ここ数日六呂師の事務所からの帰りに道をチョロチョロと通行するネズミに出合います。車のライトに一瞬立ち止まり停車して降りて近ずくと再びチョロチョロと森の中に消えていきます。森のネズミには、アカネズミやヒメネズミという種がいて、雑樹の朽ちかけた洞などを越冬用として利用したり、倒木が折り重なってできた空間を利用したりしています。冬のための食料の貯蔵にも利用しています。
今の時期、一生懸命ドングリや木の実などを森のいろんなところに分散して貯蔵するのが通例ですが、今年はドングリが不作でどうするのか?クマの問題がクローズアップされていますが、食物連鎖や循環という視点で見てみると、このネズミの越冬の可否も重要な位置を占めています。
希少種の保護・保全という特定の種のみに焦点を絞ってしまうと、生命のつながりがぼやけてしまい維持・持続が困難になってしまいます。自然の営みという結果もプロセスも人の手の及ばない循環に私たちがどのように関係するのか?「創る」というより「どのように関係するか?」という視点が必要なように思います。
今回の、クマとネズミの関係はどのようになっているか?どう考えるか?考える中心を人以外の存在に持っていくことで、少なからずも自然にとってはいい方向性を見出すのではないでしょうか?
※写真は、現在の六呂師高原の風景です。今週は紅葉が見ごろです。
今の時期、一生懸命ドングリや木の実などを森のいろんなところに分散して貯蔵するのが通例ですが、今年はドングリが不作でどうするのか?クマの問題がクローズアップされていますが、食物連鎖や循環という視点で見てみると、このネズミの越冬の可否も重要な位置を占めています。
希少種の保護・保全という特定の種のみに焦点を絞ってしまうと、生命のつながりがぼやけてしまい維持・持続が困難になってしまいます。自然の営みという結果もプロセスも人の手の及ばない循環に私たちがどのように関係するのか?「創る」というより「どのように関係するか?」という視点が必要なように思います。
今回の、クマとネズミの関係はどのようになっているか?どう考えるか?考える中心を人以外の存在に持っていくことで、少なからずも自然にとってはいい方向性を見出すのではないでしょうか?
※写真は、現在の六呂師高原の風景です。今週は紅葉が見ごろです。