中小企業時代は残業をしたことがなかった。だが上場企業に転職すると、決算作業が始まると毎日が深夜残業の連続となる。さらに地方の事業所に本社経理が移転すると、優秀だった女子社員が転勤を拒否。準総合職なのでそれを咎めることも出来なかった。
代わりに雇った女性は、いずれも彼女の1/3の戦闘能力しか持っていない。それどころか、地方なので人材そのものが集まらないし、すぐに辞めてしまう。そうした状況にも拘らず、上司は一人抜けたら一人の補充しか認めてくれなかった。
結局課長だった私がかなりの実務を負うことになったのだが、それでも他の部下たちの仕事が超遅過ぎてどうにもならない。上司はお前が残っているから部下が帰れないのだと、私に責任を転嫁するだけだった。だが私の性格としては、四苦八苦している部下たちを尻目に、自分だけサッサと帰ることは出来ない。結局部下たちの仕事の目鼻がつくまで、毎日無償の深夜残業を続ける羽目になり、一年の半分は会社に泊まり込むことになってしまった。
また岩手工場に転勤になった時も、決算時にも拘わらず、無理矢理『製造現場応援』を押し付けてくる独裁工場長に反発し、部下たちに割り振られた現場作業を全て私が引き受けたこともある。そのために50歳の老体は、ガタガタに崩れてしまい、ついには転職を決意することになったのだ。
課長時代はこうしたバカげた忙しさに追い掛け回され、会社で一番時給の安い人間に成り下がっていたようだ。しかしながらこれらの忙しさは、私自身が好き好んで選択した忙しさではない。忙しい程度の生易しさではなく、奴隷のような地獄の日々だっただけである。
ところが定年後は、全く質の異なる忙しさに遭遇している。そして毎日が飛ぶように過ぎ去ってゆくのだ。もちろんもうサラリーマンでもなければ、自営業に忙殺されている訳でもない。
ただ自分の趣味やボランティアなどに明け暮れているだけなのである。つまりやってもやらなくても良いことをしているだけなのだ。言葉を替えれば、自分の都合で調整できる忙しさなのである。つまりこうした嬉しい忙しさこそ、私が長年目指していたものに違いない。
また今のところ、自分や家族が重病を患うような慌ただしさにも遭遇していない。実にありがたい忙しさと言えよう。感謝感謝。
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