ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

最も古い記憶

2019年11月23日 | 其の他

「母の胎内た時の記憶が在る。母は毎日、御腹の中の自分に対して、「〇〇〇〇」の歌を毎日歌ってくれていた。」とか、「自分が生まれ落ちた時、XXXXを見た記憶が在る。」といった主張をする人が居る。其れに対し、「そんな記憶が在る訳が無い。生まれてから随分経って、親からそういう話を聞かされたのを、自分の記憶として思い込んでいるだけだ。」と言う人も。

個人的には「本当にそんな記憶が在るのだろうか?」と思ってしまうけれど、世の中には考えられない様な事が起こったりするのだから、「そういう記憶が、絶対に無い。」とは言い切れない。本当に自身の記憶としたら、“自身にとって最も古い記憶”という事になるだろう。

小学生の頃、良く思い浮かぶ光景が在った。自分自身は高い位置に在る様だが、天井から幾つかぶら下がった裸電球の薄暗い光の中、決して奇麗とは言えない通路を“動いて”いる光景だ。通路の脇には野菜や魚が雑然と並べられている事から、御店なのは間違い無い。

でも、いくら考えても、そういう御店に行った記憶が無い。「夢か何かで見た光景なのかな?」と思ったりもしたのだが、其れにしては頻繁に同じ光景が思い浮かぶ。気持ち悪いので両親に確認したのだが、具体的な場所が思い浮かばないと言う。でも、思い浮かぶ光景を詳細に話した所、或る場所で在る事が判明。

自分は4歳位迄、大阪に住んでいたのだが、近所に在った小さなスーパーがそんな感じだったと言う。でも、其のスーパーは、自分が1歳になる前に潰れたと。「1歳になる前に潰れたスーパーの光景を、覚えている訳無いだろ。」と両親は言うのだけれど、覚えている光景は非常に具体的で在り、又、詳細で、「確かに、店内はそんな感じだった。」と驚いていた。

スーパーの店内の写真等は全く無く、又、其のスーパーの話を両親から聞かされた事も無い。だから、間違い無く“自身の記憶”なのだ。「高い位置から見ている光景。」、「自身の足で歩いているのでは無く、“動いている”という感覚。」も、「親に抱かれて見た光景いた。」と考えると、納得が行く。恐らくは、自分にとって“最も古い記憶”という事になろう。


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2 コメント

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Unknown (悠々遊)
2019-11-24 11:00:35
こんにちは~
興味深い記憶ですね。
giants-55さんの「古い記憶」で考えられることは、確かにご自身の幼児期の記憶に間違いないのでしょう。
ただし、私たちが一般に「記憶」と定義しているものと違い、単純に五感を通して神経細胞の記憶域にインプットされただけの情報=記録が、時としてシナプスで結ばれて読み出されてくる、ということでないかと。
それが読み出されたとき、後付けで意味付けされたものが「記憶」ではないのかと思います。
胎児期や前世の記憶というのも、そうした断片的な五感の情報が、記録された時間軸とは無関係に複数結びついて読み出され、意味付けされたもの、と考えれば説明が付く・・・と思いませんか?
特に胎児期の場合、母親とへその緒でつながっており、その神経細胞=ニューロンを母子で共有している可能性は否定できないと思います。
母親の方はすでに人生でいろんな経験を記憶していても、胎児の方はまだ情報量が少ないので、より鮮明・強烈に記録される可能性がありますね。
以上、ただの思い付きです(笑)。
>悠々遊様 (giants-55)
2019-11-24 20:29:21
書き込み有り難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

近年では、「腸=第2の脳」と言われていますね。最初聞いた時は「え!?」と思いましたけれど、説明を聞いて、何となくでは在りますが「そういう事か。」と。

そんな感じで、人体は未だ未だ未知なる部分が存在しているでしょうし、「胎児期の場合、母親と臍の緒で繋がっており、其の神経細胞=ニューロンを母子で共有している可能性は否定出来ないと思います。」というのも、非常に面白い説ですね。

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