月刊ボンジョルノ

ほとんどツイートの転載です。

おいどんでごわす

2008-04-30 | Weblog
小川原正道『西南戦争―西郷隆盛と日本最後の内戦』(中公新書)を読む。
とかくこのテの歴史物は、新書の分量だと事実を羅列するのが精一杯で、図版の少ない分教科書よりもつまらなくなってしまうことが多いが、文章が達者なためか、退屈せずに最後まで読めた。大変勉強になりました。

高校生の頃は、試験に出るから一応勉強するにはしたものの、桜田門外の変あたりから大きな状況がよく分からなくなってしまった。
政権交代にともなう内戦状態などアフリカの話だとばっかり思っていて、なんで日本人同士があちこちでちまちまプチ戦争などやっているのか、根本のところがよく理解できなかった。
したがって西郷隆盛も勝海舟も板垣退助も江藤新平も大久保利通も伊藤博文も木戸孝允も、私の中ではあくまでもふわふわの概念として存在していて、彼らの行動が割とリアルに感じられて「ああそういう人間がいてそれぞれ立場というものがあったのだな」と納得できるようになったのは、お恥ずかしい話だがつい最近のことである。
誰かもっと早く上手に近代史を教えててくれたら時間を無駄にせずに済んだのになー、と一瞬思ったりするのだが、たぶんそんなことはない。


夢は実現する

2008-04-25 | Weblog
違うものを探していたらDリカムのベスト盤みたいなCDが発掘されたので聴いてみる。
なにかの勢いで入手したあと放置されていたもので、聴くのは初めて。

どの曲も歌謡曲らしい極めて分かりやすいメリハリの利いたメロディラインで、おそらくカラオケで誰が唄ってもそこそこ上手に唄えてかなりの充実感が得られるのではないかと思われる。
この味付けのはっきりしたメロディとY田美和のパンチの利いた声はさすがだ。気持ちよい。売れるはずだ。
ただし歌詞の方は、大学生~20代OL・サラリーマンの「ちょっと甘酸っぱいこんな恋のひとこま」や「ちょっとほろ苦いあんな恋の想い出」の、しかも上澄みの方をさっくり切り取ってみました、という感じで、私には食い足りない。イメージが作為的かつ断片的でリアリティが感じられない。なんか卒業の寄せ書きノートみたいなスカスカしたこっ恥ずかしさに苛まれる。
ということで、曲と声は気持ちよく、かつ濃厚な歌詞に意識が引っ張られるということがないので、原稿執筆のBGMになかなかよろしい、という結論。

ところで『サンキュ。』は最初男女間の機微を唄ったものかと思い「なんじゃこの中途半端な歌は」と憤慨したが、二人がともに男だとすると幾分か情景の深みが増す。
ひょっとして元々そういう設定なのか。
謎は深まる。



ていうか、大抵のラブソングは男同士の話にした方が味わい深いんだがな。


追悼その2

2008-04-23 | Weblog
吉野裕子先生が亡くなった。

先輩プロデューサーの企画した、宮内庁楽部と韓国国楽院との日韓雅楽競演という公演でアシスタントをしていて初めてお目にかかった。
吉野先生には「陰陽五行思想と雅楽」というテーマでプログラムに執筆していただき、またプレイベントのシンポジウムにもご参加いただいた。
その打ち合わせで初めて奈良のご自宅に伺ったとき、サイドボードの上に舞楽「還城楽」の人形が飾ってあるのを見て、わざわざこういう細かいお心入れをなさるとはなんとマメな方か、と嬉しくなった。

なにしろ驚いたのはその東京弁の歯切れのよさ、美しさで、音素というのか音韻というのか、発音からして今耳にする日本語とは全く違う。
水をきったぱりぱりの青菜にざっくり包丁を入れるような闊達さ。
にこにこ微笑みながら、時々がらっぱちな啖呵が飛び出したりしてこちらはぎょっとするのだが、それが少しも粗野でなく、ぱっと明るい愛嬌になる。
ああ昔の(と申すのも失礼だが、だいたい昭和の初めと考えればいいだろうか)東京のハイソなお嬢様というのはこういう言葉を使っていたのか、と歴史学的に感動し、またなんとかしてこれを記録に残しておけないものだろうか、と歴史学的にぼんやり考えた。
思わず「ああとってもきれいな東京弁をお使いですねえ」と言ったら、
「あらお若いのによくそんなことおっしゃってくださるわねえ。そりゃあ東京の言葉は東京の言葉だけれど、でも私のなんかちっとも本物じゃないのよ。子供時分にお隣に華族のお嬢さんがいらしてね、よく一緒に遊んだもんだけれど、それはもう私なんかとは使う言葉がほんとに違ってたわね」
と謙遜しておられたが、確かに当時の社会的階層による言語の差異はよほど大きく、また細かかったのだろう。
いずれにしても、もうああいう恐ろしくキレのいい東京弁を操る人は男女を問わずほとんどいないと思う。

お話を伺った記憶だけで書くので間違いがあったら伏してお詫び申し上げるが、確か御父君が日韓併合のときの警視総監の職にあられたため、歴史家だか評論家だかにワルモノ扱いされたことがあったらしい。
とんでもない、決してそんなことはない、文字にされるとそれが残ってしまうのが悔しい、それだけははっきりしておきたい、と真剣な表情でおっしゃっていたが、果たして御父君のことは何かに書き残していかれただろうか。

その後たまたま全然違う仕事で奈良に行く出張があったので、生意気を承知で昼食にお誘いした。
その時のことはずっと前に「風雲三宅坂劇場」で書いたが、食後に奈良ホテルの喫茶でのんびりとお話を伺った時間は、この上なく贅沢で楽しかった。
あれだけの物を次々叩きつけるように書いてきたパワーが、この小さくてかわいらしいおばあちゃんの、どこに秘められているのかと不思議に思った。

やはりご夫妻から戦前の様子の聞き書きをとっておくべきだったと今更ながら反省している。

謹んで御冥福をお祈り申し上げます。

所信表明

2008-04-16 | Weblog
「風雲三宅坂劇場」、更新しました。



ようやくコンビニに発泡ミネラルウォーターが並ぶようになって、まことに喜ばしい限りでございます。
2リットルボトルの登場まであと一歩。
しゅわしゅわ振興協会事務局長としては今後も精一杯尽力いたす所存でございます。


宣伝です。

2008-04-06 | Weblog
義太夫三味線の鶴澤寛也さんが主催する素浄瑠璃の会で、前説をやらせていただきます。


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第5回 はなやぐらの会


4月11日(金)19時
4月12日(土)15時 (二回公演)
 
【演目】『三十三間堂棟木由来』平太郎内より木遣音頭の段

【出演】竹本駒之助(人間国宝)・鶴澤寛也

【料金】前売3000円 当日3500円

【お申し込み】
(社)義太夫協会 (TEL/FAX) 03-3541-5471

【会場】
新宿南口 ほり川
渋谷区代々木2-5-3 イマス葵ビル8F

寛也さんのページの「公演情報&お知らせ」に地図があります。


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会場はお座敷ですが、まあ和式ライヴハウスとお考えください。
玄関で「一見さんはお断りどす」とぶちかまされるとか、フスマ越しに「アレお戯れを」「よいではないかよいではないか」という会話が漏れ聞こえるというようなことはありませんので、びびらずお気軽にお越しください。

ほんとに間近に義太夫と太棹の直撃をくらうことができる貴重なチャンスです。
義太夫初体験の方はもちろん、「あら私はいっつも文楽を見てるわよ。出待ちだってしたことがあるんだから」という方でも、ああ畳の上で聴く浄瑠璃と三味線てこんな感じなのね、とちょっと驚かれると思います。

たまたま「風雲三宅坂劇場」にも書いたことがあるのですが、この通称「柳」と呼ばれる演目は大衆的想像力に満ちたB級ファンタジーの傑作で、ドクロの呪いで王様が病気になったり、弓の名手が矢を射って鷹を助けたり、その人と柳の木とが夫婦になって男の子が生まれたり、なんだか東ヨーロッパの童話を原作にしてティム・バートンが映画を撮ってもおかしくないような道具立てで、でも日本芸能伝統のコテコテにウェットな「子別れ」が聴く者を泣け泣けと責めたてるという、大変おもしろい曲です。



チケット絶賛発売中。
駆けつけろ。
物語の森へ。



♪ま~つりだ祭りだ祭りだ

2008-04-05 | Weblog
というわけで大方の予想に反して今年も私は人事異動祭りの生贄となってしまった。
「大変だよぉ、忙しいよぉ」「だんだん現場から離れてくね」「いよいよ中枢じゃないの」「昇進おめでとうございます」「それってなにするとこ?」といろんなお言葉をいただいたが、私には「はあ、そういうもんですかねえ」という以外に、いまさら特に感懐はない。
組織内でそんなに出世したいとも思わないし、月給を異様にたくさん貰いたいとも思わない。それなら身を投じるべき道は他にいくらもある。
日々快適に仕事ができて、私生活とうまく折り合いがつけられればそれで何も文句はない。
就職した当時はそう明確に言語化して思っていたわけではないが、考え方自体は当時も今も変わらない。
「快適に」と申しても別に個室と秘書をよこせなどという法外な要求をするわけではなく、「まあ放っておくところは放っておいてちょ」という実にささやかな願いに過ぎないから、たいていの組織にとってはまことに飼育しやすい犬ではないかと思う。
でもここじゃあどうしてもそれが無理だな、と判断したら、その時点で身を退けばよい。
それだけのことである。

などと無責任な減らず口を叩いていられるのはひとえに日本の経済・就業の状態がよろしいからであって、まことに慶賀の感に堪えない。


神保町に○○を祝すの巻

2008-04-01 | Weblog
「橋本治の○○を祝う会」におよばれ。
○○とは『双調平家物語』の完結と、驚くなかれ氏の本卦返りのことを指している。
まことにおめでたい。
なんでそんなところに不肖私がおよばれしたかというと、かつて薩摩琵琶の新作書き下ろしをお願いしたご縁が端緒なのであるが、その後の有為転変の中でとんとご無沙汰をぶちかましてばかりで、こうしてお招きいただくと少々面映いものがある。

見知らぬおじさん編集者ばっかで居場所がないかもなあ、と懸念しながら会場に入ると、向こうの方に鶴澤寛也師・友吉鶴心師・N峯英子プロデューサーという旧知の面々がずらりと並んでいるので「仲間に入れて~ん」とばかりにすり寄って行く。
ウチダセンセイつながりの(別につながってはいないが)H本麻里さんにもお初めてのご挨拶。なんか緊張して支離滅裂なことを口走る。

友吉鶴心師による「日本海海戦」をはさんで橋本センセイのマイクパフォーマンスが繰り広げられ、乱入した岡田嘉夫センセイと抱腹絶倒のバトルが展開する。
なぜか出版関係のパーティにはしょっちゅう顔を出している私であるが、お世辞抜きに大変和やかな良い会であった。
ひとえに橋本センセイのご人徳によるものであろう。
インタビューで還暦還暦と連発されて怒って帰ってしまったのは確か若尾文子だったと思うが、センセイは「かんれきぃ?おいしいのそれ?」とか言いながらあと250年くらい生きて、死んだ後も「実はまだ樺太で生きていて別名で連載を四本もっているらしい」というような伝説を残しそうな気がする。
ますますの御活躍を願ってやまない。

なおこの場において急遽「橋本治事務所 芸能部」の設立が勝手に宣言されたということをご報告しておかねばならない。
N峯部長のもと不肖私は企画室長に任命されるという光栄に浴した。
専属契約をご希望のアーチストはぜひご連絡ください。
しかし「なんか事務所でみんなでアヘン吸っててつかまりそうだよね」というのは本当に悪い冗談である。