中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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廃線の旅;湘南軽便鉄道沿線を巡る(前編);秦野から上井ノ口まで

2014年11月12日 21時29分43秒 | 関東・伊豆箱根・上信越

                                  <台町駅跡で説明を伺う>

  廃線の旅;湘南軽便鉄道沿線を巡る(前編);秦野から上井ノ口まで
             (五十三次洛遊会)
        2014年11月12日(水) 曇後晴

<ルート地図>


  
  ※この地図は正確ではありません

<小田急線秦野駅>

■新基軸の例会
 五十三次洛遊会が発足して何年になるだろうか.すぐには正確な年数は分からないが,まだ10年にはならないものの,かれこれ数年は経っている.その間,20名ほどの会員が結束良く和やかに活動を続けているのは本当に素晴らしいことだと思う.
 その間の主な活動は,特別企画としての街道歩きや,定例的に鎌倉散策を繰り返すなどであったが,前回の例会のときに,ふとした話の弾みに,秦野にある廃線,湘南軽便鉄道沿線を歩こうということになった.正にこの会にとって新基軸の計画である.早速,この会のプロモーターであるABさんの取り纏めによって,本日(11月12日)に臨時例会として開催されることになった.
 本日の案内役は地元にお住まいのTNさんである.
 私も開催日数日前から,インターネットを使って,湘南軽便鉄道のことを調べ始める,その結果,JTのホームページに湘南軽便鉄道の経緯などについて詳しい記述があることを知った.私が鎌倉に住居を構えてから,今日までかれこれ50年近くになるのに,近くに湘南軽便鉄道があったとは全く知らなかった.今回は実に興味ある大発見である.私は今回の臨時例会に大いに期待している. 

■小田急線秦野駅
 集合は小田急線秦野駅9時30分である.
 心配性の私は,まだまだ早過ぎると分かっているのに,6時過ぎに自宅近くを通る始発バスに乗車して出発する.バスは背広を着た通勤客で混雑している.そこ中に,バッチイ服装に小さなリュックを背負った私が乗り込むんだから,一寸勇気が要る.なんとも場違いな所に入り込んでしまったような躊躇いを感じる.
 いつも塔ノ岳に通っているときと同じように,小田原駅で小田急電車に乗り換える…が,1時間も早くに秦野駅に着いてしまいそうなので,駅構内のBeck'sに入り込んで,40分ほど時間を潰す.私は週に2回は小田原駅から渋沢駅まで通っているので,隣駅の秦野駅までの所要時間もほぼ正確に把握できる.もう安心である.十分に余裕を持って,集合時間の20分前に秦野駅に到着する.
 集合場所には私より先に,案内役のTNさん,世話役のAB夫妻が居られる.
 本日の参加者は約10名.なかなかの盛況である.

<水無川の河川敷>

■秦野駅集合
 9時05分,世話役のABさんが開会の挨拶.次いで本日の案内役のTNさんから,今回の散策コースの概略の説明がある.
 説明後すぐに歩き出す.
 まずは,秦野駅南側の階段を下りて,「秦野駅湧水マップ」の前に集まる.
 ここで,TNさんから秦野盆地の形成過程や,湧水がなぜ多いかなどを含めて秦野市にかんする種々の説明を受ける.TNさんは地元の方,随分と良く勉強されているなという印象をもつ,
 
<秦野駅集合;ABさんの挨拶>                    <湧水マップの前でTNさんの説明を伺う>

■湧水マップ
 秦野市内だけで約30箇所の湧水があるという.
 この地図を見ながら,TNさんから,秦野地区の湧水の説明を受ける.


■弘法の湧水
 9時47分,駅前から歩き出す.
 寿徳寺沿いの道を歩いて,9時57分に弘法の湧水に到着する.ここで観光のため立ち休憩.数人の方が水を飲む.私は何となく飲む気がしないので,そのままパス.弘法の清水を飲んだ人の感想は,
 “軟水で美味しい…”
とのこと.
 この水でコーヒーを入れたら美味しいかもしれないとどなたかが言っている.私個人は,市街地のど真ん中にある湧水なので.どうも飲む気になれない.
 
<寿徳寺脇を水無川へ>                          <弘法の清水>

■水無川沿いの道
 水無川の右岸に突き当たる.この右岸沿いの道は,過日,弘法山に登ったときに通ったことがあるので何となく見覚えがある.
 岸沿いの手すりを眺めていると,何と湘南軽便鉄道の機関車をモチーフにした飾りがある.これまで,何回かこの道を通ったことがあるが,ついぞ気がつかなかった.つまり,軽便鉄道があったなんて想像報していなかったからだ.
 10時03分,平成橋から左岸川の河川敷に降りる.
 
<水無川右岸のレリーフ>                        <平成橋を渡って河川敷に降りる>

■河川敷を遡る
 水無川の左岸河川敷を上流に向けて遡る.今日の水無川には水が流れているが,暫く雨が降らないと,伏流水だけになってしまうとのことである.
 ここから1時間ほど川岸を遡ると,塔ノ岳登山口近くの大倉に到着するという.私は大倉がそんなに近いのなら,近いうちに,塔ノ岳の帰りに,秦野まで歩いてみようかと急に思いたつ.
 10時15分,河川敷から左岸沿いの道に登り,本町の繁華街を北東の方向に歩く.
 
<水無川の河川敷を遡る>                       <本町を歩く>

<軽便の始発駅から歩き出す>

■秦野駅跡
 10時32分,軽便鉄道秦野駅跡に到着する.
 途轍もなく大きな某大手チェーン大規模店の入口広場に集まって,TNさんの説明を伺う.ここでは説明内容を細々と記述するのは差し控えるが,ここが,かつての秦野駅があった場所である.ただし,当初は隣の台町駅が始発駅だったとのことである.
 
<TNさんから説明を聞く>                        <秦野駅跡>

■軽便鉄道の説明板;秦野駅
 秦野駅跡には,説明板が建てている.ここが馬車鉄道湘南軌道の始発駅があった場所である.
 この説明板によると,湘南軽便鉄道の愛称は「けいべん」.明治39年(1906年)湘南馬車鉄道株式会社が秦野町(現在,本町3丁目)から,吾妻村(現二宮町二宮)まで軌条9.6キロメートルが敷設されたという.1頭の馬が客車または馬車を引くもので,大正2年(1913年)からは無煙炭燃料の蒸気機関車に代わった.軌条幅は76.2センチメートルという小さなものだった.
 その後の経緯はこの案内板に記載されているとおりである.
 昭和12年(1937年)に,このけいべん鉄道は廃止された.
 もと列車マニアだった私が特に興味を持ったのは,この案内板の右上に記載されている乗車券の鋏の形である.どうやら秦野駅の鋏の形は先端が斜めになった形だったようである.
 “そういえば,この頃,硬券のキップに入鋏する風景は全く見られなくなったな…”
と感一入である.
 なお,小田急線の秦野駅は,こちらの秦野駅と区別するために,当時,大秦野駅と呼んでいたようである.


<秦野駅の案内板>

<軽便道を行く>

■バス停下宿
 秦野駅跡から歩き出す.歩き出してすぐの10時35分,バス停下宿を通過する.バス停の近くに「軽便みち」の刻字のある石柱が立っている.
 車1台がやっと通れるほどの狭い路地道に入る.
 
<バス停下宿>                                <軽便道の石柱>

■狭い路地道
 狭い路地道の両側には商店や住宅が立ち並ぶ.いかにも軽便が通っていた跡かのように,緩やかなカーブが続く道である.
 私達は往時を想像しながら,軽便道を歩き続ける.

<軽便跡の路地道>

■台町駅跡
 10時51分,台町駅跡に到着する.
 ここでもTNさんからの説明を拝聴する.
 台町駅跡にも説明板が設置されている.この説明板の時期によると,当初の始発駅は,台町だったようである.その後,たばこ専売公社工場(先ほどの大規模チェーン店のある場所)があった秦野駅まで軌条が延長されたとのことである.
 案内板を見ると,台町駅の鋏の形はM型であったようである.
 “実に面白い…!!”

<台町駅跡>

■あれぇ~っ! こんな所歩くの!
 台町駅を過ぎてから,余所様の庭先のような所を通過して,狭い土手道に入る.こんな所,通って叱られないの…と,ちょっと心配になる.でも,反対にこの道幅の狭さが,如何にもトロッコ風である.そんなところが実に面白い.
 私は常に地図を手許において,何処を歩いているかフォローしているが,この辺りは,地図に載っていないところを,右へ左へと曲がりながら先へ進むので,遂にフォローできなくなる.したがって,この辺りの道程は,冒頭の地図ではトレースせず適当にプロットしてある.
 
<細い道を行く>                                 <小田急の電車が行く>

<沿道の社寺訪問>

■命徳寺

 10時59分,ひょいと脇道に入って命徳寺に到着する.どうやら天台宗の寺のようである.
 境内のモミジが紅葉し始めている.
 立派な本堂が建っている.名刹のようだが,この寺の由来などは全く不明.
 11時16分,前方に小田急電鉄の高架が見え始める.この高架を手がかりに,地図で現在地を確認する.

<命徳寺>

■養泉院
 11時18分,養泉院に到着する.養泉院も天台宗の寺のようである.続いて,11時19分,小田急電鉄の高架下を通過する.


<養泉院>

■嶽神社
 11時31分,嶽神社に到着する.鬱蒼とした森のある立派な神社である.祭神は日本武尊.神社入口にある案内板と社殿の写真を撮っただけで通過する.
 嶽神社の由来など,冗長になるので,ここでは省略.

<嶽神社>

<大竹駅跡から上井ノ口停留所跡へ>

■大竹駅跡

 引き続き,11時32分に大竹駅跡に到着する.
 ここにも,例の案内板が立っている.大滝駅の鋏は上が山形になっている.実に面白い.


<大竹駅>

■七地蔵
 大竹駅から5分ほど歩いて,11時38分,7体の児童が立ち並ぶ所を通過する.七地蔵を一枚の写真に入れたかったが,無理なので2枚に分けて撮影したが,地蔵の大きさが全く異なる写真になってしまった.
 傍らにそれぞれの地蔵の名前を説明した案内板が立っている.

<七地蔵>

■長閑な雰囲気の脇道に入る
 11時41分,自動車の往来が激しい道から左手の脇道に入る,
 この辺りまで南下すると,辺りは長閑な雰囲気になりはじめる.特に進行方向左手の畑や色付き始めた山の紅葉が私達の心を和ませる.
 
<枝道に入る>                               <長閑な風景>

■高速道路を潜る
 11時42分頃,進行方向左手の山際に大きな柿の木が1本生えているのが見える,四方に広がった枝に夥しい数の柿がなっている.一同,足を止めて,この大きな柿の木を眺める.
 11時45分,前方に東名高速道路が見え始める.
 11時40分,高速道路のガードを潜る.
 地図で確かめると,私達はどうやら平塚市井ノ口の集落に入ったようである.
 
<大きな柿の木>                               <東名高速道路>

■路傍の小さな祠
 12時00分バス停原を通過する.辺りが何となく賑やかになり,民家が密集し始める.
 12時02分,路傍の小さな祠の前を通過する.祠の中にはかなり風化が進んだ石仏が安置されている.
 祠の前に置かれている卵のような形の石には,どんな意味があるのだろうか.
 
<バス停原>                                    <路傍の祠>

■上井ノ口停留所跡
 12時12分,上井ノ口停留所跡に到着する.
 ここにも,これまでと同じデザインの説明板が設置されているが,なぜかここの表記は「駅」ではなく「停留所」になっている.でも右上のキップには「上井ノ口駅」と書いてある.私は停留所と駅の違いが分からなくなり,頭の中がイライラする.でもそんな詮索をしてもだれも喜ばないだろうと思って,黙ったまま通過する.

<上井ノ口停留所跡>

<簑笠神社>

■バス停上井ノ口
 12時13分,バス停上井ノ口に到着する.
 バス停のすぐ先で左折して民家の裏手の方に入っていく.
 “こんな所に入って良いのかな…”
と少々気になるが,ここが簑笠神社の裏口である.
 
<バス停上井ノ口>                           <簑笠神社の裏口>

■簑笠神社
 神社の裏手から境内に入る.
 境内はそれほど広くはないが,境内の突き当たりに簑笠神社の社殿がある.なかなか立派.
 この神社の祭神は素戔嗚尊.素戔嗚尊がここに置き忘れた簑笠が神社の名前の由来だという.

<簑笠神社の社殿>

■大イチョウ
 社殿に向かって右手に威風堂々の大イチョウが生えている.
 私達は,大イチョウを眺めながら,暫時,休憩を取る.

<簑笠神社の大イチョウ>
                                 (後編につづく)

続きの記事
  ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9a6c34f9fdeeb1b14331d55034037137

「関東の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ae9e698d98355a544a3f7b31d887fc17
「関東の山旅」の次回の記事
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