民は、母を一日も早く故郷に連れて帰るために、全身全霊を傾け故郷に向かっていた。電気自働式の加速スピードで、三輪車は勢いよく進んでいた……
そして、遙か遠い村の光景が民の前に再現された。
今度の旅はどのくらい走り続けただろうか……民はただ村の光景を懐かしく感じていた。
家に近づくと、村人がこの親子を出迎えてくれた。再会の喜びと歓声の中で、民は嬉しくて目にはうっすらと涙が光っていた。
久しぶりの安眠に母は幸せそうだった。そして、数日後、母はぽつんと「民、母さんの遺骨をチベットの拉萨(ラサ)に撒いてくれないか……」と呟いて、目を閉じたままで、静かに亡くなった。102歳だった。
母のいない世界になった。民はしばらく悲哀に満ちた日々を黙々と送った。けれど、母の遺言がいつも自分の心の中で念じるように聞えて、民はついにチベットに行くことにした。
もう83歳になった民は、今度は三輪車をトラック(大車)に換えた。チベットに着くには7カ月がかかった。ようやく母の遺骨をチベットの大地に撒いた。
雄大な拉萨(ラサ)の頂上に立つ民は、目に見えない力が自分の身に張り巡らされているように感じ、今の自分は上天と一線をひくぐらい近いことに気づき、たいへん驚いた……
母の望む通り、選んだこの場所は実に世界で一番いい場所で、天国にも通じているよう、民はそう思った。一生苦労ばかりだった母の、その遺骨をここに撒いて、最後の念願を叶えることが出来、この達成感に民の心底から喜びが沸々と湧き上がった……
まさに、人間という存在は険しい峠を乗り越え、悲惨な状況の中で凄まじく生き抜いたからこそ、真の喜びが得られることを民は味わったようだ。
その時、民は三輪車旅の間の、母の笑い声、人々からの歓声、長寿麺を届けてくれたこと、泊めてもらって助けられたこと、すべてを頭に浮べていた……
この旅は、たくさんの見知らぬ人々に温かく支えられたからこそ、奇跡的に続けられた、と民は改めて感じた。また、そこから得られたことは、限りなく濃い人生経験の集まりでもあると民は思った。
このように思う民は、これからはもっと長生きして、人と交り、歓をつくそう、これは自分の新しい生き甲斐だと思った。
拉萨(ラサ)は民に、より強い自分を確立する地となった。
(完)