月刊ボンジョルノ

ほとんどツイートの転載です。

ハリボテの町

2009-01-31 | Weblog
「ひさびさにハリボテ飲みするか」「ハリボテ飲み、いいねえ」と話がまとまったので、敏腕編集者Y本くんと三田で一献。
地下鉄の駅を上がってTSUTAYAの横を入っていくと、狭い通りにカラー煉瓦が敷き詰められた、ドラマのハリボテセットみたいなわざとらしい飲み屋街になっている。
学生向けのチェーン系コジャレ居酒屋の進出が大変煩わしいが、ハリボテ通りになる前からあるらしい立ち飲み屋や大衆食堂兼帯の安い飲み屋などが残っていて、仕事帰りにおっさん飲みをするにはなかなかのスポットなのである。
ハリボテ通りはいつにない大繁盛で、人混みをよけているうちにハリボテの外のビル地下の蕎麦屋に入ることになった。
メジマグロの刺身
カキフライ
ナスとピーマンの炒め
を肴に燗酒をくいくいといただく。
「このバリバリカレーってなんだ」
「あ、写真がこっちにあった」
「うひょー、バリバリカレーだ」

さて、バリバリカレーってなんでしょう。

正解は、かた焼きそばのカレーがけ。
蕎麦屋とはいいながら、実にもうなんでもありの大衆食堂なのである。
薄暗い蛍光灯の下、背広のおっさんたちのグループが楽しそうに盛り上がっている。
「若麒麟逮捕」「NECで大規模人員削減」などのニュースが流れると、みんなが一斉にテレビを見上げてどのテーブルでもひとしきりその話題になったりする。
さすがにこの中に混じると、どう見てもわれわれは「にいちゃん」であって「おっさん」ではない。おっさんを名乗るには修行が足りぬ。もりそばでシメ。

今度はごく普通の居酒屋のカウンターに陣取って、大阪の酒「呉春」をごくごくと飲む。
なにしろY本くんは8月誕生の娘にメロメロなのである。
「いやー昼休みになると写真ばっかり見てて」とか言いながら私に6回も写真を見せたりなんかするのである。
「しかし子供のかわゆさというのはなんだろうなこれは」
「そこで思うのはだな。子供をもったことのない人ってのは、そういう気持ちとか感覚がまるで全くわからないわけだろう。想像もつかないわけだろう」
「まあそれはしかたないな」
「『子供が熱を出したから休みます』とか『早退します』とか、さぞ鬱陶しく感じているのであろうな、彼らは」
「しかたないね。他人の子はいくらかわゆくても意味が違うからね」

呉春はさっぱりしてとてもおいしかったのだが、二杯飲んだらちょうどなくなってしまったので、次に滋賀の「琵琶の長寿」の純米というのを初めて飲んだらこれが当たり。
黄金色にうすく濁った様子に迫力がある。甘酒を連想させるさらりとした米の甘みとほのかな酸味が大変深い味わいで、なんか「昔の酒ってこんな感じだったのかも」と思わせる。アテなしで飲める。
家に帰って、酔った勢いでさっそくネット注文してしまった。

♪蕎麦焼酎ぅ~、雲海ぃ~が耳について

2009-01-30 | Weblog
紆余曲折の結果、K也さんのお助けもあって来年度出講の授業計画がようやくまとまる。実になんとも責任重大。
夜は神保町でS山部長、A部さんと打合せをしたあと、蕎麦屋で蕎麦焼酎。ふう、こういう前向きな仕事をしているときだけ生き返った心地がするぜ。
「基本的に売れるものは売れるってだけですごい価値があると思うんですよね」と、こないだF家さんに言ったのと全く同じせりふを口にしてしまう。こないだは瀬戸内寂聴さんの話題だったが。
「そのものの価値とは別ですよ。一個売れようが千個売れようが、一万売れようと、そのもの自体の価値とは別にして、『自分たちがやったことに対して』という意味では、確かにそうです」
とS山さんが人生のベテランらしく的確なコメントでフォローしてくださる。
「われわれは何十万、何百万売れる商品ではなくて、二千、三千という世界でものを作っているわけですから、それなりのより強力な個性を出さないといけないのです」
さらにいえば、小さな舞台公演なんかは日本中のうちのせいぜい数十人、数百人を相手に商売しているわけである。
他者への働きかけの、広さと深さとは基本的に関係がない。
一冊の本、一回の舞台には世界を変えてしまうだけの力がある。
しかし深く売っている人は広さについて、広く売っている人は深さについて、敬意を払うべきである。
そういう敬意を知らない人を私は信用しない。
あ、文章がネガティヴな終わり方になってしまった。
ええと、とりあえず前向きな仕事だけに集中して生きていくことにします。
一部の皆さん、ごめんなさいね。

嘉葎雄、いいなあ

2009-01-23 | Weblog
ひきつづき『どろろ』に『嫌われ松子の一生』。
『どろろ』の妻夫木聡が美しい。サービスショットも満載。
あと語り手の琵琶法師を演じている中村嘉葎雄が実に素晴らしい大ごちそう。
そしてやはりほんとによくできた物語だなあと手塚センセイの偉大さを再認識せざるを得ない。このスケールに匹敵する文学作品が明治以降いくつあるだろうか。
柴咲コウは一本調子だが、いろいろ汚されているのでマニアの方にはよろしいと思います。

『パコ』同様、『嫌われ松子』も展開のリズムが心地よい。
そのリズムを細かいビジュアル的要素ががっちり支えている。
一見戯画化されているようで変に生々しいリアルさがあって、ああ映像ってこういうこともできるんだなあと感心する。
ただし『パコ』と続けて観ると、なんとなくパターンが読めてくるのも確か。

作曲家のF家さんとおひるごはん。
このところクリエイティヴな仕事をしている人と話す機会がめっきり減っているので、こういうがんがん創作している才人と喋ると砂漠で泉にめぐりあったような気がする。やはり自分を世界地図のどこに置くか、ということを真剣に考えないといけない。夜は飲み会で砂漠に逆戻り。


映画強化週間

2009-01-17 | Weblog
正月に録画しておいた『輝ける青春 第一部』を観る。
通せば6時間以上の大作という、その前半の3時間半。
イタリア映画は悪くいえば通俗的だが、客を退屈させないようによくできていて、映像そのものが美しい。
映画はエンターテインメントである、という線を決して踏み外さないところが偉い。
というのが私の勝手な印象である。
この映画も、ローマのとある家庭の二人兄弟の人生に焦点を絞って、学生運動とか赤い旅団とかフィレンツェの洪水とか、イタリア現代史上の出来事をほどよく散りばめてみました、と聞くとなんとも退屈そうだがさにあらず。
かなり劇的な話でも無理を感じさせずにテンポよく転がっていき、一つ一つのエピソードや映像が、やわらかい抒情性をまとっている。
だから3時間半を決して長いと感じさせない。
監督は『ペッピーノの百歩』の人だそうである。職人だなあ。
アメリカ映画より貧乏臭く、フランス映画より野暮ったくても、地に足のついた物語と映像のプリミティヴな快感を守り続けるイタリア映画が私は好きだ。
ところが迂闊なことに第二部は録画予約を忘れて見逃してしまった。とほほ。

同じく録画で『69 sixty nine』。原作は読んでいない。
どうってことない話なのに面白く見せるなあと思ったら、エンドロールで脚本が宮藤官九郎だったのを知った。うまいなあやっぱり。妄想シーンとか。
高校生をやっている若手俳優がみんなそろって達者で、今もみんなそろって活躍している人たちで、この辺の年代の俳優って意外に層が厚いんだなあと感心した。
でも「妻夫木聡がやってる役ってほんとは村上龍なんだよな」と思ったらちょっと萎えた。

目黒シネマで『パコと魔法の絵本』『デトロイト・メタル・シティ』の二本立て。
『パコ』はテレビCMを見て「国産ディズニーアニメか。つまんなさそう」と思っていたのだが、これが予想以上のヒット。
原作は舞台の芝居だったそうな。なるほど、決まった場所に数人の人々が出入りしつつ話が進むわけだ。
パンフにも書いてあるが、舞台以上にシアトリカルな扮装と演技を、という発想が成功していて、気持ちよくイリュージョンに巻き込まれることができる。キャストもいいし、細部を作りこんだスタッフもえらい。
サダヲ、素敵だ。

それにひきかえ『DMC』のていたらくはなにごとか(細川隆元の口調で)。
原作のエピソードを中途半端につまんでつなぎ合わせただけのシロモノで、真剣に映画撮ったんですか?と小一時間問い詰めたい(古いな)。「面白く見せよう」という熱意がちっとも感じられない。
松山ケンイチも気が乗らなかったのか監督の指示なのか、いたずらに戯画化した演技ばかりで精彩がない。
目に余る「松ケンの無駄遣い」および「松雪泰子の無駄遣い」である。
まんざら予算がなかったわけではなかろうから、「今のうちに早く映画化してすぐ公開してバンバン告知をうて!作りこんでるヒマなんかない!」というような事情がおありだったのだろうか。
客をばかにしないでよね。ぷんすか。

ところでかねてより目黒シネマの二本立ての取り合わせには絶対「隠しテーマ」があると思っていて、いつもそれなりに納得のいく結論を得ることができるのだが(例えば「飛ぶ男」とか「痛いのはイヤだよね」とか)、今回はちと迷う。
「ビバ!コスプレ」ではあまりに芸がないし。

謹賀新年

2009-01-02 | Weblog
去年は色々と好ましからぬことも多かったので、一年の垢を流しに突然思い立って下仁田温泉を急襲。
行きがけに旧富岡製糸場を見学して、下仁田ネギを山ほど買いこんで帰ってきた。

源泉の温度が低いので沸かし湯だが、ほのかなミネラル臭にすべすべと柔らかい肌触りで泉質は上々。なにしろぽかぽかとよく温まって湯冷め知らずのお湯である。
年季の入った本館のほか、広ーい敷地内に新しい離れが並んでいて、その前を石段づたいに下りて行くと突然露天風呂が現れる。
屋根がかけてあるだけなので脱衣場も寒風ぴゅーぴゅーで、お湯に入るまでがなかなか難儀である。帰りは涼しくてちょうどいいくらいだったのだが。
先客の二人は浴衣の上にもこもこのダウンジャケットを着て来ていた。
このお二人が「こんにちはー」「こっちの方があったかくていいですよー」と大変爽やかに話しかけてくださるので最初は単純に「ああいい人たちだなあ」と思ったのだが、年の頃なら四十二三、二人とも肌浅黒くスポーツマンらしい筋肉質。
兄弟かと思うような似た感じのパキッとした二枚目で、ここの料理の話やら他の温泉の話やらをにこにこと続けている。
そのパキッとし具合がちょっと非日常の香りを放っていて、途中であがって二人並んで頭を洗うときのイキの合い加減などもちょっと並の友達同士という感じではなく。ええいはっきり言ってしまえ。恋人同士のオーラが出まくりなのである。
ああ間が悪くて申し訳ないと思ったが仕方がない。
開き直ってお湯を堪能していたら、色違いのダウンジャケットを着ていそいそと出て行ってしまった。
ま、夜は長いさおしげりなんし。
ちなみに露天風呂には14℃の源泉の小さな湯船もあるが、さすがに寒くて試す気にはならず、泣く泣く手だけ入れて帰ってきた。
内湯は桧造りで、脱衣場も暖房付き。汗のひきはよいのに体のぽかぽかがしばらくおさまらず、お湯の実力を一段と実感できた。

ただし本館の廊下は庭に面した縁側のようになっているので、部屋の入口の戸を中から開けるといきなりモロに外という感じで、どうしても部屋に寒気が吹き込んでくる。夜中に寒くて目がさめた。
冷たい源泉にも入れるし、庭の散歩も楽しそうだし、この宿は冬より夏の方がよさそう。
料理はほぼ自給自足が自慢で、敷地に畑もあれば鯉、烏骨鶏から鹿、猪まで飼っているそうである。
鹿は刺身、猪はぼたん鍋で夕食に供される。他にヤマメの甘露煮、鯉のあらい、刺身こんにゃく、山菜の天ぷら、煮物など。朝食には烏骨鶏の卵が出る。
20代の男にはボリュームが足りなかろうが、私どもにはごくちょうどよい分量で、マグロの刺身や変な揚げ物などのムダなごちそうが出ないところは大いに好感がもてる。
離れを増築してやや高級なところにシフトを図っているのかもしれないが、本質は湯治場的雰囲気にありとみた。

現場を離れて人間らしい年末年始が過ごせるようになったので、とっとと大掃除と年賀状書きを済ませて心静かに新年を迎える。
つもりだったのだが、今年も波乱の幕明けである。何がかは秘密。
春にはでっかい仕事やイベントが立て続けにあるし、ざわざわと動きの多い年になりそう。ブログなんか書いてる場合じゃないなこりゃ。

えー、旧年中は大変お世話になりました。
本年もなにとぞよろしくお引立てのほどをお願い申し上げます。