昨年買ったサギ草は調子が悪く、蕾がついても花が咲く前に落ちたりして、綺麗な花を見る事ができなかった。もうダメだろうと諦めていたら、新芽が出てきた。しかも昨年3本だったのが、7本も出ている。花が咲くのが楽しみだ。
チューリップの花は、口がすぼまったワイングラスのような形をしているので横方向から眺めることが多く、雄しべや雌しべなど花の中をあまりよくは見たことがなかった。そこで今回は、自分の羽で空中を自由に飛び回れる小さな虫、たとえば蜜蜂になったつもりで、黄色のチューリップと赤のチューリップの花びらの内側を覗いてみた。
我々人間から見ると、チューリップは足元に咲く花茎が長い花という印象だが、地面を這いずり回る昆虫たとえば蟻にはどう見えるだろうか、と思ってシャッターを切った。恐らく、物凄く頭でっかちで背が高い巨大なオブジェというのがチューリップの印象だろう。
近くの魚屋で、生しらすを売っていた。鎌倉腰越産で、200グラムが462円。昨年は相模湾の潮の具合が悪く、しらすが不漁で一度しか買えなかったので、久しぶりに口にする。今夜の晩酌が楽しみだ。この日のために買っておいたにごり酒にしようか、それとも大吟醸にしようか。多分、両方飲んでしまうだろう。
いつもは満開の花を撮っていたが、今回は発想を変えて、花びらが散った後を狙ってみた。と書くとカッコイイが、本当のところは、撮影の時期を逸した結果の苦肉の策である。それはともかく、結構面白い写真になった。これからも時々トライしようと思う。
画面の奥は、工場の敷地。この右手には染井吉野が植えられているが花はすでに終わり、これからは八重桜の出番。淡いピンクの八重桜と濃いピンクの八重桜が交互に植えられていて、青空を背景になかなか綺麗だ。横を通る東海道線も、銀色の車体にオレンジとグリーンの帯が描かれた新型車両の出番が増えてきた。
テレビがまだなかった昭和20年代、連続放送劇「君の名は」がラジオから流れる時間になると、銭湯の女湯がガラガラになったといわれた。「昭和20年5月24日、東京大空襲の夜。数奇屋橋の上で命を助け合った真知子と春樹は、互いに名を知らないまま運命の渦に巻き込まれる」というのがあらすじ。「知らん」いや「シラン(紫蘭)」の花言葉は「互いに忘れないように」。まさに、「君の名は」の世界だ。
春の高山祭りの初日の午後、からくり奉納を見に行ったが大変な人で、からくりの舞台は遥か彼方。このことは想定の範囲内だったので、古くて重い一眼レフにこれまた重い70-210ミリの望遠ズームを付けていたのだが、よい撮影場所を確保できない上に絶えず前後左右から押されて、カメラだけでなく自分の身体すらも安定できない。これは想定外。二日目の午前は前日ほどの人ではなかったが、からくりのアップを撮るのは諦めて、ワイド側にセットしたコンパクト・デジカメを片手で高く持ち上げて、大勢の頭の向うにからくりが小さく写る写真で我慢することにした。
世界遺産白川郷の中でも特に有名な国の重要文化財「和田家」は、江戸中期に建てられた豪壮な民家である。今回は不幸にして、茅葺き屋根の葺き替え作業のため立ち入り禁止で、内部を見ることが出来なかった。屋根の葺き替えは数十年に一回しか行われないので、古い茅をめくり取る「屋根むくり」の作業を遠くからでも眺められたのは幸運というべきか。
合掌屋根の葺き替え→世界遺産「飛騨白川郷」合掌造りの秘密に迫っちゃおう!茅葺き編
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「さるぼぼ」とは、猿の赤ん坊という意味。昔雪深い飛騨地方では冬の暇な時に、おばあちゃんが子供や孫のために囲炉裏端で、端切れを使ってこの人形を作ってやる習慣があった。「子供たちはこの猿の赤ん坊で遊んだり抱いて寝た」と、土産物を売っているおばあさんが話していた。良縁(猿)、子縁(猿)に恵まれ、夫婦円(猿)満であるようにとの思いが込められていたという。高山や白川郷など飛騨地方のお土産の定番で、1センチほどの小さなものから、数十センチの大きなものまである。
4月14日と15日は、春の高山祭り。2日続けての晴天は珍しいそうだが、例年なら桜の満開と重なるのに、今年は3月が寒かったので桜はまだ開花前。全てが上手くは行かない。高山駅の待合室で帰りの特急を待っていたら、突然獅子舞が待合室に入ってきて、狭い通路で舞い始めた。改札が始まってからも待合室でゆっくりしていたので、間近で見ることができた。
このお地蔵さんは村のはずれでニコニコ顔ではなく、街なかのお寺で訪れる人をいつも澄まし顔で見ている。数体並んで立っているどのお地蔵さんも、綺麗に洗われた赤い帽子と赤いよだれ掛けをつけている。これが、お地蔵さんのユニフォームらしい。