<からす川を渡る>
[改訂版] 歩いて巡る中山道六十九宿(第7回);第1日目(1):高崎宿
(五十三次洛遊会)
2012年10月12日(金)~14日(日)
※本稿の初出は2012年10月15日である
.初稿の地図を改訂し,本文の加除修正を行った.
第1日目;2012年10月12日(金)
<ルート地図>
■第1日目の概要
■高崎宿周辺
<JR高崎駅集合>
■湘南新宿ラインで高崎へ
いよいよ今日(10月12日)から.私のリベンジ旅が始まる.
いつもの塔ノ岳に出掛けるときと同じように,4時少し前に起床する.序でに朝食も済ませてしまう.今日は大船7時15分発湘南新宿ライン高崎行の電車に乗車する予定である.朝の時間を持て余す.それに今日は平日,7時15分と言えば正に通勤ラッシュが始まっている時間帯である.そうなると,新宿を過ぎる辺りまで“立ちん坊”を覚悟しなければならない.
「そうだ!……ん,なら,時間が来るまで待っていても仕方がないので,いっそのこと平塚辺りまで逆に行って,そこから件(くだん)の電車に乗ろう・・・」
本当は逆乗りなどしてはいけないんだろうが,まあ,今回だけは,JRさんにご勘弁頂き,何時も塔ノ岳に行くときに乗車する下り電車に乗車する.電車の時刻表を睨めっこしながら,どこの駅まで逆行できるかを調べる.もと列車マニアの私には,こんな碌でもないパズルが大好きである.
時刻表を睨めっこしていると,いろいろなことが分かってくる.まず,早朝の時間帯では,国府津駅近くに電車の車庫があるらしく,国府津始発の上り電車が随分と沢山出ていることが分かる.件の電車は国府津駅6時39分始発である.
何時も塔ノ岳に行くときに乗車している電車は小田原に6時21分に到着する.ということは,この電車で下ったのでは,国府津駅まで行っても,まだ早すぎる.
「では・・・コーヒーでも飲んで鋭気を養おうか・・・」
ということで,大船駅前のマックに衝動的に入り込んで,まずはコーヒーを賞味する.値段は安いコーヒーながら結構美味.2階の窓際の席に座って,道を行き交う人を眺めながら10数分の間,コーヒーの香りとともにボンヤリとした時間を過ごす.
“早起きは三文の得”って,このことかと,自分だけでガッテンして,大船6時04分発沼津行電車に電車に乗車する.そして大磯で下車.反対側のホームで,湘南新宿ラインの電車が到着するのを待つ.6時49分,予定通りの電車に乗車する.電車はガラガラ.選り取り見取りの席が選べる.私は後ろから2両目のボックス席を1人で占領する.
平塚駅で電車の席はほぼ満席になる.
“そうだ! 大船から乗車するA夫妻に,2両目の車両に乗ったことをメールしなければ・・”
私は携帯電話と取り出して,2両目に乗車した旨,Aさんにメールする.
“よし,よし,・・これでよし.後は高崎まで居眠りだ・・”
と安心する.
ところが落とし穴.私は乗車した駅がどこかをメールの文章に書き忘れていることに気がつく.そのとき,電車はもうすぐ大船に到着する寸前である.
案の定,私がてっきり大船から乗車すると思っているAさんが戸惑っておられたようである.
まあそれはともかく,おしりが痛くなるほど長い時間を掛けて,定刻10時02分に高崎駅に到着する.
今回の参加者は,A夫妻,五十三次洛遊会のAさん(女性),それに私の4人である.皆さんの脚力は,もう何回も一緒に旅をしているので,十分に分かっているので,気が楽である.
<高崎駅コンコースのパン屋さん>
■まずはホテルルートイン高崎へ
高崎駅は随分と大きな駅で活気があるのに,まずは驚く.さすがに新幹線停車駅である.改札口前の通路で美味しそうなパンを打っている店がある.食い意地の汚い私は,ついつい美味しそうなパンを1個購入する.私に釣られてかどうか分からないが,同行の皆さんもそれぞれパンを購入したようである. まずは,今日から2連泊するホテルルートイン高崎(以下ルートインと略す)へ行って,今日は不要の荷物を預けることにする.
地図でルートインの所在地を確かめると,駅の直ぐ近くにあるようだが,実際に歩いてみると,案外歩き出がある.途中に大木はデパートや何カ所もの駐車場がある.少々迷いながらルートインを探す.歩きながら,
“やっぱり,駅のコインロッカーを利用した方が良かったかな・・・”
とほんの少し晩成する.
駐車場の間をクネクネと回って,10時30分頃,ルートインに到着する.これまであちらこちらのルートインホテルに宿泊してきたが,高崎のルートインは,これまで利用したルートインに比較すると,やや規模が小さいようである.1階が駐車場.その脇のやや急な階段を登るとロビーになっている.
受付の女性にお願いして,荷物を預かって貰う.序でに宿泊手続きを各自一人ずつ済ませる.これで一安心である.
<ルートイン高崎:1階が駐車場になっている>
<高崎宿を行く>
■高崎宿の概要
高崎宿は第13次の宿場.
資料1(p.34)によれば,「井伊直貞が城を構え,高崎と命名した.お江戸見たけりゃ高崎田町と謡われるほど賑わったが,城下町のため本陣も脇本陣も置かれなかった」という.
資料3(p.87)によれば,高崎宿の宿内人口は3235人.内,男1735人,女1500人.宿内惣家数837軒.本陣・脇本陣はナシ.旅籠15軒.
資料5などによると,まずは井伊直虎について「戦国時代の女性領主.遠江井伊谷(静岡県浜松市(旧・引佐郡)引佐町)の国人井伊氏の当主を務め、「女地頭」と呼ばれた。井伊直親と婚約したが、生涯未婚であった. 井伊直政ははとこであり養母」
さらに井伊直政については,資料6に次のような説明がある「安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名.井伊氏第24代当主.上総国高藩の初代藩主.後に近江国佐和田藩(彦根藩)の初代藩主.徳川氏の家臣(家臣になった当時は外様).自身が組織した井伊の赤備えは戦国屈指の精鋭部隊として特に有名である.徳川氏きっての政治家・外交官としても名高い.遠江国井伊谷の出身で若手の武将でありながら、『柳営秘鑑』では榊原氏や鳥居氏と並び、「三河岡崎御普代」として記載されている.また,江戸時代に譜代大名の筆頭として江戸幕府を支えた井伊家の手本となった人物であり,現在の群馬県高崎市と滋賀県彦根市の発展の基礎を築いた人物でもある.徳川四天王・徳川十六神・徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣として,現在も顕彰されている。その一例として、滋賀県彦根市では、直政が現在の彦根市の発展の基礎を築いたということを顕彰して,「井伊直政公顕彰式」という祭典が毎年行われている.大正6年(1917年)11月17日,贈従三位.」
■高崎駅から歩き出す
荷物を預けて身軽になった私達は,10時34分にルートインを出発.10時44分,もとの高崎駅前に戻り歩き出す.
まずは,前回(第6回)の中山道終点まで,駅前通を東に向かう.
高崎駅周辺には立派なビルが建ち並んでいる.今日は平日にもかかわらず,結構人通りも多い.小綺麗な町並みを感心しながら,キョロキョロと歩く.着飾った若い女性の姿が眼を楽しませてくれる.特に平素リュックを背負ったオバサンしか見ていない私には,ファッションに身を包んだ若い女性の姿は新鮮に感じる.女性のファッションにも秋真っ直中の風情を感じる.
<立派な高崎駅:まずはここから歩き出す>
■中山道街道絵図
駅前通を200メートルほど歩いて,前回の終点,中山道との交差点に到着する.地図で現在地を確かめてから,右折して中山道を北上する.
10時56分,進行方向右手に設置されている中山道街道絵図の前に到着.なかなか気が利いているなと思いながら通過する.
<中山道街道絵図>
■高崎神社
地図を確かめながら中山道を北上する.そして交差点の先で,道路が右に曲がっていることを確かめてから左折して西の方向に向かう.
11時15分,高崎神社北門の前を通過する.神社に一寸立ち寄ろうかと思ったが,一寸見では雑然とした第一印象なので,わざわざ見学する気分にもなれないので,そのまま通過する.
資料7によると,「後嵯峨天皇の還元元年(1243年),上野国和田城主であった和田小太郎正信が,相模国三浦郡の熊野権現を城中に勧請し,「熊野神社」と号したのが創建とされる.その,慶長3年(1598年)に井伊直政が上野国中12万石を拝領して高崎城を築城する際,この熊野神社を現在地に遷座し,高崎総鎮守とした.明治3年(1870年)に村社に列し,同18年(1885年)に郷社に昇格、同40年(1907年)以降、境内末社12社と高崎市内の36社を漸次合祀して行き「高崎神社」と改称,大正14年(1925年)に県社となった」と説明されている.
この説明によると,この神社はなかなか格式の高い神社らしいことが分かる.帰宅後,このことが分かったが,参拝もせずに通過してしまったことが,後になって悔やまれる.
<高崎神社>
■恵徳禅寺
11時16分,恵徳禅寺参道に到着する.参道の奥,木々の間にお寺の建物が見えている.
ここは曹洞宗の寺.山号は松隆山.傍らに立っている案内板の記事によると,「天正年間(1573~1592年),井伊直政が伯母である恵徳院宗貞尼菩提のため.箕面日向峰に一宇を創立して松山恵徳院と号した.慶長3年(1598年),井伊直政和田城入場の折にこの寺を城北榎森に移し,松山東向院恵徳寺と改めた.当時寺領二十石五斗の御朱印地であった.後の城主坂井家次公のとき慶長9年(1604年)~元和2年(1606年)の間に現在地「赤坂」に移る」という説明である.開山は龍山水潭和尚.この和尚は井伊直正の信任が厚かったという.
この案内板には高崎という地名の由来についての説明がある.井伊直政が「和田」の名称を「松崎」に変える案を和尚に問うたところ,和尚は「松は枯れることがあるが高さには限りがない」という意をとって「高崎はいかが」と進言したのが,「高崎」という地名の由来だという.
<恵徳禅寺>
■長松寺
12時11分,長松寺の前を通過する.
資料8によると,「高崎城内から徳川忠長が自刃したとされる客殿を移した建物がある.狩野探雲作の龍や天女の天井が見事.大きな涅槃図は、2月だけ公開される」という.
<長松寺>
■岡醤油醸造
11時22分,岡醤油醸造に到着する.
敷地の中に入って見る.狭い空き地の傍らに古くて由緒のありそうな煉瓦の煙突が立っている.この辺りに醤油醸造の工場があったんだろうと勝手に想像する.
資料9によると,天明7年(1787年)近江商人初代岡忠兵衛が,足尾銅山から江戸へ銅を運ぶ街道の要衝として栄えた群馬県大間々の地に「河内屋」の屋号を掲げ,醤油醸造業を営んだのが始まりである.明治30年(1897年)4代宗一郎が群馬県高崎市常盤町の旧中山道沿いに支店を開設.以来「ヒキソーイチ」の名で,地元の皆様に親しまれてきた.また,映画のロケ地としても幾度か店の建物や工場煙突が使用されている.現在も,明治期の建物を大切に守りながら,伝承の製法で造る木桶仕込み,天然醸造醤油の販売をしているという.
道路に面した店内に入ってみる.多種多様な醤油や関連商品を販売している.
私も小さな袋(400円也)を衝動買いする.道すがら購入するペットボトルを入れて歩くのに好都合である.何人かの同行の皆さんが,小物を買っている.
<岡醤油醸造の由緒ある煙突> <通路に面した売店>
■君が代橋を渡る
からす川に差し掛かる.目の前に川に架かる君が代橋が見えているが,どこをどう通ったら,君が代橋を渡れるのかが,なかなか分からなくて苦労する.
柵ばかり目立つ交差点をウロウロしながら,11時44分,やっと橋に辿り着く.
<君が代橋>
■信州街道分去れ道標
橋を渡って,道なりに北北西の方向に暫く歩く.そして,12時02分,信州街道分去れ道標が立っている三叉路に到着する.
ここで進行方向左手の道に入る.
<信州街道分去れ道標>
■中国料理「四川」で昼食
12時12分,信州街道分去れ道標の直ぐ近くにある中国料理「四川」で昼食を摂ることにする.
店内に入る.サラリーマン風の人達で,結構,繁盛している.
私は「塩豚ナントカ炒め(正確な名前は忘れた)」を注文する.1000円で十分なお釣りが返ってくるリーズナブルプライスである.ところが,大変なボリュームで,食べても食べても,おかずのモヤシが減らないので閉口する.ただし,とても美味しい.
“ブロイラーまっしぐらか!・・・”
意地汚い自分が情けなくなりながら,結局は全部食べてしまう.
食べ物を残すことに,どうしても罪悪感を感じてしまう昭和一桁生まれの性(さが)は死ななきゃ治らないんだろうなとつくづく思う.
食べ過ぎて,ああ,苦しい.
<中国料理「四川」>
<「四川」の定食>
(つづく)
[加除修正]
2013/3/1 本文の大幅改訂と地図の挿入を行った.
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5,http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E8%99%8E
資料6;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%BC%8A%E7%9B%B4%E6%94%BF
資料7;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B4%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
資料8;http://www.takasaki-kankoukyoukai.or.jp/blog/2010/10/
資料9;http://www.nihonichi-shoyu.co.jp/shop-takasaki.html
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f866e262f9977a0f935067f69c4ebd87
「中山道六十九宿」第6回目の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d5e2cd962c126a4cfcb0b1c05624c8ff
「「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
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