中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る中山道六十九宿(第1回):(1)日本橋を出発

2013年01月11日 02時11分06秒 | 中山道六十九宿

                     <いよいよ歩き出し>

[改訂版]  歩いて巡る中山道六十九宿(第1回):(1)日本橋を出発
              (五十三次洛遊会)
            2009年9月19日(土)

本稿の初出は2009年6月19日である.ルート地図を挿入した改訂版として,
 再度,投稿する

 

<ルート地図>

■第1回概要地図


■詳細地図(日本橋・神田明神)


<事始め;出発点の日本橋へ>

■東京駅集合

 2009年9月19日(土).東京駅日本橋口9時15分集合である.私は,例によって,集合時間ギリギリであたふたするのが嫌なので,かなり早めに家を出発する.
 平素の山歩きとは違うので,簡単なナップザックに水,折り畳み傘,敷物,タオル,筆記用具,資料だけを入れて,極々軽装である.
 東海道本線の電車で,8時30分頃,東京駅に到着する.
 折からシルバーウイークの初日である.東京駅は沢山の旅行客で溢れかえっている.あちこちから中国語が聞こえてくる.この様子から随分と外国の方が多いのに驚かされる.
 まだ,集合時間には十分の間があるので,まずは,東京駅中央口地下の駅弁コーナーでウインドウショッピング.どれもこれも食欲をそそられるものばかりだが,お腹の容量は決まっているので,そうそう安易に買うこともできない.
 八重洲中央口から1階の通路をクネクネと曲がって,いい加減に歩いていると,9時50分頃,無事,東京駅日本橋口に到着する.いつものことだが,ここには沢山のツアー客が集まっている.殆どがクラブツーリズム関係のグループのようである.
 私は,八重洲口入り口付近に,我々のグループの人たちが集まっていることを遠目で確かめてから,野次馬気分で,各ツアー会社の行き先を見回す.すると,私が時聞達のグループを捜しているのと勘違いしたお一人が,わざわざ私に,「あちらですよ・・」と知らせに来てくれる.好奇心でついつい申し訳ないことをした.
 集合時間の9時15分を待たずに,9時少し前に全員集合する.

                <世話役の注意を神妙に拝聴する>

■東京駅から北町奉行所跡経由で日本橋へ
 すぐに出発することになる.ところが「念のためにトイレ」に行った方がなかなか戻らない,沢山の旅行客で,トイレが超満員だったようである.
 結局,定刻より8分遅れの9時23分に東京駅を出発する.
 幹事役のOさんの発案で,東京駅近くのビルの間にある北町奉行所跡に立ち寄る.
 案内板によると,ここに,1806年(文化3年)から,幕末まで北町奉行所が置かれていたという.案内板を見ながら,
 「はて? 遠山の金さんは北町奉行だったかしら・・それとも南町? それに大岡越前はどっち?」
 少々気になるが,他の人に聞くのも面倒だから,まあ,いいやで,そのままにしておく
 帰宅後,この案内文を読むと,町奉行は寺社奉行,勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつで,今の有楽町駅前にあった南町奉行所と,ここ北町奉行所の2箇所に分かれて交代で町人地の行政,司法,警察の職務を担当していたという.例の遠山左衛門将景元は天保11年から14年(1840-1843年)まで,北町奉行しに勤務していたという.


■日本橋で記念写真
 何時ものお馴染みのコースを辿って,9時35分に,日本の道路の県展である日本橋に到着する.すでに私たち以外のツアーグループも何組か日本橋に到着している.これらのグループの方々も,ここから,東海道や甲州街道などへ歩き始めるのだろう.
 私たちも日本橋で記念写真を撮る.いよいよ,この11人(1人は旅の途中から参加)の中山道の旅が始まる.

<これから一緒に旅をする五十三次洛遊会の皆さん>


<日本橋から神田明神を目指して>

■日本橋を出発

 日本橋で集合写真を撮った後,9時23分にいよいよ中山道六十九次宿場巡りを目指して歩き出す.毎月1回歩くとして,現在の計画では,全行程を踏破するのに3年も掛かる計算になる.それも,当初数回は日帰りだが,江戸から離れて日帰りが困難な所へ来たら,2泊3日の旅を続けてのことである.
 順調に歩き続けられるとしても,完歩するときには,私はウン十才を越える.そんな高齢になるまで果たして元気で歩き続けられるかどうか,正直なところ,全く自信がない.でも,3年後のことを考えていても仕方がない.まあ,朝起きて元気だったら,儲けものと考えて歩き続けるしかない.考えてみれば,そんな心境で歩くことこそ,人生のあり方を的確に象徴しているようにも思える.
 私はそんな感慨を持ちながら,楽しいような,悟ったような,妙な気持ちで歩き出す.気分的には,若干,オセンチになっているのだが,表面上は,そんな気分を押さえ込んで,敢えて朗らかそうに振る舞っている.
 そんな私の姿を,私の内面に住むもう一人の私が,
 「・・・お前さんは,何時もそうだ.どうして,妙なことばかり考えるんだ.来し方行く末など全く考えずに,今だけ考えれば良いじゃないか!」
と揶揄する.
 たった数日前,数年前から肺ガンで闘病中だった姉が,ガンの転移が確認されて,再入院した.一時はほぼ快癒して,1年ほど自宅に戻って元気に過ごしていたのに・・姉が苦しい闘病生活をしているのに,弟の私が,こんなに呑気に旅を楽しんでいて良いのだろうか.こんな思いが,絶えず頭の中を過ぎる.
 でも,まあ,早い遅いはあるものの,すべての事物は,100%,再び元の元素に戻って宇宙の塵にバックする.そう考えれば,闘病中の姉も私も大差ない.この中山道を歩き続けると,ほどなく姉が住む私の生まれ故郷の近くを通過する.そのときは,帰り際に,故郷に立ち寄って姉のお見舞いをしよう・・そう考えると,急に気分が楽になる.

■日光道中と分岐
 思わず筆が滑った.本題に戻そう.
 日本橋を出発した私たちは,国道17号線に沿って,ほぼ北に向かって歩き続ける.ほどなくお馴染みの三越本店ライオン像の前を通過する.今日は休日だが,まだ午前中なので,人通りもそれほど多くない.私たちは一般の通行人に迷惑を掛けることもなく,順調に歩き続ける.
 地下鉄新日本橋駅のある江戸通り交差点で,日光道中・奥州道中と分岐する.余談になるが,今年(2009年)5月2日,小田急トラベル主催の「歩いて巡る日光道中二十一宿」の初日,この交差点を右折して国道6号線に沿って歩いたばかりである.ついでながら,日光道中の方は,来週,26日から2泊3日で東武公園から先を歩くことになっている.そして,奇しくも,今日参加している人たちの大半が,この日光道中にも参加する予定である.

■十軒店跡
 9時46分,十軒店跡を通過する.立派な塀に説明板が設置されている.
 看板には当時の賑わいを描いた素敵な絵がはめ込まれている.残念ながら,看板をゆっくり見ている時間はないが,後でこの記事を見るとおよそ次のようなことが書いてある.5代将軍徳川綱吉が京の職人を招き,長屋10軒を与え,ひな人形店を開かせたという.

<十軒店跡>

■今川橋跡
 9時52分,今川橋跡を通過する.
 案内板の説明によると,元禄4年(1691年),この地,東西に堀割開削され江戸城の外堀(早川)に発し,この地を通って神田川に入り隅田川に通じていた.始めは神田堀,銀堀(しろがねぼり),八丁堀などと呼ばれていたが,後に江戸城殿中接待役井上竜閑が平川と堀割の接点に住んでいたので竜閑川と呼ばれるようになったという.
 
<今川橋>


<今川橋由来碑>

■御成道
 10時09分,神田近くを歩く.道の傍らに「御成道」の説明文が掲示されているが,文字が大分薄れていて読みにくい.
 いつの間にか,辺りの雰囲気が,何となく下町風に変わっている.これまで,大きなビルばかりで,人気がないところばかりだったが,この辺りまで来ると,何となく生活感溢れる街並みに変わっている.

<神田近くを歩く>


<御成道>

■まぐろ亭
 10時14分,「まぐろ亭」の前を通過する.同行者の誰かが,
 「ここは料理が旨いので有名な店だよ・・」
と言っている.
 テレビ番組の録画だろうか,数人の人たちが「まぐろ亭」の前で,忙しそうに歩き回っている.どこかの局の食べ歩きの番組だろうと勝手に想像する.


<どこかのテレビ局が,「まぐろ亭」の前で,ロケをしている>

<神田明神>

■神田明神に到着

 10時20分神田明神に到着する.
 私はサラリーマン時代,JR神田駅近くのM社に出向していたことがある.M社では,新年になると有志が集まって,神田明神に赴いて商売繁盛を祈願していた.あのころから,すでに25年の歳月が経っている.その間,私は一度も神田明神を訪れたことがない.久々の参拝なので,とても懐かしい.
 平素,鎌倉の神社ばかり見ている私は,久々にお参りする神田明神の華麗さに驚く.一方,殆どの鎌倉の神社が裏手に緑深い山を背負っているのに見慣れている私には,神田明神に裏山がないのが寂しく感じる・・・どうでも良いことだが・・
 
<神田明神>

■神田神社の由緒
 境内の傍らに神田神社の由緒書が掲示されている.随分と長い文章なので,読む気力が出ない.とりあえずは写真に撮る.
 後で説明文を読むつもりで,写真を撮るが,こんなとき,後から読んだことは,今まで一度もない.写真を撮るのは気休めに過ぎないなと思いながらも,まあ,撮っておこうということになる.
 有名な神田神社について,今更,ここでくどくどと記述する必要はないが,御祭神は大己貴命(オオアナムチノミコト;だいこく様),少彦名命(スクナヒコノミコト;えびす様),および平将門命(タイラノマサカドノミコト;まさかど様)の三柱である.
 天平2年(730年)創建,江戸東京の中で最も歴史のある神社のひとつである.
 この神社は,当初,千代田区大手町付近にあったが,江戸幕府が開かれ,江戸城が拡張された際に,江戸城から見て鬼門にあたり現在地に遷座した.


■三毛ネコがウロウロ
 神田明神の境内で15分ほど休憩を取る.
 境内の片隅でボンヤリ立っていると,仲間の一人が,
 「FHさん,ネコが居ますよ・・」
と声を掛けてくれる.私がネコの写真ばかり撮っているのを知っている方である.
 「どれ,どれ・・・」
 見ると少々薄汚い三毛猫である.飼い猫か野良猫か良く分からないが.とにかく,すかさず数枚の写真をデジカメに収める.ネコはゆっくりと草むらの中に消える.

<三毛ネコがノンビリ;「う~ん・・やっぱり尊仏山荘のミー君がいいな」>

■結婚式の記念写真
 どうやら神前結婚を終えたカップルが居るようである.本殿前に椅子を並べて,記念写真を撮る準備をしている.これは縁起が良い.
 早速,野次馬の一人になって見物する.

<神田神社境内にて>

[参考文献]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
                               (つづく)
[加除修正]

2009/6/19 初稿
2009/9/25 転換ミス修正(2箇所)
  〃   カテゴリー登録ミス修正
2013/1/8  ルート地図挿入など全面改定
2013/1/11 本文加除修正
2013/1/18 概要地図を挿入 

「中山道六十九宿」の前の記事
hhttp://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5a7425c95194cd214e0010291201333f
「中山道六十九宿」の後の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f53a2b06e392bb72a5225c6ec45ee660
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

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