天気の変わり目で、気温の差が激しい。就寝時の布団を増やす。すばるを見ていれば、真によく分る。中に潜ってきて、朝までぐっすりである。序でに、チュウチュウは止められないようで、パジャマの袖口を押し上げて吸う。くすぐったいが我慢。
秋たけなわの日であるが、運動会は10月が好い。子どもの体調もながら、二学期が始まって直ぐの練習も、低学年の子どもにはきつい。それならいっそ、親睦会を兼ねて、新学期になっての方が、お互いの先入感がない分、やり易いようにも。
まあ、そこは学校や保護者の考えに尽きるが、昔人間には、秋の取り入れの前に、豊作を祈って地域全体が盛り上がる、あの霍乱が好ましいのだ。百舌鳥が鳴き、柿も色付き、山の気配も深くなる、あの静かな佇まいが一転する、興奮こそ楽。
子どもの数は激減し、年寄りさえも居なくなった古里には、獣の跡が目立つばかり。田圃には猪が駆けたのか、稲がへたっていた。稲刈りも、早く速くとせっつく。機械で、あっと言う間に処理できるのは、簡単でいいことだが、米の味は落ちるよ。
手干しは、手間だし、人手も要るが、其々の役割があって、誰が欠けても出来なかった。子どもも、年寄りもまた、必要とされていたから、気を張って生きていた。文句も言ったし、横着もしたが後を必ず、大人が直してくれた。それを見て育ったが。
便利で快適な生活に、慣れてしまうと、自分で考えて行動する、意欲の欠片も無くなる。掃除一つにも、上から下にがなく、目の前の自分のことしかしない。隣が汚れようが、居場所が綺麗であればいいのだ。掃除をしないよりはいいのかな?
室内も大事だが、外の方こそ綺麗にしたい。玄関は特に整えておきたい。そういったことは、祖母や母から教わり、屋敷を守るには当然のこと。住まう者の務めだろう。箒と雑巾で丁寧にしていった。畳の縁には、割箸で掻き出していたなぁ。
花芽が満開になり、その後は結実して、小さなマッチ棒の先のような青い実が見える。それが大きくなる。