小川原正道『西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦』(中公新書)を読む。
とかくこのテの歴史物は、新書の分量だと事実を羅列するのが精一杯で、図版の少ない分教科書よりもつまらなくなってしまうことが多いが、文章が達者なためか、退屈せずに最後まで読めた。大変勉強になりました。
高校生の頃は、試験に出るから一応勉強するにはしたものの、桜田門外の変あたりから大きな状況がよく分からなくなってしまった。
政権交代にともなう内戦状態などアフリカの話だとばっかり思っていて、なんで日本人同士があちこちでちまちまプチ戦争などやっているのか、根本のところがよく理解できなかった。
したがって西郷隆盛も勝海舟も板垣退助も江藤新平も大久保利通も伊藤博文も木戸孝允も、私の中ではあくまでもふわふわの概念として存在していて、彼らの行動が割とリアルに感じられて「ああそういう人間がいてそれぞれ立場というものがあったのだな」と納得できるようになったのは、お恥ずかしい話だがつい最近のことである。
誰かもっと早く上手に近代史を教えててくれたら時間を無駄にせずに済んだのになー、と一瞬思ったりするのだが、たぶんそんなことはない。
とかくこのテの歴史物は、新書の分量だと事実を羅列するのが精一杯で、図版の少ない分教科書よりもつまらなくなってしまうことが多いが、文章が達者なためか、退屈せずに最後まで読めた。大変勉強になりました。
高校生の頃は、試験に出るから一応勉強するにはしたものの、桜田門外の変あたりから大きな状況がよく分からなくなってしまった。
政権交代にともなう内戦状態などアフリカの話だとばっかり思っていて、なんで日本人同士があちこちでちまちまプチ戦争などやっているのか、根本のところがよく理解できなかった。
したがって西郷隆盛も勝海舟も板垣退助も江藤新平も大久保利通も伊藤博文も木戸孝允も、私の中ではあくまでもふわふわの概念として存在していて、彼らの行動が割とリアルに感じられて「ああそういう人間がいてそれぞれ立場というものがあったのだな」と納得できるようになったのは、お恥ずかしい話だがつい最近のことである。
誰かもっと早く上手に近代史を教えててくれたら時間を無駄にせずに済んだのになー、と一瞬思ったりするのだが、たぶんそんなことはない。