数ヶ月ぶりに大学に足を運ぶ。
相変わらず樹木が鬱蒼としている。
濃厚な樹気を感じて立ち止まり、手を後ろに組んでしげしげと大木の幹なぞを眺めてしまう。
後ろ姿だけ見ればおじいちゃんである。
前にも書いたが、植物に慰藉を感じるようになるのは老化の兆候であり、生物としての属性が動物から植物へと漸遷している証である。
「ふう、植物を見るとなんだかホッとするなあ」と言いながら伸びをしている子供がいたら変でしょう。
少年少女が植物に顔を輝かせるのは、植物の色・形・匂い・触感等への興味からであって、その証拠に彼らはしばしば「解剖」を試みる。
葉っぱをむしったり花びらをちぎったり茎を折ったり実を割ったりする。
で、出てきた汁の匂いをかいだり、弾力を指先で何度も確認したり、幾何学的な構造を感心して眺めたりしている。
大学構内の樹木も、学生時代には「薄暗くて鬱陶しい、ケッ」と思っていた。
それがいまやおじいちゃんポーズ。
人間の感受性の変化とはおもしろいものである。
きっと植物にこういう反応をするようになった分、どこか他の部分の感受性がものすごく消失してしまっているのだろう。
相変わらず樹木が鬱蒼としている。
濃厚な樹気を感じて立ち止まり、手を後ろに組んでしげしげと大木の幹なぞを眺めてしまう。
後ろ姿だけ見ればおじいちゃんである。
前にも書いたが、植物に慰藉を感じるようになるのは老化の兆候であり、生物としての属性が動物から植物へと漸遷している証である。
「ふう、植物を見るとなんだかホッとするなあ」と言いながら伸びをしている子供がいたら変でしょう。
少年少女が植物に顔を輝かせるのは、植物の色・形・匂い・触感等への興味からであって、その証拠に彼らはしばしば「解剖」を試みる。
葉っぱをむしったり花びらをちぎったり茎を折ったり実を割ったりする。
で、出てきた汁の匂いをかいだり、弾力を指先で何度も確認したり、幾何学的な構造を感心して眺めたりしている。
大学構内の樹木も、学生時代には「薄暗くて鬱陶しい、ケッ」と思っていた。
それがいまやおじいちゃんポーズ。
人間の感受性の変化とはおもしろいものである。
きっと植物にこういう反応をするようになった分、どこか他の部分の感受性がものすごく消失してしまっているのだろう。