明治初期の私塾「耕余塾」は、我が家から直線距離にして数百メートルのところにありました。吉田茂元総理も在籍していた耕余塾の跡地は、ごくわずかな敷地が藤沢市指定の史蹟として残されていますが、単なる空き地の様相でした。それがこの度整備されて、古写真をもとに当時を再現した門も作られました。
小笠原東陽先生碑(
題額は勝海舟書)とその由緒碑も中央に移設され、史蹟らしくなりました。ところが、石碑の横にあった耕余塾の由来を書いた市教育委員会の立て札が、何故か撤去されてしまいました。これでは耕余塾とは何かが分かりません。折角整備されたのに、『喝!』だ。撤去前の立て札は、
こちらでご覧になれます。
通じて苦情を申し入れ訂正します。
最近の若い職員は歴史の重要性を知りません。
多摩市は鎌倉時代の鎌倉街道がありますが何時の間にか表示が無くなりました。
道路拡張の為ですが旧道がドンドン無くなり
残念です。
耕余塾跡は藤沢市では大変重要な史蹟ですので、市民の大部分は良く知っています。しかし、市民以外の人はあまり知らないと思います。新しく立てられた『耕余塾跡』の石柱の脇にでも、説明の立て札を設置して欲しいです。
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