中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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鎌倉:安国論寺・由比若宮から鎌倉中央公園まで散策

2009年01月31日 21時57分43秒 | 鎌倉あれこれ

                      <源氏山公園の紅梅>

       鎌倉:安国論寺・由比若宮から鎌倉中央公園まで散策
                (単独散策)
            2009年1月29日(木)


 朝から曇,今にも小雨が降りそうな天気である.
 実は,今朝も塔ノ岳へ行こうと思って,準備万端整えていた.でも,雨が降りそうなときに,わざわざ山へ出掛けたくはない.今週はついていないなと思いながら,とりあえずは塔ノ岳行を取りやめる.仕方がないので,今日はおとなしく家に籠もって,前々から手を入れたいと思っていたスケッチ画にでもへばり付いていることにする.
 画材を取りだして,いざ始めようとしたときに,ある用件を忘れていた.急遽,鎌倉駅前に出向くことにする.用件はすぐに終わる.
 時計を見る.10時20分である。天気が余り良くないためか,駅前の人出は,何時もよりも,かなり少ないように思える.このまま,おとなしく家に帰って,家で昼食を摂るのも良いが,その辺りを何となく歩きたい気分になる.そこで,小一時間,この辺りをブラブラすることに決める.
 こうなると,何時も困るのは,どこをウロウロしようかである.
 「まあ,とりあえずは,東の方へ行ってみよう・・・」
と自分に話しかける.もう一人の自分が,それでいいよと返事をする.

<散策ルート>


  水平歩行距離  8.1km
  累積登攀高度   239m
  累積下降高度   193m

■英勝寺を通過
 どなたかと一緒だと,必ず本覚寺を通り抜けるコースを取るのだが,ここ1週間の間に,何回も通り抜けたので,いい加減飽きた.そこで私は,若宮大路を少し南に下って,下馬四つ角手前の路地に入る.辺りは閑散とした雰囲気になる.
 小町大路を横切って,再び路地に入る.この路地の突き当たりが常栄寺(ぼたもち寺)である.

               <路地の向こうに常栄寺が見えている>

■安国論寺
 今日は常栄寺には立ち寄らずに,八雲神社の前を通り抜け,県道134号線に突き当たる.県道を逗子方面に歩いて,安養院の前を通過する.
 バス停名越を越えた所から裏道に入る.
 10時38分,妙法華経山安国論寺に到着する.今日は安国論寺をユックリと参詣したいと思う.境内に入る.人気がない.参道の真ん中に机が置いてある.ここで参観料100円也を収めて,寺の解説紙を1枚取る.誰も居ないのかなと思っていたら,隣の事務所のから,女性が1人,ジッとこちらを見ている.私が参観料を収めたのを見ていたらしくて,私と目が合うと,「どうぞ」というような仕草をする.

                    <安国論寺>

 私以外に参観者は誰も居ない.境内は静まりかえっている.前方にはこんもりとした山を背負った本堂が建っている.左手手前には,今が見頃の大きな梅の木が枝を広げている.
 ここは,妙法寺,長勝寺とならんで日蓮の松ヶ谷草庵の跡と伝えられる所である(神奈川県高等学校教科研究会(編),1993,p.78).1260年(文応元年),日蓮は,この寺の岩穴,御法窟で『立正安国論』を執筆して,執権北条時頼に提出した.
 山門を入ると石灯籠がある.これは増上寺の徳川将軍家墓地から移されたものだという.本堂の脇から裏山に向かう.山道を少し登ると南面窟がある.松葉ヶ谷法難の時に,日蓮が避難していたのが,この南面窟である.
 
     <日朝上人御茶昆所>                 <南面窟>

 再び,細い山道を辿って尾根に出る.尾根に踏み跡がついている.どちらへ行こうかと迷うが,左手の山頂に向かう道を選ぶ.お寺の境内の山なのに,結構奥深い.やがて最も高い所を通過して下り坂になる.かなり急な下り坂なので緊張する.結局尾根道は一回りして,元の場所に戻る.

            <山の急斜面をトラバースする道から墓地が見える>

 もう一度,先ほどの坂道を登り返して,今度の尾根道を右折する.すると,鎌倉の市街地から由比ヶ浜,江ノ島方面までの見晴が素晴らしい高台に到着する.あいにく曇り空で富士山は見えないが,ここが富士見台である.日蓮は,毎日,ここから富士山を眺めながら法華経を読経していたという.

           <安国論寺裏山からの眺望:鎌倉南部が一望できる>

 平和の鐘と命名された鐘楼を過ぎると,嶮しい下り階段になる.この階段を下りると,入口近くの参道に出る.
 11時丁度に安国論寺を出る.入れ替わりに,参詣の若い女性が1人,境内に入ってくる.そういえば,長い時間,安国論寺に居たが,だれとも会わなかったことに気が付く.

■妙法寺
 次いで,楞厳山妙法寺を訪れようと思う.
 安国論寺から,路地を辿って,ほんの数分歩くと,妙法寺の前に到着する.境内の入口に入山料300円と書いてあるが,事務所には誰も居ない.閉まっているガラス戸をノックするが,誰も出てこない.このままズルズルと境内に入っても良いが,何となく気が引けるので,暫く,参道入口で本堂を拝観して退散する.
 この辺りは鎌倉幕府の重臣,比企能員一族の屋敷があった所である.比企一族は,後に北条時政によって滅ぼされてしまう.後に,比企能員の子,大学三郎能本(よしもと)が,肘一族の菩提を弔うため,1274年(文永11年),日蓮の弟子,日朗を開山として創建した(神奈川県高等学校教科研究会(編),1993,p.160).

                     <妙法寺>

■大宝寺
 そのまま路地を西に向かう.大町を釈迦堂切通の方に100メートル余り進んで左折,11時16分に多福山大宝寺に到着する.手前右手に佐竹屋敷跡の案内碑が立っている.この辺りは,新羅三郎義光子孫の佐竹秀義以来の佐竹氏代々の屋敷があったところである(鎌倉市教育研究所,2000a,pp.298-299).1399年(応永6年),佐竹善盛が出家して,屋敷の側に多福寺を創建した.これが大宝寺の前身であるという.その後,この寺は廃寺になる.そして,1444年(文安元年),日出上人が再興,大宝寺に改めた.
 新羅三郎義光は,後三年の役(1083年,永保3年)に,兄,源義家と参戦,甲斐守となった人物である.
 大宝寺の境内には,1人の観光客も居ない.本堂の前に数台の自動車が駐車している.目の前に多宝塔が建っている.これらの建造物の曰く因縁は,浅学の私には分からない.

                      <大宝寺境内>

■安養院と上行寺
 大宝寺前の道を,さらに奥まで進むと新羅三郎義光の墓があるが,今回はそこまで足を延ばすのをやめる.そして,往路を引き返す.路地を通って近道をして,11時23分に祇園山安養院に到着する.浄土宗の寺である.この寺の前は,これまで何度となく通っているが,ここ数年,境内に入ったことがない.今回は久々に参詣しようと思う.
 入口で100円也を箱に入れて,境内に入る.この寺の前身は尊観上人という方が開山した善導寺という寺だったという(鎌倉市教育研究所,2000a,pp.295-296).一方,北条政子は頼朝の冥福を祈って,笹目に長楽寺を建立する.ところが,この長楽寺が焼失してしまう.そこで,長楽寺を善導寺に移して安養院となったという.安養院の由来は,とてもややこしくて,参考文献を覗いても頭が混乱する.

               <安養院の宝篋印塔:左側が北条政子の墓>

 11時20分,安養院を出る.県道134号線に沿って,西へ向かう.途中,方久山上行寺に立ち寄る.山門を潜ると,狭い前庭に建物が並ぶ.建物の白壁に色々なことが書いてある.何となく俗っぽい感じがする.山門の欄間に左甚五郎作といわれる龍の彫り物がある.この寺は,つい先日も訪れたばかりである.したがって,今回は,龍の写真を1枚だけ撮って,先を急ぐ.

                  <上行寺の左甚五郎作「龍」>

■辻の薬師
 大町四つ角手前の路地を左に曲がる.逆川橋を渡って,三叉路に突き当たる.ここを左折,南に向かう.横須賀線踏切前にある辻薬師堂に立ち寄る.ここは,もともと真言宗医王院長善寺のあったところである.それが,横須賀線が敷かれるときに本堂が取り壊され,廃寺になってしまった.そして,薬師堂だけが残された.ここには平安後期作の薬師如来像が安置されているという(神奈川県高等学校教科研究会,1993,p.136).

                    <辻の薬師>

■由比若宮
 横須賀線の踏切を渡る.
 踏切を渡ったすぐ近くの右側に,彫り字で「元鶴岡八幡」と書いてある石碑が建っている.この石碑の路地を右折する.右折するとすぐに,「石清水の井」がある.この井戸は,いわゆる鎌倉十井には入っていないし,私の手許にある文献類には,「石清水の井」の記述が全くない.従って,この井戸の素性が全く分からないので,気分がスッキリしない・・・が,まあ,いいか.
 11時38分,由比若宮(元八幡)に到着する.ここを訪れるのも1年ぶりである.源頼義が,1063年に石清水八幡宮の祭神を勧請して建立した(神奈川県教育研究所,2000a,p.328-329).そして,1180年(治承4年),源頼朝が,現在の鶴岡八幡宮に社殿を移した.
 由比若宮は,こぢんまりとした神社だが,静かで落ち着いた雰囲気が気に入っている.
 鎌倉時代には,この辺りまで海岸線が入り込んでいたようである.

                      <由比若宮>

■葛原ヶ岡神社
 由比若宮から水道道路に出る.路地を渡り歩いて,12時頃,鎌倉駅に戻る.このままバスに乗って家に帰って昼食を摂るのも良いが,まだ何となく歩き足りない.どうしようかと迷ったが,結局,家まで歩いて帰ることにする.そこで,駅前の東急1階の食品売り場に立ち寄り,一番安い弁当を購入する.この弁当を源氏山で食べようと思う.
 鎌倉駅西口に渡る.そして今小路通りから,佐助隧道を潜って,宇賀福神社へ向かう.この辺りは沢山の観光客で賑わっている.今日は,宇賀福神社を素通りする.坂道を登って,源氏山公園に到着する.とりあえずは,あずま屋に座って,弁当を食べようと思う.
 あずま屋に近付くと,先客が1人居る.
 「これはまずいな・・・では,山の上のあずま屋へ行こうか・・」
と思いながら,このあずま屋を通り過ぎようと思う,ところが,先客を良く見ると,私の山仲間の仙人である.鉢合わせして,お互いにビックリする.仙人は,私に,
 「・・・今日は医者に行った帰りに,裏大仏ハイキングコースを一回りしていました・・・」
と挨拶する.これ以降のやり取りは,1月27日のブログ記事の通りである.
 私は仙人と雑談しながら,弁当を食べる.
 
  <お行儀の良い源氏山の野良猫>        <葛原ヶ岡神社:相変わらず焚き火の横に猫が居る>

■鎌倉中央公園へ
 12時45分頃,仙人とお別れする.
 私は,日野俊基供養塔を見学してから,葛原ヶ岡神社に立ち寄る.神主が,相変わらず石油缶で焚き火をしている.その脇で何時もの黒猫が香箱を作っている.神社に立ち寄って挨拶していこうかと思ったが,面倒なので,遠目で猫と神主を見ただけで通過する.そして,山ノ内配水場を経由して,鎌倉中央公園に入る.
 まだ,歩き足りないような忌がしたので,公園内の散策路を全部歩く.
 13時35分頃,無事,帰宅する.今日の歩行距離は,8.1キロメートル,累積登攀高度は239メートルだった.

[ラップタイム]

10:20  鎌倉駅前歩き出し
10:37  安国論寺(11:00まで参詣)
11:05  妙法寺
11:16  大宝寺
11:23  安養院(11:28まで参詣)
11:30  上行寺
11:38  由比若宮(11:40まで参詣)
12:00  鎌倉駅
12:20  源氏山公園(12:45まで昼食)
12:55  葛原ヶ岡神社
13:10  鎌倉中央公園梶原口
13:32  鎌倉中央公園入口

[散策記録]

■水平歩行距離 
   8.1km
■累積登攀高度    239m
■累積下降高度    193m
■所要時間(休憩時間を含む)
 鎌倉駅歩き出し   10時20分
 鎌倉中央公園入口着 13時32分
 (所要時間)  3時間12分(3.20h)
 歩行速度
    8.1km/3.20h=2.53km/h
                  (おわり)

[参考文献]
鎌倉市教育研究所(編),2000a『かまくら子ども風土記上巻』鎌倉市教育委員会神
奈川県高等学校教科研究会(編),1993『鎌倉散歩24』山川出版社
小林伸男,1994『神奈川ぶらりいウォーキング鎌倉・江ノ島・藤沢編』神奈川図書
安田三郎;永井道子(他),1976『鎌倉歴史散策』保育社

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f80b2e832ccf03cce441b6dd79d5f95f
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
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