がありましたら南武線やフィリピンの話題もお伝えしたいと思います。

今日5月4日は何の日?

2020年05月04日 00時04分44秒 | 南武線
今日5月4日は何の日ということで、特に記念すべきイベントはなかったのですが、お恥ずかしいながらも今日5月4日は私の誕生日ということで54才になりましたが、語呂合わせではありませんが私の好きな103系で南武線に在籍していたクモハ103-54について述べていきたいと思います。
このクモハ103-54ですが、中央線の豊田電車区から南武線の中原電車区へ転入したのは3編成目の車両ということで、一連の103系転入の中でも早く、オレンジ色のまま南武線にやって来たものですから鮮烈な印象でした。(2編成目もオレンジ色でしたが)
しかも川崎方のMc54と立川方のT'c582の先頭車の前照灯は1灯のままであり、この編成は私にとってお気に入りで、昭和57年8月下旬から翌年の10月過ぎまで、編成を崩さず営業についていました。
編成はMc54 M'153 T168 M149 M'280 T'c582


昭和59年3月に中原としては余り気味であったT車を松戸へ転出する代わりに松戸からエメグリのMM'1ユニットが転入するのですが、これが非冷房のユニット窓のM319 M'475が転入し、その年の年末に冷房改造工事と検査を受けるまで、主に台検がある時に車両の差し替えを実施し、1週間程このユニットが通常の編成の中に入り、カナリア+オレンジ+エメグリの3色混色またはカナリア+エメグリの2色混色編成として営業していました。冷房使用時期においてはMGは冷房用ではありませんので、立川方のT'cは冷房は使用できず、車掌が「立川方の車両は冷房車ですが、冷房は使用できませんのでご了承ください」とアナウンスされていました。


また、この混色劇場の詳細については説明しだすと止まらなくなりますのでここでやめておきますが、Mc54が絡んだ3色混色編成は、昭和59年4月2日の1637デから使用開始され、4月9日の43運用で終わり、約1週間営業されていましたが、ほとんど撮影している人はおらず、この私だけが撮影しているだけで、中原の検修の方に常に数日の運用について教えてもらいもらったダイヤグラムを持ちながら撮影しておりました。
編成はMc54 M'153 T759 M319 M'475 T'c582


そして昭和59年5月に検査入場し、6月前にカナリアになって戻ってくるのですが、この当時当然のように実施されていた前照灯はシールドビームになり、側引戸も201系タイプのガラス支持が金属押さえ金方式になってしまいました。
最終的には平成2年8月でT771やT'c582とともに大宮工で廃車になり、特別保全工事でも受けていたらもう少し長生きしていたのかもしれませんが短命に終わってしまいました。


エピソードとしては昭和62年5月28日の川崎〜登戸間に運転されたノンストップの「アゼリア号」に抜擢されました。
編成はMc54 M'153 T771 M142 M'267 T'c582


最後に私の人生は南武線に翻弄されたと言っても過言ではありませんが、このあとの残りの人生も南武線に翻弄され続けるのかもしれません。2027年には南武線開業100周年となりますが、私もあと7年は生き続け、南武線開業100周年は祝いたいところですし、さらにその先の尻手(矢向?)〜武蔵小杉間の連続立体化の完成は2040年頃になるかもしれませんが、私が小学生の頃から夢見ていた南武線の連続立体化は実現されますので、その日までは絶対生き続けなければならないものと思っています。もちろん息子はまだ6才ですから彼が結婚し、孫の顔は見たいところですがね。

祝-南武線開業90周年

2017年03月13日 23時14分38秒 | 南武線
先月2月9日の更新から約1ヶ月が経過しますが、前回は南武線最後の209系であったH53編成が2月9日に相応しいのかそれともただの偶然であったのか、その日の09F運用が最後となり、翌日には茅ヶ崎に疎開され、209系の営業は静かに終えてしまったようですね。そして2月13日に大宮総合車両センターに入場していたE233系青670編成が編成番号をあらためN36編成となり、H53編成の置き換えが実施されたようで、完全にE233系化が達成されました。
また、南武線では国鉄(JR)南武線の前身である南武鉄道の川崎〜登戸間及び矢向〜川崎河岸間が昭和2年3月9日に開業しましたが、今年はそれからちょうど90周年を迎えるということで、南武線の各駅や中原電車区、矢向車掌区などでは開業90周年を祝うべくイベントが実施されました。

そのイベントの中で私にとっては開業90周年記念グッズの販売や記念列車の運行は興味深いものがありますが、まずはグッズの販売ということで購入することにしてみました。
グッズはちょうど開業90周年を迎える3月9日に川崎駅のアトレ川崎店で午前10時より、2種類の南武線開業90周年記念サボプレートと南武線で活躍してきた73系や101系、103系、205系、209系、現在活躍しているE233系などの各種アクリルキーホルダーが目玉商品ということで、そのグッズを目当てにしていたのですが、いったいどれだけの個数が販売されるのか販売会場であるアトレに電話で確認しても、販売元の電車市場に聞いてみても正確な個数はわからず、個数的にかなり限定的であることしかわかりませんでした。
ということで、それほど購入したいという執着心は全くなかったのですが、記念グッズの販売はJR横浜支社のウェブサイトでも公開しているように、かなりの購入希望者がいるのではないかと思い、一番電車が動き始める朝5時頃に川崎駅に行ってみることにしました。
武蔵中原駅まで自宅からスクーターで行き、4時53分発の始発電車で川崎駅に向かったのですが、なぜか私の周りの乗客達が全てグッズを購入する人達に見えてしまい、これではもしかしたら買えなくなってしまうのかと一瞬ハラハラしたのは事実で、川崎駅でダッシュする乗客も見られ、これはヤバいのではないかと思いましたが、販売会場となる川崎駅アトレのトモズ口に来てみて、だれも並んでいる姿は見られず、販売日を間違ってしまったのか、それともグッズ販売の列がどこかにあるのではないかと疑ってしまいました。どこを探してもそのような列も見られず、結局、トモズ口で冷たい風が吹き抜ける中、1人浮浪者のように座って待っていました。朝7時頃になり、ようやく朝日の日射しが私の居る場所に降り注ぎ、恵みの暖かさが私を包んでくれたのは有り難かったのですが、それでも並んでいる人間は私1人でけでしたが、7時30分頃にようやく高校3年生の1人が「グッズの販売はここですか?」と尋ねてきましたので、私も一先ず安心しました。その後、警備員の方が来られたので、その方にも確認してみるとお店を管理する方と連絡を取り、「ここで並んでください」というお返事をいただき、ほっとしたしだいでした。9時30分頃からグッズ購入の希望者が並び始め、開店時間の10時前にはおおよそ50人ぐらいが並んでいました。開店時間の10時ちょうどに店員の案内のもと店内へ進むと、サボプレートは1人1種類1つずつ、キーホルダーは計2個までの限定ということで、サボプレートは1枚購入できれば良いと思っていましたので、個人的には満足でしたが、わざわざ朝1番の列車で本当に来る必要あったのかなと、それであればもう少し寝ていたかったなと思うところもありました。


サボプレートの裏側は両方ともE233系で、キーホルダーは103系と205系を選んだのですが、なぜか101系はありませんでした。
いずれはこのようなイベントがどこかで実施されると思いますので、キーホルダーのほうはその時にでも購入できるのかもしれませんね。

記念グッズは一先ず購入できて満足でありますが、その次のイベントとして、開業90周年のヘッドマークを付けた臨時記念列車が川崎から登戸間に運行されるということで、その列車に乗車することにしてみました。列車の時刻は川崎駅を10時33分に出発し、登戸に11時02分に到着するというもので、昨年1月に運行された「ありがとう205系」の運用に似ているのですが、今回は快速ではなく各駅停車で運行されました。
その記念列車は5番線から発車するということで、反対側の京浜東北線ホームで撮影するため待ち構えていたのですが、その列車の折り返し時間は僅か4分で、京浜東北線の北行列車1本の通過もあり、撮影する時間はほとんどなく、立川寄りで実施されていた祝賀式の撮影もできませんでした。


記念列車は定刻に発車し、車掌から南武線に纏わるアナウンスも交え運転されましたが、途中、イベントのたびに実施されている中原電車区職員による恒例のお見送りを受けました。よく見ると屋上でも手を振っている方もいますね。手を振るだけではマンネリ化するので、恋ダンスや恋するフォーチュンクッキーのようなダンスでお見送りというのも良いかもしれませんが、お堅い会社がそこまで若手社員にそうさせるほどのものがあるのか次回に期待したいと思います。


記念列車は2分程遅れて登戸駅に到着し、記念列車の運転は無事に終了しましたが、登戸駅みどりの窓口付近では先着100名に記念乗車証が無料配布されていたようで、駅のアナウンスと同時に大勢のマニアが群がっているようでした。
私も参戦したいところでしたが、今から行っては手遅れということもあり早々に諦めたのですが、ダイヤ改正によって上り列車は登戸駅で快速と各駅停車接続が実施されたということで、その姿をまずは拝みたいということもあり、そちらに専念することにしました。


その後も引き続き時間がありましたので、中原電車区の構内をウォッチングしたのですが、夢庵近くでは元青670編成のN36編成が留置されており、初めて南武色になった姿を見ました。側引戸の半自動スイッチは付いていても停止なのかと思われますが、細部で南武線用の8000番台と異なるので、違いを見つけるというのも面白いのかもしれません。公式発表では15日から運用に充当されるということなので、好きな人は朝早くから中原出庫を狙うのも良いのかもしれません。


また、南武線開業90周年の記念のヘッドマークを付けたN1編成は区内3番の武蔵新城寄りに運良く留置されていたため、スクーターの椅子の上から1人撮影会をやって楽しんでおりました。マイナビの報道によると車内に展示されている南武線の写真展示とHMの取り付けは約1年間実施されるようですが、果たして本当に1年間実施されるのか気になるところで、本当であれば慌てて撮影するほどのものでもないのかもしれません。



今回は南武線開業90周年に関連する報告でしたが、次回は2月下旬から3月上旬にかけて約1週間、マニラとジャカルタに行ってきましたので、その話しをブログの中で簡単にご報告したいと思います。

今日は何の日?

2017年02月09日 23時22分59秒 | 南武線
見出しには今日は何の日ということで、皆さんにいきなり問いかけておりますが、一般的に2月9日は語呂合わせから「ふく(ふぐ)」の日、「服の日」または「肉の日」だったり、スーパーでは肉の特売日だったりするのかもしれませんが、私個人的には209系の日ということで、南武線で唯一活躍するナハH53編成のことについて、ご紹介させていただきたいと思います。
先日もお伝えしましたように今年3月に南武線は全車E233系に統一されるということで、209系の活躍もあと僅かと想定され、火曜日の7日は副業のほうも休みであったため、朝早く起きて209系ナハH53編成目当てで南武線沿線で撮影することにしました。

この日の運用は41Fということで日中運用に充当されることから、富士山といっしょに撮影してみましたが、右下にショベルカーの姿がほんの少し写り込んでしまいました。


多摩川の対岸に渡り、定番の撮影地になりますが、私にとってはつまらないE233系が行き交う中、209系を撮影しました。


その後は稲城長沼〜南多摩間にあるマンションの非常階段から撮影するため、まずはそのマンションの管理人の方に撮影させていただきたいことを伝えると、「何か特別な列車でも来るのですか?」と言うので、私は「特別な列車ではないのですが、古い車両が1本だけ走っており、その車両がもう直きなくなるので」と言うと、管理人の方はよくわかっているのか「209系ですか?」とおっしゃるので、私は「そのとおりです」と返事をさせていただきました。


続いて電車に乗車し鹿島田に来てみましたが、最近、鹿島田駅で撮影したことがないことから、冬場にここから撮影する上では高層マンションの建物の影が列車にかかるようになり、望遠レンズでないと綺麗に撮影できなくなってしまいました。まあ、夏場であればその影も短くなるので気にせず撮影ができるのですが、この209系が去ってからのことを考えると撮影することはあまりないのかもしれません。


その後も南多摩駅と南多摩〜府中本町間で撮影し、最後は1541Fの快速列車で川崎〜立川間に乗車したのですが、2月9日の運用では03Fに充当され、朝の運用で終了していることから、209系にとって記念すべき2月9日がラストランになってしまうのか、明日2月10日以降の動向が気になるところです。


103系が活躍していた当時には、いやというほど「この電車は従来(103系?)の半分以下の電力で走っています。」と見せつけられましたが、今ではその103系が去ってから10年ちょっと経過しており、そのメッセージもとっくに陳腐化しています。
果たして、このナハH53編成の今後は同僚のナハH52やH54編成と同様に廃車されてしまうのか、それとも電撃的に他線区へ転じて活躍することになるのか注目しておりますが、南武線での最後ぐらいは205系と同様に「あリがとう運転」を期待したいところです。

南武線、全車E233系統一と開業90周年イベント

2017年01月27日 10時14分50秒 | 南武線
大変ご無沙汰しております。
安心してください。死んでなんかいませんよ。
昨年の7月以来の書き込みではありますが、昨年7月にジャカルタの205系について鉄道雑誌に執筆して以来、8月から収入アップということで、副業として宅配の仕事を始めたのですが、本業とあわせて昼夜問わず忙しくなり、年末年始もまったく時間が取れず、半年のブランクが空いてしまいました。副業の宅配の仕事を始めてからは趣味の鉄道にかける時間も少なくなり、撮影する時間もめっきり少なくなってしまいましたし、元地元の南武線をウォッチングする時間もなくなってしまったのですが、宅配の仕事によるおかげでメタボであった体形もみるみるうちにスマートになり、体重が半年で10kgも減ってしまいました。
また、今まで続けてきたブログの更新をしばらく行っていないと、つい今度更新するからと思って億劫になってしまうのですが、そこへ昨日は皆様がご存知のように南武線のE233系全車置き換えが完了するという情報と、開業90周年のイベント情報が各報道機関から発表されましたので、簡単ながら私もこのニュースについて述べていきたいと思います。

大まかな情報については鉄道新聞またはマイナビなどの情報を見ていただければと思うのですが、これらの報道機関のニュースでも述べられているように青梅・五日市線用のE233系青670編成が南武線用の車両として現在、大宮で改造を受けているようで、いずれ3月までにはこの編成は中原に転入するものと思われます。また、この編成の転入により、南武線で唯一残っている209系H53編成の去就が気になりますが、全車E233系へ置き換えと報道されていることから、南武線からは引退することが推測されますが、このまま廃車となってしまうのか、またはあらたに他の路線へ転出し活躍するのかについては述べられていないことから去就が気になるところです。

209系ナハH53の去就が気になりますが、廃車になってしまうのか、他線区で活躍するのか注目されています。


ここで、唯一活躍し続けているナハH53のシーンを何枚かご紹介したいと思います。
特に自慢するほどのものではありませんが、2014年9月28日に登戸駅において南武線の初となるE233系の車両が展示され、中線(2番線)の展示用のE233系と上り本線の列車の並びを撮影し楽しんでおりました。


下の写真は2015年12月24日に撮影したもので、2015年は南武線からジャカルタのKCJに20編成120両が譲渡され、先頭改造車については廃車されたのですが、検査上の周期によるものなのかナハH46編成だけは最後の最後まで残り、2015年12月24日、29F運用をもって通常の営業を終了し、中原区への入区のシーンを撮影したもので、偶然、209系のナハH53編成が上り本線に到着しました。もちろん、209系との並びを撮影したいということで予めカメラを構えていましたが、お互いの編成どうしで「お疲れさまでした」という声が聞こえてきそうです。


いずれにしても209系ナハH53編成の活躍も南武線ではあと僅かとなり、おそらくダイヤ改正前には引退するものと推測され、ありがとう(さよなら)運転については各報道機関やJRからも報道、発表されていないことから、静かに引退するのかもしれません。

もう1つの話題として、南武線の前身である南武鉄道の川崎〜登戸間が1927年(昭和2年)3月9日に開業し、南武線開業60周年以降、70周年、80周年とイベントが実施され、記念オレンジカードの販売、記念列車の運行、車両にヘッドマークや装飾などの取り付けが過去に行われてきましたが、今年は開業90周年にあたるため何かイベントを開催してくれるものと期待していたところ、こちらも各報道機関から発表されました。
目玉としてはE233系1編成に90周年の記念ロゴマークをデザインされたヘッドマークが装着され、車内には南武線にまつわる写真が展示され、平日ではありますが開業日の3月9日に臨時列車が運行、その後は通常の運用に充当される予定になっているようです。
川崎駅や武蔵小杉駅、武蔵溝ノ口駅など主な駅(駅長の配置のある駅?)では各種イベントが実施されるようで、記念切符や記念弁当、記念グッズなどの販売については実施されるのかどうかについては今のところわかりません。

続いて、3月4日にはダイヤ改正が実施されますが、南武線では快速列車のスピードアップ、各停の列車との接続駅の変更が実施されるとのことです。
土休日の下り快速は武蔵中原駅・稲城長沼駅の2駅で各停と接続し、川崎~立川間の所要時間を約2分短縮。土休日の上り快速は登戸駅で各停に接続し、立川~川崎間の所要時間を約1分短縮する。平日については各停との接続駅は下り快速が稲城長沼駅、上り快速が登戸駅となるとのことで、快速だけの利用者であれば多少便利になるのかもしれませんが、利用者によっては現在よりも不便になるのかもしれません。今度のダイヤ改正では1〜2分程度のスピードアップが実施されますが、この程度よりもさらにスピードアップが可能かと推測もできますし、武蔵中原駅、稲城長沼駅の2面4線の施設をフルに活かして、来年以降のダイヤ改正で、この2駅での緩急接続の恒常化を実施することが望まれるところです。

この他、国土交通省の交通政策審議会(昔の運輸政策審議会)の中で、川崎市が要望していた南武線の輸送力増強も盛り込まれ、新型車両のE233系にほぼ置き換えが完了したものの、武蔵小杉周辺などを中心に宅地開発が実施されており、輸送人員が微増ながら増加していることから、現在の6両編成をさらに増強することが川崎市の総合計画にも位置づけられているようです。
また、尻手〜武蔵小杉間の南武線連続立体交差事業の都市計画決定に向けて、鉄道事業者のJRや自治体の横浜市などとの協議、市民に対しての説明会・勉強会も実施されていますので、問題点などもいろいろと明るみになるのではないかと思いますが、この事業自体が高架によるものなのか地下により事業が展開されるのか(おそらく高架で実施)、横浜市である矢向付近も一体となって事業が実施されるのか、気になるところでもあります。

最後に私事になりますが、2月26日〜3月5日まで、マニラに住んでいます家内と子供に会う予定で、さらにその先のジャカルタへ寄っても安いチケットがありましたので、ついそのチケットを購入してしまったのですが、今やCikaumに送られ葬られてしまった103系や前面帯のみ南武色である205系を求めて、家内には大変申し訳ないと思いつつもちょっと足を延ばします。
もちろんフィリピン国鉄の現状についても見てくる予定で、帰国後には簡単になりますがご報告いたします。





南武線ウォッチング-2016年3月~4月

2016年05月03日 23時07分45秒 | 南武線
205系が去ってから特に話題がなくなってしまった南武線本線ですが、とりあえず時間もありますので、ここで簡単に報告をしたいと思います。
まずは今年3月上旬から4月上旬まで川崎アゼリアの広告車両が昨年7月に続き登場しました。今回も前回と同様にE233系N14編成が抜擢されましたが、前回とは違う装飾となりました。


サイドを見ると下のような感じで、川崎アゼリアのキャラクターであるカエルなのですが、今回登場したのが今までいたカワサキカワルとそのオトウトの下に「タマ」と「カワ」という双子の妹が広告車両に描かれていました。名前がない「オトウト」、そして「タマ」と「カワ」という名前、あまりにも安易すぎではないかと思うのですが、どうなんでしょうかね。
また、次回も南武線の広告車両で、この4兄弟姉妹が登場するかと思うのですが、アゼリアとJRがタッグを組んで、30年前ぐらいに103系を使用し実施された川崎~登戸間ノンストップ専用列車「アゼリア号」が復活することを願いたいと思います。


1本だけ残る209系のH53編成ですが、今年3月のダイヤ改正後も平日の運用本数は34本とダイヤ改正前と変わらず、E233系は合計35本ですから、予備は少なくとも2本必要なのでH53は残ることとなり、しばらくはこのまま活躍するのではないかと思われます。
また、どうも休日の運用にはできるだけ充当することを避けているようですので、撮影や乗車を楽しむのであれば平日に限られるのではないかと思います。


最後にジャカルタで活躍を続ける元南武線の205系ですが、前回の報告以降、一部の元南武の車両は元ハマ線の車両と編成を組み、10両もしくは12両編成として使用されていますが、ナハH11、H12、H34、H39以外は南武色のままとなっており、Depok車庫の幹部から聞いていた南武色からKCJ色への変更は1編成(ナハH11)を除いて実施されていません。
ということで、マニラにいる子供の5月の誕生日祝いのついでに、ジャカルタへ足を延ばしてみようかと考えていたところ、昨年も利用したフィリピン航空で、全部込みで4万3千円ちょっととLCC並の金額でしたので、旅行会社に頼んでしまったのですが、同じフィリピン航空で東京~マニラ間が搭乗日をどのように変えても全部込みでこれが5万円以上となぜか高くなっていることに不思議でたまりません。
まあ、今回も元南武線の205系を中心に追っかけたいと思いますが、南武色とKCJ色の混色編成や去就が注目される103系なども撮影できたらと思っています。

小田栄駅開業

2016年04月17日 19時17分09秒 | 南武線
2週間ぶりのブログ更新となり申し訳ありません。
先月は3月26日にダイヤ改正が実施され、北海道新幹線が青函トンネルを通り北海道の新函館北斗まで開業し、世間はその話題で持切りでしたが、前回も述べたように新幹線にほとんどお世話にならない私にとってはどうでもよい話題で、むしろ南武線のイベントのほうが大事であり、今回は南武支線(浜川崎線)の浜川崎~川崎新町間に開業した小田栄駅について簡単にご報告していきたいと思います。
小田栄駅は南武線としては2009年に開業した西府駅以来の新駅開業であり、おそらく私の予測ではこれ以上南武線に新駅の開業は望めないのではないかと思いますので、南武線最後の新駅開業と言ってもよいのかもしれませんが、今回、この小田栄駅の設置にあたり、通常の新駅設置とは異なるJRと自治体の川崎市が包括連携協定を締結し、事業費の負担について両者折半で開業しました。1日の乗降客数が予測では3500人と都会の駅としてはあまりにも少ない数値ということもあるためか駅の構造自体は簡易なもので、小田踏切を挟んでそれぞれの本線上に長さ50mのホームが設置されています。


上の地図を見ていただければわかると思いますが、JRではこのような踏切を挟んでそれぞれホームを設置するというような駅は見られないのではないかと思いますが、おそらく新駅設置による費用をできるだけ最小限にすることを勘案した上で、このような結果になったのではないかと思います。
また、それぞれのホームと踏切の位置関係は列車が発車してからこの小田踏切を渡ることになりますので、踏切の遮断時間が長くなってしまい、交通渋滞を引き起こすとともに朝のラッシュ時を中心にこの踏切を通る臨港バスの遅延にもつながり、定時運行が阻害されていることも予想されるのではないかと思われます。
この他、駅利用者や周辺の歩行者等の安全性や利便性を考慮する上で跨線橋の設置が望まれますが、南武支線(浜川崎線)の直上と線路沿いには東京電力の高圧線が通っていることから、絶縁距離を確保することが困難であり、跨線橋の設置はされていません。
下の写真は小田第五踏切(尻手側)から小田栄駅を臨んだもので、工業地帯特有というのか南武鉄道特有というのでしょうか高圧線が線路直上にあり、高圧線兼用の独特な架線柱が味わいを見せています。


この小田踏切をもう少し詳細に見ることにしますが、ちょうど4方向の道路が交差する所に踏切が位置し、構造的には矢向~鹿島田間にある塚越踏切にそっくりなのですが、この周辺にはコーナンやイトーヨーカドーの商業施設もあるためか自動車交通量が多く、歩行者・自転車交通量も多いため、観察していると危険と感じたことが時々ありました。


できればこのような踏切は除去するべきだと思いますが、鉄道と道路を立体交差する上ではどうも困難なようで、道路を高架化する上では先程も述べたように高圧線があるため、鉄塔の改良等が必要なのではないかと思うと同時に、上の地図に示すように市電通りの交差点(小田栄町)~田島中西側交差点は市道富士見鶴見駅線の一部で、都市計画道路に指定されているものの未整備区間ということで、将来的に代表幅員36mに整備される計画になっており、この踏切部分においては道路がアンダーパスによって整備されるようですが、この未整備区間の道路整備の予定は目処が立っていないようです。

小田栄駅前には小田踏切のバス停が近接していますが、このバス停において臨港バスの川崎駅行きが日中は約8分置きに運行されており、特に高齢者にとってはフリーパスなどの制度があるため、バスのほうが利便性が高いと思われます。一方、南武支線(浜川崎線)は3年ぐらい前から日中は40分間隔と運転間隔が整理されたものの、40分毎では時間帯によって発車時間が異なり覚えられないことや列車の運転間隔が長過ぎることからせめて毎時30分間隔もしくは20分間隔に改善されること。また、長期的に2000年の国交省の交通網に関する基本計画で整備について検討すべき路線に位置づけられた川崎アプローチ線を整備し、川崎と浜川崎を結ぶことも必要になるのではないかと思いますが、JRと川崎市で締結した包括連携協定の中でこのような点においても協議されるのか注目しています。


その他、新駅利用の利便性向上と利用促進を行う上で、下り線ホームの横には駐輪場が整備され、当面の間は無料のようですが、駅勢圏が狭いことややはりいまだに利用しづらい路線であることから、駐輪場の半分以上は平日でも使われていないようです。


最後に南武支線(浜川崎線)の車両に新駅開業を祝してW4編成の1編成のみにヘッドマークが取り付けられており、全ての支線の編成においては車体側面の帯に川崎地区から連想される「音楽と海」をイメージしたデザインのステッカーが貼付けられ、車内のモケットも新たなものに取り替えられていることからその姿を撮影してみました。


浜川崎寄りのヘッドマークは京浜工業地帯の海と川崎のまちをイメージしているのでしょうか。尻手側のヘッドマークも含めて地元の高校生が製作されたようで、なかなか良いデザインではないかと思います。ちなみにヘッドマークの掲出は5月8日までのようで、ここ最近、日中運用にこのW4が1日置きに充当されているようで、今後においても1日置きに充当されることが予想されます。


尻手側のヘッドマークはマンガチックな感じになっており、こちらはほのぼのとしています。


南武支線(浜川崎線)沿線には撮影する場所が少ないですが、南武鉄道時代に建てられた高圧線の架線柱も特徴的であるためその遺構とでも言うのでしょうか、205系とのツーショットということで撮影してみました。
(写真は管理人に許可を得て撮影)

南武線205系引退

2016年02月21日 01時33分56秒 | 南武線
既に1ヶ月以上が経ってしまいましたが、先月1月9日に唯一残っていた先頭改造のナハH46がありがとう運転と題して川崎~登戸間の臨時下り快速列車が運行され、約27年間の205系の長い歴史に終止符が打たれました。この列車は川崎→登戸を快速で走るだけということで、撮影か乗車するかのどちらかを選ばなければならず、私は撮影することにしました。
前日8日、ツイッターなどで調べてみるとある程度知られている撮影地には置きゲバと言われる自分の三脚を予めその撮影場所にセットしておいて、自宅やホテルに戻り、翌日そのセットした場所に戻るという非道徳的な行為の人間が居たようで、本来であれば公道上にそのような障害物を置く場合は警察署に道路使用許可を取得する必要があるかと思いますが、そのうちこういう連中には神様から厳しい裁きがあるものと信じています。
まあ、そのようなことはどうでも良いのですが、1月9日の当日朝もどこで撮影しようかと決断もできないまま、川崎駅近くの柳町踏切に行ってみることにしました。ここを選んだ理由は武蔵中原から川崎に回送される列車でも行先表示は下り方面の行先に変更されているということもあり、「快速登戸」を撮影できることと、後続の列車が時変がかかっていても、場内信号で停止し、E233との並びが撮影できる可能性が大きいということで、ここに来てみました。
柳町踏切に到着したのは8時前でしたが、先客は3人程度と少なく、撮影場所は無難に確保できたため、このまま待ち続けると少しずつギャラリーが増えていきました。冬に3時間近くを外で待ち続けるのは大変なものがありますが、この日の朝はそれほど思ったよりも冷え込みが厳しくなく、川崎への送り込みまでの時間がそれほど長く感じませんでした。


送り込みの列車は定刻どおり通過し、行先表示も既に快速登戸になっていましたので満足であはありますが、メインは川崎→登戸間を行く列車を撮影するほうで、後続で来る上り列車とこの205系がどのように並ぶかですが、予想では後続列車はもう少し手前の位置に停止もしくは徐行するかと思いきや、結構、ギリギリまで進んでしまいました。


その後、登戸駅はほぼパニック状態のようであり撮影は難しいのではないかと予測し、おとなしく武蔵中原で到着を待っていましたが、ホーム上にロープで囲ってくれたおかげか、問題なく何枚も撮影できました。冬の時期だからどうしても側面が影ってしまいますが仕方ありません。
立川寄りのホームでは入庫する際にH39の最後の入庫と同じように「ありがとう」などの叫び声が聞こえてきました。


ここまでは1月9日の「ありがとう運転」の話題でしたが、この205系最後の「ありがとう運転」には乗車できないであろうと予測しておりましたので、通常の営業運転で乗車を締めくくるということで、最後の日と予測される12月24日朝早く武蔵中原へ行って、ナハH46が出庫されるところを待っていましたが、短い運用の29Fに充当され、乗車と撮影を楽しませていただきました。


翌25日はナハH46が茅ヶ崎に疎開され、代わりに南武線では最後の配備となるE233系N35が中原区に到着するということで、この日の昼間にちょっと出かけてみました。
ナハH46を武蔵中原で撮影し、すぐに鹿島田に来てみたのですが、ギャラリーの姿は見られずゆったりと撮影できました。


続いて、武蔵中原駅に戻り、最終編成となるN35が到着し、これにてE233系の配備が完了したわけですが、残る209系H53の1本が現在も使用されており、今後、3月のダイヤ改正以降も使用されるのかどうか注目されていますが、今のところ運用本数削減というような情報もありませんので、今後もしばらくは使用されるものと推測しております。


最後に約27年間活躍した205系の労いと感謝をこめて、1989(平成元)年3月11日のダイヤ改正にデビューした当時の写真をお見せしたいと思いますが、第1弾投入のTc86~88の3本が川崎重工で製造され、国鉄・JR時代では初めて新車が投入されたのですが、同時にダイヤ改正を機に最高速度を95km/hにスピードアップし、川崎~立川間で約3分縮めることが実施されました。この3本の新車は編成番号27~29が使用されましたが、第2陣のTc100~103の4本投入後に編成番号が変更され、10~12が使用されました。
下の写真は中原区に到着したばかりのTc86~の編成で、2月14日に検修の方にお願いさせていただき、撮影させていただきました。


3月11日にダイヤ改正が実施され、205系3本が一斉に運用に入りました。全て終日運用で、ナハ27が13デ、ナハ28が21デ、ナハ29が15デ運用に充当され、それぞれ各々のヘッドマークが取り付けられていました。


その後、第2弾はその年の9月~10月にかけて4本、第3弾は翌年90年の8月~10月に9本が配置され、合計31本のうち約半数の計16本が205系、残り半分は103系となりました。91年は205系16本を投入し、残りの103系全部を取り替える予定で、本来であれば横浜線のように南武線も全て205系化する予定でしたが、計画が途中で大きく変更されてしまい、私が検修の方にお伝えし願いが通じたのかどうかわかりませんが、結果的には残り半分の103系はそのまま2004年まで長い間残ることになり(より新しい103系によって取り替えられましたが)、103系好きな私としても嬉しい結果となりました。


これで南武線本線上からは205系が撤退しましたが、ジャカルタをはじめ武蔵野線や仙石線で南武線で活躍した車両が活躍し続けていますので、今後もこれらの車両を追いかけるとともに、懐かしい南武線の205系の話題も述べていきたいと思います。