枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

師走、望・大潮

2017年01月12日 | Weblog

 西暦1703年、赤穂浪士は、大石内蔵助を大将とする、主君の仇討ちを決行し果たす。時は元禄、華やかでもあり、人々の暮らしにも、馴れ合いが潜み、戦の無い暗澹たる繰り返しの日々に、忠義の臣と、後々語り継がれるが、当時の風中りは強かった。

 瞳みのるさんの、ロング・グッパイのあとで。を読みながら、この時期に舞い降りた書籍に、己の心の弱さも具間視る。きっと、あるべくして読めれる時がきたのだ。メンバーの方々にも、然したる思いいれは無いものの、余りにも人気者になって生じた軋轢。

 ファンであるという片思いかもしれない。ファンクラブにも入ったことはなく、単純に彼の演奏に心惹かれた者もいたのだ。ずっとずっと、或いは永遠の恋なのかも。住む世界は違っていても、心を共有することは出来るもの。そういうファンの有り方もいいかな。

 最初の件で、NHKでの放映のことに触れていたが、何気なく観ていた覚えがある。あの頃はテレビもあったから。今は、あるには有るが、生活スタイルを変えたので、単なる飾りになっている。パソコンの画面に向って、キーボードを叩くことが多い。愉しみで。

 彼の赤裸々な記述に、人間としての生き様を垣間見て、人は皆、悩み苦しみ、あらゆることを糧にして、生かされていることにも気づく。この書籍に出遭えたことにも、何かの縁を感じる。祈りと感謝することの意味は、深く考えてはいないけど、必要なことだ。

 自分に課せられた任務を全うし、やがて来るであろう死への途を進んでいく。光の中に落とされ、闇の許に還って逝く。光と闇とは同等だから、気づかないことも多いが、畏れることなく逝かねばならない。再び、三度、光の中に立てるか否か。地球の滅亡に。

 光瀬龍氏の、百億の昼と千億の夜との、阿修羅の嘆きの如く。かの像は、誰が何故作ったものであろうか。奈良時代へタイムスリップしてこよう。ああ・・・彼は、阿修羅王に似ている。尤も、個人的で勝手な想いでだが。学んでいくことの歓びを与えてくれる。

 入江泰吉さんの写真に魅せられて、一時期、奈良に通ったことがある。興福寺の阿修羅像に逢いに行く。唯、それだけの日程だが、早朝に家を出て、夕方には帰宅していた。あの顔の、姿の凛々しさに惹かれた。帝釈天との戦いの果て、その後帰依する。

 藤原不比等の人物像や、長屋王の存在、光明皇后の行い等、興味は尽きない。薬草を板の間に敷き詰め、下に湯を張って温める施行には、今もその建物が残っている。NHKの歴史への招待で、施薬院を知った。枇杷葉の薬効には、実に驚く効能が有。

 夏中、葉を取って寿しに使った。その後、忘れていたのが、いつの間にか、花が咲いていたもの。


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