テレビで大間のマグロ1本釣り漁師のドキュメンタリーを見た。これで7本目だ。7本の内のほとんどを見ている。おなじみの漁師さんが中心なので、まるで親戚の伯父さんのような気がして来る。心臓に持病を抱え、妻を亡くした老漁師は亡き妻の形見のスカーフで頬かむりをして厳寒の海に出て行く。離婚して男手1つで二人の子供を育てながら、今年はまだ1本のマグロも釣り上げていない「悲運」の漁師が、朝、学校へ行く子供の弁当を用意してから漁に出る。BGMに北島三郎の「北の漁場」が流れる。ジンと来る。沖へ出て老漁師がヨタヨタしながらマグロと格闘する時はハラハラ、どきどきするし、近くでマグロが跳ね、周りの船に次々とアタリがあるのに、アタリがない、アタリがあっても釣り上げる途中で糸を切られてしまう「悲運」の漁師には、悔しくも情けない気持ちにもなる。かたやキャスティングに名人漁師を配している。1年の半分しか漁をしない。それでも大間の漁獲量が激減する中、百キロ超の大物をつり上げるし、いわゆるマグロ御殿なる家も建てる。見ていると名人と言われるくらいで、必要な物を予め近くに用意してあるし、動きにもまったく無駄がないと言うか余裕すら感じさせるほどだ。
ここから、いろいろな見方が出来よう。これはどんな仕事にも当てはまることだし、大きく括って「人生」そのものを見ているとも言えよう。だから7本目だと言うのに、やはり見てしまう。良い作品はいろいろな解釈が可能だという良い例だ。
ここから、いろいろな見方が出来よう。これはどんな仕事にも当てはまることだし、大きく括って「人生」そのものを見ているとも言えよう。だから7本目だと言うのに、やはり見てしまう。良い作品はいろいろな解釈が可能だという良い例だ。