奈々の これが私の生きる道!

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映画「望楼の決死隊」今井正・原節子

2017-08-04 20:58:27 | 映画・テレビ
今年も終戦記念日が近づいてきました。
そこで、当ブログも、例年通り、それに因んだ記事を書いてみようと思います。
昨年、私は昭和の大女優、原節子さんが出演した戦意高揚映画「決戦の大空へ」、「上海陸戦隊」をご紹介させていただきましたが、その後、それより、もっとすごい映画があると知り、驚いてしまいました。
その映画のタイトルは「望楼の決死隊」といいます。


何でも、その映画では原節子さんが、敵に向かって、銃をぶっ放すシーンがあるらしいのです。
それを知った私は何て、とんでもない映画を作ったんだと憤りを覚えてなりませんでした。
原節子さんといえば、私にとって、大和なでしこを絵に描いたような人で、今も多くの日本女性の誇りでありますから。
ところが、私はこの映画の監督を知り、再び驚いてしまったのです。
それは、戦後の民主主義を明るく描いた名作「青い山脈」や反戦映画の傑作「ひめゆりの塔」を撮った今井正監督だったからです。
今井正監督なぜ、原節子さんに銃を撃たせたりしたのでしょう?
そこから興味が湧いてきて、「望楼の決死隊」を直接、観て確かめたくなったのです。
そして、それから数ヵ月後、そのDVDを入手し、終戦記念日が間近に迫った今日、ようやく観てみようと思ったのです。

この映画は、昭和18年に製作されたのですが、それを遡る昭和10年、舞台は朝鮮・平安北道で、国境付近を護る国境警察官として、新米の浅野巡査が着任するところから始まります。

この地は絶えず、獰猛無残な匪族が襲っていて、その任務は予想以上に苛酷なものでした。
しかし、浅野巡査は自ら国境警察官になりたかった訳ではなく、昔、同じく国境警察官だった父の言いなりで仕方なくこの地に着任したのでした。

だから、浅野巡査の銃が暴発して、あわや大惨事になりかけた時、上官から、厳しく叱咤されただけで、国境警察官をやめようと思うのです。
しかし、警部補・高津主席は首を縦に振らず、その訳をこう話すのです。
もう少ししたら、酷寒の冬がやってくる。
そうしたら、匪族は氷の張った河を渡り、自分達日本人を攻めて来るに違いない。
だから、国境の警備を厳重にして、敵の侵入を防がなくてはならない。
そして、いよいよ厳しい冬が到来した時、予想通り、匪族は氷の張った河を渡り、襲って来るのです。

この時、高津主席の妻役の原節子さんが、夫に「覚悟は出来ているだろうね」と言われて、銃を手渡されるのです。
そして、激しい銃撃戦の末、匪族を撃退し、この戦いで命を落とした人をねぎらう場面が続いたあと、大空に翻る日章旗を映したところで、この映画は幕を閉じるのです。

つまり、朝鮮で、なぜ抗日運動が起こったのか?
彼らの目的は何であったのかについては一切、触れられていないのです。
そこが、戦意高揚映画たる所以かも知れませんが、私は高田稔演じる高津主席の描きかたに、心を動かされずにはいられませんでした。

高津警部補は自分を厳しく律し、使命感を持って、職務に当たる人物として描かれているのです。
それでいて、人情味にあふれ、部下の浅野巡査や周りの人々にも細やかな気配りの出来る人なのです。

この高津警部補で、私は昨年観た同じ今井正監督の戦意高揚映画「怒りの海」の大河内伝次郎演じる軍艦の父・平賀譲が思い出されたのです。
高津警部補と平賀譲はともに国を守るという強い使命感を持っていて、意志の強い人物として描かれています。
言い換えれば、男の美学に徹した人物なのです。

今井正監督は一説によると、戦後の「青い山脈」をヒットさせて、一流監督の地位を得るまでは、すべて会社のお仕着せ企画をしていただけで、単なる演出技術者に過ぎなかったと言われているそうです。
だけど、「望楼の決死隊」の高津警部補や「怒りの海」の平賀譲の描きかたを見る限り、私には今井正監督はこの二人と同じように、強い信念で、映画に臨んでいたように思われてならないのです。

つまり、戦争中から、不屈の精神力と、強い信念を持ったヒューマニズムあふれる人物ではなかったかと、私は言いたいのです。

そうでないと、「青い山脈」で認められてから、コロッと映画に対する姿勢が変わったとは、到底考えられないのです。

だから、私は「望楼の決死隊」を、ただの戦意高揚映画としか見なくて、高津警部補の姿勢にまったく心を動かされない人は、男として、尊敬する価値はないと思います。

そういう訳で、原節子さんが銃を撃つシーンも観ているうちに、いつしか、これもありかも知れないなと思えてきました。


戦争という苛酷な時代でさえ、皆精一杯、より良く生きようと努力していたのではないでしょうか。
それを、戦意高揚映画だからという一言で、「望楼の決死隊」を片付けるのは、あまりにも偏見に満ちた卑小なものの見方としか言わざるを得ない。
そんな気がしてなりませんでした。