朝日記170314 Hermann-Pillath III-1(第3章第1節)
第3章 機能(関数)、進化およびエントロピー
第1節 機能と主観/客観
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3. 機能(関数)、進化およびエントロピー
Functions, Evolution and Entropy
著者は、ここで観方について過激なシフトを提案する:著者は観察者の記法(概念)に亘っての一般化をする。 この議論でエントロピーについては、参照する(主体)は人間としての観察者a human-like observerである。 このことは、然るべき基礎的な見方についての見解を除外することになる。すなわち、Maxwellの魔物逆説についてのこの数十年で起きたことであるが、物理的メカニズムとしての魔物the ‘demon’についての思考には、は多くの進展がなされている[3]。 自然学的枠組みでは、人間観察者human observerはひとつの物理的システムであり、それが観察される物理的システムと相互作用をし、そして観察はまた、物理的相互作用である。
事実、Maxwellの逆説paradoxへの解はこの事実の認識の上において組みあがったものであった。しかし、この逆説は、第二法則の解明には有意義な役割りを演じたが、エントロピーの記法(概念)のさらなる解明はあまり貢献していない。
このことは、未踏の理論的な機会である。なぜならGibbs/Jaynesエントロピーは観察者相対性に自然学的な翻訳を与えることを考えることになるからである。それは物理システムの間での観察についての物理的関係についても必然的に関わってくることを意味するからである。また、このことは、観察者システムthe observer systemと対象システムthe object systemとによって構成される物理的システムに、この観察者相対エントロピーが内生化していくことを導くことになろう。
この結合システムのためにのみ、仮説的に、ひとつの観察者独立エントロピーobserver independent entropyを定式化することが可能である。
3.1. 機能(関数)と主観/客観区分
Functions and the subjective/objective distinction
われわれは生起的な相互作用の二つの形式を区別することができる。そして、さらに観察者システムO.に相当する物理的システムを指示specifyする。この指示化は、システムOが機能(関数)を含むことを言明するものである。
このことは洞察的な事実のもっとも抽象的な表現となる。というのは、観察は目的に帰り、人間実験者human experimenterのように意図的であるか、あるいはバクテリアについての場合のような、サイバネッティック意味でのフェードバック機構の部分のような意図的である。
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機能(関数)funcionsは、観察を含むが、それは機能(関数)が選択的selectiveであるという意味である。つまり、機能(関数)は対象システムobject systemの然るべき物性によって起動されるものであり、またその対象システムをともなうことにより観察者observerとの関係が構成される。
機能(関数)の記法(概念)はもっとも一般的なものを考える。それは、生物学的システムbiological systemsと人工物的システムartificial systemの両方に適用されるものである[52]。したがって、特に人間への実験human experimeterの文脈において採用される物理的相互作用を、含んでいる。
機能(関数)は、つぎのような一般構造をもつものとして記述することができる生起プロセスの特定に種類のものである[53]:
X の機能(関数)がZであるとはつぎの意味である:
(a) Xは、XがZに作用するが故にそこに存在している。
(b) Z はX’s(複数でもよい)がそこに存在することの帰着(または結果)である。
たとえば、太陽は地球上に生命の存在を生起する光を発する、しかし太陽はこの機能(関数)を持っていない。 心臓は血液を輸送する、そして、心臓がそうする故に、心臓は存在する。後者の物理プロセスのほうが、機能(関数)である。
以下のことに留意しておくことは大切である。すなわち、一般性のレベルにおいて、機能(関数)は技術的機能(関数)(設計を基づいている)または生理学的機能(関数)(進化の結果である)にのみ関係しているだけでなく、より大きなシステムにあって、禁制interlockとなっていたり、内蔵embeddingしている機能(関数)のような想像できる種類すべてに関係しているということである。
かくして、一般的な概念枠組みでは、ひとは、経験的に意味を含んだ感覚において、被捕食者側(エサ側)は 捕食者側に喰われるために存在しているとは言うことができない。 つぎのようにはいうことができよう;エサ側は、それがより大きなエコロジーシステムの一部として存在していて、エサ側も捕食者側もそのシステムの一部なのであると。
図2. (a): Elementary form of a function; (b): Autocatalysis.
図2aでは、Z を別の効果 Z’ と関係させることができる。Z’ はより大きなシステムの部分で、そのより大きなシステムの中に関係(a)が内蔵embeddedされている。
図 2.(a): 機能(関数)の要素形式; (b): 自動触媒
うえで与えられた定義に従って、もっとも簡単な機能(関数)functionは、対称的自動的触媒autocatalytic的な化学反応サイクルである[54] (図 2b)。
図 2bで、 (b)はオリジナルに化学反応であり、中間生成物X と Zの二段サイクルでつながっている。そして(a)は、製品の自動触媒の効果を記述する。
Yは反応の原材料を意味している。
対応的に、内蔵的な機能(関数)で、存在論的な原始状態での例は 酵素enzymeである[15,58]。酵素は細胞cell内での化学反応を増大させる機能(関数)をもつ。
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この機能(関数)はその細胞の機能(関数)から導出される。細胞から、酵素生成ための生起的なフィードバックが、全体システム内での相互依存性のなかで形成される。
この酵素の選択性もまた、観察者の物理的関係の原始的例である。
機能(関数)functionsの語彙は、エントロピーentropyの用語とともに、二つの項目である存在論的ontologicalと認識論的epistemologicalな意味を操作することを示した。これは、拡張した哲学的討論でありは、哲学的地平の拡張を提示している[56]。
機能(関数)functionsの見解にはつねに二つあって、ひとつは人間観察者によって指定されるとするものであり、他は客体の物理的現象としての機能(関数)functionsをとりあつかうとするものである。したがって、エントロピーentropyを考えるときも、その記法(概念)として、観察者と相対的な状態であるか、観察者に独立しているかに使い分けることになる。
Table 1は、これら機能(関数)functionsの分類の可能性をしめす。これはサールSerle[57]に拠るものであるが、著者は事実factsについての判断に二種類があるとするのである。 ひとつは、認識論的主体であり、その人が判定を為すもしくは、聞き知っていることからの、見解の点に基づく場合であり、もうひとつは認識論的客体であって、主体の人に関わりない真理の判定に基づく場合である。
さらに、つぎの二つの実体(entities)の間を区別する、ひとつは存在論的に主体的なもの(entities)であり、人間の精神的状態mental stateに依存している存在モードである。そして もうひとつは、存在論的に客体のもの(entities)であり、人間の精神的状態mental stateとは独立のものentitiesである。
この二次元マトリクスで、ひとつの標準的な機能(関数)指定をした(オリジナルのSearleのものとはすこし異なるものである)
・技術論的機能 Technological functionsは認識論的な客体である。なぜならその機能についての言明は、物理法則に相対的であるからである。しかし、それらは存在論的に主体的である。なぜならそれらは人間がする設計human designに相対的であるからである;
・生物学的機能(関数)Biological functionsは、認識論的に客体的な言明である。なぜならそれらは科学の根拠に基づいているが、同時に存在論的に客体的である、なぜならそれらは、自然的選択の結果であるからである;
・精神的な機能(関数)Mental functionsは、存在論的に客体的である。なぜならそれらはニューロン状態neuronal statesに相対的であり、観察者とは独立的であるが、同時に認識論的には主体的である。なぜならわれわれは、それを経験する人の見解からその機能(関数)を参照するからである(たとえば痛みとして);
・意味論的な機能(関数)Semantic functionsは、存在論的に主体的である、なぜならそれらの機能(関数)は個人の精神的状態に関係しているからであり、同時に、それらが認識論的に主体的である。なぜなら、それらが個人の意思intentionalityに相対的であるからである。
Table 1. 機能(関数)タイプ Types of functions.
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Judgemen(判断) →
Entity(実体) ↓ |
Epistemically subjective 認識論的主体的 |
Epistemically objective 認識論的客体的 |
Ontologically subjective 存在論的主体的 |
Semantic function 意味論的機能(関数) |
Technological function 技術論的機能(関数) |
Ontologically objective 存在論的客体的 |
Mental function 精神的機能(関数) |
Biological function 生物学的機能(関数) |
この見解は Jaynes言明が、エントロピーentropyが擬人的概念“anthropomorphic concept”であることをさらに鮮明にすることを助けるものである。
一見したところでは、このことは、エントロピーentropyが、認識論的客体であるという記法(概念)である。なぜならそれは物理法則に相対的であるからである。しかしながら、存在論的には主体的である。なぜならそれは特定の実験設定に相対的であるからである;その設定自体は実験者の精神的な状態を反映しているのである。
しかしながら、機能(関数)についての哲学的な議論では、技術論的機能と生物学的機能(関数)は疑念がのこるものである[52]。 これは、考えているシステムのレベルに依存するものであるからである。
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例えば、われわれは部品を考えるに、それはそのエンジンでの内部的機能(関数)化としての意味があり、それ自身はオリジナル設計とは独立しているとみる。したがって、それを存在論的客体‘ontologically objective’ として置かれることになる。
さらに深い理由としては、二水準システムとしてこれを分析するとわかりやすい。ここではエンジンは、人間設計human designと直接関係する機能(関数)functionをもつのであるが、そのエンジンの部品は物理法則に従うことが単なる設計上の必然性に基づいてその機能(関数)に貢献するのである。
もし、図 1で展開された見通しを適用するなら、類似の再考察が可能となる。それは観察者たちとして扱われる立場であるが、機能(関数)が相互に内包embeddingするものへと帰させるものである。
もし、われわれがそのオリジナル位置として、技術論的機能(関数)に固執して留まるなら、より高度の水準に位置する観察者a higher level observerが直接に設計プロセスに関わることになろう。
この設計プロセスは、精神的な機能(関数)a mental functionもしくは意味論的な機能(関数)a semantic functionのいずれとしてみなすことができるが、これはそのときの特定の方法論的見通しに懸っていよう。
しかしながら、両方の場合も類似した筋に進行しよう。それは技術論的機能(関数)technological functionを存在論的客体ボックス‘ontologically objective’ boxへ移行shiftするような場合である: もし技術論的機能(関数)と精神的機能(関数)としての設計機能(関数)design functionを一水準高いシステムにまとめて(integrate)するなら、ここでは、たとえば 技術論的機能(関数)the technological functionは精神的機能(関数)a mental functionの一部となることを論議するになろう。
この議論は直接的にエントロピーのJaynes記法(概念)に適用される:
その指定assignmentはわれわれが観察者システムOを解析のなかに持ち込むか、否かに拠っている。 より高位の水準の観察者についての総合化された見解については、ふたつの選択がある。
これは技術への進化論的アプローチについての現在の論議でもある[58–59]。
ひとつの位置づけとしては、その設計記法(概念)が設計の大衆レベルでの進化についての事実に違和感を与えるような場合があるが、これは、個人への役割りがあまりにも強い結果でもある。
もうひとつは、進化学的認識論での早い段階でのアプローチと人間の脳での進化論的なプロセスとしての設計プロセスの再構築である[60–62]。
両方の場合に、技術的な機能(関数)を決めようとする個々の精神状態の役割りが減少するか、場合によっては全面的に消えてしまうことになる。
これらの異なる可能性は、直接的にエントロピーのJaynes概念の翻訳のためには適切である。
もし、図 1で、われわれがニューロナル・システムを進化学的プロセスでの要素として存在するということから、これを観察者として翻訳するなら、この場合、エントロピーのような概念は精神的状態mental statesに関係しないであろう。しかしながら、物理システムA と観察者システムOとの間の生起的な結合a causal connectionを確立する物理プロセスとしてみるならば、エントロピーのような概念は関係してくるであろう。
この場合に、総合化されたシステムのエントロピーの記法(概念)は意味あるものとなる。これはMaxwellの魔物逆説への解決の筋道でもある:
最も抽象的な水準では、観察者と対象システムは、まさしく、相互に生起関係にあってその場に滞在している二つの物理システムである。
かくして、われわれは節2.1 での最終結論の詳しい解明をここで終わらせよう:
・認識論的な客体であるが、しかし、存在論的に主体的な記法(概念)の場合。
それは、物理学でのその標準的な使用を考える限り、その実験を行う観察者の精神状態をもって、対象システムthe object systemsと関係するという意味である。
・等しく認識論的客体性と存在論的客体性である場合。
これはわれわれが観察者と対象システムの総合的なシステムを考えるなら、前者の観察者をひとつの物理システムとして認知する。この物理システムは実験者のみでなく、実験の設計をも物理プロセスとするという意味である。
かくして、これらの区分手段によって、Jaynes提案について、われわれは重要な解明と拡張をするに至るのである(図 3)。
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ふたつのエントロピーの記法(概念)がある。
観察者相対的EntropORは存在論的に主体的であり、そして人間観察者human observerの精神状態を参照してのみ決定することができる。
観察者独立的EntropyOIは観察者の物理的システムと対象システムとのカップルされたシステムに関係する。
図 3. 観察者相対的と観察者独立的エントロピー
明らかに、このアプローチは、次の高位水準の観察者についての質問を提起する。
Jaynesのオリジナルなアプローチは、entropyORのみであった。
そこで、entropyOIは、未だ到達していない「物自体」unattainable ‘ Ding an sich’の役割りを獲得するようになろう。なぜなら、それを把握するいかなるアプローチもひとりの観察者の位置を確立することを含むからである。その位置とは巣網化された観察nested observationの可能なかぎりの無限の順列の確率を含むものであるからであう。
必然的に、著者は、この区別は、ミクロとマクロ状態との間の区別に関係し、そして最終の節にて観察者の水準としてややトリッキーなる項目に立ち帰ることになろう。
このことは、 Salthe [18]によって展開された考えの筋であるが、内部者internalist 視点と外部者視点the externalistとの間の区別をするものである。
さらに、対応して、Saltheは、トータルな情報容量、つまりBoltzmann and Shannonでの意味でのエントロピーentropyは上位システムsupesystemの容量と下位従属システムsubsystemsとの容量とに分解decomposedすることが可能であると論じたのである。
そこで、もしそのシステム内にいる観察者の内的位置を考慮するなら、観察者はsubsystemにあって、彼は全体の情報量の一部分である特定情報の容量をもっている。
この観察者は、全体の情報の容量を測るためには、supersystemのそとの位置に立つことは原理的に不可能である。
その唯一の手段は他のsubsystemの観察による情報容量を推定である。そうすることによって、観察者はその情報容量に構造的に適応、而しても変更する。
かくして、internalistsの視点からの全体情報容量は観察者のいるsubsystemおよび観察されたsubsystemとの情報容量との総和となる。しかしながら、それは、全体情報容量が、そのシステム内に滞在する観察者によっては直接には測れることは含まれないのである。
この議論は、Jaynesの概念を参照することをしいなで、entropyOR と entropyOIの間の違いを述べているのである。
重要な帰着は 二つのエントロピーが、単に同じ物理的大きさについて異なる視点を持っているということではない。二つのエントロピーは、もし、後者のentropyOIが自己参照的関係self-referential relationを確立していないのであれば、entropyORは、その観察者をそこに含んでいない。 このふたつは常に異なるのである。
さて、われわれは、機能(関数)の記法(概念)を導入する必然性を探索しよう。この記法を、entropyへのJaynesアプローチの解析に導入しようとするものである。これは直裁的である、なぜなら、観察者が、まさしく特別の種の機能(観察)functionであるからである。
(3-1おわり)
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