昨日あたりからようやく重い腰をあげてバライタプリントを始めた。このところすっかり頭がカラーモードになっていて、どうにもモノクロプリント、中でも一段と手間ひまのかかるバライタが面倒くさくてしかたなかったのだ。
だが、モンゴル展に提出するブック用にどうしてもバライタが欲しかった。カラーは本数をさほど撮ってこなかったのでカラーだけでブックをまとめるには点数が少なかったし、そうかと言ってモノクロのRCプリントを混ぜたのではカラープリントに力負けしてしまうように感じていたのである。
で、バライタ紙を使って冬のモンゴルを焼き直していったのだが、一枚目を焼き、暗室の電気をつけたところで驚いた。RCでは決して出せなかったトーンがバライタ紙の上に溢れるように出ているではないか。いや、自分のプリントであんなに驚いたのは始めてだった。
もともと冬のモンゴルはその出来映えを師匠に褒めて頂いたものだった。後にも先にもモノクロを褒められたのはその時くらいのものだが、それはともかく、冬のモンゴルがもともと豊かなトーンを持ったプリントだったことは確かだ。
だが、悲しいかな所詮はRCプリント。その紙としての存在感、銀量が豊富なことによる豊かな質感という点ではバライタプリントに一歩も二歩も劣ってしまう。
もっとも、このことは逆の言い方をするなら、バライタの美点を最大に生かすには、現像したもともとのネガフィルムが豊富なトーンを持っていなければならないということだ。それが証拠に、これ以前にバライタで焼いた東京シリーズは師匠にはやっぱカラーだね、と言われるし、ワークショップ仲間のIさんに到っては「海野さんってさあ、モンゴルのモノクロは良かったのに、なんで東京はぱっとしないんだろうねえ」などと言われる始末。
その時は「うーむ……」とひたすら唸っているだけだったけれど、冬のモンゴルを焼いた今、東京シリーズがてんで話にならん、ってのは良く分かります。もっとも、「なんで」っていう部分については未だにこっちが聞きたいくらいなんだけど(笑)
というわけで、ここしばらくは東京シリーズをカラーで撮りながら、モンゴルシリーズをバライタに焼き直してゆく作業を続けてゆこうと思っている。
だが、モンゴル展に提出するブック用にどうしてもバライタが欲しかった。カラーは本数をさほど撮ってこなかったのでカラーだけでブックをまとめるには点数が少なかったし、そうかと言ってモノクロのRCプリントを混ぜたのではカラープリントに力負けしてしまうように感じていたのである。
で、バライタ紙を使って冬のモンゴルを焼き直していったのだが、一枚目を焼き、暗室の電気をつけたところで驚いた。RCでは決して出せなかったトーンがバライタ紙の上に溢れるように出ているではないか。いや、自分のプリントであんなに驚いたのは始めてだった。
もともと冬のモンゴルはその出来映えを師匠に褒めて頂いたものだった。後にも先にもモノクロを褒められたのはその時くらいのものだが、それはともかく、冬のモンゴルがもともと豊かなトーンを持ったプリントだったことは確かだ。
だが、悲しいかな所詮はRCプリント。その紙としての存在感、銀量が豊富なことによる豊かな質感という点ではバライタプリントに一歩も二歩も劣ってしまう。
もっとも、このことは逆の言い方をするなら、バライタの美点を最大に生かすには、現像したもともとのネガフィルムが豊富なトーンを持っていなければならないということだ。それが証拠に、これ以前にバライタで焼いた東京シリーズは師匠にはやっぱカラーだね、と言われるし、ワークショップ仲間のIさんに到っては「海野さんってさあ、モンゴルのモノクロは良かったのに、なんで東京はぱっとしないんだろうねえ」などと言われる始末。
その時は「うーむ……」とひたすら唸っているだけだったけれど、冬のモンゴルを焼いた今、東京シリーズがてんで話にならん、ってのは良く分かります。もっとも、「なんで」っていう部分については未だにこっちが聞きたいくらいなんだけど(笑)
というわけで、ここしばらくは東京シリーズをカラーで撮りながら、モンゴルシリーズをバライタに焼き直してゆく作業を続けてゆこうと思っている。