Feel Free ! アナログ・フォト・ライフ Diary

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落ち着くまでブログを休止します

2006-12-04 18:02:40 | 写真全般
 ふと気がつけば12月。例によって更新しないままひと月あまり経ってしまった。サイトを訪れてくれていた皆さま、申し訳ありません。

 で、申し訳ないついでにと言っては何なのだが、ある事情があって落ち着くまでブログを休止することにした。ある事情とは決して健康上の理由とか、家庭の事情とかではないので、どうかご心配なく。あくまで写真をめぐる今の自分の状況にブログを書く余力がほとんど残っていないからというのがおおよその理由である。

 というわけでまた書ける余裕が生まれた際には再開を予定しているので、どうか気長に待っていて欲しいと思う。

誰もが撮れる写真

2006-11-07 15:44:50 | 写真全般
昨日、次回個展開催が決定してから沢山の人からおめでとうコメントを貰ったり、電話を貰ったりしている。本当に感謝しています。ありがとう。

さて、今さら言うのもおかしいのだが、今回に限っては行けるのではないかという予感はあった。だから落選した場合の予定はまったく考えてはおらず、コニカミノルタで個展をやるという前提の元に今後の計画を練っていたので、その意味でも審査に通ったのはありがたかった。

ぼくは(モノクロ時代から始めて)この数年間、何度も何度もブックをまとめ、その都度師匠を始め2Bの仲間にも見てもらい、そして自分の写真について深く思索を巡らせてきた。そしてその都度、思ったのは、まとめあげた写真はまあ悪くはないけれど、ぼくでなくとも撮れる写真ばかりだな、ということだった。その時まとめた写真をギャラリーに送っても、恐らく審査に通ることはなかったろう(実際、コダックでは一度落とされている)。

そんな長い試行錯誤が続いた後にまとめ上げたのが今回のブックだが、不思議なことに、試行錯誤の果てにたどり着いたのはやっぱり誰でも撮れる写真だった。技術的なことを言えば、作品の8割近くはピーカンで、ほぼ感度分の16(実際には半段開けだが、これはオーバー気味に撮るという意図からではなく、ローライコードの絞りの指標が当てにならないため、分かりやすく晴れの時は絞りを11に固定していたからに過ぎない)だし、曇りの時は露出計の示す値通りに撮っていた。しかも、ピントについてはほとんどが無限遠で撮っていたのだから、これでは技術もなにもあったものではないだろう。

だからぼくのブックのうち、数枚であるなら、恐らく誰にでも撮ることは可能なはずだ(モンゴルに行きさえすれば)。だが、数枚は撮れても、同じようなタイミングで撮影を続け、そうして撮られたネガから30枚以上を選択して、プリントを自分の作品世界にまでまとめあげるのは誰にでもできることではないと思う。誰もが撮れる写真=誰もがまとめられる作品ではないのである。

実は早くも次々期シリーズの構想に着手している。次回個展でモンゴルのシリーズは一段落着くので、その次は日本を舞台に、それも東京を舞台に撮影しようと思っている。誰もが撮れるが、誰もがまとめられるものではない、シンプルで、叙情を極力そぎ落としつつもなお残る空気感のようなものを意識しながら、次々期シリーズに挑戦して行きたいと思う。

新装版『蒼き狼』カバー写真

2006-10-04 01:09:32 | 写真全般
モンゴル隊のメンバーからの情報によれば新潮文庫『蒼き狼』の新装版がようやく刊行された模様です。

私事ながら表紙カバーに写真が採用されています。写真というより抽象的なイメージといった方がいいような写真ですが、本屋でお手に取って頂けると嬉しいです。

"American Photo"

2006-10-03 18:44:49 | 写真全般
モンゴル隊が帰国してから、妙に好天が続いている。連日秋晴れらしい爽やかな青空が広がり、早朝はさすがに冷え込むが、日中は半袖でもいいくらいに暖かい。モンゴル隊がいた間にこの天気だったらなあ、と思わなくはないけれど、まあ行った場所がゴビ地方に近いところだし、あれはあれで仕方がないことだったとは思う。

さて、それはさておき、久々に写真について少々。実はモンゴルに来る途中立ち寄った韓国の空港で、たまたま”American Photo”なる雑誌を見つけたので買ってみた。日本の分厚いカメラ雑誌とは違って、95頁くらいの薄い冊子だが、中身はなかなか充実していて面白い。特に今月号はアメリカにおいて将来を刮目される若手写真家が特集されていて、これを見ると、現在のアメリカ写真界の動向が伺われて非常に興味深い。例えば、50年代的な「健全で明るい」ファミリー像をパロディー化したティモシー・ディバインの写真や、アメリカン・ゴシックの流れをくむ何気なさにどこか不気味さを湛えたマーク・マハニィの作品等々。それにしても、やっぱりアメリカの写真ってアメリカンな匂いがぷんぷん漂っている(笑)。

こうした作品を見るにつけ、やはり思い返されるのは日本の写真のことだが、アメリカ写真同様、日本の写真にもどこか日本「らしさ」が漂っているよなあというのが正直な感想ではある。自分としては別段日本らしさを出そうとか、日本人の心を写したいとかは全然思わないのだけれど、それでもやはり日本の写真史の文脈の中に位置づけられるような写真を撮りたいとは思っている。もっとも、何を撮るかでいまだ頭の中のプランがまとまってはいないのですが……。

ところで、話を元に戻すと、この雑誌、特集の他にもなかなか読みでのある記事が多いのだが、特筆すべきは新製品紹介の記事がほとんどないことで、やはりこの雑誌は「カメラ雑誌」ではなく「写真雑誌」なのだ。日本にもそろそろ「カメラ親父向き」でも「おしゃれ写真大好き女の子向き」でもないちゃんとした写真雑誌が出て欲しいものだと思うのだが、いかがなものだろうか。

この辺り、やっぱり写真がビジネスとして根づいている国とそうでない国の違い、と言ってしまえばそれまでだが、それにしても日本の写真ブームっていったい何なのさ、と改めて考えさせられた次第である。

波動

2006-08-06 22:48:16 | 写真全般
 本日は六時間ぶっ通しでプリント作業。個展会場に置いてあったブックを完成させるのが目的だが、32枚まで出たところで師匠に見てもらう。「もうこのレベルまで来れば、あとはこの作品に感じてくれる人を捜すことだね」と言われ、少し(心の中で)ホロリ、と来る。

 今週は心の震えた一週間だった。

 人の心は波動を持っているというのが、ぼくの持論だ。誰もが波動を持っていて、それが時に干渉し、時に反発しあいながらその連鎖が波紋のように広がってゆく。喜び、怒り、悲しみ、愛情、嫌悪、あらゆる感情がその過程で生まれてゆくが、たとえ百の傷を負ったとしても、ひとつのささやかな喜びが生まれさえすれば、人と関わって行く意味はあるのだと思う。

 ぼくは今まとめているシリーズにMarginal Land(マージナル・ランド)というタイトルをつけた。「マージナル・ランド」とは「不毛の土地」という意味だが、「マージナル」には「境界的な」あるいは「メインストリームから外れた」と言った意味もある。マージナルであることは、不毛であると同時にメインストリームに吸収され得ないがゆえの秘めたる可能性を持っていることを意味しているのだ。

 モンゴルの土地は不毛だが、その彼方にはかすかな希望の光が見える。その光の美しさを信じながら、最後まで作品をまとめきりたい。

プリント難民

2006-07-25 23:21:03 | 写真全般
 個展が終了して以来、プリントがうまく行かなくて困っている。

 自動現像機の現像液を入れ替えたらカラーの色設定ががらりと変わってしまい、未だに以前の色を出すことができないでいるためだ。

 そもそも、モンゴルから帰ったときにも、ハロゲンランプ変えたから設定変わったよ、と師匠に言われて慌てたのだが、その時は案外、すんなりとぴったりの色設定を見つけられた。ところが、今回は何度フィルターを操作しても以前のようにパンチのある色合いになってくれない。しかも、暗室使用は三時間と限られているから、どうしても中途半端な色合いで妥協してしまう。

 販売作品のプリントも仕上げなくちゃならないし、個展会場に置いてあったブックもまだ完成はしていない。今週末でなんとか切りをつけたいが、それまで悶々とした日々が続くのかと思うとちと気が重い……。

新潮文庫カバー写真

2006-07-12 18:06:22 | 写真全般
 まったく唐突であるが、新潮文庫のカバーにぼくの写真が使われることが決まった。

 もっとも、イラストと組み合わされての使用であるので、イラストが主、ぼくの写真の方は単なる背景のイメージとして使われるだけ。従って写真の方も、単体で作品として成立しているものではなく、恐らくは個展や写真集ではセレクトから漏れてしまうであろう、抽象的でシンプルなイメージのものが選ばれた。

 そもそも事の発端は、先日終わった個展に新潮社の装幀室の方が来廊されたことから始まっている。聞けば、井上靖のロングセラー『蒼き狼』の新装版が近々刊行されることになったので、とりあえず写真を見せて貰えないだろうか、ということだった。なんでも、インターネットの検索でたまたまぼくの個展のことを知り、わざわざ訪ねて来てくれたらしい。

 ただし、「こちらのイメージと合うものがなければちょっと、ということになるかも知れませんし、使用させて頂くにしても、イラストと組み合わせることは決定事項なので、あくまで背景のイメージとしてですが、それで良ければ……」とも言われたが、まあ『蒼き狼』と言えばロングセラー。一度カバーに使用されれば、次の新装版が出るまでぼくの写真と名前入りの文庫本が書店に並ぶわけである。しかも、ちゃんとギャラも出るし(←ここがポイントね)、デメリットはないので快諾することにした。

 で、先日何枚かベタをお渡ししたところ、その中の一枚が選ばれた、という次第。ただ、さすがにイメージとして、というだけあって、正直この写真じゃモンゴルじゃなくても撮れるよなあ、とか、別にぼくの写真じゃなくてもいいよなあ、と思わなくもなかったけれど、見せられたラフデザインそのものは確かにかっこいい。この辺はひとえにデザイナーの力によるところが大きいと思う。

 ちなみにすでに新装版が刊行されている同じ著者の『敦煌』は、カバーに野町和嘉氏の写真が使われている。もちろん、こちらは写真主体のものですけどね(笑)。
 

新シリーズに向けて

2006-04-24 18:41:38 | 写真全般
金曜日は再春館ギャラリーの下見に品川へ。

プリンスホテル周辺を抜けてしまうとそこは閑静な住宅街。そんな場所に、再春館ギャラリーはある。結構広い展示スペースに落ち着いた空間は好印象。ただ、あまりに人通りが少ないような気もする(笑)。うーん、これだと平日は常駐していたとしてもほとんど暇を持てあましそうだな、と思い、翻訳を進めている写真論の本とパソコンを持ち込むことを決意。だいぶ仕事がはかどりそうだと妙なところに期待してしまった。

再春館ギャラリーを出た後は新宿にまわり春日広隆写真展「存在と時間」を堪能する。大判カメラを使って撮られたカラーポジをデジタル処理してモノクロ出力した作品だが、ものすごくトーンが出ていて思わず見入ってしまう。とくにニューメキシコのホワイトサンズという砂丘を写したシリーズは本当に嘘のように抽象的で美しい。ぜひぜひ必見の写真展だと思う。

土曜日。唐突にモノクロプリントが復活する。自宅暗室を使うのは実に昨年の7月以来なので、片づけが大変だった(笑)。が、自宅の暗室は超高級品はないけれど、用品類はどれもそこそこ良いものなのでやはり快適である。

ところで、どうして突然モノクロを再開したかと言えば、個展後に、今まで撮りためたカラー写真に新作モノクロを加えてシャッフルし、再構成してみようというプランがあるからだ。再構成をしながら、作品のまとめ方をさらに練り、足りないと思われる写真を新たに撮り下ろしながらシリーズを作ってみたい。そのために、ひょっとすると今まで使っていたカラーフィルム(ポートラNC)を捨てて、別のフィルムを使用するかも知れない。

個展も終わっていないくせに、と言われてしまうかも知れないが、常に複数のテーマやシリーズを念頭に置きながら作品作りをしてゆくのは重要なことだと思う。特にぼくの場合はこれまでモンゴルという特殊性に依存してきた部分があるので、来るべき6月の個展ではなく、その次の個展こそが真価を問われるのではという気がしている。

モンゴルを写す写真家ではなくて、ただの写真家と呼ばれたい。そのための新シリーズである。

久々の……

2006-04-13 21:35:25 | 写真全般
更新であるような(笑)。書きたい話題はないわけではなかったのだけど、あれよあれよという間に時は過ぎ、4月になって桜ももうほとんど散りかけている。困ったものだ。で、何から書き始めれば良いのかよく分からないのだが、取りあえず、個展やるよ、ってことで時期的にはまだ早いけど再春館ギャラリーのスケジュールにも記載されたので、こちらにもアナウンスしておきます。

 海野未来雄写真展
 「WILDERNESS (荒景)~モンゴル、2005年夏冬~」

 2006年6月18日(日)~6月30日(金) 於:再春館ギャラリー

 12:00~17:00(月~木、但し水曜休廊)、12:00~19:00(金~日)

現在プリントも大詰めを迎えているが、今のところ四切22点、大全紙4点の合計26点で構成する予定だ。

売り込み続報……!!

2006-03-17 11:21:13 | 写真全般
昨日、Nカメラに売り込みに行ったと書いたが、その後新展開が!!

なんと、6月号に掲載されることが決まったというのだ。

えっ、ほんとにいいの!? というのが正直な気持ちである(笑)。聞き間違いじゃないよね。いやー、売り込みというのはやはりしてみるもんである。

というわけで、掲載枚数とか詳細は来週決まるらしい。

とりあえずは報告まで。詳細はまた改めて……。