グロリア332 復活への道

やっと探したグロリアはボロボロの状態だったが、これを中年ストリートレーサー仕様に復活させるための記録。

エンジンが、でかければ良い?

2006-03-29 23:59:43 | 修復記録
今の国産では4500cc、欧州車でも5000cc台。 では古いアメ車の7500ccとはどういうものか疑問の方も多いことでしょう。 エーカーエンスーの人はまた違う意見でしょうが当時のアメリカ人というのはメカがどうのというよりエンジンを大きくしていくことがよりスポーティだとしていたのではないかと思う。ATながらへたにハンドルを切っているときにアクセルをあおるとケツフルを恐ろしさだ。
フーガ450GTもスゴイトルクと思ったがその違いをあえて言うなら国産大排気料車がボディービルをこなすエリートサラリーマンだとしたらトランザムは西部の荒くれ男たいったところか。

捨てがたい

2006-03-26 17:12:38 | Weblog
この写真を見ていたらトランザムに乗りたくなり常磐道で矢田部まで走った。
騒音と振動の中、運転以外何も考えられない自分がいた。静かに追い越していくセルシオやベンツが他の物体に見えたと言ったら言い過ぎだろうか。
気分はシトラス250マイル。 ダッジチャレンジャーでもムスタングでも何でもきやがれ! しかし、また下手なこと書くとアメ車をエーカーと呼ぶ専門家に怒られるので止めておこう。

さすが日産 その1

2006-03-25 21:06:39 | Weblog
1970年のプライベートレースカーを調べるとまだL型ではなくプレジデントH30にボアの同じフェアレディーSRのパーツを組んでいる。(ミッションも)
クラウンも中身はセドリック同じエンジン、ミッションを使っていたとは驚いた。

セドグロは強かった

2006-03-25 16:59:32 | Weblog
S43,9月、全日本ストックカー富士300キロレース。
歴代セドグロ、クラウンあたりでヒストリックカーレースでもやれば絶対みにいくのだが。 三十路麗芯愚が全国に団員を増やしぜひやってもらいたい。
パノラマカーやブラックシャドーなどそれぞれ名前を付けてでれば楽しそうだ。

おもしろくない

2006-03-24 23:56:32 | Weblog
S46セドグロとクラウンがフルモデルチェンジしたときの記事。
当時、私は中学生でセドグロ230のかっこよさに興奮していたが、このときでもすでにジャーナリストはクラウンの方をよく言っている。 
必ず比較できる車があるときはトヨタの勝ちなのか? 1度しかトヨタ車を所有したことはないがこれは永遠に納得のいかない問題である。

初のグロリアだったが?

2006-03-19 21:30:54 | Weblog
父は付き合いを大切にするひとで近くのプリンス店としか付き合わずスカイライン1500からいつかグロリアに乗りたいと言っていた。 ときはS45年。ついに我が家にグロリアがきた。 中学生ながら日産とプリンスが合併したこともマイナーチェンジでテールがかわりエンジンもGからL型に変わったことも知っていた。
しかし納車されたのはマイナー前の車。 父の自慢する姿から追求することはしなかった。

輸出仕様 230

2006-03-19 21:05:08 | Weblog
バリバリにときめいたのは、このあたりか? といっても最初2ドアHTがセドグロにでたときは驚いた。  クラウンはとっくにだしていただけに私的にはそれをはるかにしのぐかっこよさに見え、 知り合いの兄貴に前期セド2ドアGXに載せてもらった時にはスーパーカーのように思えて夜寝付けなかった。