宇多田ヒカル「Fantome」収録曲
宇多田:休止を発表した時、いろんなところで『なんで?』と聞かれて、どう説明をしたらいいかよく分からなかったんですけど。要は惰力じゃないけれど、物事って動いていると止めにくいし、止まっていると動かしにくくなるじゃないですか。何だかすごい勢いで周りに後押しされてポンってデビューしちゃって、そこから宇多田ヒカルがぶわーっと大きくなってしまい。大きくなればなるほど、大きなトラックみたいにどんどん舵取り(かじとり)が出来なくなって、自分で方向を選べなくなっていたんです。それで『これはヤバイな』と思って休止を決めました。
――そして約8年半振りのニューアルバムです。なぜ『Fantome』というタイトルに?
宇多田:今回のアルバムは亡くなった母に捧(ささ)げたいと思っていたので、輪廻(りんね)という視点から“気配“という言葉に向かいました。一時期は、何を目にしても母が見えてしまい、息子の笑顔を見ても悲しくなる時がありました。でもこのアルバムを作る過程で、ぐちゃぐちゃだった気持ちがだんだんと整理されていって。「母の存在を気配として感じるのであれば、それでいいんだ。私という存在は母から始まったんだから」と。そうしてタイトルを考えていくうちに、今までのように英語というのはイヤで、かといって日本語で浮かぶ言葉はあまりに重過ぎて、「フランス語が合うね」という話になって。そこからいろいろと模索した末に、“幻“や“気配“を意味する“Fantome“という言葉に突き当たり「これだ!」と思いました。
――今年の4月に配信限定でリリースされた「花束を君に」、「真夏の通り雨」(※『Fantome』に収録)に寄せられたリスナーからのリアクションが、アルバムの仕上がりに大きく作用したと聞いています。
宇多田:あの2曲を聴いて、「もしかしてお母さんのこと?」と気付いたリスナーの方がたくさんいて。しかも同情とかではなく、その前提を踏まえた上で、共感というか感情移入をしてくれたみたいで。これまでは自分の曲に対して、そこまで自分の予想外の反応が上がったこともなかったし、それが良い評価でも悪い評価でも、それが次の作品に響くというようなこともほとんどなかったんですよ。でも、この2曲への反応は、私にとってすごくポジティヴに感じられるもので、今までになくこのアルバムに影響を及ぼしましたね。レコーディングの後半で、残りの歌詞を書くための勇気をもらいました。(この2曲と「桜流し」を除く)アルバムのほとんどの歌詞は、そこからの約3カ月で一気に書き上げました。これまでで最短記録です。まあ「花束を君に」、「真夏の通り雨」は題材がデリケートだった分だけかなり時間もかかったし、ここまでが8年半とか長かったんですけど(笑)。そして、みんなが「お母さんのこと」だと分かっているからこそ、絶対に母の顔に泥を塗らないアルバムにしなければという責任も強く感じていました。
――「花束を君に」はNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の主題歌のために書き下ろされた曲でしたね。
宇多田:国民的な番組なので、いつにも増して意識的に間口を広げて作詞をしました。オフコースとかチューリップ、それとエルトン・ジョンの『Tiny Dancer』(※『可愛いダンサー~マキシンに捧ぐ』。1971年)をイメージして、軽やかな感じの“開いた“曲を目指しました。いろいろなリスナーの、いろいろな状況に当てはまってくれたらいいなあと。
――一方、『真夏の通り雨』は、文学性の強い歌詞です。そして日本語の美しさにハッとさせられます。
宇多田:この曲は、書き始める前から日本語だけを使った歌詞にしようと決めていました。日本語で歌う意義と、日本語で歌う“唄“を追求したかった。英語が入る余地もない曲だと思ったし、今の自分の感覚だと、英語を使うことが“逃げ“に感じられて。ロマンを感じたり酔いしれたりできる英語ではなくて、自然と染み入る日本語であって、尚も美しいと思えるものにしたかったんです。
――アルバム全体の歌詞も、わずかな英語と仏語を除き、ほぼ日本語で書かれています。
宇多田:制作の始めの段階から、今回のアルバムは“日本語のポップス“で勝負したいと意識していました。これまでの歌詞における英語のフレーズは、伝えたいことを直接的に歌いたくない時の照れやお色付けに用いていたんです。でも今回は本当に必要な言葉だけを日本語で並べて、自分のなかで美しいと感じられる歌詞だけを歌いたいと思いました。
――フランス在住のジュリアン・ミニョー氏が撮影した、モノクロのポートレイトによるジャケット写真の美しさも印象的ですね。
宇多田:ありがとうございます。彼とはもともと知り合いだったんです。出会った頃はまだ駆け出しだったのに、久しぶりに彼のホームページを見たら売れっ子になっていて、写真も良くなっていて(笑)。これまでのジャケットはずっとディレクターさんからカメラマンの候補を挙げてもらっていたんですが、今回は初めて自分から「この人いいと思うんだけど、どう?」と提案して。自分で連絡を取り、スケジュール調整や撮影場所のやりとりなんかも二人で直接話して決めて、パリで撮影しました。初めて、肩書や仕事抜きで、ただの女の子として出会った人にジャケットを撮ってもらえました。とても自然な、縁があったという人間的な流れで、自由を感じられる撮影でした。それもまたアルバムへの自信につながりました。