<坂道を登る>
中山道六十九宿巡り(第12回);第2日目(1);深萱立場跡から歩き出す
(五十三次洛遊会)
2012年4月6日(金)~8日(月)
第2日目;2012年4月7日(土)
<行程地図>
■第2日目の行程全体地図
※再掲
■深萱立場跡付近
※再掲
<ホテルルートイン恵那の朝>
■夜明け
夜行バスで寝不足だった昨日は,歩行距離がそれほど長くなかった割には,疲労感が残った.そのため昨夜は夕食後,余りグズグズせずに就寝した.しかし,体内時計が妙な動作をするので,夜中に1~2度目が覚めてしまう.その後は,幾つも夢を見ながら,ウツラウツラの時を過ごす.
5時30分頃,堪らず起床するが,朝食までの時間をもてあます.家にいるときなら,この時間,大抵はパソコンに向かっているはずである.
手持ちぶさたである.
テレビを見るが,ニュース番組以外は見る気がしない.
自室の窓から,明るくなりかけた恵那市内を見下ろす.方角がハッキリ分からないが,多分,東の方に何かの工場があるらしく,数本の煙突から水蒸気が真っ直ぐに上空へ立ち上っている.
<ホテルの部屋から恵那市内を望む>
■ホテルで朝食
6時45分,ホテル1階のレストラン「花茶屋」へ向かう.
レストランは,宿泊客で,結構,混雑している.バイキング形式である.それほど宿泊経験があるわけではないが,私が知っている限りでは,ヨーロッパ辺りホテルより,日本のビジネスホテルの朝食の方が遙かに多種多様で美味しく感じるが,まあ,私が日本人だから,そんな印象を持つのかもしれない.
結局,何時も自分の家で食べている朝食よりも,随分と余計にいろいろな食べ物を選んでしまう.我ながら,つくづく意地汚いなと自戒する.
<バイキング形式の食堂>
<私が選んだ朝食.カロリーオーバー気味>
<深萱立場跡へ>
■タクシー分乗で深萱立場跡へ
8時15分,ホテル玄関に集合する.3台のタクシーに分乗する.
3台のタクシーはなかなか調達できず,結局最初の1台が出発してから,3台目が出発するまで数分の待ち時間が生じてしまう.
<ホテルロビー前に集合>
■深萱立場跡から歩き出す
8時52分,深萱立場跡から歩き出す.
今日の天候は晴れているが,やや寒い.
<深萱立場跡を出発>
<坂道を登って三城峠へ>
■いよいよ十三峠後半
永久橋の近くから,昨日までの道の続きを西に向かって歩き始める.この辺りは十三峠の丁度真ん中辺りである.まだまだ先が長い.
入口近くに立っている案内板によると,深萱立場跡付近には数軒の茶屋があり,多くの旅人たちの憩いの場になっていたという.
特に立場本陣は和宮をはじめ,多くの姫君や大名行列の殿様が休憩を取られた所のようである.
十三峠の長さは3里半,約14キロメートルである.尾根伝いの展望の良い土道が続く.途中には一里塚や石仏や多くの茶屋跡が残り,今でも往時の面影が良く残っていると書いてある.
暫くの間,のどかで平坦な田園風景を楽しみながら西の方向に歩く.
<暫くの間,長閑な道を歩く>
■馬茶屋跡
9時01分,馬茶屋跡を通過する.
この辺りから,深い緑陰の道になる.私たちは地図を頼りに,絶えず現在地を確かめながら,なだらかな坂道を登り続ける.
<馬茶屋跡>
<緑陰の道>
■みつじ坂
9時06分,緑陰の道を抜けて明るい広場にでる.相変わらず緩やかな上り勾配の土道がつづく.みつじ坂である.
<みつじ坂を登る>
■石畳の路が続く
9時07分頃,土道が石畳道に変わる.暫くの間,石畳の路が続く.
<石畳道が暫くの間続く>
■みつじ坂道標
9時10分,みつじ坂道標の前を通過する.
<みつじ坂道標>
■ばばが茶屋跡
9時12分,ばばが茶屋跡を通過する.雑木林の中に,ばがが茶屋の位置を示す杭が1本立っているだけで,茶屋の痕跡は見当たらない.
何とはなしに「栄枯盛衰」という言葉を連想する.
資料2(p.255)によれば,ばばが茶屋から左へ向かう道は江戸初期の中山道だという.
<ばばが茶屋跡>
■三城峠
9時12分,三城峠に到着する
長い坂道が続いたために,列が大分ばらけているが,先頭はそんなことお構いなしに先へ先へと歩いている.
ここからは下り坂になる.
<三城峠道標>
■茶屋坂
三城峠を下る.この下り坂を茶屋坂と言うらしい.9時14分,茶屋坂を示す案内杭の前を通過する.
<茶屋坂>
<恵那市から瑞浪市へ入る>
■中山道石碑
9時15分,大きな石の中山道石碑の前を通過する.道標には「是より藤」と刻字してある.この石碑は恵那市と瑞浪市の市境の立っている.
私たちは,いよいよ瑞浪市に入る.
<中山道碑>
■大久後の向茶屋跡
9時19分,大久後の向茶屋跡に到着する.相変わらずひっそりと静まりかえった雑木林の中である.
<大久後の向茶屋跡>
■大久後観音坂
石碑のところで車道に出る.車道で左折して,暫く車道を歩いた後,再び右側の分岐から山道に入る.
9時25分,大久後観音坂と刻字した立派な石柱の前を通過する.辺りは針葉樹と闊葉樹が混じった森林である.
<大久後観音坂>
■緑陰の休憩所
地図で確かめると,この辺りの登り坂を茶屋坂と言うらしい.
9時28分,進行方法左手奥にある休憩所に到着する.辺りはひっそりと静まり返っている.
気がつくと,歩き出してからここまで,人っ子一人居ない.誰にも会わない.歩いているのは私たちだけ.何だか不思議な感じになる.
<林の中の休憩所>
(つづく)
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;五街道ウォーク事務局,発行年不明,『ちゃんと歩ける中山道六十七宿』
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8ebf9535a5457086e0f98012c3a263cb
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e1fcf3c499f362e5588483d32c7426a2
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