中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る甲州道中四十四次(第6回);第1日目(1);西光寺から歩き出す

2013年10月02日 11時57分47秒 | 甲州道中四十五宿

                        <もうすぐ犬目宿のところで素晴らしい展望が開ける>

  歩いて巡る甲州道中四十四次(第6回);第1日目(1);西光寺から歩き出す
            (五十三次洛遊会)
       2013年9月28日(土)~30日(月)

第1日目;2013年9月28日(土) 

<ルート地図>

■第6回ルート全体地図


■第1日目ルート地図


■ルート地図(詳細図)


<四方津へ>

■塔ノ岳へ登るときと同じ時間に家を出る
 月日の経つのは実に早い.前回の7月7日(日)の甲州街道の旅から,もう3ヶ月近くも経過した.その間,本来,サンデー毎日の筈の私も,何だかんだで,随分と慌ただしい毎日が続き,実のところ,今回のルート地図の準備には随分とシンドイ思いをした.そして,それこそ「あっ…!」という間に,今日の出発日を迎えてしまった.
 毎度のことながら,加齢とともに睡眠時間は短くなり,昨夜就寝したのが21時を過ぎていたのに,今朝,2時過ぎには,もう,目が覚めてしまう.その後は,とても,とても,眠れない.だからといって,真夜中に起床して,ゴソゴソしていたら,家族やご近所に迷惑が掛かるので.4時頃までは,起床するような,起床しないような,曖昧な時間を過ごす.
 こうなったら,毎度,塔ノ岳に出かけるときの時間割に沿って,朝の時間を過ごす.そして,まだまだ早すぎるなと思ったが,5時10分に家を出発して,最寄りの湘南モノレールの駅に向かう.そして,初電に乗車して大船駅に向かう.初電に乗車する顔ぶれは何時も一緒である.この方達は,多分,リュックを背負って週に2度ほど電車に乗っている私を,何か奇妙な所に勤務している人間だなと誤解しているに違いない.
 大船駅前のコンビニで,今日の昼食と,僅かばかりの非常食を調達する.それに,この会の会合のときは,何時も必ずアンパンを購入することにしている…と,いうのも,このグループの中に愛称“アンパンマン”さんという方が,毎度参加するからである.

電車を何回も乗り換えて…
 このまま電車に乗り込んだのでは,大分,時間が早すぎるので,駅前の24時間営業のファストフード店に立ち寄って,軽くコーヒーを賞味する.いや,本音を言えば,出がけにまずはコーヒーを飲みたかったから,わざと早く自宅を出発したのかもしれない.
 …ま,それはともかく,大船6時00分発東海道本線東京行の電車に乗車する.実は次の6時10分発湘南新宿ラインの電車に乗っても十分間に合うのだが,十分にゆとりを持って待ち合わせ場所に行くのが私の趣味だから,セカセカ(…でもないか)と.早め何でもしてしまう癖がある.それなのに,
 “明日やればいいことは,今日やらない…”
なんてうそぶいているから,他の人から見たら,
 “あいつは分かりにくい人間だな…”
と思われているかも知れない.
 電車に乗った途端に,無性に眠くなる.ついウトウトとして,“ハッ”と目覚める.そして,
 “シマッタ! 寝過ごしたか”
を,それこそ何回も,何回も繰り返す.
 “これは,座席に座っていては寝過ごすな”
と思った私は,戸塚を過ぎることから立ったままで過ごす.そして,浜駅と東か縄川駅で乗り換えて,浜線八王子行の電車に乗車する.電車は多少混雑しているが,運良く座れる.
 “よお~しっ…! 終点までユックリ居眠りするぞ…”
と思ったが,今度は全く眠れないし,眠くもない.まあ,睡魔なんて好い加減なもんだなぁと重いながら,小1時間の退屈な時間を車内で過ごす.
 7時23分,電車は定刻7時23分に八王子駅に到着する.八王子で中央本瀬の電車に乗り換える.今日は土曜日.丁度ホームに入ってきた下りの特急は,山ヤ行楽地に出かける乗客で超満員である.車内はおろかデッキまで行楽客で溢れている.
 駅員が,マイクで,
 「(列車の)ドアーが閉まらないと発車できません.もっと中まで入って下さい…グリーン車の出入口からも乗車して下さい.今日の指定席,グリーン車ともに満席です.」
を繰り返す.そんなこんなで,特急電車は定刻を2~3分遅れて出発する.
 続いて到着した9時38分発高尾行の電車に乗車する.こちらの電車もかなり混雑している.勿論座れない.高尾で甲府行の普通電車に乗り換える.こちらは6両の短い編成の電車である.超満員.こんな電車に乗り合わせると,別に座席に座りたいわけではないが,何とも切なくなってしまう.
 電車の車体が古いのか,やけに細かい振動が多くて,音もうるさい感じがする.
 電車が上野原に到着すると,高校生らしい若い人達が沢山降りてしまう.途端に車内はガラ~ンとした雰囲気になる.上野原を出発すると,電車の振動と騒音がますます気になり始める.何時も乗り慣れている湘南電車や横須賀線の電車に比較すると,どうも乗り心地が悪い感じがする.もっとも,これは私一人が感じたことで,本当にそうなのかは分からない.

<四方津駅に到着>

■四方津駅集合
 8時16分,集合場所に四方津駅に到着する.集合時間は9時丁度.集合時間より40分以上
早く到着したことになる.
 “こんなに早く来るのはオレ1人だけだろうな…” 
と思いながら,駅舎の外へ出る.
 ところが,驚いたことに,参加予定の男性お一人が,私と同じ電車に乗車して,四方津駅に到着する.
 まだ,時間があるので,四方津駅広場に面した階段に2人で座り込んで,他の方の到着を待つ.爽やかな朝日に当たりながら,ボンヤリとしているのも,なかなか乙なものである.

■タクシー相乗りで西光寺へ
 四方津駅前から,リーダーが予約しておいたタクシー4台に分乗して,8時52分に出発,今回の出発地点である西光寺へ向かう.
 タクシーは曲がりくねった急坂を勢いよく登っていく.
 途中,何となく見馴れた風景の所を通る.いつ通ったのかハッキリは思い出せないが,山仲間と一緒に,どこかの山に登った帰りに,この辺りを通ったことがあるようだ.
 9時05分,西光寺に到着する.

<タクシー分乗で西光寺に到着>

<西光寺前から歩き出す>

■出発前にジックリとストレッチ
 今日から3日間の行程は,距離も長いし,高低差もかなりあってハードである.
 まず,初日の今日は,とにかく行程が長い.前回(第5回)は余りの蒸し暑さのために,当初歩く予定だったコースを途中で切り上げてしまった経緯がある.その分だけ,初日の今日は,余計に歩かなければならない.
 明日,第2日目は,笹子峠越えという難所がある.参加者全員が必ずしも山道になれているわけではない.そこを何とか全員で無事に通り抜けたいなと思う.そして,3日目になると,殆ど下り坂が連続するだけなので余り問題はないだろうと思っている.
 …というわけで,私の最大の願いは,1人の落伍者もなく,参加者全員が,無事,3日間歩き通すということである.それには,まず,初日の今日を疲労度最小限で切り抜けて,明日の難所に備えなければならない.
 私は,差し出がましいかなと多少の躊躇があったが,全員にウォームアップのストレッチをシッカリしようと呼びかける.私もともとシャイな人間である,だから,先頭に立って何かをするとこいうことは殆どない面倒臭がり屋である.ましてや,山岳ガイドでもない私がしゃしゃり出る所ではないが,
 “今回だけは別だぞ…”
と自分自身を鼓舞して,率先して,ストレッチの音頭を取る.
 ストレッチは西光寺境内の一角を拝借して行う,私は,
 「…(斯く斯く然々なので,)歩き出す前に,シッカリ,ストレッチしましょう…」
と一同に呼びかける.
 幸いなことに,山学校に通っていた私は,それなりにストレッチのやり方を習得しているので,10分ほど掛けて,頭の先から足の先までのあらゆる筋をシッカリと伸ばすストレッチの音頭を取る.
 そして,9時17分,いよいよ西光寺前からの歩き出しである.
 歩き出して間もなく,9時25分に中央自動車道に架かる陸橋,北久保架橋を渡る.この橋は一見石畳風で,なかなか風情がある.

<中央自動車道の上に架かる陸橋を渡る>

■野趣豊かな草道
 架橋をわたると直ぐに野趣豊かな草道になる.
 もう今は9月末である.まだまだ,蒸し暑い日が続いているが,道路の両脇の木々に何となく秋の気配を感じる.
 長閑な道を歩いていると,気分も随分とリラックスしてくる.
 “これだから,散策は止められないな…”
と思いながら,草道を楽しむ.

<野趣豊かな草道>

■大先達の碑
 長閑な草道は,直ぐに舗装道路に突き当たる.
 9時27分,舗装道路に出た所に大先達の碑が立っている.この碑にどのような曰く因縁があるのかは良く分からない.
 碑の前には,空のラムネ瓶が2本置かれている.いたずらで置いたのか,それとも,大先達に献上したものか良く分からない.

<大先達の碑>

コスモスが咲き乱れる
 咲き乱れるコスモスを眺めながら,ほとんど自動車が通らない舗装道路を西へ向かって歩き続ける.
 今日は秋晴れ.少々気温は高いが,まずまずの行楽日和である.歩きながら,前後の仲間と雑談する.
 「前回は,飛んでもなく暑くて大変でしたね…」
 今日も幾分蒸し暑いが,前回の40℃を上回るような照り返しの舗装道路を歩くよりは,随分とマシである.

<コスモスが咲き乱れる街道を行く>

■荻野一里塚跡
 9時29分,荻野一里塚跡を通過する.ここが一里塚跡のことを示す案内杭が1本立っている.この杭の後ろが僅かに残る北側の塚の一部のようである.
 江戸日本橋から19里目の塚である.

<荻野一里塚跡>

■赤い鳥居
 9時33分,進行方向右手の丘に赤い鳥居が立っているのが見える.稲荷神社なのだろうか?
 本来ならば物見高い私は,当然,石段を駆け上がって,社殿の写真を撮ってくる筈だが,残念ながら今日は長い行程を歩かなければならない.時間の余裕がないので,写真は諦めるしかない.
 この神社の由来は,残念ながら調べる術がない.

<赤い鳥居>

■バス停荻野入口
 9時34分,バス停荻野入口を通過する.
 地図の上で,バス停荻野の位置を確認.私たちが,今,何処を歩いているかをチェックする.
 バスの時刻表を見ると,1日に2~3本の便しかない.こんなにバスの便が少ないのも自家用車の普及の結果だろう.それにしても,年老いて自家用車が運転できなくなった住人には,何とも不便で堪らないだろう.私は,自家用車を運転しなくなった我が身に置き換えて,考えさせらてしまう.

<バス停荻野入口>

■武甕槌神社
 9時51分,武甕槌神社の前を通過する.石造りの立派な鳥居が立っている.
 残念ながら,時間の都合で,参拝せずに通過してしまう.この神社の由来などについては,全く何も調べていない.

<武甕槌神社の鳥居>

<矢坪間ノ宿跡>

■赤白のアンテナ
 矢坪架道橋を渡り,矢坪坂に差し掛かる.緩やかな登り坂である.
 資料1によると,この辺りに矢坪間ノ宿があったようである.享保3年(1530年)相模国北条氏綱の軍勢が甲斐に攻め込んだ.そのとき小山田越中と,この坂を挟んで対峙した.激戦の末,破れた小山田勢は富士吉田方面に敗走したという.
 この近くに矢坪坂古戦場跡の案内板があるとのことだが,見学は割愛して先へ進む.
 やがて,進行方向左手に,赤白のアンテナが見え出す.ということは途中にあったはずの座頭転ばしは,何時の間にか通過したことになる.資料1によると,深い谷を挟んでヘヤピン状にカーブする場所に差し掛かった盲人が,先行する人の声を頼りにして歩いていたが,道を踏み外して谷底に転落したという言い伝えがあるようだ.
 私たちが歩いている道から少し外れた所に軍勢神社があることは分かっているが,先を急ぐために立ち寄らずに通過する.

<赤白のアンテナを通過する>

古い石塔
 9時53分,古い石塔の前を通過する.この石塔は何だろう? 良く分からない.
 “まあ,何でもいいや…”
ということにしておこう.

<古い石塔>

■自動車道に合流する
 9時55分,長閑な道は終わりになり,ガードレールが付いている坂道を下って,2車線の自動車道に合流する.

<自動車道に合流>

■木陰で休憩
 10時05分,見晴の良い場所に到着する.この先もうすぐ犬目宿である.
 大分蒸し暑くなり始める.私たちは,近くの木陰で,10分ほど休憩を取る.
 「…必ず水分を補給して下さい…」
リーダーと私は,一同に注意する.

<木陰で休憩>

[参考資料]

資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
                                         (つづく)

「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/12a6df63e16a1bfd55c749d3e35bef54
「甲州道中」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9d772900339c2a2ea68de39d643382a2
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58
「甲州道中」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/583886c80d2ce6bd9956f000f9258589

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