気分はガルパン

ここの記事は、みんなの想いを込めた記事・・・。
心に響くは、バンツァー・リート !! (大笑)

「倉野川」の倉吉をゆく シーズン9の6 「三朝温泉にて」

2017年01月19日 | 倉吉巡礼記

 三朝温泉は、現在は三徳川をはさんで南北に街区が形成されています。昔ながらの温泉街は南側にあり、元湯を囲む広場の周辺に温泉旅館や関連施設が並び、細い路地にて結ばれています。その街区が満杯になって川の北側にも広がり、大型の宿泊施設やホテルなどが林立しています。
 江戸期には鳥取藩の湯治場としても栄え、三仏寺参詣の宿場町としての機能も果たしたため、南側の旧街区は近世までの町並みの風情が各所に残されています。
 上図は、元湯の広場を撮影するホシノ。 (画像はOさん提供)


 元湯の広場の一角には、温泉の護持仏として祀られてきた薬師を安置する小堂があります。この建物が、三朝温泉街の長い歴史を端的に示してくれます。


 堂内に安置される薬師三尊像です。左右の脇侍像は江戸期の追加なので、もとは薬師如来像が独尊として祀られてきた可能性があります。現状では左腕部および両膝部を欠いており、相当の衰微退転の流れを経てきたものと推察されます。
 ですが、仏像の中心部分である頭体の根幹部がほぼ原状をとどめており、それによって制作年代および造立背景もある程度おさえられます。


 20年前、鳥取市に住んで歴史研究団体「因伯古代寺院研究会」に参加していた時期、鹿野町の会員の方に「三朝温泉の薬師仏の年代を教えて欲しい」と言われ、案内してもらったのが、この像との出会いでした。
 当時は薬師堂も仮の粗末な建物で、庇が傾きかけて内部は仏像の他に色々なガラクタが押し込まれて物置のような状態でした。その際に、この薬師像を見て、すぐに藤原時代の造立、材は檜、11世紀末期頃の寄木造の遺品である、と鑑定しました。
 当時はまだ像表面に顔料の丹および下地の胡粉が僅かに残っていて、左頬には金箔の下地の漆がかすかに見えました。それで天台宗特有の朱衣金身の薬師像である可能性が強く推定されました。伯耆国は、平安時代には既に伯耆大山の天台宗大山寺、三徳山の天台宗三仏寺などの古刹を配置して天台宗の勢力圏でありましたから、三仏寺麓の温泉として古くに開かれた三朝温泉も、天台宗が管理していた時期があったと考えられます。

 そして、薬師というほとけは、名の通り医学、医術全般をつかさどる仏ですので、湯治も医療の一種、温泉水を薬の一種とみなしていた仏教においては、温泉の化身または護持仏として祀られることが多く、似たような効験を有する地蔵菩薩とともに、温泉地の二大尊像と呼ばれてきた歴史があります。
 三朝温泉の場合は、その護持仏の遺品が平安時代中期の藤原時代の作であるので、既にその頃には温泉街が形成されていて、その宗教的中心として薬師像が造立され、元湯の信仰拠点を担っていた状況が伺えます。

 つまり、三朝温泉が平安時代以来の古湯であることは、この仏像遺品の存在によっても明らかであるわけです。一般的な伝承では1163年に発見されたといい、それをふまえて開湯850年などと祝っていたりしましたが、三仏寺の整備年代とも考えあわせると、実際の開湯時期はもう少し遡るのではないかと思います。
 その場合、薬師堂薬師仏の推定年代が11世紀末でありますから、11世紀代に三朝温泉の開湯がなされた可能性も否定出来ません。
 ともあれ、私にとっては懐かしい仏像です。20年前の、学問研究に情熱をかけて各地を探訪していた自分に戻ったような気分になりました。


 三朝温泉の元湯のひとつで、「薬師の湯」と呼ばれる湧出地です。一般的には街区の東寄りにある「株湯」を三朝温泉の起源とみなして元湯と称していますが、湯の湧出地が異なるだけで水脈および泉源は同じですので、「薬師の湯」も、河原露天湯も「たまわりの湯」もみな元湯と呼んでさしつかえありません。


 ここでは足湯が楽しめるようになっています。三朝温泉に三ヵ所ずつある共同浴場、足湯、飲泉所のうちの一つです。


 熱い湯がこんこんと湧き出ていました。


 温泉街の射的場です。昔懐かしい昭和の遊技場のスタイルが残されています。観光客には外国人も少なく無く、射的に興じていた数人のグループをOさんが「中国人かな」と言っていました。Oさんは中国語を理解するそうですが、私はほとんどダメです。


 黄昏の三朝橋を河原から見上げました。


 三朝橋の脇にある共同浴場の一つ、「たまわりの湯」です。20年前によく行っていた頃は「菩薩の湯」と称していましたが・・・。


 かつては「菩薩の湯」の売店として大山ミルクや蒜山アイスを売っていた施設が、いまはNPOの事務所と観光土産店とに分かれていました。


 三朝温泉観光案内書のイルミネーションは「元気です」となっていました。地震があったけど大したこと無いよ、みんな無事で元気だよ、というメッセージの積りでしょうが、しかし余震は続いていました。


 何だ、このミササラドンという、Oさんみたいな怪獣は・・・。三朝温泉のラドンが元ネタですな。


 旅館に戻って、夕食をいただきました。


 鳥取の冬の味覚の代表格、松葉カニです。ズワイガニの成長した雄のことです。


 伯耆牛肉です。鳥取県は古来より牛の生産地として知られ、江戸期には鳥取藩が牛の購入資金を貸し付ける「牛銀制度」を設けて牛の飼育を奨励していました。現在は放牧地が岡山県側の蒜山エリアにも広がっていますが、大山西麓の牧場の生産品とあわせてひっくるめて伯耆牛と呼ばれます。


 打吹蕎麦です。鳥取県の蕎麦は、古くは大山麓の大山蕎麦が有名でしたが、江戸期に鳥取藩国家老荒尾志摩家が蕎麦職人を大山より招いて倉吉に置いたのが始まりとされています。十割蕎麦の特徴を生かした風味がウリです。


 「モサ海老」です。 鳥取県特産の黒雑魚海老の通称です。甘海老に近いですが食感や旨味は格上です。日本海では定番的な寿司ネタの一つでもあります。牛骨ラーメンと同じく、関東ではまずお目にかかれない食べ物です。 (続く)
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く28 その4 「久し振りの澤梓の宿です!!」

2017年01月18日 | 大洗巡礼記

 今回の宿は、澤梓の居るいそやでした。前回の宿泊が2014年5月でしたので、二年半ぶりの利用となりました。


 無料休憩所のガルパンコーナーにも、久し振りに入りました。


 しばらく見ない間に、色々とイベント関連の品が増えていました。


 最近には、新たな宿泊特典品の一つとして上図のタペストリーが加わったようです。宿の建物を背景にするエプロン姿の澤梓です。ファンならば泣いて喜ぶことでしょう。


 幕末明治の博物館からのガルパンスポット案内がありました。劇場版でアリクイさんチームが筋トレをやっていた場所が、幕末明治の博物館の敷地内にあるキャンプ場であるようです。これは初めて知りました。


 今回の部屋は、「まこ」の部屋でした。「まこ」とはマコガレイの事です。冷泉麻子のことではありません。念のため。


 一人で泊まるには広すぎる部屋でした。四、五人で泊まってもまだ余裕があります。


 窓からは、このように大洗磯前神社の大鳥居が見えます。


 今回の宿泊特典の品々です。ポストカード、クリアファイル、缶バッジの3品でした。他にもタペストリーなどの組み合わせが料金に応じて設定されていましたが、今回は一番安価なプランを選びました。


 部屋の鉤には、部屋名の「まこ」が書かれますが、これをネタにして冷泉麻子のカラコレが付けてありました。こういう遊び心がファンの心理をくすぐるわけですね。


 施設内の廊下にも色々な展示品が並びます。上図はそのうちの一つで、図柄からしてアンツィオ戦OVA公開時のポスターの一種であるようです。私自身はこれは初めて見たと思います。


 施設内から無料休憩所に入って、再びガルパンコーナーを見物しました。ブーム初期からの巡礼者には懐かしい、最初のパネルも健在です。


 ガルパン衣料の数々には、最近にしまむらが販売している品も加わっているようです。しまむらのガルパン衣料については全く情報を知らず、倉吉の知人Tさんに教えられて知りました。倉吉のしまむらで販売していたとのことですが、私の近所のしまむらでも販売しているかどうかは、未だに確かめていません。と言うより、しまむらというお店に私は一度も入ったことがありません。


 展示品の一つ、M3中戦車リーのプラモデル完成品です。若主人の話によれば、最近に玄関に置いてあったものだそうです。そんな寄贈の仕方もあるものですね・・・。
 これは、タミヤのキットをそのままストレート組みしているようです。テレビ版仕様にも劇場版仕様にもなっていませんが、これのガルパン仕様が数ある戦車のなかでもかなり難しい方に属するからでしょう。私自身はテレビ版仕様で作りましたが、劇場版仕様の方はまだ作っていないので、近いうちに取り組むことにします。


 宇津木優季のフィギュアです。パネルは黒澤米穀店にありますが、フィギュアがこちらにあるということは、共に展示されている澤梓、大野あやと共に、いずれウサギさんチームの6人構成としての成立が予定されているということでしょう。
 ウサギさんチームの6人のうち、大洗にて見かけるオリジナルフィギュアの完成品は5人だったかと思います。お好み焼き道に、山郷あゆみと阪口桂利奈があった筈です。なので、丸山紗希だけをまだ見たことがありません。大勘荘にもまだ置いていないんじゃないかな・・・。 (続く)
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プラウダ高校 T34/76(フラッグ車) 作ります!! その5

2017年01月17日 | 模型制作記

 ステップ24では、砲尾部分を組み立てます。完成すれば見えなくなる部分ですが、C29とD11を不要としたのみで、あとはガイドの指示通りに組み立てます。


 順番にパーツ類を切り出しました。


 指示通りに組み付けてゆきした。


 フルインテリアキットなので、パーツの数も多いし、細部までよく表現されています。


 組み立てが終わりました。


 ステップ25では、砲塔を組み立てます。砲塔本体パーツの左右側面にモールドされる覗き窓は劇中車では省略されていますので削り取ります。内部のパーツD10、D24、D34、H5は不要です。
 ステップ26では、砲塔天板の各パーツを取り付けますが、ガイドのE6はE15の誤記です。ガルパン仕様では4つのD12の向きに注意し、後方の2つのD12の取り付け位置を前に修正します。D17、D18、D39は不要です。


 主なパーツを切り出して並べました。この段階からガルパン仕様への修正も並行して進めます。


 前作のタミヤキットにて、2つの修正ポイントを確認しました。1は砲塔側面の覗き窓の除去、2は後ろの2つの吊り下げフックの位置修正です。


 キットの砲塔本体パーツF4の左右側面には、上図の様に細長い覗き窓がモールドされています。これは劇中車では省略されていて有りません。


 覗き窓のモールドを削り取りました。


 砲尾部分をガイド指示通りに組み付けました。もちろん未接着のため俯仰が可能です。


 砲塔天板の各パーツを準備しました。


 後方の2つのD12の取り付け位置を上図のように劇中車に合わせて前に修正した他、4つのD12の向きも合わせました。後のパーツはガイドの指示通りに取り付けました。
 このキットのパーツでは、タミヤキットでは再現されていなかった、砲塔上の左右ハッチの間の別板もきちんとモールドされています。両端を留める3個のリベットも再現されています。全体の輪郭や形状なども大変に近似性が高いので、テレビシリーズ版劇中車のモデルはこのAFVクラブのキットではないだろうか、と改めて考えてしまいました。 (続く)
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「倉野川」の倉吉をゆく シーズン9の5 「飛鳥とダイアナと橋津屋」

2017年01月16日 | 倉吉巡礼記

 町並みを東へ進んで玉川の脇から折れて八橋往還に戻り、東へ進んで「飛鳥」に行きました。Oさんのリクエストによってこの日の昼食をここでとることにしました。私も初めて入るお店でした。


 古民家を利用した食事処ですが、畳の部屋にもテーブルセットを並べて洋風スタイルに替えてあります。座敷として演出していないところに、このお店のポリシーが感じられます。


 注文した料理の配膳が完了し、店員さんがお茶を入れてくれる間、料理の数々を眺めるホシノ。(上画像はOさん提供)


 この時の料理です。確か「天麩羅御膳」だったかと記憶しています。倉吉でこの種の料理をいただくのは、実は今回が初めてでした。20年前に毎週通っていた時期には、牛骨ラーメンか打吹蕎麦か洋食定食もののどれかを食べていたからです。その頃の倉吉には、「飛鳥」のような食事処はまだ有りませんでした。


 この日の宿は、Oさんのリクエストによって三朝温泉に予約してありました。それで午後は三朝温泉に移動することになりましたが、その途中にOさんリクエストの喫茶店「ダイアナ」があるので立ち寄りました。このお店の名物「C.K.P」を食べたいとOさんがかねて希望していたからです。


 早速、店先の春日咲子パネルを撮影するOさん。


 久し振りの「C.K.P」に対面するホシノ。(上画像はOさん提供)


 ちくわパフェだよ、C.K.P!・・・という調子でパクッとノリノリで行けば良いのですが、昼食をとったばかりのOさんには相当の苦行だったようでした。口は喜んでるけどお腹は悲鳴を上げてる、とか何とかボヤキつつも、何とか完食にこぎつけていました。要は、考え方次第ですよ・・・・。


 三朝温泉街を抜けて三仏寺投入堂遥拝所に行きました。道端の東屋に備え付けてある望遠鏡で投入堂を見るホシノ。(上画像はOさん提供)


 大体こんな感じに三仏寺投入堂が望まれました。いつみても奇観としか言いようがありません。断崖絶壁の窪みに建物を押しこむようにして懸造で構築するという発想と情熱と労苦は、凡人の理解を超えています。いかなる契機によってもたらされたのでしょうか。日本一危険な国宝、と形容されているようですが、個人的な実感としては日本一不可解な国宝、という表現を採りたいです。

 Oさんは山登りが第一の趣味なので、この奇観の山塊の様相にもかなり魅せられた様子でした。あそこまで登るんですか、いやこれは登ってみたいですねえ、等と話していました。


 夕方に三朝温泉の宿「橋津屋」に入りました。もちろん私も初めてでした。いつもは新街区の「斉木別館」に泊まっていたので、三徳川の南岸の旧街区には、散策でしか入ったことがありません。狭い街路が入り組んでいることも知っていたので、宿がその中にあると分かった途端にまず思ったのは、そこへ車で入れるのか、駐車場はあるのか、の二点でした。

 問い合わせたところ、宿の隣に駐車場があるということで、そこまで狭い路地を進みました。その狭さにOさんも少しビビったようでしたが、難なく駐車場に着き、宿の従業員さんの誘導もいただきました。


 いい雰囲気の部屋です。今回の旅程にて最も高級かつ立派な宿でした。三朝温泉の旧街区のやや東側に位置し、元湯のすぐ近くにあります。温泉街の風情の濃さに、これぞ三朝温泉だな、と感心しました。


 しばし寛ぐホシノ。(上画像はOさん提供)


 部屋の窓から見える景色です。建物がひしめき合って並ぶ旧街区の特徴的な景観の一端です。


 元湯の東屋には灯りがともされていました。昔ながらの三朝温泉街の中心地であり、江戸期に現在の状態に整備されたといいます。


 夕食の時間までまだ間があったので、とりあえず温泉街を散歩しますか、ということになり、部屋を出ました。施設内に段差があり、私たちの部屋は一段低い位置にあったようです。廊下の内装も立派で、いかにも元湯近くの伝統的高級旅館といった雰囲気でした。ガルパン大洗でこれに匹敵する施設といえば、「さかなや隠居」ぐらいでしょうか。


 「橋津屋」の外観です。二階部分の三つの窓のうち、一番左が私たちの部屋のそれでした。一段低い位置にあるのが、外から見ても分かりました。 (続く)
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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く28 その3 「曲松から東町に行きます!!」

2017年01月15日 | 大洗巡礼記

 とりあえず、三人で移動に移りました。背の高い方は明石市在住のマユコさん、低い方は三田市在住のクミエさんで、いずれも江口又進堂ではガルパンコミックスの「リボンの武者」を買っていました。それに登場する戦車をプラモデルで作りたい、というのですから、相当なファンになっていることが察せられました。
 たぶん、このお二人のようなモケジョの大洗巡礼という事例は、現時点においても珍しいのでしょう。


 店内の奥にある古い看板類や古書も一通り見学していた二人ですが、ガルパンの同人誌類やグッズ寄贈品類や缶バッジ群には一瞥だにくれず、戦車関連の展示や本を熱心にピンポイントで見ていました。筋金入りのガルパン戦車ファンであるようです。
 ただ、上図の大きなパネルだけは、Ⅳ号戦車の砲塔部分がデザインされているためか、「出来たら欲しいですねえ」と話していました。店主江口さんは留守でしたが、もし居られれば、話が盛り上がっただろうと想像されます。


 黒澤米穀店の宇津木優季パネルは、サンタの装いに包まれていました。ただのパネルにここまでやるか、というような冷めた表情でお二人が一瞥していたのが印象に残りました。どうも店内に戦車プラモデルの完成展示品が無ければ興味が湧かないらしく、このお店には入らずに過ぎていました。


 続いて、私の買い物に付き合ってもらって国井屋へ立ち寄りました。


 上図のクリアファイルと、いつも買っている「しいたけ茶」を購入しました。お二人は「しいたけ茶」に興味を持ったらしく、それ美味しそうですね、冷えた時に飲むと良さそうですね、と言いつつ、1個ずつ買っていました。店内のチャーチルの寄贈展示品も熱心に見ていました。クミエさんが訊ねてきました。

「星野さんはチャーチルはまだ作っておられないんですよね?」
「はい。聖グロはマチルダのテレビ版だけしか作ってません」
「チャーチルは、ガルパン仕様に作ると、難しい方なんですか?」
「細かい修正が多い、大がかりな改造は無い、ということでまだ簡単な方だと思います。ただね、塗装のカラーをどうするかっていう問題がありまして、現段階ではロシアングリーンだとか何とか言われてるけどね、ちょっと違うだろう、ブリティシュグリーンというカラーでちゃんと塗るべきだろう、って言う・・・」
「やっぱり、クレオスの新製品カラーセット待ちですか」
「そうそう、それそれ。それを待ってるんですよ。聖グロのチャーチルの塗料はそれで解決ですよ」

 するとマユコさんが「あのう・・」と切り出してきました。
「継続高校のグレーってのも出るみたいですけど、あれどう思われます?」
「どう思うって、あのグレーの色が正しいかどうか、ということですか」
「ええ、実はさっきガルパンギャラリーでBT-42の展示品を見てきたんですけど、あれはホワイト一色なんで、グレーというのはどうなのかなあ、って思って」
「その疑問は正しい。ある意味重要ですな」
「えっ、そうなんですか」
「ギャラリーの展示品は劇場版の監修もされてる斎木さんの作品で、劇場版劇中車のモデルとして作られたそうなので、ガルパンプラモの車体色としては、あのホワイトが本来のカラーで正しいと私は解釈しとります」
「劇場版で見るとホワイトって感じじゃないんですけど。グレーもかかってるマダラ模様に見えるんです」
「アニメの独特の色調と色感で、ああなってる、ああいう感じに見えるんだと思いますよ」
「あっ、やっぱり、そういうことなんですか」
「基本的にアニメの色調は実際の同色よりも彩度が変化するんです。ホワイトのような明るめの色はトーンが落ちてグレーっぽく見えますし、暗めの色たとえばジャーマングレーとかは逆に明るく見えたりします」
「それ、何となく感じてたんですけど、やっぱりそうだったんですね。あと、BT-42のマダラ模様は、ガルパンギャラリーの展示品には一切無かったんです。ただ、全体的にグリーンっぽいのがかかってるな、って」
「そりゃそうですよ。元々はフィンランドグリーンまたはグレーの車体に、冬季塗装のホワイトを重ねた状態なんですから。そのホワイトが各所で薄くなって下のフィンランドグリーンまたはグレーが浮き出てきている、っていう状態がアニメのカラー処理ではマダラ模様に見えるんだと思いますよ」
「なーるほどー!いまのでスッキリ納得出来ましたー」

 それで、フィンランドグリーンまたはグレーの塗料の話になり、モデルカステンから販売されている「フィンランド空軍カラーセット」のグリーン系2色のカラーがグレーみたいだ、という意見で一致しました。
 要するに、フィンランド軍のグリーンという色は、パロラ軍事博物館の現存車輛に見られるように、グレーに近いカラーです。「フィンランド空軍カラーセット」の「グリーン2」辺りがそうですが、そのカラーが劇場版BT-42の本来の車体色であろう、と私なりには解釈しています。今度クレオスから発売される「ガールズ&パンツァーカラー 継続グレー」が前述の「グリーン2」に近いようであれば、それでいいんじゃないかと思っています。

 なので、いま中断しているBT-42を塗装するならば、まず「フィンランド空軍カラーセット」の「グリーン2」または「継続グレー」で全部吹き付け塗装しておき、その上に冬季塗装のホワイトを重ねることになります。
 その場合、ホワイトを均等に吹き付けるのでなく、ところどころ薄くしておくことで下の「グリーン2」または「継続グレー」がにじみ出る、という状態にしないといけない、それによって劇中車の「マダラ模様」に近くなれば良いだろう、というのが、私自身の基本的な塗装イメージです。

 だから、ガルパンギャラリーの斎木さんの監修作品がホワイトであるのは、色彩の構成上は正しいと考えています。そのあたりを、斎木さん自身がトークショーか何かで力説してくれると良いのですが・・・。
 しかし、公式設定資料画像のBT-42の設定カラーは、どうもグレーっぽくて微妙に見間違えやすいため、ネット上で見かける先行作品の大部分がグレーをマダラに吹き付けるような形の塗装で成り立っているようです。でもこれは逆で、グレーみたいに見えるフィンランド軍の「グリーン2」の上にホワイトをマダラ気味にかぶせるべきです。アーマーモデリングか何かの模型誌の特集記事でもそうした塗装法が紹介されていたと記憶しています。または、ホワイトを均一に塗って明るくまとめても良い感じになるでしょう。

 ついでに言うと、劇場版のBT-42の設定カラーは、テレビシリーズの対プラウダ戦時のカバさんチームⅢ号突撃砲F型の設定カラーと同じ重ね方だと思っています。Ⅲ号突撃砲F型は周知のように車体色が暗めのジャーマングレーですが、プラウダ戦の際には冬季塗装のホワイトを薄くかぶせていました。それで車体色が浮き出て、全体的にはグレーっぽい車体色になっていました。劇場版BT-42の設定カラーも同じ原理です。


 石福青果店の前を通りました。このお店にも戦車プラモデルの寄贈展示品はありませんでしたので、お二人は素通りして行きました。


 ところが山戸呉服店に来ると、俄然お二人のテンションが上がりました。


 どうやらこのお店のガルパンタオルが目的の一つだったらしく、それぞれが、売場に並んでいた各校チームのタオルを一つずつ買っていました。持参のトートバッグがいっぺんに膨れ上がっていました。


 そして店先の寄贈展示品の一群を興味深そうに見物し、セガプライズ品のアンチョビを見て「ドゥーチェ!」「ドゥーチェ!」「ドゥーチェ!」と楽しそうに連呼していました。
 聞けば、お二人ともガルパンシリーズの中ではアンツィオ戦OVAが一番お気に入りなのだそうです。


 それで、寄贈展示品のアンツィオチームの戦車プラモ群を肴にして話も盛り上がりました。上図のM13/40がどうして劇中に登場しなかったんだろう、とマユコさんが不思議がっていましたが、たぶん車体がM41セモヴェンテと同じなので被るから出なかったんだろう、と思いました。

「星野さん、大洗って戦車のプラモデルがあちこちに展示してあって楽しいですね」
「そうですな」
「街のあちこちに、これだけの数が展示してあるってのは、日本でもここだけじゃないかって思えるんですけど」
「それはそうですな。戦車が登場する人気アニメの舞台ですからね」
「それで思ったんですけど、ガルパンの色々なチームの戦車を揃えたジオラマとかもあったら、もっと楽しいだろうなあって・・・」
「それは言えますな。そういうジオラマはまだどこにもありませんからね。各校チームの戦車を揃えた寄贈品はあることはあるが、チームの所属全車輌がセットで揃ってるのは、大洗女子学園チームの分すらありませんし・・・」
「一応、今日見てきた範囲だと、日野屋豆腐店にフラウダ高校チームの戦車がいっぱいあったんですけど、ああいう感じでチームの戦車を集めている所って他にもあるんですか?」
「あります。大洗はバラバラにどこでもありますが、聖グロリアーナは肴屋本店、サンダースはあんばいや、黒森峰は桜井食堂、継続は日野屋石油、それから、ええと、大学選抜は・・・、これは見たこと無いな・・・。沖苑やしちりんには無かった気がするし・・・」
「知波単学園のはありますか」
「ああ、それも見たこと無いですな・・・。みとやにもプラモ置いて無いしね・・・。田口理容にはあったかなあ・・・」
 その時は何となく話していましたが、それが次の訪問時に一つのアイデアに昇華するとは、全く予想もしていませんでした。


 次への移動中に、ガルパンラッピングバスが走ってゆくのを見かけました。わー、と言いつつ慌ててスマホを向けたお二人でしたが、シャッターチャンスを逃してしまったようでした。


 この日のブロンズは、珍しいことに待機行列も無くて空いているようでした。しかしお二人か関心を示さなかったので、そのまま通り過ぎました。


 ウスヤ精肉店では、店内の寄贈展示品の充実ぶりが予想を超えていたらしく、お二人はかなり盛り上がって店主の関野さん夫婦とも色々と話していました。戦車プラモデルも展示されていますから、その話題も出ないわけがなく、関野さんが寄贈プラモの組み立てをファンに依頼して作ってもらった経緯などを話すと、大いに二人の笑い声が上がっていました。
 お二人とは、ここで別れました。聞けばこの日の宿は水戸駅近くに予約しているそうで、明日は秋葉原へ移動して模型店巡りなどを楽しみたいとのことでした。同じ兵庫県在住で、模型サークル同士での交流も可能であるため、連絡先などを交換しました。マユコさんが頭を下げてきました。

「今日はどうも色々お世話になりました。近藤先輩にもきちっと報告しておきますんで」
「あははは、それで後日私がエリさんに色々言われることになるのですかな」
「それはないと思いますが。でもうちらのクラブ、近藤先輩たちのクラブとは、まだ合同活動も交流もやってないんで、いずれそういう機会を作ってですね、星野さんがやっておられるというガルパン戦車の講座ってのも、受講してみたいなあ、って思います」
「受講なんて大げさな。座談会というか、おしゃべりというか、単なる質疑応答ですよ」
「でも先輩がたは真剣に取り組んでるって言ってましたよ。佐藤さんや道下さんからも同じように聞いてます」
「ほう、ミカさんやユキさんとも知り合いですか」
「佐藤さんはまだ一度しかお会いしてないんですけど、道下さんとは大阪ボークスの展示会とかで四度ほどお会いしまして。ガンプラのデコレーションを直に教わりました」
「ガンプラのデコレーション・・・」

 お二人も含めたモケジョの方々の本来の制作ジャンルがそれのようですが、私にはよく分からない事だらけでした。 (続く)
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