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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く6 その16 「山上門と反射炉跡です!!」

2014年07月07日 | 大洗巡礼記

 那珂湊駅に戻りました。雨は既に小降り状態になっていたので、那珂湊エリアの散策に行くなら今だ、と思いました。


 約30分の乗車でしたが、なかなかに味わいのあるキハ222でした。戻ったキハ222と同時刻にキハ3710が3番線ホームに到着していました。この形で一両ずつを往路と復路に走らせてローテーションを組んでいるようです。


 那珂湊駅を出発し、小雨の中を10分ほど歩いて「山上門」に行きました。かつての水戸藩江戸小石川邸の門だった建物で、那珂湊エリアに残る水戸藩関連の建築遺構としては唯一のものです。


 水戸藩江戸小石川邸の正門の右側の門でこの構えです。正門はもっと立派であったかと想像されますが、こちらは勅使奉迎のために設けられた薬医門であり、格式の上では正門と同等であったと思われます。


 江戸期の門建築にしては移築が一度にとどまったため、大規模な改変や修理をあまり受けていないらしく、柱や扉などの主要部材はそのまま保たれているように見えました。


 天井には板を張ってありますが、門建築でこのように天井を張るのはあまり見聞きしたことがありません。朝廷関連の建物が天井を張って屋根裏部分を見えないようにするのが多かったことを考えると、この状態も勅使奉迎のための門であったことを示しているのでしょうか。


 脇戸も、この種の門にしては間口の寸法を大きめに採ってあるようです。勅使は門を通りますが、従者や衛士は脇戸から入るケースもあったようです。武家でも家来や従者は通常は脇戸から出入りしていたと聞きます。


 「山上門」のある一帯は史跡公園として整備されていますが、一角には古びた観音堂もあるので、もとは寺か神社の境内地であったのかもしれません。


 「山上門」をくぐって散策路の階段を登って行くと、レンガ焼成窯の復元模型の横に出ました。


 復元模型といっても、ほぼ実物大に近いようなので、歴史的な状況を知るのには最適でした。水戸藩がこの地に反射炉を建設する際に、その建材となるレンガを焼いた窯がここにあったということです。


 続いて丘上の広場には、茨城県の史跡となっている那珂湊反射炉跡があります。水戸藩が海防対策の一つとして砲台を築き、そこに据える大砲を鋳造するための反射炉をここに設けたということです。


 これが現在の反射炉の姿です。当時の反射炉は失われましたので、昭和12年に現在の実物大模型が作られました。模型だとは知らなかったので、初めて見た瞬間に、よくこんなのが現存してるなあ、と感心してしまいましたよ・・・。


 これが反射炉にて鋳造された大砲です。これもレプリカなのかな、と思っていましたが、それらしき表示が見当たりませんでしたので、本物の遺品かもしれません。


 散策路は一周して「山上門」に戻るので、この門が一帯の史跡公園の門として再利用されているのだと分かりました。反射炉もレンガ焼成窯も水戸藩関係の遺跡であるので、同じ水戸藩の遺構である「山上門」がここに落ち着いたのは自然な成り行きだったかもしれません。 (続く)

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