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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く11 その6 「曲松駅跡付近の線路跡です!!」

2014年11月07日 | 大洗巡礼記

 大貫駅跡から海岸線に沿って通っていた線路は、曲松駅の手前で大きく右にカーブしていたようです。軌道跡の車道も同じようにカーブしていますが、正確には線路よりも若干曲がり方が大きいようです。


 途中には、ホシノの居る「カジマ」があります。朝からずっと歩いていて空腹も覚えてきていたので、軽くおやつを買うことにしました。


 名物の「ホタテの履帯揚げ」と「カニクリームコロッケ」を購入して店内の飲食スペースでいただきました。壁にはファンの方から寄贈されたホシノとカチューシャのイラストが飾られてありました。


 続いて近くの大洗町役場および商工会館へ立ち寄りました。水浜線に関する資料が無いだろうかと考えて問い合わせたのですが、行政側の公刊資料としては「大洗町史」の簡単な記載が唯一である、との応答でした。商工会館では缶バッジの販売コーナーものぞいてみましたが、旧デザインのものも幾つかありました。


 消防署の前を通りました。この建物の位置が、かつての曲松駅のそれでした。「さかなや隠居」の女将さんに聞いた話では「大洗では一番大きな駅だったし、電車が何両も入って賑わっていたよ」ということでした。当時の写真でも立派な駅舎が見えますし、待機線も数本あったらしく数両の車両が待機または駐機しているシーンも見られました。
 その一番大きな駅が、今では跡形もありません。広かったであろう駅構内のスペースも、その範囲すら分かりませんでした。


 さらに進むと、軌道跡が大きく左にカーブしている所が見えてきました。


 上画像のように、カーブ部分が歩道および横断歩道の場所にはっきりと分かります。後でその角の民家の住人に話をうかがう機会があり、線路はここで曲がって仲町停車場へ登った事、仲町停車場は早くに廃止されたが踏切の番所は最後まで残っていたこと、東光台駅までの長い登り道をゆっくり電車が移動していたこと、などを教えていただきました。


 カーブの内側には境界標杭らしきものもありましたが、字が無いので本物かどうか分かりませんでした。付近には「大洗町」と書かれた地割標識の杭もあるので、見分けが難しかったです。この杭は古めかしい感じがするので、遺物の可能性はある、と思います。


 カーブしてから仲町方面に登ってゆく軌道跡です。江口さんの話によれば、この先の線路跡が宅地化によってかなり消滅している、ということでした。


 右手の民家の基礎のなかにも杭らしきものが少し露出していました。礫石交じりの古そうな杭ですが、字はありませんでした。


 少し登った左手の民家の間にも、杭がありました。民家の住人が居られたので挨拶して話をうかがいましたが、水浜線の事自体をあまり知らないようでした。やっぱり60歳代以上の方で無いと、記憶が確かにならないのでしょうか。


 上の道まで登ってから振り返ってみました。奥には閉店して久しいスーパーの建物が見えました。


 上の道は、曲松から仲町への商店街の中心路にあたります。付近には梅カフェの「吉田屋」があります。この道を線路が横切る踏切があり、その北にかつては仲町停車場があったそうです。


 時間があったので「鳥孝」に立ち寄りました。今回も自作缶バッジなどの寄贈分を持参していたので、早めに渡しておこうと考えたからです。


 店主稲石さんは、私の自作缶バッジの方では最後のカメさんチームが揃ったので喜んでおり、早速並べて上機嫌でした。ですが、最近にアニメイベント等で貰ってきた同人系バッジの方にはさらに大喜びで、こういうのは大洗では全然手に入らないんだよ、と言ってバッジのデザインを一つ一つ見ていました。
 ボードは3枚ありましたが、私の自作缶バッジを並べたボードはフックが弱いため、下に降ろして保管してありました。あとの2枚にはなぜかラップみたいなのがかけてありました。


 ラップは、おそらく土日の焼き鳥販売の際の油煙を防ぐためのものだろうと察しました。そのことを言うと、稲石さんは「そうなんだよ、思ったよりも煙や油が店内にいっちゃうんだよ。見てよこれを」と上のウンイドーなどを指しました。見ると油汚れがガラスにもサッシにも広がっていて、かなりの煙が店内に充満している状況が容易に想像出来ました。
「だからさ、上のフラッグも同じように汚れてると思うんだよな」
「そういえば、貼りつけた時よりも色がくすんだ感じになってる気がしますが・・・」
「それはまずいじゃない、貼る場所をずらした方がいいかな?」
「ずらすって、他に場所が無いじゃないですか」
「そうなんだよな」
「例えば、焼き鳥のコンロの位置を外に少し移動するとかってのは可能ですか?」
「それは出来るよ、反対側に持って行ってもいいんだけどさ、ガスボンベのホースがさ、こう伸ばさないといけないのでそれもちょっと難があるよな」
 結局のところ、焼き鳥コンロの位置に関しては現状が最も適切な状態であるという結論になり、あとは油煙汚れをどうやって防ぐか、という点に問題が絞られました。とりあえずラップとかで貼って防いで、窓の方はマメに掃除するしかないかな、とつぶやく稲石さんでした。フラッグはまだそのままなので、これもラップかビニールで保護しないといけないな、と話していました。


 下に降ろしてある私の自作缶バッジを並べたボードは、ラップがまだかけてありませんでしたが、油煙の影響があまり無かったようで、割合に綺麗な状態を保っていました。でも稲石さんは、これにもラップをかける予定だ、と話していました。


 引き返して「かま家」で昼食をとりました。店主さんは水浜線についても色々覚えておられ、それで話が盛り上がり、奥さんも加わって話題が色々なものに転じて楽しいひとときを過ごしました。
 ついでに私の自作缶バッジも寄贈させていただきました。店主さんは「うちの缶バッジももうすぐ第二弾が出ますんで」と笑っていました。逸見エリカデザインの公式オリジナル缶バッジの第二弾、ということのようです。楽しみですね。


 昼食中に雨が降りましたが、店を退出した時には止んでいました。仲町停車場があったという、上画像の駐車場などを少し見て回りましたが、民家敷地の境目のフェンス脇にある植木鉢の下あたりに杭が一つあるのを見つけました。植木鉢の下で陰になっていて見えにくいので、写真を撮る事はかないませんでした。
 軌道跡は、それから東光台を経て大洗磯前神社付近まで続き、さらに古い時期のものが祝町方面にもあります。そこまで調べるには時間が足りなかったので、この日の廃線跡探索はここで打ち切ることにしました。時刻は午後3時を回っていました。廃線跡の探査というのは、思ったより時間がかかるものだなあ、と改めて感じました。


 今回の探索範囲を地図上にまとめました。曲松駅から仲町停車場へ向かうカーブの前後に多くの杭が見られましたが、半数は本物かどうか判断がつきませんでした。「水浜」や「茨交」などの字があれば分かるのですが、なかには字のない杭もあったかもしれないな、とその時初めて気付きました。 (続く)

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