中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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中山道六十九宿巡り(第12回);第1日目(1)中津川宿

2012年04月11日 10時01分06秒 | 中山道六十九宿

                        <中津川橋を渡る>

        中山道六十九宿巡り(第12回);第1日目(1)中津川宿
            (五十三次洛遊会)

       2012年4月6日(金)~8日(月)

<中津川宿の地図>




2012年4月5日(木)<前日>

<夜行バスに揺られて>

■まずは大船の整形外科クリニックへ
 中山道六十九宿の旅も,遅々として捗らないような木がしていたが,2009年9月に江戸日本橋を出発してから,かれこれ3年近くになる.途中,昨年3月の東日本大震災があったこともあって,当初の進捗予定よりは半年あまり遅れたが,それでも,今回は延べ12回目の開催となる.
 今回は美濃路を歩く.「上がり」の京都も大分近付いてきた.
 私は,仲間2人とともに,今夜,高速バスターミナル新宿から夜行バスで,今回の出発点であるJR中津川駅に向かうことになっている.
 その前に,私は右足の踵の違和感の診断を受けるために,大船駅前にある某スポーツクリニックへ行ってくることになっている.この違和感とは,塔ノ岳を往復して大倉に近付く頃,ときどき右足の踵に鈍痛を感じるという者である.
 数日前の医師の診断で,足底板を作ることを勧められた.その足底板の型取りを今日行うことになっている.本当は中山道の旅に出る前に,この靴底板が完成していれば申し分がなかったが,残念ながら完成は中山道の旅を終えた来週である.
 明日から3日間,足底板なしで,延べ54.4キロメートルの距離を,果たして何の異常もなく歩けるかどうか不安があるが,もし,少しでも足に違和感が生じたら,その日の内に歩くのを止めて退散と覚悟する.
 足底板の型取りは,それほど時間も掛からずに終わった.
 足底板を作成するために,普段,塔ノ岳詣でのときに履いている軽登山靴を,技工士に預けてしまった.したがって,その靴が足底板とともに手許に戻るまでの間は塔ノ岳詣でもお預けである.

■JR関東新宿バスターミナル(代々木)へ
 つい,話が逸れてしまったが,足底板の型取りが終わってから,一旦,自宅へ戻る.そして,何時もの時間に夕食を済ませて,風呂に入る.そして,下着を替えてから,いよいよ出発である.
 持ち物は極力少なくするにかぎるので,持参する着替えは1組だけ.最後の日だけは公共機関の電車に乗るので,近くに居る人に汗の臭いで迷惑を掛けては困るので,下着を着替えが,それまでは着の身着のままで過ごすつもりである.
 途中でイライラするのもイヤなので,十分に時間を取って,20時23分に自宅を出発する.大船から湘南新宿ラインの電車に乗車して,一旦,新宿駅まで向かう.そして,新宿駅から山手線に乗り換えて,代々木駅へまで戻る.
 JR関東新宿バスターミナル(代々木)(以下バスターミナルと略す)は,代々木駅のすぐ側にある.バスターミナルの近くにあるコンビニで,明日の朝食を購入する.そして,22時25分にバスターミナルに到着する.
 今はオフシーズンなのか,前回(昨年11月)に比較すると,待合室でバス待ちをしている人の数がかなり少ないように思える.もう,同行のO村さんが待合室で待っておられる.私のすぐ後から,I川さんもご到着.
 中津川行夜行バスは,定刻23時20分に発車する.私の席は前の方の窓側.バスの後方には,かなりの空席がある.窓には分厚いカーテンが取り付けられていて,トンネルの中にすっぽり入り込んだような印象を受ける.
 夜も更けているので,眠ろうとするが,バスが絶えず揺れるので,ほとんど眠れない.寝台列車より眠れないような気がする.それでも,色々な夢を見ながら,ウトウトしているようである.バスは途中のサービスエリアで何回か停車するらしく.その度に目が覚める.

第1日目:2012年4月6日(金) 晴(雲が多い) 寒い1日

 
<中津川駅に集合>

■早朝の中津川駅
 夜行バスは,早朝,4時52分にJR中津川駅に到着する.
 外は漸く明るくなりかけている.駅前の広場は,つい先ほどまで雨が降っていたらしく,ビッショリと塗れている.寒い.
 前回の中山道六十九宿巡りのときも,今回と同じバスで中津川に来たので,何となく懐かしい.待合室には,私たちと同じように,待合室で時間待ちをしている人が2~3人居る.
 暫くすると,待合室に隣接するコーヒースタンドが開店する.早速,時間つぶしを兼ねて,コーヒースタンドに入る.ここで,軽く朝食を摂る.バタートーストにゆで卵,それにホットミルクの簡単なメニューである.
 その内に,近くのカウンター席に座っている男性客がタバコを吸い出す.タバコの臭いが私たちの方まで漂ってくる.久々に嗅ぐ嫌な臭いである.大船辺りのコーヒーショップは,どこでも「分煙」が行き届いているので,ついぞ,タバコの臭いなど,長い間,嗅いだことがなかったので,少々驚く.
 タバコの臭いで多少不愉快になるが,これもやむを得ない.


<JR中津川駅のコーヒーショップで朝食>

■全員時間前に集合する
 集合時間は8時30分だが,集合時間の15分前には参加者11人全員の顔が揃う.
 皆さんは,中津川市内あるいは近隣のホテルで前泊していたようである.久々に顔を合わせる方々も居られる.全員が元気そうで何よりである.

<中津川駅待合室に全員集合>

<中津川宿(前回からの続き)>

■中津川駅から歩き出す
 定刻より早く全員が集まったので,8時16分にミーティング.
 まずは,リーダーのI川さんから,開会の辞.今回歩くコースの特徴,留意点などの説明がある.そのあと,私ことFHが,配付資料の説明を行う.
 そして,8時21分に,中津川駅から歩き出す.まずは駅前の通りを真っ直ぐ東南の方向に150メートルほど歩いて,中山道との交差点に到着する.この交差点まで,前回(第11回),歩いたので,今日はここが出発点になる.

<ミーティング>


<ここは中津川宿>

■前田清頓誕生地
 交差点近くに前田清頓誕生地碑がある.
 今は駐車場になっているが,駐車場の片隅に「前田清頓画伯誕生之地」と刻字してある石碑が置かれている.
 資料1によれば,「
歴史画を得意とし,大和絵の伝統を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した.その中でも,武者絵における鎧兜の精密な描写は,ことに有名である.1955年(昭和30年)に,文化勲章を受章するなど,院展を代表する画家として活躍する.晩年には,法隆寺金堂壁画の再現模写や高松塚古墳壁画の模写等,文化財保護事業に携わる.その遺志は,弟子の平山郁夫等にも引き継がれている.岐阜県中津川市に青邨から寄贈された本画や下図などを展示する青邨記念館がある.代表作の1つ「洞窟の頼朝」は2010年(平成22年)に重要文化財に指定された.」と紹介されている.
 なお,前田清頓は東京芸大教授,新町の漬物屋に生まれたという(資料3,p.154).


<前田清頓誕生地の石碑>

■間家大正の蔵
 8時30分,間家大正の家に到着する.私有地なので入れない.そこで,道路から入口の写真を撮って通過する.
 資料2によると,間家は東濃一の豪商だったという.中津川商人や宿場資料を
見学できると紹介されている.なお,間家の一族に3人の赤尾浪士がいたという(資料3,p.154).

<間家大正の蔵>

■中山道歴史資料館
 8時34分,中山道歴史資料館を通過する.開館まで時間がありすぎるので,残念ながら今回は通過する.

<中山道歴史資料館>

■中津川本陣跡
 8時34分,中津川宿本陣跡に到着する.
 ここで長州藩の中津川会議が開かれ,藩論は倒幕へ傾いたという(資料3,p.154).

<本陣跡>

■中津川村庄屋住宅
 『夜明け前』の小野三郎兵衛として登場する肥田家(資料3,p.154).
 屋根に立派な卯建(うだつ)がある.案内板の説明によると,この建物の構造体部分は江戸中期に建てられたもの.肥田家は代々「九郎兵衛」と名乗っていた.屋号は田丸屋.
 江戸後期から旅籠を経営し,1893年(明治26年)には,恵那山に登ったウエストンが宿泊している.中津川市有形文化財に指定されている.


<中津川村庄屋住宅>

■松霞堂
 8時39分,松花堂(可児屋)を通過する.建物の前の案内板によると,江戸時代,ここは米屋を営んでいたようである.


<松霞堂>

■古い家並みと枡形
 街道沿いに古い家並みが残っている.良い雰囲気である.
 やがて枡形内の休暇の前を通過する.

<古い家残る町並み>


<枡形>

<上宿>

■中津川橋を渡る
 8時43分,中津川橋を渡る.
 橋の上からの眺望が素晴らしい.冷たい風が橋の上を吹き抜ける.
 

<中津川橋>

■馬頭観音
 橋を渡って,しばらく進む,8時50分,石坂の石仏群に到着する.ここには馬頭観世音などが並んでいる.

<石坂の石仏群>

■駒場村の高札場跡
 8時55分,駒場村の高札場跡を通過する.「駒場村の高札場跡」と刻字した杭が1本立っているだけで,何もない.

<駒場村高札場跡>
                                           (つづく)

[参考資料]

資料1;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E9%9D%92%E9%82%A8
資料2;五街道ウォーク事務局『ちゃんと歩ける中山道六十七次』
資料3;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/43b95a79b2ea75d7142d8b55bd0153b3
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d591538fc6d87f0dc8b846becaceca12

[加除修正]

2012/4/13 地図修正.転換ミス訂正.

※お断り
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[編集後記]

2012年4月11日(水) 雨

 本来ならば,今日は塔ノ岳に登りたかったが,天候が良くないのと,今,愛用している軽登山靴が足底板作成のため手許にないので,諦めるしかない.先週後半の3日間,中山道六十九宿の旅で,歩き通しだったとはいえ,昨日から今日に掛けて,ろくすっぽ歩いていない.こうなると,足が萎えてしまうのではないかと気になり始める.
 明日は天気が良さそうだが,搬入業者が神奈美展に出品する絵を受け取りに来る日である.それに足底板が完成する日なので,クリニックまで出掛けなければならない.
 まあ,そんな事情なので,今日は余り天気が良くないが,午後から,また,大船までブラブラと歩きながら出掛けて,コーヒーでも飲んでこようかなと思っている.
 ものぐさをして,自宅から鎌倉中央公園の桜を眺めると満開,まさに見頃である.今日は午後から花散らしの強い風が吹くという.ということは,今,この瞬間が一番の見頃かもしれない.惜しみながらデジカメのシャッターを押す.

<2012/4/11 10:20現在の鎌倉中央公園の桜>

                                        (愚痴おわり)
 



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