月刊ボンジョルノ

ほとんどツイートの転載です。

幸田文を絶賛する

2006-07-28 | Weblog
幸田文の『みそっかす』(岩波文庫)を再読。
幸田文の文章は嘆息するばかりにテンポがよくて描くイメージが鮮やかでしかも格調高い。見事。
百先生の文章を名文とする意見があるが、あれはどちらかというと論理的明晰さに秀でた文章であって、醸し出す余韻や情緒にも西洋近代的な(ドイツ語的な?)硬質さが感じられる。
幸田文の文章は、語彙の選び方がいちいちシャープな割に、というのかだからこそというのか、文章にメリハリが利いていて、さぬきうどんの如き柔らかいコシがある。
むしろこちらの方が名文の麗称にふさわしい。と私は思う。

あの知的怪物・露伴先生の。といっても今や『五重塔』、かろうじて『幻談』を例外として、ほとんど人に読まれることはないのだろう。
その露伴先生の家庭だけに、登場する人物がみんな一癖も二癖もあって、その変ぶりが文さんの筆でくっきりと描写されている。
私の好きなエピソードは色々あるが、露伴の「おっかさん」(文さんのおばあさん)が、顔面神経痛でピクピクする眼で、当時は珍しかった西洋蘭の切花をじーっと見据え、「花品の上なるものではない」と看破するところ。
花でも書画でも美人でも、ひたすら凝視することによって本当の底が見えてくるという。
私も文さんに倣ってこの鑑定法を信仰するようになった。
さてこのおっかさんのおっかさんとなるとさらにうわ手で、座敷に端座していると庭に青大将が鎌首もたげて現れた。しゃんと座ってしばらくじっと見据えた挙句に「実に立派な姿だ」と呟くのを聞いて、若き露伴先生は「取って押さえられたような気がした」という。
こういう腹の据わった古武士のような女の人が昔はいたのである(今もどこかにはいるのかもしれないが)。
かといって座りこんで偉そうなことばっかり言ってるわけではなくて、家事の切り盛りは迅速にして正確、掃除から裁縫から電光石火に万事をこなしたという。
『父・こんなこと』(新潮文庫)を読むと、露伴先生に伝わったその家事の手練ならびに理論の一端を垣間見ることができる。
ハタキの扱い、雑巾の絞り方、襖障子の張り替え、刃物の研ぎ方(この辺の描写も実に鮮明で、露伴先生の発する名文句とあいまって風景がありありと目に浮かぶ)。
いまどきそんな厄介な家事は必要ないじゃないかといわれればその通りなのだが、ものごとに当たるについていかに合理的かつ端正かつ謙虚であるか、というのはものすごく大事なことである。
出自の尊卑、上品・下品、器用・不器用を問わず、生活に根を張った思想はひとまず信用できる。

おこいさんのエピソードも印象深い。
文少女は実母のお葬式で金巾の着物を嫌がってだだをこね、おばあさんに一撃を加えられる。
一度しか言わないからよくお聞き。
お父さんの拵えてくださった着物が嫌なら嫌で構わない。
子は親の葬式にぜひとも出なきゃならないんだから、裸で歩いて行くかい。
我を張るなら張るで立派におやり。
しかも帯を緩く締められてぐずぐずになっている超不機嫌な文少女。
そのときそっと衝立の陰に呼んで帯を締めなおしてくれた親戚らしき色白の女性が、子供心にも嬉しく懐かしくて忘れられなかった。
しかし成人してから父露伴に「あれは誰だったの」と尋ねてみたら、とんと心当たりがないという。
「お前が子供心にもそれほどに身にしみた人だからどうかして思い出してやろうと思ったが、どうにも心当たりがない」。
父自身が確かに「おこいさん」と呼んで親しげに話していたのに、叔母たちに聞いても誰ひとり分かる者がない。
露伴先生は間違っても「お前の勘違いだろう」てなことは言わない。
「人の世には夢があるものだ。そういうことを追っかけるんじゃないよ」という結論のつけ方が実におしゃれで含蓄深いではありませんか。
これで偏屈・酒飲みでなければものすごくかっこいい父親なのだが。

ほかにも夭折した姉の話、露伴と不仲だった継母の話などがキレのよい文章で綴られて飽きない。
もはや分かりにくくなってしまった単語もぼつぼつ出て来るが、こういうビビッドな感受性ときっちりした文章表現が共存している文章は、高校一年生あたりで読んでおくと大変よろしいのではなかろうか。ていうか読んどきゃよかった。

人間ドックと遊就館

2006-07-23 | Weblog
人間ドック(半日コース)受診。
安手のビジネスホテルのパジャマみたいな上っ張りを着せられて、待合室と検査室を行ったり来たり。
ひとつ検査をするたびに断片的なデータが蓄積されていくことは理解できるのだが、あまりにもオートマチックな流れ作業なので「ほんとに検査できてんのかね」と意味もなく心配になる。
相変わらずおいしいなあ、発泡剤。コンビニとかで売ってくれませんか。
待合室で「遅いねえ、あとどれくらいかね」「あと30分ぐらいで終るのかね」と事務のおねいさんをイライラせっついていた管理職風のおじさんがいたが、血圧の数値が上がってよくないのではなかろうか。

午後の中途半端な時間に解放されたので、病院のお隣にあるトレンディ・スポット、靖國神社をお散歩。
平日の午後、しかも雨中とて人影もまばらで、緑の樹気が気持ち良い。
いまのどかにお散歩しているここが、日本国内はもとより近隣諸国のホットな議論の的になっているとはなんとも不思議な気分である。
鳥居の手前には誠に時代離れした、薄暗くて湿っぽい、青白い蛍光灯で照らされたお休み所があって、時間と場所をうっかり間違えたような摩訶不思議な空間を作り出しているのでぜひ一度お訪ねください。
「イカ焼き定食」の張り紙が目に飛び込んできたが、きっとお祭りの焼きイカにごはんと味噌汁がセットになったものだろう。あんまり食べたくない。
お土産コーナーには御真影、菊の御紋付きの湯呑、ポスト純ちゃん饅頭などが並ぶ。
むむう。不自然なほど掃き清められた境内にこのキッチュなお休み所の対照。
この空間が存続してきた背景にはなにか政治的に深い事情でもあるのか。謎である。

しかし私の目当ては遊就館。
百センセイにその名も『遊就館』という気味の悪い短編小説があるが、今の建物(新館)はリニューアルされてガラス張りのピカピカ、手の黄色い将校などはいそうにない現代的でメタリックな建物になっている。
入ってすぐのホールでは「私たちは忘れない」という自主製作映画の上映が始まったばかり。
覗いたら十人ほどのお客さんがいて、すぐに出て来るつもりで座ったが、あまりにイデオロギッシュな内容に時間を忘れて見入ってしまう。
タイトルからしてベタな反戦映画かと思ったのだが、「忘れない」のは戦争の悲惨さではなくて、インチキ東京裁判で受けた屈辱なのであった。なるほどね。
わたくし的には日清・日露戦争時の貴重な映像がチラリとでも見られて大変満足でした。
展示室に入ると年代順に内戦・外戦の遺物が並んでいるが、戊辰戦争・西南戦争・日清・日露と古い時代のコーナーの続く前半がおもしろい。
解説パネル・映像・照明など見るからにお金のかかった展示なのだが、できればパネルよりは本物のブツを見たい。所蔵品はもっとないのかね。
生というのはえらいもので、文字を読んだだけではよく分からない、実物を見ることでしか伝わってこない雰囲気の厚味・質感というものがある。
なにしろ改めて驚いたのは、偉い軍人さんの軍服がそろってびっくりするほど小さいことである。
ズボンなど私のステテコぐらいしかない。
古い建築物の室内に入って「なんか全部が小さいな」と感じることがあるが(行くたびにそう思うのは庭園美術館=旧浅香宮邸)、こういうサイズの人たちが生活していたのだからもっともな話なのである。

軍人さんといえば、私なぞは生まれるずっと前から日本には軍隊がないことになっていて、したがって軍人さんがいないことになっているので、ナマの軍隊や軍人さんを見たことがないことになる。
だから極端に言うと、私にとって軍人さんはあくまでもバーチャルな概念であって、かつて大蔵省だの外務省だのとおんなじような並びで陸軍だの海軍だのが国家機関として存在し、大将だの元帥だのという国家的VIPがいた、といわれてもいまいちピンとこない。
資料を読んでいて軍人や軍制に関したことが出てくると、自分がなんとなく思っている感覚と当時の人々の皮膚感覚とでは、距離感がものすごくズレているのではないかという不安を感じることがある。
ピンとくるように徴兵制を復活してやろうかと言われると大変困るのだが。

一階ホールでは人間魚雷・回天(もちろん本物)が圧巻。
その横には立派なミュージアム・ショップがあっていかにもなグッズが並んでいるが、唯一欲しくなったのは自衛隊の演習ビデオ&DVD。
『平成17年度富士総合火力演習』とか『陸上自衛隊 冬季戦闘戦技訓練』とかシブいタイトルが付いていて、知らなかったがちゃんと市販されているらしい。
これは見るときっと面白いと思う。
「戦争は嫌いだが戦争ごっこは好きだ」という言葉に深く頷く男の子は多いのだ。

ところで。
展示スペースではない立入禁止の階段の踊り場みたいなところに実物大の馬の石膏像?木像?を発見。
説明書きも付いていないのでなんでそんなところに一つだけぽつんと置かれているのか分からないのだが、青白い肌に血管が薄く浮き出たのが変に生々しく、大きな目を剥いたところが常軌を逸している。
ひょっとしたら百センセイはこの馬像を見たかもしれない。

オビワン・ケノービは温泉で浴衣を着るか

2006-07-21 | Weblog
ネットで紺の兵児帯と鼠の角帯を衝動買いしてしまった。
といっても実物を見ずに通販で買うわけだから、決していいものは買わない。
はなから使い捨てのつもりの安物ではあるが、特に締めるアテがあるわけでもないからやっぱり衝動買いである。
銭湯なり公園の散歩なり、梅雨が明けたらちっとは浴衣もはおってみよう。
新しいのをもう一枚買って、古い方は家でごろごろするのに使ってもよい。
涼しくなったらとんとご無沙汰の着物も引っ張り出してみるか。
七五三(私のではない、息子の)にはイッパツ縞の袴でもはいてみるか。
と泥縄式に妄想を繰り広げて楽しめただけでも元を取った感じである。
しかしあれですね、ネットでも結構いろんな種類の着物やら帯やらが手軽に買えるんですね。驚きました。

ところで私は無駄に背が高いので、温泉宿の浴衣を着ると裾が膝小僧の下に来てバカボンになってしまう。
たいていは帳場に頼むと「特大」とかを出してくれるのだが、それでも中途半端にスネがのぞいて滑稽な姿になる。すごくイヤ。わざわざマイ浴衣を持って行くのも面倒だし。
いまどきのこととて同じ思いをしている方は少なくないとみた。
温泉宿の経営者および業務用浴衣メーカーの方々、ぜひもう一息丈の長いのをご一考くださいませ。

信じる者は掬われる

2006-07-12 | Weblog
駅前の広い一角にビルが建設されていて、ドラマでしか見たことないようなとてつもなく巨大なクレーンがおっ立っている。
周囲がすぽんと開けている上にあんまり巨大なので「何階建てのビルぐらい」と具体的に説明することもできない。
ずっと後ろの方にあるビルやなんかの風景とのバランスが取れないので、じっと見ていると遠近感がおかしくなってしまう。

その上からなんかの部品が落っこってくる、もしくはクレーン自体がどどんと倒れてくる、という恐怖を毎朝禁じえないのである。
ネジ一個落ちてきても、歩行者の頭を直撃すれば体を貫通して肛門から出て来るぐらいの威力をもつのではなかろうか。
もしもクレーンが倒れてきた日には、一体地上のどこまでの範囲が下敷きになって潰されることになるのか想像もつかない。
ゆっくり倒れ始めるのを見てから走って逃げても到底間に合わないだろう。
第一どっちを向いて走ればいいのかもよく分からない。
だから毎朝クレーンが目に入ると、無意味に身をこわばらせながら早足で通り過ぎてしまうのである。

なにしろほんの数年前までは「そんなことあるわけないじゃん」とのほほんと信じていられたようなことが平気で起こってしまう今日この頃である。
銀行や老舗の大企業はあっさり倒産するし、子供は教室の中で基地外さんに虐殺されるし、学校の先生はもはや変態の代名詞だし、エレベーターは暴走するし、ミサイルは飛んでくるし。
駅前で巨大クレーンが倒れてビルに激突死傷者218名、なんという事故が起こっても、みんなきっとそんなには驚かないだろう。
隣国で突然デパートが崩壊するのを「んまあなんて無茶苦茶な国なんざましょう。日本に住んでてよかったわ」と見物していられる時代ではなくなったのである。
がんばってモラルを守ったってなんの得にもなりゃしない。
むしろ損するばっかりじゃねーかばかばかしい。
なんでよりによってこの俺が損な役回りを引き受けにゃならんのだ。
バレやしないんだから楽して儲けるのが当然じゃねーか。
社会のスミズミからそういう悪罵が噴出しているのではあるまいか。

これは大変大雑把な印象に過ぎないのであるが、ひと回りも歳の離れた現役の学生さんと話していると、本人に決して悪気はないのだけれども、言葉のはしばしから「得にならないからやらない」「得だからやる」というような行動規範の伏流が感じられていささか鼻白むことが少なからずある。
そこには単なる打算的、計算高いということを超えた、バサバサと乾燥した、殺伐とした気味悪さを感じる。

都市なり国家なりが一定の規模に達して一定の成熟を果たすと、こんな感じの空気がたちこめてきて、やがてその都市や国家は日没のごとく(いやそんなに美しくはないか)凋落衰亡の道をたどるのであろう。
というような空気が、日本の住民の肺の奥の方までかなーり浸潤してきたのではないかと思わず憂鬱になってしまうのであるが、いまは草加せんべいをバリバリ食べているのでハタからはきっとそうは見えないのである。

夏向き簡単料理二種

2006-07-11 | Weblog
蒸し暑いので久々に鳥肉とキュウリとニンニクの北京風サラダを作る。
作り方はいたって簡単。
塩胡椒してチンしたササミ肉と、叩いて乱切りにしたキュウリと、薄ーくスライスしたニンニクをタレで和えるだけ。
タレは要するにゴマダレであればよいので、本当は芝麻醤をベースに醤油・黒酢・酒なぞを合わせるのだが、市販のゴマドレッシングに芝麻醤をたっぷり加えるだけでもよろしい。
ポイントはニンニクをえっ?と思うぐらいたくさんぶち込むこと。
独特の臭いとピリピリ感とゴマの甘味とが絶妙なハーモニーとなってもりもり食べられます。
ただし生ニンニクなので、胃の弱い方と直後に人に会う予定のある方はご注意ください。
これは京劇俳優の魯大鳴さんちで教わりました。

ニンニクといえばソフィアのM前さんちで教わったブルガリア料理「タラトゥール」も絶品です。
こちらはニンニクをたっぷりすりおろし、プレーンヨーグルトとまぜまぜ。
細かく刻んだキュウリを加え、塩・胡椒・ワインビネガーで味をととのえ、よーく冷やしてズルズルといただく、まさに夏向きの食べるスープです。
現地では各種ハーブやヒマワリ油を加えたりするのですが、トマト・タマネギ・パプリカなどお好みの野菜を使うもよし、その辺はお好みでアレンジを。

どっちの料理も体が涼しくなってシャキッとしますよ。ほんとに。

コピーとスター、これは間違いない

2006-07-10 | Weblog
文化資源学会に出席。
とはいえ所用のため総会だけで失礼して研究発表を聞かないという暴挙に出る。
総会の後でK下直之センセイに「・・・このためだけに来たの?」と怪訝な顔をされたが、B級サラリーマンはなにかと忙しいのである。
会場に入るとK林真理センセイを発見したのでやあやあどうもとご挨拶して、思い切り前の方の通常は先生方が座るような席に陣取る。
この辺がおっさんの図々しいところである。
「どうですか最近」
「いやあ忙しくて心身ともに疲れ果ててますね、ほんとに」
なお後の方の発言が私である。本当に図々しい。

4年前の創立時に85人であった会員が、なんと200人を突破したそうである。
諸先生会員方の御努力の賜物と慶賀の念に堪えない。
しかし「文化資源学」の認知度ということになると、状況はなかなかキビシイものがあると言わざるをえない。
文化資源学専攻です、と言われても「なにそれ?」とおっしゃる方が世間の大多数であろう。
学問一筋に生きている方の中には「世間などという下らないものになんと思われようと関係ないのである」と公言して憚らない方もいらっしゃるが、私はそうは思わない。
「広く知られる」ことはとても大事なことで、業界の発展にとって欠かせない要素だと考えている。
大雑把に申し上げると、広く知られることによって有能な人材が集まって来たり優秀な人々の批判にさらされたりするからである。
広く知られるためにはなにが必要なのか。
それはズバリ、キャッチーなコピーとスターである。

たかだか一年住んだだけだが、フランスとイタリアどっちを応援するかというとそれはもうどうしてもイタリア贔屓になってしまう。
いやめでたいめでたい。

酢醤油に唐辛子

2006-07-06 | Weblog
内田百センセイの随筆を読んでいると、「酢醤油に唐辛子を入れて煮たの」がときどき出て来る。
洋食のソースの情けない代用品として登場するのだが、百センセイが際立って異常な食生活を送っていたわけでもなかろうから、あの時代にはこういうものが一般に食されることがあったのであろう。
南蛮漬のタレのような味か。
やり方によっては意外にウスターソースの味に近くなるような気がしないでもない。
それにこれはこれでトンカツなぞの肉料理に用いるとなんだかサッパリして旨そうである。

いや、それだけのことなんですけどね。
100年も経たないのに昔の人が普段どんな味のもの食べてたかって分からないもんだなあって思って。

私は本や映画に変わった食べ物が出て来ると「一体どんな味なのか?」と必死に想像してしまうし、変わった味のものを食べると「何が原因でこの味が現出しているのか?」とものすごく気になる。
要するに口がいやしいのである。
ペルージャ在住の謎の文化人類学徒・M嶋さんの所に遊びに行ったとき、お勧めの店に案内してもらったら、絶妙においしくて今まで食べたことない味のパスタが出てきた。
「これは一体なにによって構成される味&香りなのだろう?」と目を近付けたり匂いを嗅いだり麺をひっくり返したりしながら考え考えモグモグ食べていると、M嶋さんは呆れた様子でフォークを止め、私の顔を見て「・・・ヤナイさんて『食いしん坊』ですよね」と言った。
「行儀が悪くていやしいぞ、お前」というのを最大限に婉曲に表現した大人の発言に、鼻の穴から魂が舞い戻ってきたように我に返ったヤナイであった。
M嶋さん、お元気ですかあ。また一緒にごはん食べたいですねえ。