気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン9の10 「赤碕にて」

2017年01月31日 | 倉吉巡礼記

 光地区から赤碕港に移動し、Tさんお薦めの「塩谷定好写真記念館」に行きました。以前の記事にて紹介した場所ですので、ここでは解説を割愛します。


 内部はこんな感じです。どこにでもある古民家の一例です。


 古民家の公開展示の事例としては珍しく、各所に照明を置いています。単なる登録文化財だから出来ることですが、国や県の指定文化財であれば基本的に禁止される筈です。


 Tさんお気に入りの土蔵内喫茶スペースです。


 見学後は、赤碕港の旧波止場に行きました。


 OさんもTさんも足早に「三度笠」のモニュメントに向かっていきました。


 私は、ぼんやりと白波の寄せては引く繰り返しを眺めておりました。


 戦時中は、帝国海軍第十一水雷戦隊の所属艦艇が臨時に停泊する港に指定されていたと聞いたことがあります。停泊というより、米軍機の空襲を避けての退避の形だったようです。第十一水雷戦隊は母港が舞鶴でしたが、所属艦艇は小浜港や鳥取港などに分散していたようです。中核兵力の第53駆逐隊は特別警備艦となっていたようですが、当時の赤碕港の沖には既に敵潜水艦の出没が報告されており、駆逐艦の退避すら困難であったことでしょう。


 なので、駆逐艦が入港した、という記録や伝承は、赤碕港には全くありません。


 赤碕港は遠浅の海に設けられているため、水深はそんなになく、旧帝国海軍の駆逐艦の停泊は不可能だった筈です。上図の外堤の沖合に錨を下ろして停泊し、内火艇で港と連絡する形になった筈です。


 赤碕から倉吉に戻り、Tさんのお宅にお邪魔しました。鳥取中部地震の被害部分がブルーシートで覆われていました。


 Tさん自慢のフィギュアコレクションなどを見せて貰いました。私自身はよく知らないキャラクターばかりでしたので、Tさんの説明を聞いていても「?」の連続でした。HTTのロンドンバージョンがあったらいいのに、などと思ってしまいました。


 壁にはひなビタの二種のタペストリーが掛けてありました。ひなビタファンの定番グッズであるそうですが、Tさんは記念品として買ったそうです。私は上図左側のもののみ買いましたが、Tさんと同じく、記念品としての意味合いが強かったです。 (続く)
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く28 その8 「曲松へ移動します!!」

2017年01月30日 | 大洗巡礼記

 大洗磯前神社境内のガルパン大絵馬です。新年は図柄を一新するのか、それとも右側の「ようこそ大洗へ」だけを替えて「謹賀新年」とか「迎春」とかにするのでしょうか。(実際には「迎春」になりました)


 奉納ガルパン絵馬群で、最初にパッと目に入ってきたのがこれでした。中村桜さんの絵馬ですが、「たぶん12回目」とあって、ガルパン声優さんのなかでは最も頻繁に来訪されているようです。もしかして住所が大洗とそんなに離れていないのかも・・・。


 どこかで見たようなタッチですね。


 模型誌などでよく見かけるモリナガ・ヨウさんの絵馬です。初めて見たと思います。


 小林源文さんの黒騎士の絵馬です。劇画タッチのイラスト絵馬は他にありませんから、すぐに分かります。


 絵馬群そのものは全体的に膨れ上がることなく、上図のような状態をキープしています。古いのや一人で多数を懸けている分を少しずつ撤去しているとかで、神社側もバランスを保つことを心がけているようです。放置しておくとドンドン増えて、奉納台が新たに必要になるでしょうが、もうスペースに余裕はありません。

 しばらく見ていたら、不意に横から「気分はガルパンの方でしょうか?」と声を掛けられました。顔を向けつつ「そうですが」と応じると、30代ぐらいの巡礼らしき男性がペコリと頭を下げてきました。挨拶を返しつつ名刺を渡すと、嬉しそうに「あっ、ホシノさんて本名でしたか。ブログ毎日読んでます。参考にして大洗とかを回ってます」と言いました。向こうも名刺を出してきました。長野県の方でした。

「大洗とか、ということは大洗以外にも行っとられるんですか?」
「はい、水戸とか常澄とか那珂湊とか。鉾田も行きました。旅行が好きなんで」
「歴史とかを見て回る旅行?」
「まあ、そんなところですけど、でも僕は星野さんみたいに詳しく調べてないので、雰囲気を楽しんでるだけで」
「それも立派な歴史探訪ですよ。歴史は理解するよりも感じる方がある意味正しい。理屈では説明出来ない事柄が沢山ありますから」
「ああ、それ、やっぱりそうなんですか。うわあ、感動しました」
 多感で熱っぽく何にでも感動しやすい方のようでしたが、そういう感受性の良さは、歴史探訪をするうえでも重要です。歴史を感じる、ということの起点は「感動」であるからです。歴史に対する関心、興味もそこからスタートし発展するからです。
 その長野県の方は、その後那珂湊へ行くのだと言いました。それで、握手して別れました。


 境内地から出て外に向かいました。


 聖地の一つ、あの坂道を下りました。


 あの赤い橋も、何度か劇中に登場してすっかり有名になりました。


 この分岐も、劇場版に登場したことで聖地の一つに加わりました。最終章では新たな場所が幾つか加わるのでしょうか。


 さまた接骨院の西住しほです。パネルに付けられているのは「ガルパンうぉーく」用の特別なQRコードだそうです。私はスマホを持たないので、こういったイベントには縁がありませんし、興味も湧きません。


 この日のウスヤ精肉店は巡礼者も居らず、関野さん夫婦の姿も見えず、珍しく静まり返っていました。快晴であるにもかかわらず、朝から回っている巡礼者を見かけませんでした。


 丸五水産も同じように静まり返っていました。店主関根さんの姿も見えませんでした。


 金丸釣具店もまだ開いていませんでした。パネルの下に「営業中」の札があるにもかかわらず、戸口には鍵がかかっていました。「営業中」の札は、もしかすると昨日からそのままになっていたのかもしれません。


 飯岡屋は朝から従業員の方々が忙しく働いていました。店は開いていましたが、商品の搬入や陳列がまだ途中のようでした。店先には、劇場版に出てきたギャラクシーの形のパッケージが並べてありました。戦車タイプよりも大きくてかさばるので、土産に買っても持ち帰るのが大変そうです。折りたたむことが出来ると良いのですが・・・。


 小山柚子の新旧のコンビです。旧パネルにサイン等がまったく入っていない、珍しいケースです。「ガルパンうぉーく」用のQRコードは新パネルの右手の位置に貼り付けてありますが、ある意味邪魔ですね。大洗ガルパンのパネルも「舞台めぐり」なる企業製品の宣伝に使われ始めているわけです。


 なので、上図のようにQRコードが貼られていない状態の方が、パネルを通してアニメの世界を普通に楽しめます。 (続く)
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン9の9 「光集落の鏝絵」

2017年01月29日 | 倉吉巡礼記

 大山の北裾を斜めに下る形で樹海の中を走った後、琴浦町域に達して赤碕地区に入った時点で上図の光(みつ)地区に行きました。Tさんお気に入りのスポットである鏝絵の集中地区でした。


 光地区は、いわゆる中世期以降の集落形態を色濃く残す所で、土蔵が多いことでも知られます。


 これが鏝絵(こてえ)です。漆喰を用いて作られるレリーフです。左官職人がこて(左官ごて)で仕上げていくのでこの名があります。モチーフは、福を招く物語、花鳥風月などが多いです。


 鏝絵は、全国各地の古い町並みに見られる建築意匠の一つで、時期的には江戸末期から昭和初期にかけてのものが多いですが、伝統技術として現代にも受け継がれているため、いまも新築の和風民家に鏝絵を施している事例が少なくありません。漆喰で造りますので、漆喰造りの土蔵に多く多用されています。


 古い時期の鏝絵は家紋や文様をあしらった浮彫程度の薄いものですが、昭和になってからは鳥や魚などを表すことが多くなり、表現も立体的となって上図のようにリアルな造りが好まれました。これは全国的な傾向ともよく一致していますが、要するに庶民の建築文化の一端であるので、庶民の裕福化にともなって鏝絵の質が向上してくるわけです。


 光集落においては、大抵の民家が富裕農民の系譜にあるようで地割も大きくとり、母屋に土蔵が並ぶL字配置の構えが一般的です。これは中世の平安京の一般的な「住居と付属施設」の構えが主に西日本各地に流布したものですが、ここ光集落のスタイルはどちらかというと武家屋敷のそれに近いです。母屋と土蔵が離れずに接しているケースが多く、間を広く空ける農民の住居のパターンとは違います。


 上図の作例は彩色を施してあります。本来の鏝絵は、漆喰の色をそのまま生かして「白眉ヲ競フ」状態を目指したので、白い漆喰のままに仕上げられるのが普通です。したがって彩色付きのものは昭和期に入って価値観が多様化していったプロセスを示していると解釈出来ます。


 この光地区では、全48戸のうちの24棟に鏝絵が施されています。半分というのは相当の密集度であり、全国的にも珍しいです。


 ただ、作例の大半が昭和期以降のものなので、文化財的観点での評価はまだなされていません。現在も続いている建築意匠ですから、伝統的技術の範疇で捉えられるほうでしょう。


 とにかく色々ありますが、土蔵全体の漆喰の仕上げにも見るべきものがあります。他地域の鏝絵はそれのみに造形作業が集中するので立派なものがありますが、こちらは土蔵全体を綺麗に仕上げたなかでのワンポイントという感じでまとめた鏝絵です。


 私の見てきた限りでは、九州の大分県エリアの鏝絵が最も豪華で華美で状態も良いものとして印象に残ります。鏝絵そのものは全国に約3000の作例を数えますが、そのうちの約1000が大分県にあります。かつて大分県に住んでいた頃に、大分県宇佐市の安心院(あじむ)の鏝絵を見てものすごく感動しました。
 あと、静岡県賀茂郡松崎町の鏝絵も印象に残っています。大分も静岡も、優れた左官職人が多く活動した地域であるので、鏝絵がよく残っています。ここ光地区でも、腕の良い左官職人が活動していたのでしょう。


 集落の外縁ラインに接する土蔵は、上図のように外回りの壁の大半を黒漆塗りの下見板で囲みます。一般的には雨除けですが、本来は蔵の一階部分が木造吹き放ちであったために周囲を板壁で覆ったのが始まりです。
 もともと蔵は古代以来の高床式であり、中世にもその形式が踏襲されたため、蔵の一階は厩であったり物置であったりしたのです。これが戦国期になると武器庫または防御区画に転用されたため、板壁に狭間を取り付けて、弓や鉄砲などの射撃を行ないました。

 上図の土蔵は、集落の出入り口である木戸に接して塁線上の「折れ(防御上有利な屈折または突出部)」の位置に有り、番所または見張り所の機能も果たしたようです。有事の際にはここに守備兵を配して木戸に進む敵を迎撃することになり、「折れ」の位置にあることでいわゆる「横矢(横からの攻撃)」が効きます。よく見ると、周囲をめぐる道路は不自然に曲がったり屈折したりしているので、もとは環濠であった可能性があります。
 つまり、この光集落は、中世戦国期の自衛的色彩の強い集落の形態を色濃く残しています。中世戦国期の歴史に関心を持つ自分にとっては、そちらの要素も大変に興味深いものでありました。


 なので、内部の民家の多くが武家屋敷の構えをみせて母屋と土蔵が隣接している点は、中世戦国期の自衛的色彩の強い集落の形態としてみれば、納得出来ます。敷地の入口に土蔵を置いて護りを固めている形だからです。そして江戸期からの平和な時代になった結果、荒壁仕上げだった蔵に漆喰を塗って綺麗に仕上げ、鏝絵を飾るようになった、という流れではないかと思います。


 ともあれ、なかなか興味深く参考になりました。奈良県に住んでいた頃に、県内の約200ヶ所の中世戦国期からの環濠集落を訪ね回って探査した日々が懐かしく思い出されました。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く28 その7 「朝の大洗明神です!!」

2017年01月28日 | 大洗巡礼記

 朝食をいただいた後、間を置かずして出発しました。遠くから来ている身には、大洗に滞在中の時間がとても貴重です。


 まずは神磯の鳥居を拝みに行きました。これをやらないと大洗に来た意味がありません。


 いいですね。この景色に接すると、大洗に居るという実感が持てます。


 この日の鹿島灘は、穏やかにみえてかなりの波浪があり、砂浜に打ち寄せる海水が時に長く延びていました。風も多少ありました。


 しばらく、神磯に寄せる白波の変転を眺めていました。


 大洗磯前神社の大鳥居です。


 参道石段を登る事にしました。


 石段の途中で、泊まってきた宿を振り返りました。


 石段を登り切って、鹿島灘の海原を顧みました。波がけっこう高いのがよく見えました。


 石段端の鳥居です。参道石段の帰結点に位置して境内の結界を示す役割を担っています。


 随身門です。


 随身門の前に侍立する備前焼の狛犬です。


 随身門の籠彫装飾です。


 拝殿です。


 干支の大絵馬は、すでに新年の酉年の図柄に差し替えられてありました。酉年は災いが起こりやすい年ですが、安寧であって欲しいものです。特に地震には備えが必須ですね。

 大学時代の知人に災害考古学をやっている研究者が居ますが、彼の話によれば、日本の地震活動は、大半が過去に起きた地震の順番と近似しており、例えば江戸期の慶長三陸沖地震が起きた8年後に熊本地方で城郭などが崩壊する大地震が発生している、東日本大震災と去年の熊本地震とのケースに良く似ている、江戸期の熊本地震の6年後に広島や愛媛エリアで地震が多発し、四国中国大地震と命名されている、その8年後に神奈川で大地震が起きて小田原城下が壊滅している、ということでした。
 これらは予想される南海トラフ巨大地震の想定範囲とピッタリ重なっており、去年の熊本地震から数えて6年前後ぐらいに、おそらく江戸期の四国中国大地震のような地震が予想される、ということです。
 これらの地震、これから予想される地震の全てが、中央構造線断層帯エリア上にありますので、酉年のジンクスが本物であれば、大きな地震が必ず発生する、ということになるでしょう。鳥取中部地震はその前触れかもしれません・・・。
 第一、茨城地方ではまだ東日本大震災の余震が断続的に発生しているわけですから、大洗でもそれなりの備えと覚悟が必要でしょう。


 拝殿内では「朝拝(ちょうはい)」の儀式が行われていました。奥の本殿の戸は開かれ、神棚にはお供えが並べられ、今日一日の平和と安寧を祈する祝詞が詠まれていました。 (続く)

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再びココスのガルパンキャンペーンに行ってきました

2017年01月27日 | ガールズ&パンツァー

 昨日1月26日、岡山県赤磐市のIさんと再びココスのガルパンキャンペーンに行ってきました。二度目は別の店舗で、ということで上図の西大寺店に行きました。


 この店舗でもガルパン幟は店内に貼ってありました。外には一枚も出していないので、外から見ただけでは、ガルパンキャンペーンを実施していることが分かりません。


 メニューは前回とは違うのにして「つつみ焼きハンバーグコンボセット」をいただきましたが、写真を撮り忘れました。景品のクリアファイルは2枚目を貰いました。1枚目とあわせて大洗女子学園の面々が揃いました。私自身はこれでもう充分なので、ミッションは終了としました。


 食後、Iさんの提案で市内のモール店舗内にあるホビーオフに行きました。アニメファンのIさんは、ガルパンの他にも色々なアニメが好きだそうで、特に好きだったのが「けいおん」シリーズだそうです。私も「けいおん」シリーズは見てて結構好きだったので、前回はその話題で盛り上がり、そして今回も同じような流れになりました。それでIさんは中古ミニチュアトイ売場にて「けいおん」のきゅんキャラを二つ買っていました。

「あー、これこれ、欲しかったんですよー」
「その二つは、自分もたぶん持ってる筈・・・」
「えっ?星野さんも、こういうの買って集めてたんですか?」
「うん、あんまりよく覚えとらんのやけど、相当買ってる筈です。それから三回引っ越ししたんで、しまった箱とかどこへやったか分からんようになって、そのあとガルパンに出会ってハマったんで、完全に忘れてましたね・・・」
「星野さんがけいおんのコミックスと公式ガイドを全部持ってる、いうのは前に聞きましたが、フィギュアも持っておられたんですねえ・・・」
「現時点でね、まだ押入れとか探してる途中なんで、全部でどれだけあるか把握出来てないのです・・・」
「確かに「けいおん」のフィギュアはものすごい数がありますよ。100種類は超えてると思うんで。最高峰はアルターのあれですけど、僕らはどっちかというと一番くじの「きゅんキャラ」の方が好きやったんで、くじもガンガン買ってました」
「確か、わりと下位の賞になっとったよな、H賞とかG賞とか」
「そう、そうなんですよね。比較的当たり易かったですもんね。五人いるなかの一人ずつ貰えてね」
「覚えとる限りでは、一番くじ自体が何度も「けいおん」をやってた気がするがな・・・」
「そうです。全部で5回やってました。5周年のやつもあったし・・・。確かローソンのキャンペーンも5回でしたかね、特に5回目がですね、タニタとのコラボやったんで、タニタの歩数計に限定デザインがつくという・・・」
「タニタの歩数計?」
「あ、星野さん御存知じゃなかったですか。協賛企業はガルパンのよりも段違いに多かったんで、レストランやったらデニーズとロッテリアがやってましたし、一番騒がれとったのはやっぱし楽器メーカーやったでしょう。コルグの限定デザインキーボードとか、アンプのあれとか」
「それは知ってるよ。コルグのあれは欲しかった・・・RK-100Sの限定版・・・」
「星野さんも高校生の時にバンドやっとられましたそうですもんね。キーボードやったそうですね。ムギちゃんと同じ、コルグのトリトンですか?」
「いや、ヤマハの61鍵のDX-7でしたね・・・」
「おおおー、名器として名高いやつじゃないですか。ムギちゃんみたいに値切ったんですか?」
「あっははは・・・」

 Iさんは私と違ってガチの「けいおん」ファンですので、私が知らない事や覚えていない事も全て把握している筈です。それで、私の手元にある「けいおん」シリーズのミニフィギュア群を、今度見て鑑定してもらうことになりました。
 私自身、「けいおん」シリーズは、ガルパンに出会う以前のアニメの中では、最も好きでよく見ていたと思います。実はガルパン仲間のナガシマさんが最近に「けいおん」シリーズにハマり出してブログでも触れ始めているので、それをきっかけに自身の記憶が少しずつ甦りつつあり、同時に、ずっと忘れていたコレクションのミニフィギュア群を探し回っている次第です。


 帰りに本屋へ寄ったら、いつのまにかガルパンのコミックスの新刊が出ていたので買いました。「ガールズ&パンツァー 劇場版Variante 1」です。劇場版のコミック化ですが、シーンや台詞などが多少追加されているので、より細かく楽しめます。
 アマゾンでの案内情報はこちら
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プラウダ高校 T34/76(フラッグ車) 完成です!!

2017年01月26日 | ガルパン模型制作記

 塗装を行ないました。白いサーフェイサーを吹き付け、続いてクレオスのミスターカラーの69番グランプリホワイトを吹き付けました。ベルト式履帯は28番の黒鉄色で塗装しました。


 車体左側面の前照灯のガラス部分は、8番のシルバーで塗りました。


 車体前部右側の機銃は、28番の黒鉄色で塗りました。


 4個のディスクタイプ転輪のゴム部分をポスカの黒で塗りました。筆塗りよりも楽なので、ポスカでの塗装はおすすめです。


 塗装した4個のディスクタイプ転輪を車体に取り付けました。


 ベルト式履帯を装着しました。今回のキットのパーツは比較的緩いため、引っ張らなくてもそのまま付けられました。


 いつもお世話になっている、モデルカステンのガルパンデカールセットVol.1です。


 上図中央、015の番号のすぐ上にある二枚が、サイズもピッタリでした。


 デカールを貼り終えました。砲塔左右の二枚のみでした。


 側面観をやや前寄りに見ました。


 斜め後ろから見ました。


 斜め上から見ました。各部の線がクッキリと出ている感じがあります。前作タミヤキットよりも新しい時期の製品であるだけに、パーツの精度が向上しているのが伺えます。


 このキットのベルト式履帯は比較的緩いため、上図のように不自然に浮き上がった状態にもなります。ある程度は転輪に接着するか、もしくはおさえ込んで真っ直ぐに調整するのが良いでしょう。


 前作のタミヤキット(右)と並べて比較してみました。車体や砲塔の形状はほぼ同じで、全体の形姿も共通しています。エンジングリル部分が今回のキットではエッチングパーツであるため、塗装によって区別する必要が無く、あえて黒鉄色に塗った前作とは異なっています。それと、右側面前方のアンテナ基部とが、双方の相違点です。


 前方から見ますと、あまり変わらない印象があります。右の前作タミヤキットの方が線が大まかな感じがありますが、知らない人がパッと見たら、同じキットを二つ使って作ったようにも見えるかもしれません。


 したがって、テレビシリーズのプラウダ高校チームのT34/76の一小隊が、さほどの違和感も無く再現出来たように思います。この調子でT34/85の方ももう一輌を作ってみようかな、と思案中です。


 テレビシリーズの劇中シーンに近い構図にしてみました。複数揃うと迫力が増しますね。


 以上で、プラウダ高校チームのT34/76のフラッグ車が完成しました。製作日数は、2016年12月14日から12月27日までの14日間で、組み立てに約8日、塗装に2日かかりました。フラッグ車にあるべき赤のフラッグがまだですが、これは真鍮線に三角形の赤紙をつければ出来ますので、いずれ作る予定です。
 今回はAFVクラブのキットで作りましたが、ディスクタイプ転輪への交換も含めてガルパン仕様への工作ポイントの大部分は前作タミヤキットと共通です。開発および販売時期が新しいため、パーツの精度や組み上がりの印象が良くなっており、より劇中車に近い形状であるため、前作で施した修正の一部は必要ありませんでした。その意味では作り易い、初心者向けのキットであると思います。

 T34/76については、公式キットが最近にリリースされていますが、そちらはドラゴンの製品が元であり、ガルパン仕様への工作ポイントもあまり変わりません。手摺などのパーツがエッチングになっているので少し難しくなっている程度です。公式キットの製品自体の質は、AFVクラブとあまり差がありませんので、外見のみで仕上げるならば、お好みで選べば良いでしょう。
 ただ、今回のAFVクラブのキットは、フルインテリアキットですので、その気になれば内部も全て作って楽しむ事も可能です。ガルパン戦車の適応キットにおけるフルインテリアキットの割合はごく一部に過ぎませんから、その意味では価値のある製品と言えるでしょう。

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン9の8 「大山の東麓から北裾へ」

2017年01月25日 | 倉吉巡礼記

 鍵掛峠の展望所からは、大山の南壁がこのように望まれます。絶好のビューポイントであり、多くの観光客が必ずここに立ち寄ります。この日は快晴でしたから、雪に彩られた稜線がくっきりと浮かび上がり、より霊山の雰囲気が高まっていました。


 大山南壁を背景にするホシノ。伯耆守はやっぱり伯耆大山の麓に居ると心が安らぎます・・・。 (画像はOさん提供)


 大山南壁を撮影するホシノ。一枚でも撮らずにはいられません。 (画像はOさん提供)


 偶然にも、倉吉の知人Tさんも来ました。以前に大洗へ共に行った方です。突然の再会を喜び合い、Oさんに紹介したのち、再び大山南壁の威容に見入りました。双眼鏡も持参して眺めるTさんでした。 (画像はOさん提供)


 綺麗な山容です。


 とにかく素晴らしい。全然見飽きません。


 その後はTさんも加わって三人で移動しました。大山周遊道路をそのまま進んで大山西麓の枡水原に回りました。枡水原からの眺望は上図の如くで、富士山みたいな表情に変わります。


 枡水原は、一帯が牧場やスキー場などの草原であるため、西側から北側にかけての眺望が抜群で、弓ヶ浜、日本海の海原も望まれます。伯耆大山の西裾の雄大な広がりを見渡せます。


 この日の昼食は、Tさんの案内で枡水高原のレジャー施設「大山まきばみるくの里」でいただきました。


 こんな感じの昼食でした。


 ホシノの選んだメニューです。ハンバーグのホワイトクリーム何とか・・・でした。


 デザートのロールケーキです。


 やっぱり大山は素晴らしいです。山登りが趣味のOさんも、感動がずっと続いていたようで、何度も「登ってみたいです」と話していました。


 その後は、Tさんの案内で赤碕経由で倉吉に戻ることに決まりました。それでは、とTさんが先導になり、大山寺門前から豪円寺スキー場へと回り、大山北壁が見えるポイントへ案内してくれました。


 大山の北麓は、平らな傾斜地が多く、豪円寺スキー場や大山国際スキー場などがあります。日本海が望まれるので景色も良いです。


 大山北壁です。とにかく素晴らしい。豪円寺のろし台展望所へ行けばもっと良い景色が楽しめます。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く28 その6 「夜に飲んで朝に食べます!!」

2017年01月24日 | 大洗巡礼記

 しゅんさいの店先に着きました。この日の夜はここで軽く飲んでみたい気分でした。かつては昼間も営業していたので、昼食をいただく機会も多かったのですが、最近は夜のみの営業となっているようです。


 おなじみの島田愛里寿です。


 この日の酒は、カシスオレンジでした。二杯いただきました。こういうカクテル系が、個人的に好きなんですよ・・・。


 酔ってやる、酔ってやる、酔--ってやるぜ!


 粋なボトルをカラカラにーー


 寄せ書きノートに、カリカリとーー


 肩で風切り、風邪をひくーー (アホかお前は)


 道路に、光ってもいいんだぜーー (だからアホかお前は)


 酔ったおかげで後は熟睡、翌朝の目覚めは爽快でした。


 雲一つない青空が広がっていました。大鳥居の白亜の石肌が朝日に輝いていました。


 朝食のボリュームも相変わらずです。


 いろいろありますね・・・。どう見ても二人前ぐらいありますよ・・・。


 見てるだけで空腹感が無くなっていきそうです。 


 個人的には、この範囲でも充分なのですが・・・。


 お造りもありました。朝っぱらから刺身がいただけるとは、さすが澤梓の宿!


 夕食の時と同じような鍋物までありました。あんこう鍋付きのプランで泊まると、夕食にも朝食にもあんこう鍋がつくらしいとの噂ですが・・・、本当?


 個人的には、アジの干物、これがあれば最高です。これ一つで充分なんです・・・。 (続く)
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ココスのガルパンキャンペーンに行ってきました

2017年01月23日 | ガールズ&パンツァー

 去る1月21日の土曜日、かねてからメール交流のある岡山県赤磐市の読者の方からのお誘いを受けて、岡山市のココスに行ってきました。目当てはもちろん、話題のガルパンキャンペーンでした。
 以前の記事にてココスには縁が薄い、と書きましたが、先方より「兵庫や京都が無理なら岡山に来て下さい」とメールが届きました。まだ会ったことが無い相手でしたので、この機会に対面して共にガルパンを楽しむのも一興、と考えてお誘いを受けました。

 行ったお店は、岡山市北区中仙道の大野辻交差点にあるココス「大野辻店」でした。相手のIさんとは現地で待ち合わせて合流しました。30代後半の方でした。半年前に拙ブログにM4シャーマンの制作に関して色々と質問を頂戴したのがきっかけでメールのやり取りが50回余りに及んだため、初対面のような気がせず、古くからの知己のような感じで打ち解けて自然と話題も盛り上がりました。


 このお店にはケイのパネルが置かれていました。サンダース大付属高校チーム推しのIさんがこのお店をチョイスした理由でもありました。ケイはこういうウェイトレス姿も結構似合いますね・・・。


 店内には上図の幟が各所に貼られてありました。本来なら外に出すべきなのでしょうが、キャンペーン中はずっとこういう形で店内に入れておくそうです。
「たぶん外に出すと汚れるし、色褪せるし、時には盗まれかねないですもんね」とIさん。


 Iさんは、クリアファイル6種を頑張って集めます、と気合を入れていました。
「星野さんも6種コンプを目指すわけですよね?」
「いや、そこまでは・・・。今日の一枚と、次週の一枚で充分ですよ・・・」
「どうしてですか?」
「この二枚があれば、大洗女子学園のメンバーが揃います」
「あっ、なるほど。僕はやっぱしケイが欲しいんです。この不明の3種は、残る対戦校6校の組み合わせですかね」
「そうでしょうね。ケイのサンダースともう一校の組み合わせかな」
「うん、それですよ、楽しみですねえ」


 二人とも同じ「ビーフハンバーグコンボセット」を注文しました。


 まず景品のクリアファイルが最初に配布されました。
「こういうふうに貰うんですねえ。精算時に貰うんかと思いました」としきりに感心するIさん。


 これが「ビーフハンバーグコンボセット」です。ゆっくりいただきながら、ガルパン戦車プラモデルの話題で盛り上がりました。

 Iさんは劇場版を観てファンになり、ガルパン戦車プラモデルも半年前から初めていますが、サンダース大付属高校チームのファンなので、M4シャーマンばかり作っているそうです。テレビシリーズに登場した10輌を揃える予定だそうですが、現時点でまだ3輌しか完成していないと聞きました。アリサ車やナオミ車の作り方が分からずに検索したところ、拙ブログに辿りつき、キットの選定とガルパン仕様のポイントについて質問を送ってきたのが交流の始まりでしたが、その後は拙ブログの制作記事を参考にして作っているそうです。大洗へはまだ行ったことが無いそうで、絶対に行きます、と宣言していました。

「その大洗でですね、サンダースの戦車プラモが展示されてるのは何ヵ所ですかね」
「見てきた限りでは二ヶ所ですね。まず民宿のあんばいや」
「あっ、宿屋さんにあるんですか、じゃあ、そこを宿にして泊まります」
「あとは、桜井食堂だったかな、ねんぷちのケイを乗せたシャーマンがあった筈」
「ええと、桜井食堂・・っと。それ何を食わせるお店ですか?」
「本来は蕎麦屋さんだけど、ガルパンメニューは歴女のカツ丼だね」
「あっ、あのカツ丼ですか。黒森峰との試合前に食べてたあれ。じゃあ食事はそこで食べます」
 こんな調子で、Iさんの初めての大洗行きの計画がたてられていきましたが、日時は未定のままでした・・・。
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン9の7 「伯耆大山の麓へ」

2017年01月22日 | 倉吉巡礼記

 三朝温泉の朝は、差し込む陽光に包まれての爽快な気分で迎えました。前の晩、食後に作っていたM3グラントのプラモデルも、塗装前の組み立てを終えました。いやー、出来上がると、本当に気持ちがいいものです。塗装はさすがに旅先では出来ませんので、帰宅してからやる予定です。 (上画像はOさん提供)


 朝食です。なかなか良い品揃えです。談笑しつつ、美味しくいただきました。


 メインの湯豆腐がなかなかでした。三朝温泉の飲泉用の湯が使われているため、味が柔らかくて豆腐自体にまろやかさが加わっていました。食べた後にホカホカしてきたのも、ラドンの効果でしょうか。


 朝の温泉街の景色です。この日は素晴らしい快晴でした。


 宿を出発する際に、駐車場の前で一枚撮りました。


 観光案内所の駐車場に車を入れ、Oさんに朝の三朝橋界隈を楽しんでもらいました。


 三徳川です。街区から下流にいくと名前が変わって三朝川になります。


 河原の露天風呂です。こういう朝の時間帯には入ったことがありませんが、夏の夜には何度か入りに行った記憶があります。


 この日は、山が大好きなOさんを伯耆大山に案内しました。倉吉から関金、犬挟峠を経て岡山県の蒜山高原に回り、大山へは南から近づくルートで行くことにしました。米子自動車道蒜山インターの近くの上福田の三叉路にコンビニがあり、それが周辺一帯では唯一のコンビニであるため、そこで小休止しました。
 その際に、地図でルートを再確認するホシノ。大山へ近づくルートは全部で六ヶ所あり、大体は大山環状道路を通るのですが、やや迂回気味できついカーブの連続であるため、それよりは下蚊屋か美用から真っ直ぐ上がっていく方が楽だろうと判断しました。そこで、上福田より蒜山高原のススキ原をくるっと回った後、国道482号線で下蚊屋まで行くことにしました。 (上画像はOさん提供)


 下蚊屋からのルートを選んだのは、近くの御机ルートと同じく、大山の南壁が割合に良く望まれるからです。特に下蚊屋バイパスの新道部分は景観がよく開けており、道幅もゆったりして脇のスペースも広いため、一度停めて写真を撮りました。 (上画像はOさん提供)

 ですが、観光客の中には、周りの交通状況に配慮することなく勝手に車を道路上に停めて撮影に興じる危険な人々も居ました。カーブの中でそういう車が停まっていると思わぬ事故に繋がる危険が大きいです。
 私は、毎度のことなので注意して走り、そういった気配の車を見たら徐行するか追い越すかして避けていましたが、交通ルールの乱れに我慢がならないOさんは、不快の色を眉間ににじませて色々と不満を述べていました。


 この時ホシノが撮った画像です。


 私にとっては、伯耆大山が「心の御山」です。いつみても飽きません。高い山が少ない西日本においては、東の富士山と並び称せられる高峰です。


 下蚊屋バイパスのループ橋からいったん下蚊屋地区の交差点に降りた後、そこから広域農道をまっすぐに駆けあがって大山高原の上に進みました。このルートは初めて走ったショートカットコースですが、結果的にはアタリでした。上図のような感じで、左前方に大山南壁がずっと見えて楽しいものでした。Oさんは、北海道を走ってるみたいな感じですねー、とか話していました。


 伯耆守を名乗るだけあって、伯耆大山に行けばテンションが上がりまくりのホシノ。記念に一枚撮っていただきました。


 大山環状道路に合流し、ブナ林の中に見え隠れする南壁を見つつカーブの連続を進み、やがて鍵掛峠に着きました。大山南壁を望む一番の展望所です。けっこう観光客が来ていて、駐車スペースは満杯でしたが、程なくして一台分が空いたので、そこへ滑り込みました。 (上画像はOさん提供) (続く)
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く28 その5 「夕食と夜の散歩です!!」

2017年01月21日 | 大洗巡礼記

 夕食の時間になりましたので、一階の食堂に行きました。階段を下りてゆく途中の窓にはウサギさんチームのデザインのカーテンが張られてありました。この宿に飾られるために作られたような商品ですが、これを自室に入れて使っているファンは居るのでしょうか・・・。


 食堂です。なにか懐かしいです。宿泊客は、他に四組ほどが居たようですが、素泊まりや朝食のみの方もいたようで、夕食にのぞんだのは私の他に一組だけでした。しまむらのガルパン衣料に身を包んだ夫婦でした。


 今回の夕食も二人分に近い量でしたが、以前のようなボリュームではありませんでした。一品か二品ほど減っているように思いました。この日は、朝食抜きで昼もカジマの惣菜弁当のみでしたから、普段よりも空腹状態になっていました。これなら普通に平らげるな、と思いました。


 焼き魚です。


 煮物です。


 色々盛り合わせです。普通は、これぐらいで充分ですが・・・。


 さらにお造りも追加されました。普通はこれ一つで充分なんですよ・・・。


 汁物です。これまた色々入ってますので、普通は・・・。


 土鍋の品、その一。お肉がタップリです。


 土鍋の品、その二。これ一つでいいんじゃないですかね・・・。


 とりあえず、普通に平らげて、横の壁中の酒瓶の列を見上げました。みんな大洗の酒だな、と見ているうちに、今晩は後でちょっと飲みに行ってみようかな、と思いつきました。腹ごなしに歩いてみたい気もしたからです。


 一時間ほど部屋で過ごして休んだ後、着替えて暗闇の中に進んで、磯前神社の鳥居をくぐりました。


 さかげんはまだ営業中でした。


 ところがウスヤは閉まっていました。いつもは夜もやっていると聞きましたが、今日みたいに巡礼者の少ない日は早く閉じてしまうのでしょう。 (続く)

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プラウダ高校 T34/76(フラッグ車) 作ります!! その6

2017年01月20日 | ガルパン模型制作記

 ステップ27では、砲塔を組み立てて砲身も取り付けます。キットの砲身パーツUは金属製ですが、劇中車の砲身とは先端の形状が異なる上にやや長いため、使用せずにタミヤの149番キットのD14およびD15に変更します。またE17の上面にある二条のリブを削り取ってフラットに仕上げ、砲塔側面中央下部の段差もカットします。


 前作のタミヤキットにおいてガルパン仕様への修正ポイントを3つ確認しました。1はパーツE17の上面にある二条のリブの除去、2は砲塔側面中央下部の段差のカット、です。そして3は次のステップ28にて取り付ける手摺の位置の変更です。


 砲塔本体に天板を組み付けました。


 キットの砲身のパーツUはやや長く、先端に段差がありますが、金属部品なので修正のしようがありません。そこで前作のタミヤキットとの共通性を持たせるために、タミヤの149番キットのD14およびD15と交換しました。上図の黒っぽいパーツが149番キットのD14およびD15です。


 パーツE17の上面には、二条のリブがモールドされていますが、劇中車には無くてフラットになっています。


 リブを削り取りました。


 全ての取り付けが終わりました。


 ステップ28では、砲塔内部の各パーツを取り付けますが、今回の制作では全てが不要となります。基部のE1にモールドされる溶接痕は劇中車に無いのでカットし、手摺のE10およびE12を、位置をやや上に修正して取り付けます。
 ラストのステップ29では、手摺のE10のみ取り付けます。


 砲塔基部のパーツE1には、複数の溶接痕がモールドされています。ガルパンのT34/85には同様の溶接痕が見えますが、T34/76の方では識別のためか省略されていますので、モールドは削り取ります。


 溶接痕のモールドを削り取ったうえで、パーツを接着しました。その後、砲塔側面中央下部の段差も削り取っておきました。


 砲塔後部側面と背面につける手摺は、劇中車ではやや上寄りにつくので、キットパーツの取り付け穴はいったんパテで埋めました。


 手摺E10およびE12の取り付け位置は、約2ミリ上になります。


 手摺E10およびE12の全部を取り付けました。


 塗装前の組み立ての最終作業として、車体色と同じカラーになる転輪および起動輪を取り付けました。ゴム付きディスク型転輪および誘導輪は、塗装後に取り付ける予定です。


 砲塔を仮組みしました。ほぼ前作タミヤキットに近い仕上がりとなりました。これで塗装前の全ての組み立て工程が完了しました。 (続く)

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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン9の6 「三朝温泉にて」

2017年01月19日 | 倉吉巡礼記

 三朝温泉は、現在は三徳川をはさんで南北に街区が形成されています。昔ながらの温泉街は南側にあり、元湯を囲む広場の周辺に温泉旅館や関連施設が並び、細い路地にて結ばれています。その街区が満杯になって川の北側にも広がり、大型の宿泊施設やホテルなどが林立しています。
 江戸期には鳥取藩の湯治場としても栄え、三仏寺参詣の宿場町としての機能も果たしたため、南側の旧街区は近世までの町並みの風情が各所に残されています。
 上図は、元湯の広場を撮影するホシノ。 (画像はOさん提供)


 元湯の広場の一角には、温泉の護持仏として祀られてきた薬師を安置する小堂があります。この建物が、三朝温泉街の長い歴史を端的に示してくれます。


 堂内に安置される薬師三尊像です。左右の脇侍像は江戸期の追加なので、もとは薬師如来像が独尊として祀られてきた可能性があります。現状では左腕部および両膝部を欠いており、相当の衰微退転の流れを経てきたものと推察されます。
 ですが、仏像の中心部分である頭体の根幹部がほぼ原状をとどめており、それによって制作年代および造立背景もある程度おさえられます。


 20年前、鳥取市に住んで歴史研究団体「因伯古代寺院研究会」に参加していた時期、鹿野町の会員の方に「三朝温泉の薬師仏の年代を教えて欲しい」と言われ、案内してもらったのが、この像との出会いでした。
 当時は薬師堂も仮の粗末な建物で、庇が傾きかけて内部は仏像の他に色々なガラクタが押し込まれて物置のような状態でした。その際に、この薬師像を見て、すぐに藤原時代の造立、材は檜、11世紀末期頃の寄木造の遺品である、と鑑定しました。
 当時はまだ像表面に顔料の丹および下地の胡粉が僅かに残っていて、左頬には金箔の下地の漆がかすかに見えました。それで天台宗特有の朱衣金身の薬師像である可能性が強く推定されました。伯耆国は、平安時代には既に伯耆大山の天台宗大山寺、三徳山の天台宗三仏寺などの古刹を配置して天台宗の勢力圏でありましたから、三仏寺麓の温泉として古くに開かれた三朝温泉も、天台宗が管理していた時期があったと考えられます。

 そして、薬師というほとけは、名の通り医学、医術全般をつかさどる仏ですので、湯治も医療の一種、温泉水を薬の一種とみなしていた仏教においては、温泉の化身または護持仏として祀られることが多く、似たような効験を有する地蔵菩薩とともに、温泉地の二大尊像と呼ばれてきた歴史があります。
 三朝温泉の場合は、その護持仏の遺品が平安時代中期の藤原時代の作であるので、既にその頃には温泉街が形成されていて、その宗教的中心として薬師像が造立され、元湯の信仰拠点を担っていた状況が伺えます。

 つまり、三朝温泉が平安時代以来の古湯であることは、この仏像遺品の存在によっても明らかであるわけです。一般的な伝承では1163年に発見されたといい、それをふまえて開湯850年などと祝っていたりしましたが、三仏寺の整備年代とも考えあわせると、実際の開湯時期はもう少し遡るのではないかと思います。
 その場合、薬師堂薬師仏の推定年代が11世紀末でありますから、11世紀代に三朝温泉の開湯がなされた可能性も否定出来ません。
 ともあれ、私にとっては懐かしい仏像です。20年前の、学問研究に情熱をかけて各地を探訪していた自分に戻ったような気分になりました。


 三朝温泉の元湯のひとつで、「薬師の湯」と呼ばれる湧出地です。一般的には街区の東寄りにある「株湯」を三朝温泉の起源とみなして元湯と称していますが、湯の湧出地が異なるだけで水脈および泉源は同じですので、「薬師の湯」も、河原露天湯も「たまわりの湯」もみな元湯と呼んでさしつかえありません。


 ここでは足湯が楽しめるようになっています。三朝温泉に三ヵ所ずつある共同浴場、足湯、飲泉所のうちの一つです。


 熱い湯がこんこんと湧き出ていました。


 温泉街の射的場です。昔懐かしい昭和の遊技場のスタイルが残されています。観光客には外国人も少なく無く、射的に興じていた数人のグループをOさんが「中国人かな」と言っていました。Oさんは中国語を理解するそうですが、私はほとんどダメです。


 黄昏の三朝橋を河原から見上げました。


 三朝橋の脇にある共同浴場の一つ、「たまわりの湯」です。20年前によく行っていた頃は「菩薩の湯」と称していましたが・・・。


 かつては「菩薩の湯」の売店として大山ミルクや蒜山アイスを売っていた施設が、いまはNPOの事務所と観光土産店とに分かれていました。


 三朝温泉観光案内書のイルミネーションは「元気です」となっていました。地震があったけど大したこと無いよ、みんな無事で元気だよ、というメッセージの積りでしょうが、しかし余震は続いていました。


 何だ、このミササラドンという、Oさんみたいな怪獣は・・・。三朝温泉のラドンが元ネタですな。


 旅館に戻って、夕食をいただきました。


 鳥取の冬の味覚の代表格、松葉カニです。ズワイガニの成長した雄のことです。


 伯耆牛肉です。鳥取県は古来より牛の生産地として知られ、江戸期には鳥取藩が牛の購入資金を貸し付ける「牛銀制度」を設けて牛の飼育を奨励していました。現在は放牧地が岡山県側の蒜山エリアにも広がっていますが、大山西麓の牧場の生産品とあわせてひっくるめて伯耆牛と呼ばれます。


 打吹蕎麦です。鳥取県の蕎麦は、古くは大山麓の大山蕎麦が有名でしたが、江戸期に鳥取藩国家老荒尾志摩家が蕎麦職人を大山より招いて倉吉に置いたのが始まりとされています。十割蕎麦の特徴を生かした風味がウリです。


 「モサ海老」です。 鳥取県特産の黒雑魚海老の通称です。甘海老に近いですが食感や旨味は格上です。日本海では定番的な寿司ネタの一つでもあります。牛骨ラーメンと同じく、関東ではまずお目にかかれない食べ物です。 (続く)

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く28 その4 「久し振りの澤梓の宿です!!」

2017年01月18日 | 大洗巡礼記

 今回の宿は、澤梓の居るいそやでした。前回の宿泊が2014年5月でしたので、二年半ぶりの利用となりました。


 無料休憩所のガルパンコーナーにも、久し振りに入りました。


 しばらく見ない間に、色々とイベント関連の品が増えていました。


 最近には、新たな宿泊特典品の一つとして上図のタペストリーが加わったようです。宿の建物を背景にするエプロン姿の澤梓です。ファンならば泣いて喜ぶことでしょう。


 幕末明治の博物館からのガルパンスポット案内がありました。劇場版でアリクイさんチームが筋トレをやっていた場所が、幕末明治の博物館の敷地内にあるキャンプ場であるようです。これは初めて知りました。


 今回の部屋は、「まこ」の部屋でした。「まこ」とはマコガレイの事です。冷泉麻子のことではありません。念のため。


 一人で泊まるには広すぎる部屋でした。四、五人で泊まってもまだ余裕があります。


 窓からは、このように大洗磯前神社の大鳥居が見えます。


 今回の宿泊特典の品々です。ポストカード、クリアファイル、缶バッジの3品でした。他にもタペストリーなどの組み合わせが料金に応じて設定されていましたが、今回は一番安価なプランを選びました。


 部屋の鉤には、部屋名の「まこ」が書かれますが、これをネタにして冷泉麻子のカラコレが付けてありました。こういう遊び心がファンの心理をくすぐるわけですね。


 施設内の廊下にも色々な展示品が並びます。上図はそのうちの一つで、図柄からしてアンツィオ戦OVA公開時のポスターの一種であるようです。私自身はこれは初めて見たと思います。


 施設内から無料休憩所に入って、再びガルパンコーナーを見物しました。ブーム初期からの巡礼者には懐かしい、最初のパネルも健在です。


 ガルパン衣料の数々には、最近にしまむらが販売している品も加わっているようです。しまむらのガルパン衣料については全く情報を知らず、倉吉の知人Tさんに教えられて知りました。倉吉のしまむらで販売していたとのことですが、私の近所のしまむらでも販売しているかどうかは、未だに確かめていません。と言うより、しまむらというお店に私は一度も入ったことがありません。


 展示品の一つ、M3中戦車リーのプラモデル完成品です。若主人の話によれば、最近に玄関に置いてあったものだそうです。そんな寄贈の仕方もあるものですね・・・。
 これは、タミヤのキットをそのままストレート組みしているようです。テレビ版仕様にも劇場版仕様にもなっていませんが、これのガルパン仕様が数ある戦車のなかでもかなり難しい方に属するからでしょう。私自身はテレビ版仕様で作りましたが、劇場版仕様の方はまだ作っていないので、近いうちに取り組むことにします。


 宇津木優季のフィギュアです。パネルは黒澤米穀店にありますが、フィギュアがこちらにあるということは、共に展示されている澤梓、大野あやと共に、いずれウサギさんチームの6人構成としての成立が予定されているということでしょう。
 ウサギさんチームの6人のうち、大洗にて見かけるオリジナルフィギュアの完成品は5人だったかと思います。お好み焼き道に、山郷あゆみと阪口桂利奈があった筈です。なので、丸山紗希だけをまだ見たことがありません。大勘荘にもまだ置いていないんじゃないかな・・・。 (続く)
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プラウダ高校 T34/76(フラッグ車) 作ります!! その5

2017年01月17日 | ガルパン模型制作記

 ステップ24では、砲尾部分を組み立てます。完成すれば見えなくなる部分ですが、C29とD11を不要としたのみで、あとはガイドの指示通りに組み立てます。


 順番にパーツ類を切り出しました。


 指示通りに組み付けてゆきした。


 フルインテリアキットなので、パーツの数も多いし、細部までよく表現されています。


 組み立てが終わりました。


 ステップ25では、砲塔を組み立てます。砲塔本体パーツの左右側面にモールドされる覗き窓は劇中車では省略されていますので削り取ります。内部のパーツD10、D24、D34、H5は不要です。
 ステップ26では、砲塔天板の各パーツを取り付けますが、ガイドのE6はE15の誤記です。ガルパン仕様では4つのD12の向きに注意し、後方の2つのD12の取り付け位置を前に修正します。D17、D18、D39は不要です。


 主なパーツを切り出して並べました。この段階からガルパン仕様への修正も並行して進めます。


 前作のタミヤキットにて、2つの修正ポイントを確認しました。1は砲塔側面の覗き窓の除去、2は後ろの2つの吊り下げフックの位置修正です。


 キットの砲塔本体パーツF4の左右側面には、上図の様に細長い覗き窓がモールドされています。これは劇中車では省略されていて有りません。


 覗き窓のモールドを削り取りました。


 砲尾部分をガイド指示通りに組み付けました。もちろん未接着のため俯仰が可能です。


 砲塔天板の各パーツを準備しました。


 後方の2つのD12の取り付け位置を上図のように劇中車に合わせて前に修正した他、4つのD12の向きも合わせました。後のパーツはガイドの指示通りに取り付けました。
 このキットのパーツでは、タミヤキットでは再現されていなかった、砲塔上の左右ハッチの間の別板もきちんとモールドされています。両端を留める3個のリベットも再現されています。全体の輪郭や形状なども大変に近似性が高いので、テレビシリーズ版劇中車のモデルはこのAFVクラブのキットではないだろうか、と改めて考えてしまいました。 (続く)

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