放蕩道楽錦織

心にうつりゆくよしなしごとを そこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ

10月14日(金)

2011年10月15日 01時52分25秒 | 気分は鉄郎
「スーパーマン」好きが高じて顔をスーパーマンに整形してしまったフィリピン人男性が話題!(ハリウッドチャンネル) - goo ニュース

「スーパーマンは私のアイドルです。彼のような外見になりたかった。だから彼の鼻の形や顔のバランスをコピーしたのです」と語るのは、35歳のフィリピン人男性ハーバート・チャヴェスさん。10年間かけて、鼻、頬、唇、太ももを整形。さらに肌の色を白くし、スーパーマンそっくりに“変身”した。
ファッションデザイナーとして働くチャヴェスさんは子供の頃からスーパーマンの熱狂的なファンで、部屋はスーパーマングッズだらけ。ついには自分でスーパーマンのスーツをデザインしてしまったほどだ。昼はデザイナーとして働くが、夜はスーパーマンになりきって地域で活動。「近所の人や知り合いに良い行いをすることで、誰でもスーパーヒーローになることができる」と語っている。
しかし、驚いたことにこれまでの整形だけでは満足していないとか。今後もさらにスーパーマンに近づくために、「足にメタル素材を入れて身長を底上げし、腹部の形にも手を入れる予定」と明かしている。




昔、マイケルジャクソンが在りし頃、私は1つの疑問というか、仮説を唱えていました。それは、彼の顔が整形手術を繰り返して作られたものであるならば、彼の熱狂的なファンの中にも「ほとんどが作りモノならば、自分も整形を繰り返せば彼の顔になれる」と考えて実際に行動に移し、果たしてそうなった人間が、けっこういるのではないだろうか、というものでした。学生だった当時、そんな話を先輩のジローさんとしていたら、ジローさんが面白い事を言いました。神を崇拝する人間が「神にだけはなれない」と思うみたいに、マイケルを崇拝する人間は「マイケルにだけはなれない」と思ってそれだけはやらないってのはどう?あの頃は、夜が明けるまで、そんな類の話ばかりしていた様に思います。
ところで、自分の理想とする完成形がはっきりと決まっていて、それに近づくと信じる行為をひたすら行うということ。簡単に言えば、夢を実現しようと邁進すること。今風に言えば「ブレない姿勢」の中にも他人から称賛されるケースと嘲笑されるケースがあると思います。そのアリ・ナシの一般的な判定基準とは、どこにあるのでしょうか?
例えば、バットマンみたいになりたくて、車両を改造するのは、犯罪だしナシ。まあ、これは当然ナシですよね。(本家でも、なんかこんな感じのことを言っていた気がするなあ)
じゃあ、マイケルジャクソンみたいになりたくて、ひたすら歌と踊りを練習するのはアリだけど、同じ顔に整形するのはナシとか?これは何でナシなんでしょうかね?整形手術に対する抵抗感というよりは、自分を消去して完全に誰かをコピーしようとするのはナシって事でしょうか?
じゃあ、いくら練習してもいつまで経っても絵が上達しない人が、誰というわけではないけれど、偉大な絵描きになりたいと思い続けて人生を終えるその日まで、趣味の範囲ではなく、ひたすら絵の練習を続ける事は、アリでしょうか、ナシでしょうか?もしも、そこまで親しくない程度、その人がイイ人とか悪い人とかの判断もできない程度の、そんな顔見知りがいると想像してください。私には、何かナシの様な気がします。これは、実は完全コピーと同じ理由かも知れません。自分という素材を全く生かしていないからではないでしょうか?
以上、スーパーマンになりたい人の記事を読んで「変なヤツ」と思ったけれど、同時に「なぜ、そう思うのだろうか?」と考えたので、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ掘り下げてみました。この話、もっと真面目に掘り下げると、実は色々と面白そうですが、やめます。根気がいりそうだし。

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