いったりきたり

いつも通りの日をまじめに過ごしながらにっこりしたりきゅんと身にしみたり

十三夜

2007-10-25 | Weblog
深い雲を割って冴え冴えと夜を照らしています。

陽の光がだんだん傾いて、足や顔を下のほうからあたためる。月の光はというと、まっすぐに強く強く浴びせられるという感じ。

月の光にはなにか人をその気にさせるというか、“決意”させるような力があるように思う。
なにかことを始めたい時は、こういう夜に月を見上げてみるといいんじゃないかな。


熟田津に船乗りせんと月待てば 潮もかないぬ今漕ぎ出でな 《額田王》

凜々しい姿を想い浮かべずにはいられない好きな歌。


テロリストのパラソル

2007-10-22 | Weblog
角川文庫のしおりの一言メッセージに「本の主人公は常にかっこいいか、美人を想像する」とあるけど、今回の主人公はアル中の中年だ。
仕事は一日に2,3組しか客の来ないような小さなバーを開いていて…
日課といえば、酒瓶だけを友人に晴れた日に公園でそのけしからんもんを胃袋の中に流し込み、久しぶりに見る空の青さを「悪くない」と見上げるくらいのもの。
…ミステリーの主人公には到底なれっこないはずの男なのだ。が、この主人公の「島村」という男が素晴らしくイカシテイル。
ひっそりと世の中に背中を向けて生きている人間ほど、ええっと思うような裏側を隠していることが多い。まさにそういう過去をもった男なのである。

「島村」にはご都合主義と思いつきなんかだけでは、決して流れない男の強さと孤独を垣間見ることが出来る。
(この垣間見るってとこが大事でアピールではいかんのです)
それは女の理想の男性像とはちがう抗いがたいトーンで女心の深部をくすぐり、ほーぅっと溜息をつかせる。
この溜息は始末が悪い。どの面からみてもいいところなどありようがない、どうしようもない。それなのに「ああのひとはー」と勝手に恋させてしまう種類のものだからだ。

一般社会の通念では「なんだあの男」とか周りのひんしゅくを買うようなキャラクターが『藤原伊織』の手にかかると、女心を翔ばしてくれるハードボイルになり美学になる。

07 Glider教室

2007-10-18 | Weblog
来て下さった20名のみなさんと楽しい一日でした。
あいにくの曇り空だったから
「ホントはもっともっといいのよ!」と皆にネンを押したかったところです。

“空を飛ぶ”なんて大冒険。
冒険しようなんて実はそれだけ振りほどきたいバックグランドがあるってことかもしれない…
―人生はやってやりぬくことだ―

今日の人たちがまた一緒に飛び始めてくれたらいいのにな。ってワクワク思う一日でした。

MIHO MUSEUM

2007-10-10 | Weblog
信楽の深い山の中で素晴らしい美術館に出会いました。
それぞれの地域の美術から特徴的なこと、いつもながら学術的ではなくおおまかな“感じ”で。

エジプト
立ち姿は王妃も庶民も左足を前進させた古典的な歩行の姿。
座姿はエジプト神話の神様も、猫もハヤブサも膝(!?)もかかともぴったりつけて、まっすぐですらっとした足長がそろって行儀がいい。どれも常に隙がなく正式なキチキチした感じ。
祀りの対象として造られたり収められたりするからなのかな。
どれも痩せず太らず均整を保って、顔もどれも大体一緒。視線ぱっちり見開きまっすぐに前を見据え迷いがない。理想化され個性的表現とは異なった美しさだ。

西アジア
メソポタミアにはライベイションという液体を注ぐ宗教的儀礼が古くからあったようで、その器がたくさん造られたみたい。金銀の杯、椀、瓶は牡牛や禿鷲、ライオンや大山猫のその身のこなしや表情を生き生きと描いてる。
獲物を捕らえたりむさぼり喰う様子が「もっと血をみたいんだ」なんていう人間の欲望を掻き立てていそう。こういう杯を戦場で回して兵士を鼓舞していたのかな。

ギリシア・ローマ
ギリシア神話の神様たちの像はエジプトの神々と対照的。(エジプトの神様は動物かハヤブサと人の合体みたいなのでそもそも違うけど、ここでは雰囲気のこと)
なんともいえない包容力にふんわり抱かれる。一つの動作をそのまま再現しているのではなくて、その「何か」の直前とか直後とかを魅せられて、始まりも終わりも感じさせない。だからずっと見つづけていたいっていう魔法にかかってしまったようになる。

南アジア
ガンダーラ美術の作り上げた最も大きなお釈迦様の仏像、頭光の上まで263センチメートル。そのまなざしの懐に入る時、何とも言えない静謐な気持ちに包まれる。
どの仏様も鼻筋の通った面持ちで、口角がキュッと上がった肉付きのよい唇。頬にかけて柔和な表情をたたえつつ、半眼に閉じられた目は強い力と慈愛に満ちている…
そして、両肩から全身を覆う柔らかな衣はたっぷりとドレープが流れ、肉体の起伏が迫ってきます。
なんといっても…端正なお顔立ち過ぎるっ!上に官能的ぃー!?
(仏様の像をみてこんな罰あたりな!?)
いえいえそんな俗物っぽいんじゃないんです。静寂で崇高な精神の中に本来人が生まれ持った色というのがその人を香るように包むんだろうなって感じたわけで。
…それにしても、素晴らしく“いい”。

中国
青銅器が鋳造されたころはその大発見で、どれもこれも青銅器の装飾品。
その中には比較的簡素なものもあるけど、いずれも空想上の動物と奇怪な鬼神を表した複雑な装飾。顔つきは猿で口はアヒル、トカゲの体に蛇の尻尾。なのに頭に鶏冠がついてたり。これじゃあ守護獣なのか悪鬼なのかわからない。気味が悪いよなー。装飾なんだったらもっとそれらしい容貌にすればいいのに。
副葬品の土器の焼き物なんかはまったく余計な解釈をつけてなくて(そのまま)。「猛犬」ったって「番犬」くらいでしょ。胴長短足、耳でか。「天馬」たって「ヒヒ~ン」くらいだろ。短足、鈍脚、いななく歯茎がリアルなわりにまるでヒトっぽい唇がアンバランス。
こんなにも後世に発掘されて、そして大切に保存されて世界中の人の目に触れるなんて思ってなかったんだろうな。もしそんなだったら、「もっとうまいこと(洗練した面持ちで)造っとけばよかった」なんて思っただろうか。古人の人のそんなはにかみの声を聞いてみたい。