放蕩道楽錦織

心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ

1月30日(土)

2010年01月30日 21時12分40秒 | 気分は鉄郎
道警を退職、仙台でギター職人へ 体調崩して生き方再考(河北新報) - goo ニュース

50歳目前、妻の病を機に北海道警を早期退職した男性が、仙台で新たな歩みを始めた。選んだのは、ギター職人への道。家族と離れ単身、昨春から専門の学校で子どものような年齢の若者と一緒に学んでいる。踏み出さなければ見ることのなかった世界で、充実した日々を送る。(夕刊編集部・安倍樹)
 ロックミュージックが流れる教室で、10代、20代の若者20人余りがエレキギターやアコースティックギター製作に励んでいる。真剣な目をした少年たちの中に、ひときわ目を輝かせている男性がいた。
 山松貴弥さん。49歳。ギター作りのノウハウを指導するESPギタークラフト・アカデミー仙台校(青葉区一番町)の1年生だ。同校の職人志願者としては最年長となる。
 覚えも手も早い。講師の鎌田雄也さん(23)が「本当に熱心」と舌を巻く。「楽しくてたまらない。無遅刻・無欠席ですよ」と、山松さんは幸せそうな笑顔を見せた。
 笑顔を見せることなど、なかった。
 山松さんは昨年3月まで27年間、北海道警の警察官だった。地元函館の交番勤務を皮切りに、交通指導や機動隊。中でも鑑識の仕事が長かった。「人の死を扱うので、内容を話すことはもちろん、笑ってもいけない。呼び出しの緊張感とストレスで眠れず、いつも渋い顔をしていました」
 警部補昇進は同期の中でも早かった。2008年の洞爺湖サミット警備のため、爆発物捜査犬を育て上げた。当然60歳の定年まで勤め上げるものだと思っていた。その後はゆっくり田舎暮らしでも…。
 転機は、道警本部鑑識課警察犬係長だった一昨年12月。妻(48)が体調を崩した。山松さん同様、ストレスにさらされ続けた生活が原因だった。「気付いてあげられなかったことがショックで、私も体調を崩した。環境を変えなければと思いました」
 退職の決断は早かった。「根性を掛けて向き合っていた仕事」だからこそ、思い切れたのかもしれない。
 10年早まった人生の設計図を見直していたとき偶然、雑誌広告でアカデミーの存在を知った。中学・高校時代に熱中したエレキギター。40歳ごろにあらためて触れ、何本か買い集めるほど熱が再燃していた。「この学校でギター作りを学びたい」
 妻は仕事を持って自立、二人の子どもは大学生で手が掛からない。自分の学費や生活費は退職金などで賄おう。家族に思いを伝えると「お父さんなら何でもできるから」と理解してくれた。
 「ありゃ、ちょっと曲がったかな?」。教室で、製作中のボディーに中心線を引く。その修正作業もうれしそうに行う。「精神的に本当に楽になった。眉間(みけん)のシワが無くなったもの」
 授業は平日の午前9時半から午後1時まで。青葉区国見のアパートに戻って家事を済ませ、夕方から近くのスーパーで4時間ほどのアルバイト。帰宅後は好きな音楽を聴きながら、お酒を少々。ギターのことは夢にまで見る。
 「初めて生き方というものを考えましたね」と振り返る。「あのまま仕事を続けていたらどうなっていたか。自分の時間を持ち、好きなことをする。今の充実感は、何物にも替えられない。生き方も、家族の形も、いろいろあっていいのでは」。穏やかな笑顔に迷いはない。
 仙台に来て1年余。人生を変えたアカデミーの広告文句を思い起こす。「将来は誰にも分からない。きっかけは何でもいい、一歩踏み出すのが大切だ」。今春、さらに高度な技術の習得を目指し、2年目の課程に踏み出す。

何か違うことがしたいと、いつも思っています。違うこと。それが何なのか、いつも分かりません。