社会人の生き様

波乱万丈な社会人の人生を綴っております・・・

理想と現実

2011-05-08 00:16:38 | 発達障害

お金が無ければ・・・

好きな人と付き合えない

結婚できない

友達と遊べない

遠出できない

 

そして、発達障害の私は・・・

仕事ができなくて、どうやっても、ある一定の期間すると、すぐクビにされる傾向があるため、将来が不安で仕方ない

何歳になっても、他の人がどこからか仕入れている常識を知らなくてバカにされる

親や友達は、いつかは正社員になれると言うけれど、ある一定レベル以上の仕事を任されると、どうしてもできなくなってしまうため、下手をすると一生、正社員になれない可能性がある

親が死んでお金が尽きたら、どうなるかわからないから怖い・・・

聞けば、発達障害者は、窮地に陥ったら、犯罪に走るか、他者に助けられるのを待つしか無いという・・・

 

あまり考えると、また鬱が再発してマズいから、あまり考え込まないようにしているけれど、なんだか時々、将来が不安になって仕方が無くなる。

お金が全てというわけではないけれど、結局、お金が無いと何もできない。。。

それが辛い・・・

 

表沙汰では、介護の仕事をしていると胸を張って言っているけれど、所詮、正社員じゃなければ、タダのフリーターなんだよね・・・

社会レベルで言うところの底辺な人間なんだよね・・・

周りにそう言われて、なんだか悲しい。。。

でも、事実は事実だから受け入れるしかないんだよね・・・

 

なんだか、お金といい、障害といい、理想と現実の違いを知ると、なんとも言えない気分になる・・・

 

よろしければ、ポチッとな⇒人気ブログランキングへ

ブログの応援、宜しくお願いします。


小学校時代の私

2010-09-22 20:40:39 | 発達障害
保育園を卒業し、小学校に入学した。



小学校1年生の頃は、時計の計算からわからなかった。
それからというもの・・・
親との特訓が始まったのだった・・・

運動も勉強もできないから、せめて勉強だけはできるようにしようと・・・

これが親の思いだった。

家では、掛け時計を用いて、

『今は、何時何分か?』

『一時間経つと、何時になるか?』

そういったことばかり質問され、只管、私は答えていた。

おはじきなどの『減った』『増えた』などの数を数えるのも、
凄い苦労した覚えがある。

いつも家に帰ると親からの特訓が待っていた・・・

それからだった・・・
私が家に帰ったら勉強するという習慣をつけるようになったのは・・・


放課は、ずっと、教室で一人で遊んでいた。

あの頃は、なぜか、外で遊ぶのが全く好きではなかった・・・

部屋で外の景色を眺めてボーッとすること

教室で折り紙を折ること

それがなぜか、私の日課になっていた。
もちろん、特技の無い私は、誰かに誘われて遊ぶなどということも無かった・・・

ずっと一人で過ごしていた・・・



小学校3年生になった。

ある日、担任の先生から褒められた。
学校のテストで初めて100点を採ったからだった・・・

長いこと勉強してきた甲斐があったな!!!

君は、他の子より理解は遅いけれど、その分、家で勉強していたからな!!!

『継続は力なり』だよ!

なんか、すっごい嬉しかった・・・

小学校1年生の最初の時計の問題から出来なかった私は、その時点から、『みんなに追い抜かされていってしまうな・・・』と半ば諦めモードだったから余計に・・・

やっと成果が実った!

そんな感じがした。


それからは、一躍クラスの人気者になり、『一緒に遊ぼうぜ!』『勉強、勝負しようぜ!』と、声がかかるようになった。
それからやっと、私は、学校が終わった後、新しく出来た友達と遊ぶようになった。

毎日が楽しかった!

本当に新鮮だった!


それからは、学校での態度も変わった。
毎日欠かさず、予習・復習を率先して行うようになった。
体育の授業も、男女問わず、毎日、皆に笑われることが多かったけれど、どんなことがあっても、授業に参加することは欠かさずにしてきた。

逃げるのだけは絶対にしたくなかった・・・

ただ・・・それだけだった・・・

そんな私を何となくだったけれど、多くのクラスメイトが受け入れてくれた。

だが、相変わらず、運動はできないままだった。

跳び箱は3段までしか飛べず・・・

徒競走は常にビリ・・・

平均台は、必ず、バランスを崩してすぐに落ちる・・・

学校の行きと帰りは、必ず、転んでしまう・・・


そんな、まるでアニメに出てくるキャラクターのようなことを平気で私はしていた。



小学校5年生になった。

『ねぇ!サッカーやろうぜ!サッカー!お前も来いよぉ~!俺達と一緒に外で遊ぼうぜ!』

ある日、執念深く、友達は、放課、サッカーをしようと私に誘ってきたのだった・・・
でも、私は、どうしてもやりたくなかったため、

『いや、いいや・・・』

と断っていた。

だが、あまりの友達からの執念深い誘いに断り切れず、渋々サッカーをすることにした。

楽しくて楽しくて!!

凄いサッカーが楽しかった。
それからは、放課に、毎日サッカーをするようになった。

それからだった・・・私が放課、外で遊ぶようになったのは・・・

ただ、サッカーのルールが遊んでいても全くわからず、自分のゴールに自分でボールをシュートして入れてしまったことがあって、その時は、凄い怒られたけれど・・・

『だって、サッカーのルールわからないんだから仕方ないじゃん!』

『皆、何でサッカーのルールわかるの?』

しきりに私はそう発していたが、周りの友達からしてみれば・・・

私が何故そんな事も知らないのか?

それが、凄い疑問だったそうだ。

この時知ったことだったけれど、こういうルールというのは・・・

遊びながら理解するもの

らしい。
私には、それが通じなかった・・・

だが、何とかルールを大まかに教えてもらい、遊ぶことができた。

それからは、放課後でも、もっと沢山の友達が私も元に集い、家に集まって、皆で桃鉄などをして遊んでいた。

凄い充実した毎日だった。



小学校6年生になった。

クラス会か、かくし芸か何かで、チームを組んでダンスをすることになった。
これが地獄の日々だった・・・

練習はすれど、なかなかダンスが覚えられない!!!

本当にキツかった・・・
前の人が一瞬にしてやってる手や足の動きに本当についていけなかった・・・
というか、そもそも、前の人がやっている人のマネができなかった・・・

前の人が右手を挙げている時は、私も右手を動かして・・・

あれ違う・・・左手を挙げるんだった!!!

こんなやり取りがよくあった・・・

そう・・・

相手が右手を挙げた時は、こちらは左手を挙げる

相手が左手を挙げた時は、こちらは右手を挙げる

そういった右左の処理が、瞬時に出来なかった・・・

だから、チームメンバーには笑われていた。
注意もされた。

だが・・・諦めたくない!!!

と思って頑張った!

毎日毎日、時間があれば、リーダーにお願いして特訓してもらった!

快く特訓を引き受けてくれたから本当にありがたかった!

周りの仲間より凄い踊りを覚えるまでに時間はかかったけれど、最終的には一通り踊れるようになり、振り付けもキチッとできるようになった。

出来た時は、本当にうれしかった!!!

そんな私の姿をみんなも認めてくれた。

それが凄い嬉しかった!



運動は、相変わらずダメだった。

ひきつけを抑える薬は、ずっと飲んでいた。
クラスメイトに何の薬を飲んでいるのか不思議がられたみたいだったけれど・・・

小学校時代、音楽やスポーツなどの世間の話題は本当に疎かった。
SMAPとか、KinKi Kidsとか、V6とか、SPEEDとか、そんなグループすらも全く知らなかった私なのでした。


小学校時代の私のお話は以上です。


よければ、ポチッとな→人気ブログランキングへ
ブログの応援、よろしくお願いします☆

保育園時代の私

2010-09-21 21:05:00 | 発達障害
本日は、発達障害の話をしようと思います。



母から聞いた話・・・


ある日、私は生まれたらしい。

ほとんど泣かない、割と大人しくて育てやすい子ども

だったそうだ。

その後、すぐに、ひきつけを起こし、病院へ・・・
てんかんだったらしい。
3歳位まで続いたそうだ。

他の子どもは、この頃は、遊んだり学んだりする真っ盛りの時期らしい。

だが・・・私には、その時期があまり無かったらしい。


保育園に入った。
保育園に居る頃は、私は、ほとんど一人で遊んでいたらしい。
友達は、ほとんどいなかったそうだ。

着替えること・ご飯を食べること・集まること・・・

他の人より何もかもするのに時間がかかっていたそうだ。

運動も大の苦手だった。
プールで間違えて鼻で水を吸ってしまい、溺れて死にそうになった。
あれ以来、水がトラウマになった。
そして、本当に泳ぐのが嫌いになった。
それでも、保育園の頃は、我慢して泳いでいたけれど・・・。。。

周りの子達が楽しそうに遊んでいるのを見て、
『何が楽しいんだろう・・・?』と思っていた。
みんなで集まって遊んで何が楽しいのかわからなかった。
ただ・・・その時から、

『なんか私って周りと違う世界に生きているな』

という感覚はあった。

私の、こうした、変わってる性格が起因したのか、
保育園時代、私は、よく苛められていたそうだ。

お昼ごはんの時には、ひきつけを起こさないために
デパケンという白い液体状の薬を飲んでいると、
それだけで、周りからは・・・

『何飲んでるのー?変なヤツー』

のようなことを言われ、すごい嫌だったことを覚えています。

それでも、そんな中、ただ・・・唯一、一人だけ仲良くなった友達が居た。
ハッキリと、その友達が居たことだけは覚えている。
よく遊んでいたかどうかは覚えていないけれど、
よく一緒に帰ってきていたらしい。

家に帰ってきてからは、とにかく一人で迷路ばかり書いていた。
あとは、電車を走らせる遊びに夢中になっていたそうだ。

そして、卒業式の日・・・
その友達と・・・

永遠のお別れ

をした。

彼は、家庭の事情で転校することになったからだ。

なんとなく寂しかった・・・

鮮明に記憶している。


保育園時代の私は、察すると・・・

きっと、大人しくて、ちょっと暗めの子だったのだろう・・・
そして、保育士さんなどからは

"ちょっと気になる子"

として見られていたそうだ。


そんな、保育園時代だった・・・



最後に・・・
よろしければ、ポチッとな→人気ブログランキングへ  にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 広汎性発達障害へにほんブログ村
ブログの応援、よろしくお願いします☆

WAIS-Ⅲ知能検査結果を元にプロフィール分析

2010-09-03 22:22:22 | 発達障害

ついでに、プロフィール分析も行ってみました。


プロフィール分析の結果


動作性下位検査


【特に苦手な項目】

l         簡単な言語指示

l         完全な有意味刺激の視知覚

l         有意味刺激の視知覚

l         計画能力

 

【苦手な項目】

l         空間

l         非言語的推理

l         試行錯誤的学習

l         視覚的体制化

 

全ての下位検査

【苦手な項目】

l         視覚的系列化

l         視覚記憶

l         非言語的推理

l         常識(原因影響)

l         社会的理解

 

影響因

【低い項目】

プラスまたはマイナスの影響因

l         環境への敏捷性

l         確信が持てなくても答える姿勢

WAIS-Ⅲ知能検査結果の詳細分析

2010-09-03 22:12:25 | 発達障害

ちょっと先日、診断されたWAIS(ウェスクラー/ウェイズ)-Ⅲ知能検査結果の詳細分析をしてみました。

要は、自己分析なんですが・・・



ここから、その結果・・・

WAIS(
ウェスクラー/ウェイズ)-Ⅲ知能検査の結果

言語性検査から判断


【苦手項目】

l         抽象的な社会慣習、規則、経験を扱う能力

実践的知識の表現、過去の経験についての評価と利用、慣習的な行動の基準に関する知識

社会化の程度、実用的な知識を表現する力、問題解決に要する社会的常識的な判断力

 

動作性検査(知覚統合と処理速度の検査含む)から判断


【特に苦手な項目】

l         視覚的細部を素早く感知する能力

実質的な運動を伴わない視覚認知

本質的な要素の識別、要素間の相互関係の認識、視覚的長期記憶の想起と照合

 

l         論理/逐次的推理、社会見識

結果の予測、時間的秩序の理解および時間概念

時間的概念、因果関係を把握し社会的状況を判断する力

 

l         視覚認知、スピード

視覚的探査の速さ

視覚的探索や識別の速さ・正確さ

 

【苦手な項目】

l         視覚的‐運動協応、運動と心のスピード

精神運動速度

視覚的短期記憶、事務的処理の速さ、手の動きの機敏さ、指示に従う力

 

l         空間認知、視覚的抽象処理、問題解決力

全体の部分への分解(分析方略)、非言語的概念(解法の法則性など)形成

全体を部分に分解する、視空間をイメージ化する力

 

l         非言語的抽象課題解決力、帰納的推理、空間推理

類推的推理、時間制限が伴わない場合の非言語的問題解決

非言語的抽象課題を個々に応じた一般原理や法則性や推理によって見出す力

 

動作性IQ(PIQ)から判断


【苦手能力】

l         非言語知能

見る、手で操作するなどの入出力の処理を表す視覚運動処理過程

群指数から判断


【苦手能力】

l         主として視覚や視覚‐運動に基づく知覚や認知の能力。この場合の知覚や認知とは、物と物との関係をとらえる、断片を一つにまとめる力などを指す。プロフィール分析表における『視覚的処理』・『空間』・『同時処理』などを含んだ概念

l         処理スピード