月刊ボンジョルノ

ほとんどツイートの転載です。

誰か私に素敵な肩書を考えて

2007-04-27 | Weblog
ブログまたはHPをもっている知り合いに会うたびに「リンクさせてもらえませんか?」と言いたくなるのだがなんとなく言えない。
いまさら「ブログやってます」というのが恥ずかしいわけでもないし、そんなことを言い出すのが躊躇されるほどよそよそしい関係でもないのになんでだろう。

ということで徒然にネットサーフィン(死語か?)なぞをしていたら、あの「素人相手に適当なことを吹いてもバレる心配がないもんね団」の放った刺客がすでに各界において暗躍している様子なのに慄然とした。諸君、魔の手は君のそばに迫っているぞ。

まあしかしSTBN団はいつの時代にもどの業界にも触手を伸ばしているもので、その時々にチアリーダーとかソムリエとか世をしのぶ仮の名を付けて形を変えて出現するに過ぎない(うわあきわどいこと書いちまった。泣いちゃうから抗議しないでね)。
問題は、そういうユルいお商売を許してしまう業界の、スキだらけの体制にある。
本当は正確な知識と高度な問題意識をもつ筋のいい人たちが、STBN団の団員を発見した時点でぼかんと頭を叩き、彼らの活動できる菌床の拡大を最小限にくいとめなければならないのだが、そういう筋のいい人たちは往々にして押しが弱く、それがぜひとも必要な局面でさえも攻撃的な言辞を弄するのが苦手&嫌いで、しかも世俗的権力をもっている人たちの機嫌をとるのがヘタクソである。
その脇の甘さを見逃さず、STBN団は着実に勢力を拡大し、どうかすると業界幹部と目される地位にまで昇りつめてしまう。
それを「なんであんな人が」と後から嘆いている方がたくさんおられるが、それは食い止める術を知らなかった周囲の良心的かつ紳士的な方たちの責任なのである。

古写真をみる

2007-04-27 | Weblog
東京都写真美術館の「夜明けまえ 知られざる日本写真開拓史Ⅰ 関東編」というのを観に行く。
明治の古写真展である。
歌舞伎などというものは申すまでもなく写真との相性が大変よろしく、ごく初期の手札写真をはじめとして絵葉書・プロマイド・グラビア等々、役者や舞台を写した写真は枚挙に暇がない。
しかし写真資料の研究はまだまだ緒についたばかり、というか「写真だって立派な研究資料になるのだ」ときちんと言われるようになって間もないという有様で、どこに何の写真が何枚ぐらい所蔵されているのかもほとんど分かっていない。
博物館や個人が死蔵したりよく分からないまま捨ててしまったりしているものもおそらく山のようにあるだろうと思われる。
写真が出てきたら出てきたで「これはいつ頃どこで誰によって何のために写された写真で、写っているこの人は誰で、いつどこで上演された何という芝居の何という役で、あるいは実際には上演されていない撮影用の扮装かもしれないし」というようなシブい考証をせねばならないのだが、これが錦絵の考証と同じように文字史料の探索だけでは手に負えない部分があって、「この顔はあの人っぽい」「この衣裳はあの系統の芝居だな」「なんとなく写真が新しいようだ」なぞと、きわめてパーソナルな直観を先導役に調査を進めていかねばならないことが多い厄介なものなのである。
ということで古写真についてはきちんと体系的に勉強せねばなあと思いながらいまだに断片的な聞きかじりの知識しかなく、誠に遺憾に存じます。追悼植木等。

なにしろ芝居のフェイクでしか見たことのない江戸の人の顔や体や着物が見られるというのは素晴らしくエキサイティングである。
みんな小ぶりながらも骨格のがっしりした実にワイルドな、ぎゅっと凝縮したような顔立ちをしている。
その印象は主に眼からきていて、いかにもアジア風のきゅっとした細い吊り眼である。
坂本龍馬の有名な写真があるでしょう。ああいう系統の顔が多い。
遣欧使節の旧大名なんかはやはり殿様らしくヤワでエレガントな顔をしているのかと思ったら意外にそうでもなくて(当然か)、しかしさすがに物怖じしない堂々とした表情である。

会場でも話している方がおられたが、庶民から大名までみんな着物がぐずぐずである。
生地そのものの具合にもよるのだろうが、たぶん着方の問題が大きいのだろう。
衿から胸元のあたりの布がたっぷりとしていて、今日の晴れ着みたいにぴったりきっちり着ていない。
だらしなく見えるといえばそれはそうなのだが、着物を日常的に機能的に着ようとすればそうなるのは当然であって、むしろだらしなく見えてしまう方が本来ではないのだろう。
あと羽織の紐をものすごい上で、ほとんど胸元で結んでいる。
あれはどういうものだろう。その分うしろに衿が抜けているのか。

「史上初めて日本人を写した写真」(有名人ではなくて難破船の船頭なのがすごくいい)、豪奢な金蒔絵で装丁した外人向けの日本写真帳などもあってどれもまことに味わい深い好展示だった。
続き物ゆえか残念ながら図録に類するものがなく、お持ち帰りができない(研究報告は売っている)。
会期終了間近なので興味のある方は連休中にぜひどうぞ。

「ふんどし」という言葉はなぜ笑いを誘うのか

2007-04-24 | Weblog
銭湯に行ったら越中ふんどしを締めている最中のおじいさんがいて、思わず「慣れた人はどんな風に締めるんだろう」と尻をマジマジと見てしまった。
おじいさんの尻をこんなに一生懸命見詰めるのは人生で初めてである。
やはり相応に食い込んでいて構わないものらしい。納得。

知の解放、なぞとオーバーなこと言わなくても

2007-04-23 | Weblog
前田愛センセイの『幻景の明治』(岩波現代文庫)を読んでいたら、明治の天覧歌舞伎の出演者を「左團次(4代)」と書いてあって驚愕した。
この團菊左の左團次は申すまでもなく初代であって、四代目左團次といったら当代のあの「俺が噂の左團次だ」である。
しいて四代という言葉の飛び出した所以を想像するならば、このとき義経をやった福助(後の五代目歌右衛門)が四代目ではあるが、左團次とは関係ない。
センセイとしたことが、なんか変な本を鵜呑みになされてしまったのだろうか。

大昔に読んだロラン・バルト『表徴の帝国』(ちくま学芸文庫)では、女形についてのくだりで、なんと役者の顔写真とキャプションとが食い違っているのを発見した(最新版は確認していないのでひょっとしたら直っているかもしれませんが、たぶん直ってないと思います)。

どちらもかなりまずいのではないかと思うが、億劫で版元には知らせていない。すみません。これ読んだ関係者の方がいらしたら直してくださいね。改版の機会がないかもしれないけど。

どちらも専門家ならずとも歌舞伎に少し深い興味のある人にとってはなんでもない知識であろう。と思う。
世に誤りのない書物の方が珍しいとはいえ、著者・編集者もしくは校正者による数々の校正の機会をくぐり抜けて、かように初歩的なミス(ですよね、たぶん)が大手を振って流通してしまうのはなんとも解せない。
ほんのちょっと調べれば分かることなのに。

と思いかけたが、歌舞伎なぞというものは日本の社会全体から見れば本当に情けないぐらいマイナーでちっぽけな重箱の隅の世界なのであって、あまつさえ明治の團菊左のなんだのとなったら宇宙の彼方のそのまた向こうのトリビアの泉なのであって、かてて加えてこのテの伝統芸能関係の情報は、いざ調べようと思っても確実な調べ方がよく分からないものなのかもしれない。
日本近代文学の専門家にとってさえも。
つまり伝統芸能業界の常識は世界の非常識ということだ。
それにしても。挙げ足をとるつもりはありませんがあまりにもちょっと。ねえ。
歌舞伎役者に「中村さん」「坂東さん」と呼びかけてしまうテレビのキャスターとは話がちがうでしょうよ。
むかし近藤サトが八十助(現三津五郎)丈に五代目五代目と呼びかけていたのもすごく気持ち悪かったが。

いったい歌舞伎に関する知識というのはいつからそんな特殊技能になってしまったのだろう。
もしかしたらそうして瑣末な知識を囲い込み秘伝扱いすることによって莫大な利益をあげている邪悪な秘密結社が存在するのかもしれない。
名付けて「素人相手に適当なことを吹いてもバレる心配がないもんね団」。
口座はスイス銀行ではなくてたぶんRそな銀行とかにあって、会計担当が大学ノートを回り持ちで資金を管理している。

「ひとつに~かけるぅ~」がポイント

2007-04-19 | Weblog
明け方4時頃のウツラウツラとした半覚醒の中で

白いスーツを着た小林旭が電飾舞台でフルバンドをバックに「銭形平次」を唄う

という夢を見た。
それが身ぶるいするほど素晴らしく、2コーラスみっちりと、文字通り夢中で聴きいってしまった。
いやー良かったなあ。

「銭形平次」は「鴛鴦歌合戦」的なジャズっぽいアレンジがかっこいい名曲であるが、素人が歌うとメリハリのない平板な曲になってしまう難曲でもある。
高田浩吉あたりが唄うとまた違う趣の唄になってよかったかもしれない。

小林旭は果たして「銭形平次」を唄ったことがあるのだろうか。

季旅研開催(田中裕子に捧ぐ)

2007-04-18 | Weblog
季節の旅行研究会(略して季旅研)開催。
なにしろ会員一統に超お忙しいお仕事&お年頃なので、このところ開催がすっかり間遠になっていたのである。
Y本会員の提案により今回のテーマは「映画『天城越え』の田中裕子を偲んで」。
ちびっこも入れて総勢10名というひさびさの大所帯である。
しかもうち4名が「編集長」の肩書をもつというよく分からないなりになんだか大変な感じの事態を呈した。
たった一泊とはいえこれだけの数の会員が賑々しく顔を揃えられたのは奇跡と申しても過言ではない。
ほんと日本のサラリーマンて働き過ぎっていうか働かされ過ぎだよな(怒)。

お昼に沼津港で寿司を食らい、夜は修善寺の貸し別荘でバーベキュー。
のはずが、シトシト雨が降ってきたので室内焼肉パーティに変更。
たちまち油臭くなった部屋で地元名産の椎茸と春キャベツと塩焼きそばを「がはははうまいうまい」と貪り、O寺会員の沖縄土産の泡盛をごくごくと飲む。極楽極楽。

なにしろ貸し別荘だから温泉付きといったって大したことはなかろう、ほとんど水道水みたいなもんだろうとタカをくくっていたのだが、意外にもお風呂がなかなか結構であった。
ご家庭仕様の内風呂と専用露天風呂があって、内風呂の浴槽には熱い源泉の出る蛇口付き。水割りにするのが嫌なら、時間をかけて冷ませば温泉100%の湯に入ることができる。
3~4人入れる露天風呂にはリンナイの給湯パネルが付いていて、好みの温度に調節できるうえに「ぬる湯」ボタンを押すと水ではなくて冷めた源泉が注ぎ込まれるという気のきいた作り。
お湯はとびきり新鮮というわけにはいかないが、キシキシした肌触りと粉っぽい匂いを備えていて、ちゃんと温泉風味が感じられる。浴後の温まりもよろしい。
露天風呂からは山の下の方の別荘らしき家がよく見えて、ということは向こうからもよく見えるはずなので、特に夜はご婦人にはハードかもしれないが、ぼんやりした薄明かりの中で静かに湯に浸かっていると、旅館の露天風呂なぞとはまた違う微妙に所帯じみた趣があってオツである。
夏の夕方に温泉に浸かってビールを飲みながら山の爽風に吹かれる、などということもできてしまうのである。
貸し別荘としてはやや割高で、チェックイン・アウトがそれぞれ遅い・早いのが難点だったが、個人的には温泉でぐっとポイントアップ。

息子を寝かせたらひさびさに会員たちとあれこれ話しながら飲み直そうと思っていたのだが、案の定朝まで爆睡してしまう。とほほほ。子連れはこれがつらい。
前日の興奮さめやらぬ息子は5時ちょうどにバチリと目をあけ「電王を見る」とやけにハキハキした調子でのたまう。
「電王は8時からだからもうちょっと寝よう」
「ゲキレンジャーは?」
「ゲキレンジャーは7時半からだからもうちょっと寝よう」
「ま、いいからいいから起きるとするか、うひゃひゃ」
うひゃひゃではない。まるで血圧の高いおっさんである。
部屋の会員たちを起こさないようにヒソヒソ声で説得を試みたが、息子は太陽のような笑顔で完全に起きる気になっている。
しかたがないので一緒にのそのそと起きだして、息子が暴走しないようにドア越しに会話をつなぎながら内風呂で体を温める。ふう。爽やかだが眠たい。
湯上がりに熱いほうじ茶を飲みながら、まあこんな朝もアリか、と思う。
そうこうするうち朝の露天風呂に入る者あり、庭でストレッチを始める者あり、冷凍エビピラフに焼きそば玉の残りを入れて炒め始める者あり、全員でゲキレンジャーを見ながらわいわいと朝食をとる楽しさよ。
こういう盛り上がりはやっぱり旅館・ホテルでは味わえない。
食材の買い出しや布団のあげさげが苦にならない年齢のうちは、貸し別荘、大いにアリである。

その日は今回の主目的である旧天城トンネルを往復し、猪肉を食らい、トドメに日帰り温泉に浸かって帰ってきた。
温泉の休憩室でははからずも日常に疲れたおっさん3人が変な川の字になって爆睡の姿をさらし、哀愁のオーラを天城山中に撒き散らしたのであった。

地下鉄に気をつけろ

2007-04-17 | Weblog
地下鉄でぼーと座っているといきなり右肩をぼんぼんと荒っぽく叩かれた。
さては知り合いか。この時間にこの路線に乗ってるのって誰だ?
と思って見回したら、間に老紳士を一人おいて右側に座っているおばはんに

「ちょっと詰めて!あなたがほら…」

と言われた。

このおばはんはどうやら私がぼーとしているせいで自分が窮屈な思いをしていると判断したようなのだが、左隣でプリントを読んでいるサラリーマン風の男と私との間はキツキツで、もはや私の独断では少しも詰めようがない。
とりあえず左方向に向かって「すみませんがちょっと詰めていただけますか」と言ったら「あ、すみません」と男がお尻半分ぐらい移動したので結構なスペースが出現した。
私が詰めると右隣の老紳士も明らかに狼狽した様子で遠慮がちにこちらに詰めてきて、一応事態は収束したわけである。

収束しないのは私のムカっ腹である。
自分の窮屈さの原因を私にあると判断を誤ったのはまあ仕方がない。
しかしよく事実を確認もせぬままに「あなたが(そうやって座ってるからみんなが迷惑なのよ)」的な蛮声で私を誹謗したのは許せぬ所業である。
あまつさえ公共の場で他人に呼びかける、もしくはお願いをするのにいきなり肩を叩いて「ちょっと詰めて!」とはなんと野蛮な振る舞いだろう。
それだけ長生きして地球上の貴重な酸素をたくさん吸っておきながら「すみませんがちょっと詰めていただけませんか」となぜ言えぬ。
私はスーツではなくカジュアルな格好で通勤しているので、恐らく無作法な大学生とでも見てとったのだろう。
こういうおばはんはこちらがパリッとした格好でもしていれば絶対こういうマネはしない。相手を見るそのあたりの卑劣さも実に腹立たしい。
よっぽどねちねちと下手から絡みついて恥をかかしたうえで二週間ぐらいはイヤーな気持ちにさせてやろうかと思ったが、両隣および前に立っている人たちがみんな善良そうな人たちで「ああ変なおばはんだ」「ああ気の毒に」というムードが周囲に瀰漫していたので、強いてコトを荒立てるに及ばず、と思って澄まして座っていた。
なんかでかいアルファベットを散りばめた白いブラウスを着たおばはんは、麻布十番でわさわさと降りて行った。
よくいる「一歩手前の人」かと思って顔を確認したが、そういう人に独特の異常な気配は表情には漂っておらず、見た目やや派手めの普通のカタギのおばはんであった。
たぶんこのおばはん的には「言うたった!」と小さな世直し運動の本日の収穫の一つになっているに違いない。
それを思うと、今後電車で同席する方々のためにもやはりなんらかの形で「あんたは間違っている」ということを指摘して注意を促して差し上げた方がよかったのではないか、と今になっては思われるのである。

『虎の尾を踏む男達』について、その2

2007-04-12 | Weblog
ということで、その1と書いてしまった以上その2がないわけにはいかないのである。
あの勧進帳を映画にしたらどうなるだろう。
この場面ってこういうことなわけでしょ。意味としては。
で、映画だったらこういう撮り方になるよな、当然。
ていうかオレだったらこう撮るね。
と黒澤明(巨匠とか名匠とか格調高い冠がよく付くが、もしかしてものすごく大衆的というかキッチュすれすれのあざとさが持ち味の人なのではなかろうかと素人の私は思ったりする)が「勧進帳」(もしくは「安宅」)を料理した『虎の尾を踏む男達』である。

もちろんメインのストーリーは「弁慶の智勇による義経主従の安宅越え」に集約されるわけなのだが、話の筋だけではなくて、舞台の視覚的要素をきちんと映画的に処理し(「映画的」ってなんだ、と突っ込まれると困るが)黒澤明的に変換している(「黒澤明的」ってなんだ、と突っ込まれると困るが)ところが、おシャレであり知的であり粋である。

「♪たびのころもはすずかけ~の~」のハイカラな男声コーラスに続き、主従が額を集めて「関所だってよ」「強行突破しかねえだろ」「じゃ次の関所はどうすんだよ」と協議する場面になるが、映画だと山中のちょっと開けたスペースにみんなが車座になり、重苦しい沈黙が続く。
エノケンの強力が軽口をたたくうちに次第に彼らが義経一行であることが明らかになっていくのだが、このエノケンの強力を設定した時点であっぱれ黒澤大先生である。
弁慶vs富樫の二項対立ではなく、それを常に外側から見守る視点を作ったところが素晴らしい。
この強力は一行の周りを小蝿のように飛び回り(エノケンの動きがほんとにそんな感じ)、すべてのいきさつを観察者として現場で見届ける(唯一義経打擲のときだけは、観察者の立場を捨てて義経を庇い間に割って入ろうとする)。
富樫の饗応で酔っ払って寝ている間に義経一行は夢のように消え失せ、目を覚ました強力は一行を追いかけように、鳴物入りの飛び六方でスクリーンから飛び去っていく。
いやー、しゃれてるなー。ってなんの解説にもなってないぞ。

また義経(若き日の岩井半四郎!)が初めて顔を見せるところ。
歌舞伎だと義経は幕明き早々に顔をさらした状態で登場するが、映画の方は執拗に顔を隠して後姿だけを映しつづけ、後半の「判官おん手」になって初めて顔がソフトフォーカスの大写しになる。もう画面じゅうがきらきらしてしまうのである。な、なんとえげつない。
しかし義経というキャラはこのように文句なしの絶対的なソフトフォーカス的オーラをまとっていなくてはそもそも話が始まらないのであって、大河内傳次郎の弁慶なぞは主君を打った申し訳なさというよりはもう美少年と金剛杖を介して禁断のコミュニケーションを果たしてしまった倒錯の悦楽にむせび泣いているようにしか見えないのである。

四天王の森雅之・志村喬をはじめ豪華キャストの大御馳走なのであるが(みんな戦時でヒマだったのか)、やはりエノケンと大河内傳次郎のインパクトにとどめをさす。
エノケンはとてつもなく分かりやすく、傳次郎は言ってることからして分かりにくい。
だからこそ二人ともとっても良いのである。

なにしろ主に歌舞伎「勧進帳」の舞台進行を忠実になぞって出来上がっている映画なので、歌舞伎の舞台を知らないとなんじゃこれ?となってしまうのは無理もない。
それを割り引いても面白い、と言いたいところなのだが、やっぱり舞台を知っていないとこの映画の面白さのほとんどは分からないと思う。
ということは黒澤明が伝統芸能を自分の内臓できちんと消化吸収し排出することのできた偉い人だった、ということでもあり、そういうことのできるクリエイターが分野は違えど連綿と輩出するのは日本の強みだなー、と思うのである。

ソメイヨシノじゃないのも見たい

2007-04-11 | Weblog
海老蔵丈と高岡早紀がうちの近所でデートしていたと聞いてちょっと「うふふ」と思いました。

桜はいま時分が一番美しい。と私は思う。
あんまり満開ばりばりでこんもり一面に真っ白(最近のソメイヨシノって桜色じゃなくてなんだか真っ白じゃありませんか)なのは、ちょっとわざとらしくて辟易の気味がある。
「ね。どうだえ。私ってうまいでしょ」と鼻先にぶら下げている役者の芝居を見せられているような気がする。誰だそれは。
いま時分になると半分ぐらいは花が散り、半分ぐらいは新芽や若葉の若草色が盛り立ってきて、花の色と若緑色の混じり具合が実にどうも清々しくてたまらない。
こないだ伊豆天城の山中で山の斜面に他の木に交じってぽつぽつと飛び飛びに咲いている桜の木を見て感動的に美しかったが、そういう緑の中にぼかんと咲いているのを見て「うわあ、桜だあ」と特別な感興を催させるのが桜の本来の魅力なのかもしれない。

「みいちゃんはあちゃん」は死語か

2007-04-10 | Weblog
『竹の屋劇評集』を読んでいたら「みいちゃんはあちゃん」という言葉が出てきて驚いた。
なんとなく戦後の言葉みたいな気がしていたが、遅くとも明治29年にはできていた言葉なのだな。
で、「ミーハー」がここから派生したと。ふんふん(無精してちっとも調べていないが)。
「ミーハー」は今もけっこう生き残っているが、「みいちゃんはあちゃん」と口に出して言うのはかなり恥ずかしい。

恥ずかしいといえば、いま東京都民であることの羞恥を噛みしめている方は多いだろう。私もその一人である。
裁判官の国民審査みたいに×が付けられるとよいのだが。むう。