趣味三昧;駅弁回顧録:昭和62年;大船駅「ひれかつ弁当」
今回収録するのは昭和62年の大船駅「特製ひれかつ弁当」である.この包み紙の端っこに「国鉄構内営業中央会会員」と書いてある.「国鉄」という呼称がなんとも懐かしい.
この駅弁,どんな経緯があって,わざわざ自宅近くの大船駅で購入したのか,今となっては全く思い出せない.それにどんな味だったんだろう.
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そういえば,山手線,中央線など東京の中心部を走っている電車のことを,昔は省線と言っていたような気がする.その後,長いこと国電といっていた.
この駅弁を購入していた昭和56年頃,私は大船から丸の内方面に通勤していた.
その頃,国鉄が良くストライキをやったので,そんなときは随分と苦労して無理矢理会社まで行った.ある時は小田急線を使って新宿まで行き,新宿から丸の内方面まで歩いた.東京タワーを目印に歩き続けるが,東京タワーに近付くと肝心の東京タワーが見えなくなり,何処を歩いているか分からなくなった.また,時にはバスで京急沿線まで出て,大混雑の電車に乗って出勤した.こんな無理をして出勤しても,職場に到着するのは12時近くなってしまう.
「帰りも大変だから…」
という理由で,15時頃には,早々に退社して,また大混雑の電車やバスを乗り継いで帰宅する.
結局,出社しても殆ど仕事ができない.
何をさておいても,とにかく,職場に顔を出すことに意義がある…そんな時代だった.高度成長を支えた昭和の企業戦士の哀れな側面でもある.とにかく会社一番.子どもが生まれてくるのにも立ち会えなかったし,病気になっても,這ってでも会社にとにかく出社する…そんな時代だった.
「酒もタバコもやらないやつは軟弱者だ…人生の機微も分からないヤツだ…」
私は軟弱者のチャンピョンのような存在だった.
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あれから幾星霜.
私を軟弱者だと決めつけていた上司や同僚は,ほとんど川向こうの住民になってしまった.そして軟弱者の私が,なんとか息災に生きている.
人生とは不可思議なものである.
私は,この駅弁の包み紙を見ながら,長いようで短かった現役時代のことをしみじみと回想している.
そして唯一の感想は,
”そう簡単に昭和の時代は良かった…懐かしい”
と軽々に言ってくれるなということ.
最近,良く耳にする「一億総活性化」に別に反対する気はないし,総活性化すれば申し分ないとは思うが…暗い昭和の時代を体験している私には,
「一億火の玉」
「産めよ増やせよ」
「欲しがりません勝つまでは」
「月月火水木金金…」
などという標語が,条件反射のように脳裏に浮かぶ.
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一枚の駅弁の包み紙から,昔のことがそれこそ走馬燈(古い表現ですね!)のように蘇ってくる.
(つづく)
「趣味三昧;駅弁回顧録」の前回の記事
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「趣味三昧;駅弁回顧録」の目次
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2016年1月12日(火)
今,早朝5時を過ぎたところ.まだ,外は真っ暗.どうやら寒い朝のようである.
今日は某グループの鎌倉七福神めぐりを案内することになっている.10名あまりの方が参加される予定である.気心知れた仲間達と終日ブラブラと歩き廻ることになっている.
もっとも,一昨日,娘夫婦と一緒に七福神を一回りしたばかりだが,今日は自分のことだけでなく,平和な日々が末長く続くようにお祈りしてきたいなと思っている.
なお,今日の七福神めぐりの記事は,稿を改めてこのブログに掲載したいなと思っている.
[お願い
当ブログの記事を読んで不快に思われましたら,次回からは当ブログにアクセスしないようにお願い致します.
省線電車に乗り換えて東京駅で下車。
大手町の会社に通勤していました。
国鉄ストが頻繁にあり、休暇届けを上司に提出すると
「お前は根性がない、どんな方法でも出社しろ」叱られた。
私は反論した。
「こんな時こそ、休みを取り無駄な浪費をせず
ストライキの嫌がらせ防止する」
その上司は戸塚駅から通勤していた。
陰険な性格なので、一流大学出身だったが
出世もせず、戸塚にある寺の坊主の娘と結婚したが離婚した。
今では、不倫相手と寂しく湯河原にいるらしい。
当時のことを思い出しました。