小説『雪花』全章

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小説『雪花』第二章-1,2節 

2017-05-23 11:18:09 | Weblog
    
第二章 刑務所の面会 
       
    一
 
年が明け、一九八五年になった。一月十日に母が教唆犯として有罪になり、懲役四年の判決が下された。母の判決を静かに受け入れた両姉妹は、体が縛られたように緊張した。
 だが、それほど驚かなかった。今の情勢の冷たい風に慣れてきたようだ。ぐったり憔悴した両姉妹は夜早くベッドに入った。凡雪は枕に頭を沈めたまま、母の想像に耽った。
 母の僅かに茶色い瞳が、潤んできた。揺るがない強固な目光が、瞳に燃えてきた。母は穏やかに栞を挟んでいる陶淵明の唐詩のページを開き、徐に読み始めた。
 人生無根蔕(人生には根(ね)も蔕(へた)もなく)
 飘如陌生塵(飘(ひら)々(ひら)と陌(みち)生(ばた)の塵(ちり)のようなものだ)
 分散随風転 (分散して風に随(したが)って転ず)
        
     二
 
二週間後の日曜日の朝、所用がある父は、出かける前に気軽さを装って提案した。
「今日の昼頃、帰ってくるので、昼飯は、三人で食べよう」
 何故だか、父の顔には、うっすらと安堵の色が見えた。凡雪は呆気にとられながらも、眉を微(かすか)に吊り上げて、「はい」と頷いた。
 母の事件以来、親子三人で揃ってまともに食事をしてない。父は、食事に託けて何かを伝えたいだろうと、凡雪は予想をしてみた。
 でも、何も思い浮かばず、凡雪は昼の食材を買いに出掛けた。
 東から昇った太陽が厳吾(イェンウー)弄(ロン)の屋根に残った雪を照らして光っていた。だが、凡雪は風景など観察している余裕は全然なく、歩いて行きながら、父の言葉の真意を推し量っていた。
 昼の食卓で、三人が揃うことになり、テーブルに蒸魚、卵とトマト炒めを並べた。
 久しぶりに父とゆっくり食事ができるので、わざわざ地鶏を買ってきた凡雪は、自ら毛を毟り、皮を剥がして、コトコトと煮込んだ。
 でき上がった鶏を大皿に盛った凡雪は、まず父の取り碗に、スープを掬った。
 父はスープを一口、ゆっくり飲んで、両姉妹の近況を伺っていた。が、箸を持ち上げると、ただ黙々と食べ始めた。
 ガラス戸から太陽が差し込んできたテーブルで、親子三人は無言で食事を続けた。誰も会話を持ち出さず、あっという間に食事が終わった。
 父が突然、両姉妹に向って「二人に伝えたいことがある」と話し掛けた。
 一度、思わせぶりに言葉を切った父は、憮然たる表情で先を続けた。
「父さん、母さんと離婚したんだ」
 凡雪は「ええっ?」と声を漏らし、父の顔を見詰めた。ショックで喉に棘が引っ掛かったような気がした凡雪は、すぐ返事ができなかった。
 父は息を漏らして、「先週、離婚届けを出した」と話を続けた。
 咄嗟に凡雪は、頭の中で導火線に火を点けたような気がした。その時、凡雪は反射的に口に出た「酷すぎるよー!」の言葉を、父に浴びせた。
 すくっと立ち上がった凡雪は、ドアに向って歩いた。立ち止って振り返り、父を睨みつけた。凡雪は、これほど激昂する衝撃を覚えたのは、生まれて初めてだった。
 咄嗟に、パンっ! と、ドアを閉めて外へ飛び出した凡雪は、階段を降りて、厳吾弄の中心街に向って、ひたすら歩いた。
 頭の中で火を散(ち)らし、粉々に吹き飛んだ。父の言葉が思い出せなかった。
「ねぇ、ねぇ、姉(ジエ)、待ってよ!」
 追い掛けて来た凡花に腕を掴まれた凡雪は、妹の手を払い除けた。足を止めなかった。
 時折びゅんと吹く風が、残った雪(ゆき)粉を連れて、何度も頬を叩かれた。雪に打擲されると、やっと父の言葉が蘇ってきた。
 胸の芯から何かがすっぽりと失われてしまった凡雪は、初めて虚脱感を覚えた。
 凡花は手編みマフラーを凡雪の手に渡し、「風邪、引いちゃうよ」と心配げな声を放った。
 厳吾弄を出て右の徒歩道へ行くと、一台のバスがちょうど止まった。中から降りてきた姚琴が、両姉妹にばったり出会った。
「二人とも怖い顔して、どうしたの?」
「姉(ジエ)、姚さんに説明して」
 凡花の言葉に促(うなが)されて、凡雪は少し頬を緩めて、姚琴に挨拶した。
 姚琴は両姉妹の母親の件が気に懸かって、わざわざ会いに来たようだ。
 三十分後、姚琴と両姉妹は平門(ピンメン)北路(べーロ)のバス停から降りた。目の前に北寺塔(ベイスーター)が現れた。
 北寺塔は三国時代に呉(こ)の孫権(そんけん)が母の恩に報(むく)いるために建てたもので、高さは七十六メートル、八(はち)角(かど)形の九層になっている。中には階段があり、各階に回廊(かいろう)も作られ、九階まで登れば、街全体を見渡すことができる。
 凡雪は昂然と顔を上げ、塔を眺めていた。
 三日前の雪は北寺塔の層の縁にまだ残っていて、寒さでなかなか溶(と)けないようだ。
 気候の好い時季には、来る人々は塔を登るために、列もできるほど賑やかであったが、寒い冬では、塔を登る人影が少ない。
「九階まで登りましょう!」と姚琴は二人を誘った。
「ええ―、九階までも!」両姉妹は視線を一斉に姚琴に移した。
「ねぇ、あんたたち、九階まで登ったこと、ないだな。ほら、早く!」
 姚琴は二人をぐいと引っぱって塔を登ろうとした。
 両姉妹は塔に入って螺旋階段をぐるぐると登った。九階までとなると、一苦労だった。
 誘っておきながら、一番最後に上がってきた姚琴は、ハアハアと息切れしながら、どうにか「ほら、外を見てよ!」と言葉を出した。 
 両姉妹は街を一望した。太陽の光が延(えん)々(えん)と果てしなく街に浴びている。建物の突き出している所々に残っていた雪は、大家が描いた水墨画(すいぼくが)のように、ひときわ輝いていた。
 街中をとぼとぼと歩いている人々の姿がとても小さく見え、凡雪は視線を巡らせた。
 そうしていると、胸に烈しく燃え続けていた火種(たね)が、徐々に消えていった。
「風景、凄いね!」と凡雪は感嘆して、声を漏らした。
 その時、凡花が大きく口を開けて「大(ダイ)混(フンン)蛋(ダン)(ばか野郎)、飛ん出け!」と吠えた。
 声が冴えた空気にすぐ弾けて行った。
「高い塔で、大声叫ぶってのも、いいわね、気持ちがすっきりする」
 聞こえてくる誰かの声に促された凡雪は、ほんの少しだけ気持ちがすっきりした。
 そこで、わずかに間を開けて、小声でと首肯した。

 つづく

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