『クレイジーズ』 ~世紀末の絶望感

2010-12-03 23:58:00 | 映画&ドラマ


写真の少女は登場しないが、オリジナル版に出演したリン・ローリイがカメオ出演してくれる!


 (すいません。かなり添削しました)
 どこまで行っても真っ直ぐな道路。左右には広大なとうもろこし畑と森が広がる。人口千人足らずのアメリカ中西部の田舎町は、けれどもアメリカの原風景と言ってもよい。あのエド・ゲイン(トビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』のモデル。人間の皮で作ったお面を被っていた)も、このような土地に生まれ育った。
 傑作『ゾンビ』(78)の前にジョージ・A・ロメロが発表した『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』(73)は、興行的には惨敗した映画だけれど(日本未公開。テレビ放映のみ)、映画オタクやホラー映画ファンなら知らない人はいないだろう。それが37年ぶりに同じ題名(邦題は『クレイジーズ』)でリメイクされた。オリジナルより100倍ほどスピード感とスリルに満ちたサバイバル・アクションホラーに仕上がっていて、本来なら娯楽作品として通用しそうなのだが、どこにも逃げられない閉塞感と人間そのものに対する絶望感から、心理的には非常に重苦しいムードのまま推移し、カタルシスを覚えることはまず不可能だ。その意味では、2010年の映画ではあるけれど、世紀末の終末観が雲のように観客を覆い尽くす作品だった。


 小さな町の保安官(ティモシー・オリファント)と医師の妻(ラダ・ミッチェル)。子供を授かったばかりで、さあこれからという幸福な生活を送っていたが・・・夫はショットガンを構えて白昼草野球場に乱入した隣人を射殺し、その家族から「人殺し」と非難され、妻は昼間に自分が診察した知り合いの農夫がその晩家族を閉じ込め自宅に火を放ったことを知らされ、現場で呆然と立ち尽くす。何かがおかしい? 何かが起こっている? 二人の等身大の演技が魅力。


 保安官と保安官補(ジョー・アンダーソン)は、町の外れにある沼で墜落した軍用機を発見する。彼らは何を積んでいたのだろう? 軍用機の墜落と何の理由もなく凶行に走る住民との間に何らかの因果関係があると保安官は直感するが、どこからともなく軍隊が現れ、自宅で団欒中の人々を用意した車に乗せると高校に連れて行き、感染者と非感染者に仕分けていく。軍用機は人を凶暴化させる「トリクシー」という細菌兵器を輸送中だったのだ。熱があった妻と助手(ベッカ・ダーリング)は、グラウンドに設置された野戦病院の拘束ベッドに寝かされるが、そこに・・・(このシーンは怖いよ~~)。感染者でない夫は郊外のドライブインまでトラックで移送されることになったが、納得できない彼は妻を助けようと保安官補と一緒にグラウンドへ戻り、間一髪のタイミングで二人を救出する。でも、悪夢はまだ始まったばかりだった。


 この町から自力で脱出することにした四人。でも、どうやったら凶暴化した人々と軍隊の追跡から逃れることができるのか? 自分たちも「トリクシー」に感染していたら・・・。冒頭と最後に登場する偵察衛星からの鮮明な町の映像が非常に不気味だが、オバマ政権が「テロとの戦い」の主戦場と位置づけているアフガニスタンで似たようなことをしているのをご存知だろうか? 監視衛星がターゲット(人間)を捕捉すると、遠隔操作で無人攻撃機「プレデター」を現地の基地から発進させ、高精度な誘導兵器によるピンポイント爆撃を行い、ターゲットだけを排除する。「プレデター」の操縦はアメリカ本土からでも可能で、こうしたロボット兵器が登場したことにより、兵士の安全性は飛躍的に向上した。だが攻撃される側に立てば、相手がニンゲンだろうとロボットだろうと同じことで、多くの民間人が巻き添えになっている。むしろロボット兵器を使っているアメリカに対して、今まで以上の憎しみを覚えているとのことだ。考えてみれば当たり前の話で、ロボットに殺されるよりはニンゲンに殺されたい、と自分も思う。ロボットは何も感じないが、ニンゲンならば何か感じてもらえるかもしれないから。
 アフガニスタンはロボット兵器の実験場だ。SFの話ではない、現実の話だ。「トリクシー」のような細菌兵器や、肉体的にも精神的にも痛みを覚えず人を殺すことのみに特化した「ゾンビ兵士」も、その気になれば作れるのだろう。タリバン側が麻薬で洗脳した兵士に自爆テロ攻撃をさせているように・・・。


 オリジナルの『ザ・クレイジーズ』。テンポは遅いが、じわじわと真綿で首を絞められる感じ? 映画を見た後、家庭劇場でオリジナルを再生した。70年代の映画でしか見られないタッチが新鮮。写真は国内盤だが、米国盤DVDの画質は素晴らしいのひと言!

  『クレイジーズ』の公式HPは、 → ここをクリック


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