2004年に上海で開かれた学会に参加し,続いて九寨溝を含む山間部に巡検に行った.とても楽しかったが,帰路の道が斜面崩壊による土砂の堆積のために閉鎖されてしまった.予定していたホテルには泊まれず,バスの中で不安な一夜を過ごした.復旧に時間がかかれば,上海に戻る飛行機にも乗れない状況だった.
翌朝,崩壊の現場に近づくと,パワーショベルやトラックが集まり,崩落した土砂を取り除いていた.そこにいた中国人が,実に面白いTシャツを着ていた.海外では奇妙な日本語が書かれたTシャツやバッグなどを見ることがあるが,ここまで支離滅裂なのは珍しい.
彼は現場で警備のような仕事をしていた.でも警察官ではない.だから「空(から)のサツ」なのだと思った.
その後,「からのサツ」は「カラーのシャツ」,「だるディれ」は「ダンディね」の誤植かもと思った.でも,この解釈にはかなり無理がある.
昼頃に道が開通すると,外国人のグループとして優遇され,並んで待っていた多数の車の脇をパトカーに先導されて進み,最初に現場を通過した.窓から見上げた崩壊地は生々しく,横を通った際には土砂が再び落ちてこないかと心配になった.その直後にバスの中で生じた大きな拍手と,誰かが叫んだ「freedom!」という言葉が今も忘れられない.
And for each and every underdog soldier in the night.
And we gazed upon the chimes of freedom flashing.
(Chimes of Freedom / Bob Dylan)
翌朝,崩壊の現場に近づくと,パワーショベルやトラックが集まり,崩落した土砂を取り除いていた.そこにいた中国人が,実に面白いTシャツを着ていた.海外では奇妙な日本語が書かれたTシャツやバッグなどを見ることがあるが,ここまで支離滅裂なのは珍しい.
彼は現場で警備のような仕事をしていた.でも警察官ではない.だから「空(から)のサツ」なのだと思った.
その後,「からのサツ」は「カラーのシャツ」,「だるディれ」は「ダンディね」の誤植かもと思った.でも,この解釈にはかなり無理がある.
昼頃に道が開通すると,外国人のグループとして優遇され,並んで待っていた多数の車の脇をパトカーに先導されて進み,最初に現場を通過した.窓から見上げた崩壊地は生々しく,横を通った際には土砂が再び落ちてこないかと心配になった.その直後にバスの中で生じた大きな拍手と,誰かが叫んだ「freedom!」という言葉が今も忘れられない.
And for each and every underdog soldier in the night.
And we gazed upon the chimes of freedom flashing.
(Chimes of Freedom / Bob Dylan)
九塞溝ですが、僕もある仕事で2003年に行きました。そこから西の揚子江と黄河の源流域を回り、南下し康定を経て、成都に戻ってきました。5000m近くまで上がったので、高山病になりかけましたが、一晩寝たら大丈夫で次の日からは50度の酒をぐいぐいやっていました。九塞溝ではカルスト地形が印象的でした。高原の上はモンゴルのように大草原が広がっていて非常に印象的でした。
九寨溝では堆積学の先生が「滝は普通は後退するが,ここではtufaが成長するので前進する.何と画期的な」と話していました.