10月29日(火)曇り後雨【瑩山禅師と曹洞宗】
今日は、曹洞宗総合研究センター主催の学術大会があり、芝公園に久しぶりに出かけました。
私はこのところ、瑩山禅師について個人的に学んでいますので、公開研究会で「瑩山禅師と衆生済度ー布教教化の未来を構想するー」とした基調講演と発表を聞きたいと思い、出かけてきました。
道元禅師については、多くの老師のご提唱や、大学でも先生方の講義を拝聴したり研究会に出たことはありますが、瑩山禅師については、殆ど講義などを拝聴したことがありませんでした。
今、『伝光録』や『洞谷記』など瑩山禅師の著述に取り組んでいますが、やはり研究なさっている人達の発表を聞く機会があるということは、大変有難いチャンスです。
いろいろと書きたいのですが、特に印象に残った発表を書いておきます。
「瑩山禅師が曹洞宗に果たした功績」として、駒澤大学講師の横山龍顯先生の発表は、瑩山禅師によって曹洞宗が日本中に教線を広げていく基盤を築かれたことがよくわかりました。
「曹洞宗」という宗派意識の確立
それまで、達磨宗や臨済宗で学んだ僧たちが混在していて、まとまりがなかったのを、曹洞宗と称するようになさったのは、瑩山禅師であるということ。『伝光録』の中で頻繁に曹洞宗を表す「洞宗・洞山の一宗」などの語を用いている、ことを発表していました。(曹洞の曹は何を意味するか質問すればよかったです。洞山の弟子の曹山の説もありますが、六祖恵能が曹渓慧能とも言われますので、こちらでしょう。)
ちょうど昨日、總持寺から出されている「総持寺の瑩山さま」という雑誌のなかで、
後醍醐天皇からの「能登諸嶽山総持寺は、直に曹渓の正脈を続ぎ、専ら洞上の玄風を振う。特に日域無双の禅苑たるにより、曹洞出世の道場に補せられる。よろしく南禅第一の上刹に相並び、(略)」という勅定によって従来無名であった宗団を曹洞宗と称することになりました。
というような一文があり、気になっていましたので、そのことがはっきりしまして、よかったです。
*伊藤良久先生の「雙林寺開山月江正文ゆかりの寺院についてー群馬県天台宗寺院の碑文からー」という研究発表も、群馬県の珊瑚寺にある碑文の研究等、面白い発見ともいえる発表でした。研究は文献のなかだけではなく、足でするのは関連する場所を訪れてこその発見がある醍醐味があります。
醍醐味だけではなく、かつてこの世で活動なさった僧侶の方々、忘れ去られている方々を、あらためて顕彰させていただくロマンがあります。
(自分も器之為璠禅師の研究で山口を訪れたり、了然尼の研究で鳥取まで足をのばして研究したことを今思い出しました。器之為璠禅師に関しては出版していただけましたし、了然尼に関しては、名古屋尼僧堂から「城林」誌としてまとめていただけました。自己宣伝で恐縮ですが、すっかり忘れていたことを思い出しました。)