今日は、とーちゃんが書きます。
4月27日に鹿児島から一旦関東に戻った私は、いろいろな手続などを終えて、
5月2日の新幹線で再び鹿児島に向かいました。
今回は自分の車で、高齢の母と叔母(母の妹)たちを連れて、お墓参りや買い物ツアー、観光などをしました。
まず、5月3日はお墓参りを済ませた後、薩摩半島南西端にある大浦町に味噌などを買いに走りました。
その帰り道、吹上浜北端の江口浜の道の駅で休憩。
大昔、姶良カルデラ(今の錦江湾)の大噴火による噴出物が、今も「江口蓬莱」として残っています。
「シラス台地」の様子がよくわかります。
道の駅には、江口浜漁港で水揚げされた新鮮な地魚がたくさん並べられていました。
5月5日は母と叔母を乗せて、鹿児島県北西端、熊本県境に近い長島までドライブ。
長島と本土の間にある黒之瀬戸は、潮流が速いことで知られていて、時折り渦も見ることができます。
そこに架かる黒之瀬戸大橋は、青い美しい橋です。
長島でも美味しい刺身定食(絶品の鯛とカンパチ)をいただいた後、長島西海岸を少し北上しました。
そこには、美しい海岸が広がって、向こう側の岬の段々畑と相まって、とてもきれいな風景でした。
ここから眺める東シナ海に沈む夕陽は、格別だそうです。
翌5月6日は、私1人で鹿児島市営交通の1日乗車券を買って観光をしました。
中でも目玉は、桜島フェリーの「よりみちクルーズ」です。
鹿児島市営交通1日乗車券を持っていると、2割引きで乗れます。
鹿児島と桜島は、フェリーで約15分ですが、「よりみちクルーズ」は50分かけて錦江湾を南に周ります。
クルーズ船から見た桜島です。幾筋もの飛行機雲が次々と線を描いていきました。
桜島の手前の海岸線は、大正3年の大爆発の時に流れ出た溶岩原です。
今も活発に噴火活動を続ける桜島・南岳と昭和火口ですが、この日は大きな噴火はありませんでした。
翌5月7日は、母と叔母を乗せて、自家用車で霧島・えびの高原にドライブ。
えびの高原まで行くのは、母も叔母も私も数十年ぶりくらいです。
大型連休も終わった霧島・えびの高原は人も車も少なく、ゆっくり楽しむことができました。
霧島連山の最高峰・韓国岳(からくにだけ)(標高1700m)の爆裂火口が、麓からもよく見えました。
少し前に大噴火した新燃岳は、この韓国岳のすぐ南に位置します。
霧島には、火口湖が数多く存在しますが、えびの高原の不動池もその一つです。
コバルトブルーの美しい火口湖で、車で間近まで行くことができます。
翌5月8日は、母と叔母を連れて、鹿児島中央駅からJR肥薩線の観光特急列車「はやとの風」に乗って、吉松駅まで。
外装は黒っぽいレトロな色合いで、内装は木をふんだんに使った明るい色調。快適な観光特急列車でした。
鹿児島市から錦江湾の奥に向かう車窓からは、桜島がこのような形に見えます。
残念ながら、イルカに出会うことはできませんでした。
肥薩線は、鹿児島本線より古くできた、元祖・鹿児島本線です。110年の歴史を持ちます。
軍事上、敵の艦砲射撃を避けるためにあえて海岸沿いに造らず、険しい山越えのルートが選定されたのだそうです。
100年以上前の駅舎が今も現役で、そのひとつが嘉例川駅。最近では有名になりました。
もうひとつの古い駅が、大隅横川駅です。嘉例川駅より少し古い駅舎で、どちらも趣深い駅舎です。
第二次世界大戦のときの機銃掃射の跡が、ホームの柱に残されていました。
終点の吉松では、「湯ったり館」という施設のコテージを借りて、3時間ほどのんびり過ごしました。
私の”親孝行(もどき?)”は、これで終わりです。
5月10日、私は大隅半島にあるかあちゃんの実家に向かいました。
チャコはかあちゃんの実家の土間で、すっかり寛いで過ごしていました。
5月13日には、家族みんなで鹿児島を車で出発。
途中、広島県宮島SAと静岡県牧ノ原の、チャコも一緒に泊まれる宿に宿泊して、
5月15日昼には、無事にチャコ家に帰り着きました。
写真は、浜名湖で休憩した時のものです。
少々疲れましたが、充実した今回の鹿児島帰省でした。
4月27日に鹿児島から一旦関東に戻った私は、いろいろな手続などを終えて、
5月2日の新幹線で再び鹿児島に向かいました。
今回は自分の車で、高齢の母と叔母(母の妹)たちを連れて、お墓参りや買い物ツアー、観光などをしました。
まず、5月3日はお墓参りを済ませた後、薩摩半島南西端にある大浦町に味噌などを買いに走りました。
その帰り道、吹上浜北端の江口浜の道の駅で休憩。
大昔、姶良カルデラ(今の錦江湾)の大噴火による噴出物が、今も「江口蓬莱」として残っています。
「シラス台地」の様子がよくわかります。
道の駅には、江口浜漁港で水揚げされた新鮮な地魚がたくさん並べられていました。
5月5日は母と叔母を乗せて、鹿児島県北西端、熊本県境に近い長島までドライブ。
長島と本土の間にある黒之瀬戸は、潮流が速いことで知られていて、時折り渦も見ることができます。
そこに架かる黒之瀬戸大橋は、青い美しい橋です。
長島でも美味しい刺身定食(絶品の鯛とカンパチ)をいただいた後、長島西海岸を少し北上しました。
そこには、美しい海岸が広がって、向こう側の岬の段々畑と相まって、とてもきれいな風景でした。
ここから眺める東シナ海に沈む夕陽は、格別だそうです。
翌5月6日は、私1人で鹿児島市営交通の1日乗車券を買って観光をしました。
中でも目玉は、桜島フェリーの「よりみちクルーズ」です。
鹿児島市営交通1日乗車券を持っていると、2割引きで乗れます。
鹿児島と桜島は、フェリーで約15分ですが、「よりみちクルーズ」は50分かけて錦江湾を南に周ります。
クルーズ船から見た桜島です。幾筋もの飛行機雲が次々と線を描いていきました。
桜島の手前の海岸線は、大正3年の大爆発の時に流れ出た溶岩原です。
今も活発に噴火活動を続ける桜島・南岳と昭和火口ですが、この日は大きな噴火はありませんでした。
翌5月7日は、母と叔母を乗せて、自家用車で霧島・えびの高原にドライブ。
えびの高原まで行くのは、母も叔母も私も数十年ぶりくらいです。
大型連休も終わった霧島・えびの高原は人も車も少なく、ゆっくり楽しむことができました。
霧島連山の最高峰・韓国岳(からくにだけ)(標高1700m)の爆裂火口が、麓からもよく見えました。
少し前に大噴火した新燃岳は、この韓国岳のすぐ南に位置します。
霧島には、火口湖が数多く存在しますが、えびの高原の不動池もその一つです。
コバルトブルーの美しい火口湖で、車で間近まで行くことができます。
翌5月8日は、母と叔母を連れて、鹿児島中央駅からJR肥薩線の観光特急列車「はやとの風」に乗って、吉松駅まで。
外装は黒っぽいレトロな色合いで、内装は木をふんだんに使った明るい色調。快適な観光特急列車でした。
鹿児島市から錦江湾の奥に向かう車窓からは、桜島がこのような形に見えます。
残念ながら、イルカに出会うことはできませんでした。
肥薩線は、鹿児島本線より古くできた、元祖・鹿児島本線です。110年の歴史を持ちます。
軍事上、敵の艦砲射撃を避けるためにあえて海岸沿いに造らず、険しい山越えのルートが選定されたのだそうです。
100年以上前の駅舎が今も現役で、そのひとつが嘉例川駅。最近では有名になりました。
もうひとつの古い駅が、大隅横川駅です。嘉例川駅より少し古い駅舎で、どちらも趣深い駅舎です。
第二次世界大戦のときの機銃掃射の跡が、ホームの柱に残されていました。
終点の吉松では、「湯ったり館」という施設のコテージを借りて、3時間ほどのんびり過ごしました。
私の”親孝行(もどき?)”は、これで終わりです。
5月10日、私は大隅半島にあるかあちゃんの実家に向かいました。
チャコはかあちゃんの実家の土間で、すっかり寛いで過ごしていました。
5月13日には、家族みんなで鹿児島を車で出発。
途中、広島県宮島SAと静岡県牧ノ原の、チャコも一緒に泊まれる宿に宿泊して、
5月15日昼には、無事にチャコ家に帰り着きました。
写真は、浜名湖で休憩した時のものです。
少々疲れましたが、充実した今回の鹿児島帰省でした。