枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

卯月、小満・上弦

2018年05月21日 | Weblog

 二十四節気 小満 光熱ともに旺盛となり、陽気天地に満ちる、と言う意味で、小満と言う。毎年五月二十一日頃である。爽やかな風が吹く、まさに初夏の天気である。鶯は楽し気に囀り、空は青く広がり、雲は駆けっこをするかのようだ。揚羽の幼虫も見かけたが、今年は1匹だけである。

 近所の猫か、野良猫かは不明だが、仔猫が庭で遊んでいる。すばるが物珍しそうに眺めている。去年までの姿を忘れているのか、あの生き物は何だ?という仕草をする。すばるにハイターがかかったような毛並みであるが、飼えないので追い払う。秘密のトップシークレットでは問題がある。

 本日の予定で、枇杷葉の生葉を漬けておこうと、採っていたら、リエさんの枇杷葉に三粒と、サンタさんのに一粒、袋が掛かっていないのが見えた。既に、親指大になってきており、エメラルド色が美しい。梅も、枇杷も、この時期のはアミグダリンが豊富だが、猛毒でもあり、命の危険も。

 芍薬も薔薇も、時期を終えて散っていく。薔薇は、エキスを作るので、花弁を漬けたが、芍薬はお礼を言っておく。ドクダミの花が咲き出したので、順番に摘んでいく。新聞紙を広げて、鋏で切って乾燥させてお茶で飲む。入浴剤として使ってもよく、曝し綿の袋を縫い入れる。毎回替える。

 昨日に引き続き青天・快晴なので、蒲団を広げ、洗濯に勤しむ。昼食も忘れるほどだが、お腹が減っては動けない。珈琲も美味しいのを堪能し、ハイジも読み終える。図書館には、文庫本を依頼してあり、遠からず読めるだろう。この歳になってこそだが、端折らないで読みたい。志を果たそう。

 郵便局まで出かけ、銀座からの珈琲代を支払う。Aさんちの水がいいので、美味しく飲めるが、カルキ臭があると不味い。この水に慣れたのか、出掛けても飲めない。相当の覚悟か、自分で淹れて持って行くかだ。たかが水かも知れぬが、身体がよく覚えている。最近は、自宅で飲むことが多い。

 夕方、Aさんちに水を分けて貰いに行き、何やかやと話しに昂じる。財前直美さんが、枇杷葉の民間療法をされているとか、初めて知ったが、やはり蒟蒻を使っているらしい。どうにも世間に疎いのと、テレビはさっぱり観ないので。手当てにも依るのだが、必死さと信じることかもしれません。

 わたくしの場合は、自然からの運行で用い、相手の出方を見てから施行します。闇雲に誰にでもは触りたくない。治すのは自分であり、こちらは手援けをする。信用も大事で、疑いの気持ちや、無料で然も至れり尽くせりはできない。損得での問題なら他に行ってくれれば、何でもしてくれるよ。

 白と黄色のフリージア。毎年咲いていたのが、今年は寒さで枯れてしまった。凍死したのか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草刈りで・・・

2018年05月20日 | Weblog

 団地の草刈りに参加するが、皆さん詮索好きで閉口する。人様の事情をあれこれ言う前に、自分ちの範囲内の草ぐらい抜けよ。わたくしなど文句を言われる筋もない。常に掃きつけ、他所んちの草まで片付けておるわ。その上に出て来なければ、と文句たらたらは止めてほしい。田があれば別だが。

 この時期の草刈りは、何故するのかが分かっていない。田植えの準備があるから、溝掃除も兼ねてするんだろうが。田舎暮らしには、草刈りは必須だが、生き物が棲んでいることや、其々に命のあることも思いたい。人間の外は、という考えには、共存はあり得ない。これは乏しい知識に他ならず。

 浩太郎さんの、バッタを倒しに・・・が、2018年大賞だって!よかったねぇ。テレビにも出演されて、人気はうなぎ上りらしい。でも研究の方にも、お励みください。博士号には、ひたすら研究が含まれるのでしょう?書籍が出るのを楽しみにしています。高度な内容は難解ですが、待っています。

 お腹が空いたな・・・。パンと珈琲だけでは空腹ですな。昨日は、鮨をしたのを、職場に持って行ったので、ご飯炊かないとない。お結びがいいなぁ。Aさんちに水を貰いに行こう。朝日米が美味しいので買っているが、研ぐのに水は大切なのだ。カルキの入ったのでは、味が格段に落ちてしまうのだ。

 草刈りの後で、ペットボトルの飲み物が出たが、手を出さなかったら、どうしてかと五月蠅い。飲めないでしょう?これは個人的な見解ですが、枇杷葉茶以外は、口にしません。拘りを持っているのであって、構わないでもらいたい。身体中が痒くなったりするのも、自分で防ぎたい。飲める人が飲んで。

 昼食後は蒲団を仕舞う。クリスマスローズの枯れた葉を除け、薔薇や芍薬に散布しておく。通草に、大きくなっている揚羽の幼虫発見し、枯れた所を伐っていたら、何処かに消えた。今年は寒かったので、飛来してこなかったのか、と案じていたが見つける。カナブンとバッタに、薔薇の被害が甚大である。

 釣鐘草も、花の根元からない。薔薇も蕾が落ち、芍薬は粗方齧られる始末。でも、農薬は使いたくない。がっかりしつつ、しょんぼりとなっても、花に詫びるだけである。図書館に返却の本を持って行く。さて、ハイジを読もう。わたくしの記憶では、講談社から、少年・少女世界の名作の題であったが。

 そのシリーズには、佐藤さとるさん・水のトンネル、安房直子さん・金の針の作品があった。何故か二つの話は、強烈に覚えている。身体中を翔けた、あの感動は忘れない。今手元にないのが残念だが、上げてしまった物は、今更返してとも言えずだ。書籍は嵩張るので、移動時には困難が伴うのよね。

 当時の挿絵が、とても素敵だったのも覚えている。本好きというか、ストーリー性の高い物は、漫画も鮮烈だ。最近の作者は知らず、手塚治虫氏を始めとして、萩尾望都さんや竹宮恵子さんにはのめり込んだ。全作品を持っている。坂田靖子さんのも。古典の典型は、水野英子さんだが、ワインに酔う位。

 昨年の枇杷葉の実。どの枝も鈴生りで、たくさんの枇杷が食べられた。今年もまずまず・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気温低下・・・

2018年05月19日 | Weblog

 昨夜の豪雨と雷には、凄まじいい迫力があった。蒸せるのも最大で、汗びっしょりになる。急激な気温の上昇と低下であるのに、身体がついていけない。今朝は、茗荷鮨をしようと早起きする。余裕で間にあったものの、味はどうかなと気になる。酢飯は硬すぎず柔らかいでもなく、丁度いい具合だ。

 激務を終えて、一旦帰宅して廃品回収を積み込む。中学校のだそうだが、家の中が片付くと、持って行く。序でに腕の調子の悪い同僚に、手当てをするべく、枇杷葉の生葉を採って持参して帰る。休日に来れば、時間的にもゆっくり施行出来るのに、遊びにスポーツにと多忙なのだそう。何をしてるか。

 明日は、早朝から団地の草刈りで、眠いが致し方ない。我が家の周りは清ませているが、なんだかんだと五月蠅い。自分家の外回りさえ、綺麗にしていればいいものを、集団で出たからと言って、片付くものでもない。普段からの心掛けが大切で、家の中だけでなく、外もするのが当たり前ではないか。

 夕月が細い形で懸かっている。その少し北には金星が、南には木製も観える。昨夜の雨で、大気が澄んでくっきりと輝く。これも用事があったからで、天体ショーが観られた。すばるの期限が斜めで、ご飯の催促である。寒いのか、抱っこをせがむ。パソコンが出来ないので、懐に入れているが満足?

 お釈迦さまの生誕日が近い。旧暦なので、22日になっている。この三日程、曇って不穏だった天気の中、釈迦牟尼は誕生されたが、長い間眠ったまま、天と地を指されていたという。釈迦国は小さな国で、他国からの侵略に怯えていたようだ。印度が当時はどんな様子だったか、知る由もない・・・

 芍薬が、雨に打たれて俯いている。薬草でもあるのと、花の姿がきれいなので植えている。これも、様々な色があるようだが、白と薄桃、濃い桃とだったが、いつの間にか薄桃だけになってしまった。東側に植えていたのは消え、そこにあった薔薇さえも、枯れてしまった。土竜の通り道だったのか?

 すばるです。多少は慣れてきて、按摩器の上でくつろいでいる。小さいので逃げ足は速い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不快指数180・・・

2018年05月18日 | Weblog

 蒸せるのである。雨が降りそうでいて曇り空の状態が、続けて三日である。薄日が差す割には風もなくて、うっとうしいばかりだ。夕方、やっと雨粒が落ち始めた。ほっとするものの、大荒れらしい。今年、夏は短いようだが、梅雨の時期は既に始まった天気である。然し、これも自然の為せること。

 スーパーマンの相手役 ロイス・レインをした方が亡くなっていた。クリストファー・リーブの時だから、マン・オブ・スティールより前だ。アメリカの永遠のヒーローであり、ヒロインでもある。個人的には、ヤング・スーパーマンのトム・ウェリンクが素敵。物語も新鮮で面白かったのだ。

 勤務先で、指輪物語やナルニア国物語の話が、中々出来ない。ストーリーを話せないし、原作本を読んでいないから、前に進まないのだ。何で話が分からないのか?それの方が不思議でならない。書籍を読む行為は、知らぬ知識を増やし高め、深く知っていくことなのに。死ぬまで学びを止めないよ。

 明日は、茗荷寿司と稲荷寿しを作る予定で、帰宅して直ぐに、茗荷を茹でた。今晩はちょっと早めに休もう。食中毒が怖いので、明日の朝作る。本来は、休みに作るのがいいのだが、そうなると勤務上難しい。日曜日は、草刈りとなっているし、予定も目白押しだ。枇杷葉の実が、大きくなっている。

 バッタが齧っており、カナブンは薔薇の花に潜っている。そりゃ美味しいでしょうよ。無農薬だものね。芍薬や梔子にも、無残な痕を残している。農薬は掛けたくないので、諦めるしかないが、見つけたら捕獲する。アフリカの方では、作物は丸裸らしいが田舎の事情も複雑である。でも正解はないな。

 共存という立場であれば、生きるための餌である。こちらの都合は、折角植えた花木となるが、言い分であれば正しさはない。人間は勝手に、彼等の食べ物を奪っているのだからと思える。でも、心では哀しみが大きい。太陽や月に、風と雨に祈りと感謝でいられたら、とも少しは思うだが複雑である。

 すばるが暑さに閉口している。昨年には、小さくて何処にでも潜れたが、体も大きくなっており、腹這って伸びている。今夏を乗り切っていけるか?外には出せないので、網戸にして扇風機を掛けるか。換気扇は回しているが、温度調整が自力で出来るかな?留守中には閉め切って行くから、どうする?

 きらん草の花は、晩春に咲き出す。小さなベル状態の紫の花が、僅か1㎝に集まって咲く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すばるの好物・・・

2018年05月17日 | Weblog

 今朝、あつあつのご飯に、卵をかけていたら、匂いを嗅ぎつけて、膝に飛び乗ってきた。何時もは、熱いと口にしないのに、はふはふと食んでいる。その恰好があまりにもいじらしい。同時に可笑しくもある。餌はそのままで、卵かけご飯を食べているのが、小さな子どものようだった。

 久々の勤務であったが、人数が多かったので、業務のゆとりを感じつつしていたが、同僚の中には、自分の都合を押し付け、横着をしようという者もいる。人数が少なかろうが、激務をこなしている者に、多少は気遣う気持ちはない。体調不良で休んだのは仕方ないが、配慮はないのだ。

 個人的には、言いたいことも有るが、介護の仕事は協力しなければ出来ない。文句を言う前に、頭を使うことをして、見守りを優先で行きたい。人命が一番で、他のことは二の次で好い。怪我も、事故もない状態で、業務を施行したいのだ。一人で何もかもは出来ない。意志の疎通もね。

 それにしても暑い一日だった。室内の気温も30℃になって、冷房を点けている。こちらは寒いので、気づいたら切るが、不快指数が上昇して、身体もだるさを感じる。何にしても四月朔日を過ぎたら、初夏なのである。季節感の感覚が、全く以って欠落している。蛍もそろそろかな。

 スター・ウォーズも残す処、エピソードⅨになったが、製作者も監督も変わってしまい、想っていた展開とは違うのが淋しい。新聞では、132.8億光年先の銀河に、酸素を見つけた。とあった。遠くイスカンダルはあったのだ。砂の惑星も、或いはまた存在しているか?地球滅亡も速く。

 帰宅途上で、以前に勤務していた方に遇う。元気じゃなと言われるが、何もしないでいる訳じゃない。それなりの努力をしていることが分からない。鑑みれば、他人とはそういった者である。価値観も違えば、個々の遣り方は大きく異なる。了見のずれがもたらすのだと、納得した次第。

 春になると、狭い庭のあちこちで、様々な花が咲く。球根は、植えたことを忘れていても。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曇り空ながら・・・

2018年05月16日 | Weblog

 洗濯物は少なく、何だか物足りないので、止めておく心算だった蒲団を干す。雨は降らないようだが、曇りがちである。午前中の作業に、草刈りを済ませる。午後から、娘夫婦からの母の日の返礼に、其々の誕生日を遅かったり、早かったりだが宅配にした。その後は、Aさんの足の手当てに寄る。

 枇杷葉茶の効果は、本人の努力く次第だが、これで何もかも治ると、勘違いは避けたい。内臓を始めとして、細胞への隅々の活性化を促すが、気持ちの問題もあって、所謂個人差が出る。何度も言うが、三日坊主は駄目である。根気というか、続けることに意味がある。努力を怠らないことである。

 ハイジは、図書館にあったが、大人の読める文庫がないのに驚く。そういえば、バーネットの小公女や小公子もなかった。秘密の花園は文庫あり。古典を読み返そうと思った時には、買えるのが望ましい。出版社には絶版でいいのかも知れないが、読者は嘆きの一途だよ。何だか淋しい事情である。

 Aさんの手当てを終えて、焼きそばを作ってもらい戴く。鯛の白子と、蛸も出されて舌つづみを打つ。名水を貰ったからと、珈琲を淹れてくれた。うーん、水の味ねぇ・・Aさんちの方がまろやかで、やさしい味です。珈琲の味が濃くしっかりと出ている。美味しいのは変わらずだが、好みの問題。

 勤務先に用事があって寄る。久しぶりのスカートに、皆の注目が集まる。これって何年前のスカートだったか。今頃のは、ウエストがゴムばかりでがっかりする。これではウエストは、どんどんくびれがなくなるばかり。然し、わたくしも多少はお腹が出てきた。ダイエットも思うが甘い物には勝てず。

 薔薇のエキスが出来て、綺麗な色になってきた。我が家には、たくさんあるのでAさんに分けることに。スズランは終わりとなり、野山では、卯の花が咲き、スイカズラや野バラが真っ盛りだ。誰も見向きもしないのを、花の滝かと下がっている。白くて小さな山が盛り上がっている。自然に目を向け。

 春は過ぎゆき、初夏の季節になった。旧暦での感触は、気温にも現れていて、これからの時期、雨が多くなる。傘の用意と忘れ物に注意しよう。意外と温度が下がって体調を崩すので、手洗い・嗽は必ず施行です。咽喉のイガイガは、通草酒でしっかりとしましょう。腹痛や気の張りには、梅エキスを。

 今年も、ドクダミが咲き出した。きらん草は、解熱作用があるが、根の部分が苦いのが特徴だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四月朔日・大潮

2018年05月15日 | Weblog

 暑い日である。ここからは、綿入れを終って、薄着になってもいいと言うそうで、わたぬきなのだ。それにしても一気に気温が上昇して、咽喉の乾きも半端でない。何時もはそうでもないが、ジュースを口にするが甘い。しまったと臍を噛むが、飲んだものは吐きだせない。枇杷葉茶で後口を補う。

 枇杷葉茶は、今朝換えたばかりで、香りもいいので湯のみに注ぐ。今回は、種を淹れて煎じた。甘くて風味も好い。蒲団を干しながら、ふと芍薬を見れば、蕾が半分消えている。薔薇の花の中には、カナブンがいる。殿様バッタは、これで何度目の脱皮かな。食べるなら他の草にしてくれ。捕獲する。

 休日の多忙さも、しなくてもいいことがあるが、溜めてしまうと、更に悪化の一途である。掃除も片付けも、自分の身体次第だ。ハイジが、絶版と知って愕然とする。図書館に問い合わせて借りる。文庫本の絶版にはショックが大きい。世界名作全集等は、今は読まれない物か。悪事は蔓延るが・・・

 いたいけな子どもを殺して、線路に置くということにさえ、戦慄するのに、犯人は近くの者とあっては、憤怒に堪えられない。抵抗さえままならぬ者を、殺めるるとは人間ではない。家庭環境より、自分の判断での善悪が分かる歳でもある。選挙権を18歳に下げたが、それまでに躾はきちんとしたい。

 連休中の休みが取れず、此処での休みにしたのだが、付き合いをすれば、必ずストレスが溜まる。対人関係が苦手であり、どうでもいいような話の内容にも辟易する。趣味や興味の範囲を話し合えるのが、最良ではあるが、何時もそうとは限らない。その殆どを世間話で終えるのも寂しい気がするのだが。

 指輪物語、3部作を買う。テレビで観たようでもあるが、岩波文庫で持っているので、然したることでもなかった。ホビットを先に買ってしまい、その内にと思っていたら忘れていた。タイガースも揃えたし、カイル・マクラクカンも、マイヤ・プリッセカヤも、熊川哲也にチャイコフスキーも求めたので。

 一度に何もかもは無理で、少しづつではあるが揃えている。田中裕子さん主演の、二十四の瞳は、DVDが販売されておらず、他の方のはどっちでもいい。こうなったら待つしかない。原作を読んでいるのであるから、拘るのもどうかな?と思ったりもするが、そこは好きな女優なので。テレビは観ないから。

 春の庭には、次々に花が咲き出す。球根は、植えているのさえ忘れているが、花は知っている。

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

薔薇園に赴く・・・

2018年05月14日 | Weblog

 子どもが小さい時に、雨の迎え時、乗せてくれた方が、距離を置いてはいるが、偶には誘ってよ。と言っていたのを、薔薇園に行きませんか?と声掛ける。覚えていてくれたと声を弾ませるのを、迎えに行った。一つは、里の近くにある薔薇園。片や、小学校を利用しての庭園に行ってきた。

 町内ということもあり、知った顔を避けているのを、声を掛けられてしまう。子どもが同じ同級生とあって、満更素知らぬ顔も出来ない。ところが、月日は過ぎてしまい、同伴者が誰か分からないらしい。そういうものなんだと思いつつ、未知との遭遇を喜べない。良く言えば明るい人だが。

 散策を終えて、次の目的地に着いたら、丁度昼時になる。食事をしようと席に行くが寒い。冷房が入っていて、そそくさと食べて出る。自前の珈琲を持参してのことだが、同伴者は持ってきていない。珈琲は好みでないようで、水を飲んでいた。帰る前に、苗物屋に寄ったのが悪運であった。

 決まらないんだなぁ・・・。花は、目が遭った瞬間に、持たないと駄目である。じっと見て、さっと決めてやらねば、何時まで経っても買えない。ヘリオトロープがないのが分り止めた。今年は寒かったからね。電車の時間が迫っているのに、悠長にするのを注意して、やっと買うのであった。

 市内の花苗店に寄ろうと、少し遠いが近場の駅まで行く。電車の時間が10分後で、改札口で見送る。ちょっと疲れた・・・。花苗店にもヘリオトロープはなかったです。昨年は、白があったのを店員さんに話すが、今年は入荷してないそう。時期がずれているのかな。次回に期待しようかな。

 帰宅して、すばるにただいまを言い、着換えて洗濯物を仕舞う。本日は、天気は回復したが、地面が濡れているので、蒲団干しはしなかった。洗濯物は二日分乾く。雨の休みには、読書が可能なのもうれしいもの。

 山本悦子さんの、神隠しの教室は、宮部みゆきさんの多大な影響を、受けていると云わざるを得ない内容だった。二番煎じというか、これといって賞を貰える程の、と思える節もある。今までのミーハー的な言葉や、内容からしたら、可なりの進歩かも知れないが、何か物足らない感じも拭えない。

 異世界での経験というか、体験をしたことがないと、やはりこういった書き方になるんだろう。何も往きたくていくのでもないが、突然時空を超える、というのは説明できないもので、言葉では無論のこと、書けないものだ。それを自由自在に書けるのは、宮部みゆきさんを於いては居ないと確信。

 宮城谷昌光さんの、新三河物語は、大久保彦左衛門の現わした、三河物語を基に書かれているそうだ。徳川家康の人生観というか、江戸幕府が、何百年も続いた意味がよく分かる。織田信長も、豊臣秀吉も成し得なかった構想を実現させ、天下泰平を目指した業績は大きい。人間の太っぱしらだね。

 こいのぼりを掴んだ途端、ずり落ちた。未だ、我が家に来て間なしで、悪戯ばかり。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きるということに・・・

2018年05月13日 | Weblog

 昨日までの勤務が、気温の変化もだが、精神的なことで疲労困憊であった。今朝は、明け方からの雨で、起きたものののんびりとする。久々の休日らしさ。枇杷葉への袋掛けも終えているので、新月を待つだけである。娘夫婦は転勤で、この雨空でも有る。訪問者は居ないと読書に耽る。

 昨日の気温に比べ、急激な変化が付いていけない。 風邪を引いては元も子もないので、通草酒で体調を整えておく。衣類も、半袖を着ようと出していたが、気温の低さに替える。不安定な今年の天気には、それなりの理由があるが、自然からの兆候を知っていなければ危ういものだが。

 野バラが咲き出してきて、緑に美しい。卯の花もそろそろだろう。田植えの始まる頃には、この花が匂いだし、時鳥もけたたましく鳴きだすのだが、気温不穏にて聴こえて来ない。自然破壊も夥しいので、生存さえ不明になっているのだろうか。枇杷葉の恩恵を大切にせねばと痛感する。

 すばるの首輪がきつくなったが、穴が無いので緩められない。錐でもあればいいのだが、道具類が全くない。息子に言えばいいのだが、何時来るとも分からずで、当てには出来ない。用事がある時には来ず、どうでもいい時には遣って来る。前以って知らせる配慮はなく、今もこれから。

 生きることは、踏ん張りも要るが、体力的なこともあって、しんどいなぁと思う時がある。でも、身体が健康であれば耐えていける。自分で選んだ路でもあるので、往くしかない。ここから若くはならないので、死へと向かうのみだが、終い支度を心掛ける必要も出てきた。険しいものだ。

 おひとりさま、という言葉も定着して、極当たり前になったようだが、人間産まれた時が一人ならば、死せることも独りである。孤独死が哀れな様相となっているが、自然に還るのだからこれでいい。生前、親しくしていれば、必ず予知できる。夢枕に立って別れを告げる。哀しみは深い。

 枇杷葉のお陰で、年齢を感じさせないらしく、殆どの人がびっくりする。医者に罹らず、自然治癒能力を維持できることが、何よりもうれしい。天の援けに祈りと感謝を怠らずであれば、生かされているんだろう。三度の食事を摂れることもあり難い。枇杷葉で、病気知らずなのもうれしい。

 すばるの大きくなった姿に、来た当時を思ってしまう。やんちゃ坊主の悪戯ものであり、高い場所に上がって下りられず、首輪を引っ掛けて死にかけもした。獣医に行った帰りには、号泣した様子が可笑しく、唖然としてしまった。我が家に来て1年以上となり、愛しさも増している今日。

 きらん草が、あちこちに飛んで、発芽しているのを見つけた。今年、それらは株が増えた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

業務多忙につきまして

2018年05月12日 | Weblog

 家族の面会にも、様々な来方があって、それはそれでいいのだが、自分の親なのに、と思う一場面もある。職員は、人数での業務に追われ、こなしていくしかない。その状態で異常を発見することは稀だが、寸でのところで生死を分けた。歩けなくなっていたのも、それが一因かもと思える。脳梗塞だと。

 午前中に、家族が面会に来ていたにも関わらず、それとは気づかなかった。。偶さか会うのであれば尚更、異常が分かるものだが。午後からが休憩も満足に取れなくなる恐れがあって、業務の殆どを中止にする。見守り重視で行い、命を守ことに。施設に預けていれば安心かもしれないが、認知症状もあるよ。

 明日は、母の日と慰労と感謝を込めて、持参してくれる方も居る。何も、品物ではないが、何時もお世話になって、と頭を下げられる。実際、給料だけの働きなら、ここまでは出来ない。家族にも依るが、ありがとうと言われる態度にも、感謝の気持ちが滲み出る。重くしんどいので、止めたくもなる。意志の疎通。

 帰宅すれば、すばるが出窓に置いている、寝床を落としている。花を外に出して、掃除をし終え、窓拭きをして、掃除機も掛けたのを、何が気にいらないのだろう。毛布かな?暑かったから、わざと落としたのか。猫は、熱い物は苦手なので、アイスクリームを舐めさせたが、二口程で知らん顔。大山の白バラ。

 歳を重ねると、贅沢ではないが、安物は口にしたくない。その代わり、たくさんは必要なく、少量で満足している。キャベツを1玉¥150で買ったが、いくら何でも、毎日では青虫である。春キャベツなので、柔らかくて美味しい。勤務先に持って行き、同僚と分ける。冷蔵庫にも入りきらないし、1ヶ月の分量。

 枇杷葉の話をしていたら、枇杷が好きだから頂戴と言う。では、クイズをしましょう、と問題を出したが、答えられなかった。小学校の国語の教科書に載っている、題名と作者が言えないのだ。もおびっくりである。あまんきみこさんも、レオ・レオニも分からない。佐藤さとるさんなど、口をへの字である。絶句。

 わはははは!山下明生・うみべのいす。灰谷健次郎・ろくべえまってろよ。あまんきみこ・くるまの色はそらの色、ちいちゃんのかげおくり。絵本を読むのは子どもだけではない。戦争の悲惨さや、物語の基本は、どの話の中にも存在する。言葉の確かさや、そこにある想いにも気づいて、人間との共存を行う。

 すばるです。やっと正面から撮れた。隠れないでお利巧にしているでしょう。1ヶ月かな?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする