反射炉跡や「山上門」のある史跡公園の前の道を東へとたどり、菓子店の「つるや製菓」に行きました。那珂湊のご当地グルメとして有名な「イチゴダッペ」を食べてみたかったからです。そのことを言うと、店の御主人は上機嫌になって色々教えて下さいました。
「これはなあ、2011年の5月に商工会議所からデビューしたものでな」
「えっ、古くからある歴史的な食べ物と違うのですか・・・」
「ははは、それは原料のジャムの方だっぺな、阿字ヶ浦の方で作ってる特産のパインベリーって言うの」
「阿字ヶ浦ですか、今朝電車でそこへ行ってきたばかりなんです」
「そうかね、なーんも無いとこだったろ。でもあそこのパインベリーはもう50年ぐらいの歴史がある」
「それを使った新しいお菓子、というのがこれですか」
「そうだ」
さっそく一個を買いました。イチゴのお菓子らしい真っ赤なパッケージが分かり易いです。イチゴのキャラクターが布団で寝ている姿がデザインされているのですが、その布団の部分がお菓子の姿をそのまま使っているというユニークな意匠です。
で、食べてみました。「あっ、ジャムにしてはさっぱりしてまろやかですね」
「うん、そうだ、バインベリーは出来立ての一番味が良い時にパッと冷凍して保存しておくからな、それをこれに加工する直前に解凍して作るんだ。出来立ての時よりは、少し寝かせてあるほうが味も丸くなるんだ」
熱っぽく語られるあたりに、相当の愛着をお持ちであることが感じられました。
「これがもっと早く出ていたら、今よりもっと知名度が上がったのかもしれませんね・・・」
「いや、本当はもうちょっと早くに売り出す筈だったんだよ。でも東日本大震災がきてね、ここ那珂湊にも被害が出たの。あっちのおさかな市場なんか完全に水没しちゃってどうしようもなかったんだ。なんだかんだでこの商品もすぐに出せなくなっちゃってさ、三ヶ月ぐらいはずれこんだの」
「そうでしたか・・・」
「まあ、でも今はここもなんとか立ち直ったしさ、イチゴダッペもなんとか軌道に乗ってるしさ」
「お蔭で美味しくいただきました。もう一つ買っていいですか?」
「どうぞどうぞ」
かくして二個目を買って食べ、さらに二個を買って出ました。イチゴダッペ、なかなかイケる味です。詳細はこちら。
雨がまた少し強くなりましたが、予定通りの道順を経て天満宮に行き、神前に進んで礼拝しました。江戸期には水戸藩湊屋敷の鎮守として保護された神社で、湊屋敷への搦手口に位置していたといいます。その頃は東が正面でしたが、現在は鳥居が北に向いています。
天満宮の東の坂道を、道なりに登って丘の切通しを抜けて反対側へ降りていくと、那珂湊第一の古刹として知られる華蔵院があります。参道を進むと朱色の仁王門が近づいてきました。
仁王門をくぐり、少し進んでから振り返って見ました。これほど真っ赤な仁王門の建物というのも珍しいので、しばらく眺めていました。板壁まで朱色に塗られているので、深紅の門、という表現も誇張ではありませんでした。
本堂です。この華蔵院は、山号を戒珠山(かいじゅさん)、寺号を密厳寺(みつごんじ)といい、宗派は真言宗智山派に属します。創建時は定かでありませんが、中世期には既に存在したようで、南北朝時代の暦応二年(1339)に鋳造された梵鐘が伝わります。銘文より、源義長が大工圓阿に製作させた経緯が知られます。もとは桧沢村(いまの常陸大宮市下桧沢)の浄因禅寺の所有でしたが、幕末に那珂湊へ運ばれて華蔵院の所有に帰したものといいます。
源義長とは、佐竹氏一族の中賀野義長のことで、常陸国守護職であった佐竹氏4代秀義の分流の佐竹播磨守義教の嫡子です。中賀野氏は那珂湊を含めた那珂郡一帯の在地領主であったといい、那珂湊はその拠点として栄えたそうです。佐竹氏は湊近くに御殿を構えて那珂湊を直轄地同様に支配しましたが、そのなかにあって華蔵院が相当の寺格と勢力を誇っていたことがうかがえます。
堂塔伽藍の建物の大部分は近代までに建て直されており、南面する山門も近年の新築だということですが、それよりも山門の塀の屋根の上に猫がずっと座っているのが気になりました。雨の中で寒くないのかな、と思って近づいていくと、なんと屋根の飾り瓦の一部でした。獅子や龍ならともかく、猫の形の飾り瓦というのは初めて見ました。
反対側の塀の屋根にも、異なるポーズの猫の飾り瓦がありました。いよいよ興味が出てきて、寺の本坊事務所を訪ねて問い合わせたところ、当地に古くから伝わる昔話に「華蔵院の猫」というのがあると教えてくれました。その物語のあらすじは次のようなものでした。
「華蔵院で飼っていた猫が毎夜毎夜、住職の袈裟をこっそり拝借して騒ぎを繰り広げていた。年取った猫たちが広場に集まって手拭いをかぶって踊っていた。それを偶然に目撃した魚売りの行商が、その出来事を和尚さんに話したら、猫はいなくなってしまった。近くで耳をそばだてていた猫はその日から居なくなってしまった」
このような昔話が幾つかあって、目撃者が檀家だったというパターンもありますよ、とお坊さんが笑いながら教えてくれました。
「まあ、そういう故事にちなんで山門新築の折に猫も瓦にしてもらったというわけです」
「すると、中世戦国期からああいう猫の瓦があったわけではないんですね」
「ああ、当寺は室町時代に中興されてはおりますけど、猫の昔話のほうは江戸時代の出来事だということになっておるようですので」
要するに、詳しい由来はお寺の方でもよく知らない、ということでありました。民間伝承の類によくあるパターンですね。
もと来た道を引き返して、丘の上にある「湊公園」に行きました。現在は運動場やテニスコートや多目的広場などを含めた公園地区として整備されていますが、かつては水戸藩別邸の「イ賓閣」と呼ばれる御殿があった場所です。
雨が強くなってきたので、公園内の一部を歩いたにとどまりましたが、湊御殿とも呼ばれた水戸藩別邸の大きさが容易にイメージ出来ました。建坪は300坪以上、部屋は28の多きにわたっていたといいますから、水戸市に現存する弘道館の倍ぐらいの規模であったことになります。これを創設したのが水戸黄門こと徳川光圀でした。
これが湊御殿こと水戸藩別邸「イ賓閣」の復原図です。那珂湊駅の駅舎内に展示されている郷土の文化財の紹介記事の一つにあったものをあらかじめ見つけて、撮影しておいたものです。これを那珂湊駅で見ておいたから、現地へ行ってもイメージが具体的に浮かんできて、立派な御殿の姿をリアルに想像することが出来たのでした。
湊公園から降りて天満宮の前の道に戻り、少し東へ進むと、古い商家建築が見えてきました。これが製菓会社「あさ川」の那珂湊店か、と地図で確認しました。江戸時代から海運や舟運の重要な拠点として栄えた那珂湊ですが、幕末期の水戸藩内の騒乱や昭和期の大火を経ているため、古い町並みの多くが失われ、かろうじて残った古民家や古商家が所々に散在しています。そのうちの一軒として、ひたちなか市の「まちかど博物館」に指定されているそうです。
店内に入って「妹ほっかり」という品を土産に買い、ついでにお店の由来について尋ねたところ、水戸市に本社を置く製菓会社「あさ川」に加盟したフランチャイズ店舗だということでした。要するに地元の古い菓子屋が企業の流通販売網に参入していったわけで、歴史ある老舗の進むべきモデルケースの一つであるようです。お蔭で古い商家建築も現役のままで機能してゆくわけですね。
古い民家や商家の保存がよく叫ばれますが、ただ保存するよりも、何らかの形で利用し機能させた方が、かえって建物の寿命が延びる、という話を聞いたことがあります。那珂湊の古い建物はたいてい店舗として使われており、同時に建物の維持と保存が成り立っている典型的なケースだと感じました。 (続く)