今年の夏にアメリカにいる娘家族を訪ねて旅行に行こうかと考えていたのだが、娘からメールで「例のオサマ・ビンラディンの事件で、NYの日本総領事館から注意喚起の連絡がきた」という。
娘も「そんな事いわれても注意のしようもないしね」と。そのとおりで、日々ビビりながら生活もできないし、「注意喚起」とは日本の役所らしい「帳面消し」の仕事ぶりやなあと思ってしまう。これで僕の旅行の計画をどう変更したらいいのかもわからないしね。
しかし、このような娘とのメールのやりとりをしているうちに、ふと昨日の続きではないが随分と日本人も目線が広くなったと言うか、広がせられてきたものだと思ってしまった。
戦後65年になるが、昭和の時代は外国といえば「アメリカ」であり、外国人といえば「アメリカ人」だったように思う。常にある種のコンプレックスを持ちながら憧憬の気持ちをもって「外国人」を見つめ、「外国人の生活」を眺めていた。
それが徐々に、例えばベトナム戦争やキング牧師事件などを見聞きしながら、「そんなバラ色の国でも国民でもないぞ」と考え出してきた。とはいえ、政治的にも経済的にも社会的にも世界の大国「アメリカ」に依存した状況は切り替えも出来ずに平成の時代に突入してきた。
平成に入ってもアメリカ依存の姿勢を変えなければと思いつつ、代替となる姿が描けずにいる中で、世界は「東西問題」から「中東問題」へ。そして同時多発テロからは・・・
今まで、ことごとく、まさに極東の国「日本」は幸いな事に国際紛争ではカヤの外を自他ともに認めていた状況にあった。自衛隊の平和協力云々が問題になるほど国際紛争の外にいたのだが・・・・
否応なしに日本もテロの脅威にさらされることになってきた。福島原発が「テロの標的」ではとか、もうカヤの内に入っていることを自覚しないといけない。
大災害が発生しても、犯罪もほとんど発生しない平和な国を自負してるだけでは、もはや守れない治安環境にあるということを・・・