Takの秘密の木

誰にもいえない気持ちは、誰もしらない秘密の木の洞に、こっそり語って蓋をするんだって。@2046

シティ・オブ・ドッグス(追記)

2012-12-09 | ドラマ・映画・舞台の感想
A GUIDE TO RECOGNIZING YOUR SAINTS"City Of Dogs", Dito as Robert Downey Jr.
ロバート・ダウニー・Jr.持ち込み企画で製作にも関わっている映画「シティ・オブ・ドッグス」。ディート役(子供時代はシャイア・ラブーフが演じてる)のRDJ。
日本未公開で最近のRDJファンにはいまいち受けが良くないようですが、私は結構好きな作品です。
RDJって外向的でマシンガントークな賑やかしい役も多いけど、一方ですごくナイーブで寡黙で内向的な役も結構やってますね。
このディートは、自分を表現するのがあまり得意ではなく、ろくに人の目を見て話せないような感じの人。作家になることで、ようやくペンに心を語らせることができたというか・・・。
チャーリーやラリー、トニーも、一見かなり人当りはいいですが本心はなかなか人に見せないところがある感じですが、私はどっちかというとそういう役を演じている時のRDJが好きなようです。


ニューヨーク、クィーンズの移民街、低所得者層が多く住む地区が舞台の話。
RDJは確かブルックリン出身で両親は業界人、それほど貧しい環境で育ったわけではないと思いますが、友達に悪仲間は多かったかも知れませんね。
原作にかなり思い入れがあってどうしても映画化したかったらしく、スティングに協力を仰ぎ共同制作となっています。

内容は、ブラックムービーですごくよく観るタイプ。
以前観た『RIZE』というドキュメンタリー映画にこういうセリフが出てきます。
「牢屋に入るか、ギャングになるか、撃ち殺されるか」の3択しか選択肢の無い生活環境。それは一部の家庭だけの話ではなく、その地区一帯がそうなんですよね。
登校中や買い物中に子供が撃ち殺されるのも、そんなにめずらしいことではないような荒んだ世界。
両親が殺されてしまったり牢屋に入ってしまったり、薬物中毒で育児ができない人もたくさんいて、だから満足に食事もできず学校に通えない子供達がストリートをうろうろしている。
学歴も保護者もないから、まともな就職もままならない。何かをやりたい気持ちがあってもやらせてもらうことすらできず、教育を受けてないから実際やれることもない。
地区外に出ても、何もやらせてもらえないのは変わらない(むしろもっと酷い)から、結局育った街から抜け出すこともできない。
「ゲットーの人間がやれることは、フットボールかバスケをやるか、音楽をやるしかない。でも俺達はダンスをやってる。他にやることがないから。」
と、『RIZE』の中の若者たちは言っています。
私は一時期ブラック・ミュージックとダンスに夢中になっていて、ストリートから生まれてくるカルチャーのすごさにしばしば圧倒されることがあり、それがあってブラックムービーをよく観るようになりました。
スラム出身のアフロアメリカンのサクセスストーリーの裏には、大抵、この『RIZE』のような格差社会のシビアな現実があります。
「人殺しだけにはなるな。薬はやるな。」と誰もが口先では言うけど、若者から「じゃあ俺達は一体何をすればいいんだよ?」と聞き返された時に、答えられる大人もいない。
殺されるか、より陰惨であることや極悪であることを競って殺す方に回るのか。・・・
ブラックムービーは、そんな環境に生まれついた人達が、何とか自分の尊厳と情熱と良心を保って生き抜こうと泥沼を這い回る話が多いです。そして現実は、必ずしも、サクセスにもハッピーエンドにもなりません。

アフロアメリカンに限った話ではなく、移民系の貧困層は似たような状況は多いようです。
この『シティ・オブ・ドッグス』はイタリア系かな?
日本のRDJファンにこの作品の評判がよくないのは、ご都合主義に解決することが何一つないからでしょう。・・・しかも、「"家族や地域の絆"は、果たして本当に美しいのか?」というアンチテーゼも含まれているように思えますし。

こういう作品を観るといつも感じることですが、"成功しよう"とがつがつすること、泥沼から何とか自分だけでも抜け出そうと必死になることは、ちっとも自己中心的ではないし、恥ずかしいことではないということです。
だって、そんな向上心や改善心や、野望や野心を保ててるだけましなんですよ。それは、「ギャングにもジャンキーにもならない!」という意志の表れでもあるからです。
すぐそこに転がっている銃や薬に手を出して、誰かのいいなりになり、自分を混沌と堕落に埋没させる方が実はよっぽど楽なんですよね。
親や近所の善意や助けなんてない環境ですし、第一、親自身が同じ境遇にあるのですから。終わりのない負の連鎖。
ディートは街を出て作家として成功しますが、両親や幼馴染たちからは「自分たちを捨てた」と言って咎められます。
だけどディートがもしその"絆"に捕らわれ、街を出なかったら、たぶんナーフのような大人になっていたことでしょう。
久しぶりに街に帰り、車で迎えに来てくれたナーフの自堕落で荒みきった様子。そんなナーフと話すディートの表情を見ると、なにか胸を掻き毟られるような思いがします。
そして、自分から離れることを許さず、街を出ることを許さず、ディートに執着し続けた父親。・・・それは絆なのか呪縛なのか?・・・というところですよね。
だからディートは父親に、「俺を愛してたことがあったか?!」と訊かずにいられなかったんでしょうね。
ただ自分の傍から離したくない、という思いだけで息子を泥沼の環境に雁字搦めにすることは、はたして愛なんだろうか?・・・と。
ディートも成功したからこそ、心臓の悪い父親をちゃんとした病院に入れることができるわけで。・・・
父親の言いつけどおりに街に居続けていたら、ナーフのようになり、賢いとはいえないアントニオの手下になって悪さをするのが関の山。目に見えていた。
愚かなアントニオはディートの復讐と称して人を殺して牢獄に入っている。だけど、殺さずに済む方法は他にいくらでもあったのです。彼はただ、あまりにも短絡的で暴力的であるがゆえにやり過ぎただけ。なのに父親は、そのアントニオの言うことを聞けとディートに言うんですよね。・・・
それらが分かってしまっている頭があるだけに、ディートは街を出ずにはいられなかった。
幼馴染の元カノの言うとおり、「血の跡を残しながら家を出た」というのは事実でしょう。絆を引き剥がそうとすれば当然、血は出る。
だけどそれは、残された方だけではなく、立ち去る方だって血を流しているんですよね。
最後に、監獄のアントニオに面会に行くディートの表情は見ものです。
アントニオとろくに目を合わせられず、ほとんど笑わず、故郷の仲間に会ってもやはり心は開いていないディート。・・・

たぶん今の日本の状況では尚更のこと、感動的な和解や、幼馴染の絆が蘇り歓談するシーンや、街を捨てたことを痛悔するディートの姿を見ることを期待した人が多いことでしょう。・・・でもそうはならないし、ディートが心を寛げるシーンすらないんですよね。
唯一、今はシングルマザーとなってる元カノの、元気な顔を久しぶりに見た瞬間と、母親に会ったシーンのみが、ディートが嬉しそうな表情を浮かべたところかな。
でもすぐに、その二人ともから責められて、結局、故郷で彼を本当に理解している人は誰もいないことに。・・・
わかりやすいエンディングも付けられていないので、どう考えても一般受けはしない作品だと思います。・・・が、それでもどうしてもこれをやりたいと思ったRDJの心境は、いろいろと考えさせられますね。

心を閉ざし、口が重く、周囲になじめない男を演じるRDJの演技はすばらしいです。
少年期を演じたシャイアを見てからRDJが演じたのか、RDJを見てシャイアが演じたのか知りませんが、顔は似ていない二人ですがすごく繋がりを感じて違和感はありません。
決して楽しい作品ではないし、分かりやすい感動ももらえませんが、リアルで興味深い作品でした。
『路上のソリスト』も似たテイストがあるかな?
RDJのネガティブ面も好きな向きにはおススメです。

(追記)
アイアンマン(無印)のローディことテレンス・ハワードの『ハッスル&フロウ』も、かなりへヴィなブラック・ムービーです。興味深いという意味で、すごくおもしろかった。
 『追跡者』に出てたウェズリー・スナイプスの『ジャングル・フィーバー』という作品も、かなり刺激的でした。白人の女性と黒人の男性のカップルの話。この映画でウェズリーは名を挙げた感があるので、『追跡者』でも彼女役は白人になったんでしょうね。


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