中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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歩いて巡る日光道中二十一宿(第5回)(2):第1日目:石橋宿・雀宮宿・宇都宮宿

2009年11月11日 21時15分12秒 | 日光街道二十一宿

                     <宇都宮市内を行く>

        歩いて巡る日光道中二十一宿(第5回)(2):
          
第1日目:石橋宿・雀宮宿・宇都宮宿
              (小田急トラベル)
          2009年11月7日(土)~9日(月)

第1日目:11月7日(土)

<JR石橋駅を目指して>


■上野で乗り継いで宇都宮線へ
 歩いて巡る日光道中二十一宿の旅も,今回で5回目を迎える.今回は2泊3日の長旅である.
 つい最近,急性胃炎を患ったばかりの私は,果たして,2泊3日の長旅に耐えられるだけの体力があるのかどうか,いささか心配だが,途中でへばったら,その時点で,ツアーから離脱して,帰宅するつもりで,とにかく参加することにする.
 今回は,JR宇都宮線石橋駅11時集合である.
 集合時間ギリギリに駆け込むのは,どうも性分に合わないので,集合時間より1時間程度早く到着するように,十分余裕を持って出掛けることにする.
 それにしても早すぎるかなと思いながら,大船6時58分発湘南電車東京行に乗車する.本来ならば湘南新宿ラインの電車を利用するのが一番便利だが,今日に限って,工事のために湘南新宿ラインの電車は運休である.

■石橋駅に到着
 東京駅と上野駅の構内売店をウロウロと見物した後,上野7時16分発宇都宮行の電車に乗車する.各駅停車なので,随分と乗りでがある.田舎者の私は,電車が小山を過ぎる辺りから,うっかりしていて石橋駅を乗り過ごさないかと,随分,気を遣う.
 9時49分,ようやく石橋駅に到着する.五十三次洛遊会のメンバー,Xさんが,私と同じ電車で到着する.集合場所には,もう,添乗員のKさんが到着していて,何処かと盛んに電話連絡をしている.

                   <JR石橋駅前に集合>


                   <準備に大忙しの添乗員Kさん>

<石橋宿>

■石橋から歩き出す

 集合時間前に,参加予定者28名全員が揃う.
 11時01分,「エイ,エイ,オー・・」の掛け声とともに,JR石橋駅前を歩き出す.
 駅前通りを,ほんの数分,西へ歩くと,日光街道との交差点である.交差点を右折して,日光街道沿いに北に向かう.辺りは,典型的な郊外の住宅地である.ところどころに商店や畑が混在する.
 この辺りに,江戸から15番目の宿場町,石橋宿があったが,宿場の名残を留めるものは何もない.
 旅行社の資料によると,石橋宿には本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠30軒,宿内戸数79戸,宿内人口414人の規模だったようである(調査年代不詳).

■下古山で昼食
 宿場跡を通過すると,広々とした森や畑が続く.鎌倉くんだりのゴミゴミしたところに住んでいる私には,羨ましいほどゆったりとしたところである.所々に広々とした庭に囲まれたしもた家屋が立ち並ぶ.
 数キロほど間,同じような道を北へ北へと歩き続ける.やがて沿道には鞘堂地蔵,星宮神社などがあるようだが,わざわざ写真を撮る気にはならない.やがて,北関東自動車道のガード下を潜る.このガード下付近に追分があるようだが,どこが追分か良く分からない.
 11時52分,下古山の大きな派マーケットプレース「パロ」に到着する.ここで早めの昼食を摂る.
 私は「パロ」で,手頃な弁当を購入する.1個298円と随分安価な弁当だが,質,量ともに,これで十分である.

              <マーケットプレース「パロ」>


                  
 <298円の弁当>

<雀宮宿>

■小倉本陣跡

 昼食を終えて,12時42分,例によって,また「エイ,エイ,オー・・」である.私たちは,早めの昼食を終えて,「パロ」を出発する.
 また,森と林が連続する長閑な道を,北へ,北へと歩く.進行方向左手には陸上自衛隊宇都宮駐屯地の広大な敷地が続く.
 途中,江戸日本橋から25番目の雀宮一里塚跡があるはずだが,見当たらない.
 13時18分,小倉本陣跡を通過する.

                 <12時42分,宇都宮市内に入る>

■雀宮宿
 この辺りは,江戸から16番目の雀宮宿があったところである.
 旅行社の資料によれば,雀宮宿には本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠38軒あった.そして宿内戸数は72戸,種区内人口は268人であった(調査年代不詳).
     
                     <雀宮本陣跡>


■JR雀宮駅
 小倉本陣跡近くのT字路を右折して,400メートルほど西へ進み,13時25分,JR宇都宮線の雀宮駅前に到着する.ここで暫く休憩を取る.

                     <JR雀宮駅前で休憩>

<単調な街道を北へ進む>

■雀宮神社

 休憩を終えて,13時41分,雀宮駅を出発する.
 再び日光街道に戻って,北へ,北へと歩き続ける.13時48分,雀宮神社の前を通過する.参道の奥に赤い屋根の社殿が見えている.

                       <雀宮神社>

■日本橋から100キロメートル
 13時48分,日光街道沿いに「東京まで100km」の道標が立っている.ついに,100キロメートルも歩いてきたことになる.

                   <「東京まで100km」の道標>

■坂口公園で休憩
 14時18分,坂口公園に到着する.芝生が自生する小さな公園である.ここで一休み.

                       <坂口公園>

<宇都宮宿>

■江曽島一里塚

 休憩を終えた私たちは,14時38分,坂口公園を出発する.
 再び長閑な田園地帯の中を,北へ,北へと歩き続ける.
 14時58分頃,江戸日本橋から26番目の江曽島一里塚があったと思われる場所を通過する.今はここに塚があったことを示す手がかりは全くない.わずかに,地名として「一里」が残っている.

                   <「一里」の信号>

■蒲生君平勅旌碑
 15時15分,JR日光線の線路の上を通過する.この辺りから周囲の雰囲気が活気に満ちてくる.いよいよ宇都宮が近いなと予感する.
 15時20分,分岐点にある不動堂を右に見ながら,左側の道を進む.
 15時28分,東武鉄道のガード下を潜る.そして,15時30分,蒲生君平勅旌碑を通過する.続いて,15時35分に台陽寺,15時36分に一向寺の前を通過する.

                     <不動堂>


                      <蒲生君平勅旌碑>

 
              <台陽寺>                                        <一向寺>

■宇都宮宿
 この辺りに,江戸から17番目の宇都宮宿があった.
 旅行社の資料によれば,宇都宮宿は,本陣2軒,脇本陣1軒,旅籠42軒,宿内戸数1219戸,宿内人口6457人の規模であった(調査年未詳).
 
           <蒲生君平生誕の地>            <日光街道と奥州街道の追分>

■第1日目のゴール,追分
 15時56分,追分に到着する.第1日目のゴールである.
 ここで右折して,大通りに入る.JR宇都宮駅に通じる広いとおりである.近くのバス停伝馬町から,路線バスに乗車する.

                     <バス停伝馬町>

<ホテルニューイタヤ>

■ホテルニューイタヤにチェックイン
 16時10分,バス停大工町に到着.下車.ここから歩いて,16時17分,ホテルニューイタヤにチェックインする.ビジネスホテルで1人1部屋.狭いながらも,自分勝手に行動できるので大歓迎.
 とりあえず風呂に入る.急性胃炎後,始めて本格的に歩いたので,やや疲労気味である.温かい湯に浸かっていると,心底から疲れが取れるような気がする.


■宇都宮といえば餃子
 17時30分,ホテルロビーへ降りる.五十三次洛遊会のメンバーと一緒に食事をする予定である.
 ホテルから駅とは反対側に,数分歩いたところにあるビルの地下1階にある某餃子専門店で,餃子主体の夕食を摂る.数軒の餃子を食べ較べてみるが,味の違いは余りないような気がする.


■長い一日が終わった
 19時30頃,同じビル1階のスーパーを一回りする.リンゴ1個,ヨーグルト1個を購入する.夜食の積もりである.
 20時少し前に,ホテルに戻る.
 21時頃,就寝.
 長い一日が終わった.

                  <ホテルニューイタヤの客室>

                              (つづく)
「日光道中二十一宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7b8894c64f0bd03e1c6547d00518510f
「日光道中二十一宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9e633a626ff8fdb70519e2fff1a82fc2



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