気分はガルパン、時々けいおん!

最近は「パンツァー・リート」と共に「ごはんはおかず」が心に響いております。 (大笑)

ガルパン・ファンブック 月刊戦車道 別冊2冊

2017年06月29日 | ガールズ&パンツァー

 バンダイビジュアルより、2014年2月から12月までに計6冊が刊行された「月刊戦車道 増刊号」、2015年11月と2016年5月に計2冊が刊行された「月刊戦車道 特別号」に続く新刊として、上掲の「月刊戦車道 別冊」が計2冊刊行される予定です。

 そのうちの1冊は「ガルパン入門」で、劇場版公開以降の新規ファン向けの入門解説本とされています。発売日は2017年9月27日です。価格は3000円。既に2017年6月23日より予約受付が始まっており、期間は2017年8月21日までです。詳細はこちら
 もう一冊は「ガルパンマニアックス」で、これはブーム初期以来のファンに向けた「マニアック本」であるそうです。価格は2000円。発売日は2017年11月24日です。既に2017年6月23日より予約受付が始まっており、期間は2017年10月17日までです。詳細はこちら

 これまでのシリーズと異なって、内容が「新規ファン向け」と「熟練ファン向け」とに分かれているようで、ファンはいずれかを買えば良いことになります。が、熱心なファンは両方揃えたくなるでしょうから、2冊とも予約購入される方が大半なんだろうな、と予想されます。

 私は・・・、とりあえず後発の「ガルパンマニアックス」で充分・・・かな?
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けいおん!の聖地をゆく9 その2 金閣寺へ

2017年06月28日 | 洛中洛外軽音記

 今宮神社境内の一角には、おみくじを結びつける為のしめ縄が張られています。本来は疫病神の祭祀拠点にはじまって無病息災や健康長寿の神として信仰された歴史をもつ神社ですが、現在はどちらかというと縁結びの神様として有名になっています。

 その由来は、江戸期に氏子の西陣の八百屋に「お玉」と呼ばれる娘がいて、後に徳川3代将軍家光の側室となり、後の5代将軍綱吉の生母となって桂昌院を名乗り、官位は従一位に達しました。これが「玉の輿」の語の起源となったわけですが、桂昌院自身が故郷の氏神である今宮神社への崇敬が大変に篤く、江戸期までの復興整備事業寄進もたびたび行っています。


 そのエピソードにあやかってか、劇中でも山中さわ子先生がお札を結びつけていますが、幸せそうなカップルを横から睨み付けては、悔しさをにじませて立ち去ります。

 その場所は、どうも実際の境内の風景と異なるようです。境内を一巡して探しましたが、おみくじを結びつける為のしめ縄は本殿前の右手に一ヶ所あるだけでした。


 桂昌院の信仰と寄進によって神殿群の景観がととのった今宮神社ですが、残念なことに明治29年(1896)に本社殿を火災で失いました。現在の建築群は六年後の明治35年(1902)に再建されたものです。


 境内からみた楼門です。江戸期までは神仏混交の形態にあって神宮寺も併設、仏教関連の資料もあったようですが、廃仏毀釈と明治29年の火災で殆ど失われました。平安時代の石仏遺品が唯一の関連ですが、現存最古の在銘像ですので、研究者の間では広く知られています。


 江戸期の町並みの風情を伝える、東門前の商店街です。神社名物の「あぶり餅」をひとつ体験してみようと考えたのですが、まだ朝のうちでどのお店も開いていませんでした。


 そこで、今宮神社の見学を完了として、境内地を出ました。


 楼門前から南に続く旧参道の今宮門前通を進み、朱塗りの鳥居をくぐりました。その東側には大徳寺塔頭群の広大な敷地が並び、西側には紫野高校などがあります。列をなして登校する生徒たちは、みな私服でした。


 北大路通に出てすぐの船岡山バス停より205系統に乗り、金閣寺道バス停で降りました。鞍馬口通の金閣寺交差点の辻に、上図の標識が立っています。


 これがそのまま劇中にも登場しています。


 金閣寺、正式には鹿苑寺の境内に進みました。庭園エリアから背後の大北山原生林に広大な敷地をしめ、京都では最大級の広さを誇る境内地です。


 参道横に広がる苔庭がいい雰囲気です。木立の間から香り高いそよ風が吹き抜けてきました。心が安らぎました。京都には、こういう神社仏閣が沢山ありますので、どこへ行っても落ち着きますね・・・。


 しかし、そのまったり気分は、総門前で待機する数校の修学旅行団体の長い行列および大勢の外国人観光客の波を見て無残に打ち砕かれました。
 しまった、そういえばリアルでも修学旅行シーズンのピーク期だったんだ、と頭を抱えました。自身の迂闊さを思いっきりののしりました。けいおん劇中のシーンに合わせた時期を選び、参拝時間開始の9時前に到着すべくやってきたのですが、この大混雑は想定外でした。

 考えてみれば、金閣寺は京都観光の人気ナンバーワンです。狭い拝観散策路に大勢の観光客がおしかけて大渋滞が慢性的に続くことで知られていますが、最近のインバウンド効果で外国人観光客が増加したため、混雑の度合いがさらに酷くなっています。
 それで、拝観散策路を広げるとか、コースを回りやすいように改変するとかの対策が必要である筈ですが、一帯は国の史跡および特別名勝に指定されているうえに、世界遺産にも登録されていますので、現状維持が絶対条件になっています。散策路そのものが鹿苑寺庭園の保全を考慮した必要最低限のコースで設けられているため、余裕が全くありません。

 こうなると、あとは入場制限を設けるより他にありませんが、そんなことをすれば門前の行列や混雑がさらに酷くなって観光駐車場もパンクしてしまうので、どうにもならなくなっているみたいです。国際観光地としての総合的な再整備を計画的に行う必要がありますね。 (続く)
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けいおん!の聖地をゆく9 その1 今宮神社

2017年06月27日 | 洛中洛外軽音記

 2017年5月18日、数えて九回目の「けいおん!」巡礼を楽しみました。対象範囲は紫野、北山、北野としました。1期第7話「クリスマス!」の舞台である今宮神社、1期番外編(第14話)「ライブハウス!」に登場する船岡山、2期第4話「修学旅行!」に出てくる金閣寺と北野天満宮などがこのエリアに集まっているため、これらを半日で回ってみることにしました。

 朝7時半前に西大路の下宿を出発、近くのバス停から京都市バス202系統に乗り、千本丸太町バス停で降りて46系統上賀茂行きに乗り換え、今宮神社前バス停で降りました。時刻は8時13分でした。


 今宮神社の正門にあたる、朱塗りの楼門です。このような仏教系の建築を門に据える神社は、殆どが神仏習合期において仏教的色彩が濃かったのですが、この今宮神社も例外ではありません。平安時代の線刻四面石仏を伝えており、国の重要文化財に指定されています。


 楼門をくぐる際に、境内からの風が吹き抜けてきて、若葉の香りが鼻腔をくすぐりました。空には雲一つなく、爽やかな気分につつまれました。社寺参詣は早朝がベスト、といわれるのは正しいですね。


 拝殿は、神楽殿を兼ねており、例祭の舞楽奉納の舞台としても機能します。私はこの今宮神社にはあまり縁が無く、参拝も今回で二度目で、祭事の見物にすら行ったことがありません。なので、この神社の祭事の舞楽がどういうものかも知りません。

 俗に「京都の三大奇祭」というのがあり、 鞍馬寺の鞍馬の火祭、広隆寺の太秦の牛祭、今宮神社の夜須礼(やすらい}祭が相当します。私は学生時代から鞍馬寺の鞍馬の火祭と広隆寺の太秦の牛祭には何度か行っているのですが、どういうわけか今宮神社の夜須礼祭には行く機会を得ないままです。国の重要無形民俗文化財に指定される有名な祭礼ですので、これをまだ見ていないというのは京都の歴史文化に関心を持ち学んできた身としては迂闊、と言わざるを得ません。


 本社の幣門です。唐破風屋根に最も高い格式が示されます。既に鎌倉時代の弘安七年(1284)に神階は正一位に達しています。本来は疫神として崇められた歴史を持ちますが、疫神は仏教化して護法神としての性格を帯びたため、中世期には戦闘神の一種として武家の信仰を集めたようです。

 応仁文明の乱の際に西軍の総帥となった、山名右衛門督持豊(山名宗全)は、西陣に戦旗を掲げつつも、味方が近くの船岡山に城を築いて立て籠もる作戦に最初は反対したそうです。船岡山が今宮神社の結界の一角を占め、疫病を鎮めるための御霊会の場となった経緯があるため、今宮の疫神のたたりを恐れた、というのが反対の理由だったとされています。それどころか、今宮神社方面への発向も禁じたそうです。
 ところが、一族の備前守護職の山名相模守教之が船岡山方面での緒戦にて東軍と激突、船岡山城を圧迫されて軍勢の一部が今宮社に退却したため、これを追う東軍の展開を受けて神社も戦場となってしまい、本殿以下の主要施設が被害を受けてしまいました。これを知った山名右衛門督持豊は激怒し、また祟りに恐れおののいたそうです。
 山名宗全ほどの大物が恐れたぐらいですから、当時の今宮神社の神威というのは、相当なものだったのでしょう。正一位の神階は、それなりの宗教的威力および信仰の深さを反映しているわけです。


 さて、その今宮神社ですが、上図のようなアングルで1期第7話「クリスマス!」の初詣の場面に登場します。


 このシーンですが、細部があまり似ていません。現地で取材ロケをせずに、写真または資料図版からの引用で済ませたような形跡すら感じられます。


 似ているのは屋根の形ぐらいなものです。劇中では白壁になっている部分が、実際の建築では透塀となっており、重厚な造りの連子窓を連ねた形で本殿の結界を区画しています。


 唐破風の幣門を東横から見ました。


 ほぼ同じアングルでのシーンです。透塀の部分が対面所もしくは受付のような造りに変わっています。どうみてもかなりのアレンジがなされているようで、神社の建物が忠実に描写されていません。


 なので、HTTのメンバーが参拝の際に鳴らした本坪鈴も、実際の唐破風幣門のそれとは異なるようです。


 しかし、本社の西側に鎮座して同じ透塀に囲まれる疫神社の幣門のそれが、劇中のによく似ています。ひょっとして、こちらがモデルになったのかもしれませんね・・・。 (続く)
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プラウダ高校チームのBM-13「カチューシャ」は戦後型

2017年06月26日 | ガールズ&パンツァー
 2017年5月17日の八度目の「けいおん!」巡礼の後、京都四条にて模型サークルの先輩N氏と出会い、そのまま近くの模型店「B's Hobby京都店」へ同道しましたが、その際にガルパン車輌プラモデルに関する重大な御教示にあずかりました。

 事の次第はこうです。まずN氏が「九四式六輪自動貨車」に関して尋ねてきました。随分前に、そのキットをガルパン車輌向けに、と譲って下さった方です(関連記事はこちら)から、その後のキットの消息を気にしておられたようです。

「実は、まだ作ってないんです。済みません・・・」
「別に謝らんでもええよ。大事に持っとけば、それでええ。あのキットも絶版に近くなったんでな」
「えっ、そうなんですか」
「元々マイナーなやつなんで、ファインモールドの出荷数も少なかったし。再生産は当分ねえかもしれんしな。ガルパンに出たことで多少名前が知られるようになったみたいで、どこでも売れてしまって無くなっとるんよ」
 そのことにどこか満足げなN氏でした。トラックマニアだけに、トラックのキットが売れてゆくのが嬉しくてならないのでしょう。

 店内の商品の列を丹念に見ながら、次に聞いてきたのは、プラウダ高校チームのBM-13「カチューシャ」は作ったのか、という内容でした。
「まだ作っていませんが、キットは確保してありますんで、いずれ作ります」
「それはええ。キットって、どこのやつなん?」
 同じ商品がたまたま隣の棚にあったので、指さして教えました。


 上図のズベズダの品でした。ズベズダが販売していますが、キット自体はイタレリの製品です。詳細はこちら

 それを見たN氏は、どういうわけか「うーん」と考え込みました。
「これ、ちょっとアレやね。ガルパンの車輌と違うね」
「えっ?・・・これ買ったの間違いやったのですか?」
「半分は、間違いやな・・・」
「マジですか・・・!」


 同じ棚にはソ連軍車両のキットが集まっていたので、上図のキットもありました。詳細はこちら
「これは・・、このホビーボスのキットは・・・」
「それも半分違う。ズベズダと一緒の車輌やからな・・・」


 私は続けて上図のキットを示しました。ICMのキットです。詳細はこちら
 しかし、N氏は苦笑しつつ「それも違う。車輌が米軍のスチュードベーカーになっとる」と言いました。
「つまりやな、ガルパンのやつは、トラックの車種がここに並んでるキットのやつとは全然違うのよ。ここに並んでるキットのやつは全部、戦後に造られたトラックなんよ」
「トラックが・・・、違うのですか?」
「そう」
「するとあれですか、戦車道の規則にいう1945年までの車輌でないってことですか」


 その際にN氏は上図の品を指しました。アークモデルズの製品です。詳細はこちら
「1945年までの車輌、ってことであれば、こういうやつがバッチリや。トラックはZis-6で戦前戦中の量産型やからな。やけど、ガルパンのBM-13のトラックとは違うやろ?」

 その問いかけに、私もようやく意味がのみこめてきました。どうやらBM-13「カチューシャ」というのは、時期によって異なるトラックを使用していたようで、ガルパンの劇中車は私が買ったズベズダのキットを含めた前述の製品群とは異なる、ということのようでした。
「つまりは、トラックの部分がガルパン独自のやつ、ということですか?」
「独自、ってわけでもねえ。実際にソ連軍では沢山運用してるし、そのタイプのBM-13もあるんや。要するにガルパンのやつは、トラックがZil-157になってるのよ・・・」
「Zil-157・・・ですか?」
「うん、Zil-157はソ連の戦後のカーゴトラック型の二代目や。改良版がZil-157Kなんやが、ガルパンのはどっちか分からんな」
「外見上は同じなんですか?」
「うん、エンジンの一部とトランスミッションを改良しただけやから、車体そのものは同じや」

 ミリタリートラックに関しては、彼の右に出る者はいない、とサークル内でも一目置かれているN氏の説明によれば、BM-13「カチューシャ」はトラック部分が時期によって四種類ぐらいあるそうです。戦前戦中はZis-6、戦後からはZis-151、Zil-157、スチュードベーカーが運用されたということです。そしてガルパンの劇中車は、Zil-157を使用しており、その適応キットは現時点では存在しないそうです。
 ちなみに私が確保していたズベズダのキットは、トラック部分がZis-151であるそうです。確かに「半分は間違い」であるわけです。

「いまのお話だと、ガルパンのBM-13を完全再現出来る適応キットが無いわけですから、あとは改造しか方法が無いことになりますか?」
「いや、ニコイチで作れると思うよ。Zil-157は、トラックのキットが出とるから・・・」


 そのZil-157Kトラックのキットは、上図のトランぺッターの製品が唯一であるそうです。昔の製品なので既に入手困難になっているようで、あとは中古品の在庫を探すよりないだろう、ということでした。詳細はこちら

 N氏は「そのトランぺッターのキットがあれば、そのトラックのシャーシーにズベズダのBM-13のユニットを載せればええんや。それでガルパンの車輌が再現出来る」と言いました。
「すると、両方のキットの残りのパーツは・・・」
「それもガルパンの車輌に作れるよ。ほら、劇場版でプラウダチームのメンバーを荷台に乗せてるトラックがちょっとだけ出てきたやろ?あれはたぶん、Zis-151や。ズベズダのキットのトラックと同じや。トランぺッターのキットで余る荷台部分をそれに乗せたら、そのままZis-151トラックを再現出来るんと違うかな。荷台部分はZis-151もZil-157Kも共通やったからな」
「なるほど・・・!!」


 それからの二、三回の休日は中古ショップ巡りに打ち込み、ほうぼうへ探しに出かけた挙句、岡山市のリサイクルショップのプラモデルコーナーで、やっと目当てのZil-157Kトラックのキットを見つけました。上図のように状態は良好でしたが、長い事売れなかったためか、値引きシールが3枚も貼り重ねられ、価格は700円に落ちていました。


 かくして、ガルパンのBM-13「カチューシャ」および劇場版のZis-151トラックを上図の二点のキットの組み合わせで再現出来る目処がたちました。

 そのことをN氏に報告すると、「あれはガルパンの戦車道試合の規則では対象外の車種なんやねえ。Zil-157KもZis-151も戦後型やからねえ。せやから支援車輌になってるわけやね」と笑っていました。
「そういうことなんでしょうね・・・」
「で、作るのはだいぶ後のことになるか」
「ええ、たぶん・・・」
「作る時はきっちり覚悟決めて、気合入れてやっていけよ。ほとんどアートやから」
「は?アート・・・?」
「うん、ズベズダのやつもトランぺッターのやつも、アートって言うか、芸術的レベルで精巧なキットやからな・・・」

 そのN氏の言葉は、両方のキットの中身を見た途端に、大変によく理解出来ました。いずれもフルインテリアキットで、エンジンや動力伝達部などが多数のパーツで構成されているという、今までに見たことのないような細かいモデルであるからです。
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アンツィオ高校 P40重戦車 作ります!! その1

2017年06月25日 | ガルパン模型制作記

 先日の模型サークルの会合にて、ガルパン戦車プラモデル仲間のTさんに「アンツィオのP40、いつ作るん?」と聞かれました。黒森峰女学園の35(t)戦車(フェイズエリカ仕様)を完成させて一週間後のことでした。
「それとも、他に作る候補が決まってるんかね?」
「いえ、まだ何も決めてませんが・・・、アンツィオの車輌は久しく作ってませんので・・・、それでいってもいいかなと思います」
「よし、それいってくれよ。P40に関しちゃ、ネットで見ると皆がみんな、いろいろと不満や批判ばっかり流してるんでめちゃ難しいキットなんかと思っちゃうけど、星野君が作るとどういうふうになるんか、興味あるねえ」
「はあ・・・」
「例えばさ、難しそうやなとか、とっつきにくそうやなとか、思うん?」
「そんなの、実際に作ってみなきゃ、分からんじゃないですか」
「うん、そういうことやね」
「正直言って、ガルパン戦車というのは大体作ること自体が楽じゃないんで、改造とか修正とか、全くやらずに完成したのは一つも無いんですよ。苦労したのも結構ありますんで、P40だけが特に難しそうだ、っていう感触はあんまり無いですね・・・」
「よし、そんなら僕も次はP40を作ることにしよう。どっちが早く仕上げるか、競っちゃう?」
「いえ、遠慮しておきます・・・」


 かくして、私の35作目は、アンツィオ高校チームのP40重戦車になりました。使用キットは、上図のタミヤイタレリシリーズの製品です。キット本体はイタレリからのOEM供給ですから、本質的にはイタレリのキットを作るわけです。

 このキットでガルパン劇中車を再現する場合、別にジェリカンのパーツが3個分必要になります。以前に同じアンツィオチームのM41セモヴェンテを製作した際に調達した、アスカの「WWⅡイタリアジェリカンセット」の余りパーツが豊富にありましたので、そのなかから3個分を取り出して準備しました。


 中身はこんな感じで、パーツ数はそんなに多くない感じです。ドラゴンやドラゴン系のプラッツ公式キット群よりは間違いなく少ないです。車体も全てが箱組みなのでパーツが分割されていますが、それでもパーツの全体数が抑えられているな、という印象を持ちました。


 左が製作ガイド、右がイタレリ製の写真解説冊子です。後者は実車の各所の細部を色々と紹介していて参考になります。
 ガルパン劇中車もおおむね実車に近い状態であるので、公式設定資料画像の細部が小さくて見づらい時などには、この冊子が重宝します。


 ステップ1では、車体下部の組み立てを行います。箱組みですので、事前の仮組みによるチェックが重要です。古い時期の製品であるためか、パーツにバリなどが目立ちますので、パーツのそれぞれに丁寧な処理を施しておくのが良いだろうと考えました。


 各パーツを切り出して準備しました。


 パーツの一部には、上図のように僅かな反りや歪みが見られました。以前にドラゴン系の公式キットでⅢ号突撃砲F型やⅢ号戦車J型を作った時には、フェンダーのパーツなどにもっと大きな反りが見られましたので、今回のはまだマシな方でした。


 パーツのそれぞれに残るバリなどを、丁寧にカットした後、アートナイフで全体をなぞって軽くカンナがけ処理を進めました。こうしておくと、パーツの組み合わせもしっかりしてくるだろう、と考えました。


 反っているパーツは、まず半分ぐらいを接着しました。


 接着の際には、表面のモールド等をしっかり合わせ、内側からもチェックしてズレが無いか確かめました。


 半分接着した部分が乾いてから、残る半分の反った部分をテープで仮留めして接着し、内側からさらに流し込み接着剤を入れました。この状態でしばらく置いて乾燥させました。


 少しずつ接着を進めて、反りや歪みのあるパーツも丁寧に仮留めしながら合わせてゆきました。とくに問題もなく、上図のように組みあがりました。


 背面部も、上図のようにきっきりと合わさりましたので、流し込み接着剤でくっつけるだけで充分でした。


 組み立てが完了しました。目立った破綻は無かったものの、車体前面部の先端に隙間が生じました。


 こんな感じの隙間でした。仮組みの時点でこの隙間が生じていたので、これは仕方がないものと受け止めて、パテで埋めることにしました。 


 ブラ板で埋めるには細い隙間なので、溶きパテを塗り込みました。最近、モケジョさんに教わったアイデアに、溶きパテの上に流し込み接着剤をかぶせて塗ると整形とパテの硬化が同時に出来て簡単、というのがありましたので、今回実験的に試してみました。

 溶きパテを隙間に塗り込んで埋め、はみ出たパテなどを、流し込み接着剤をつけた平筆でなぞるようにしてこすりました。パテがいったん液状化して、筆で平らに均すことが出来ました。その際に、平筆についた流し込み接着剤と混ざった溶きパテを、隙間部分に集めるようにしてさらに塗り込みました。するとそのまま接着剤が乾いてパテの硬化固着も進み、隙間が埋まりました。
 あとは、サンドペーパーで軽くヤスるだけで充分でした。普通のパテだと、固まるまでに時間がかかりますが、これは溶きパテを接着剤で一気に硬化させますので、思ったよりも時間がかかりません。 (続く)
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