稼働中の原子力発電所が残り一基になりましたが、「これで安心」というわけではありません。何が何でも原子力発電所の再稼働と消費税の増税(これについても言いたいことは山ほどあるが割愛)に邁進している(狂気の)集団が控えているからです。事故を起こした原子力発電所では、毎日のように問題が発生しており(直近だとストロンチウムを含んだ汚染水の海水流出と、2号機格納容器の冷却水不足=じゃじゃ漏れ事件)、「収束宣言」なるものが出たときも大いに呆れたけれど、政府も保安院も安全委員会も全て総取りかえしたい次第です。涙を誘う仔牛の「フクちゃん」の話もありました。
故郷を奪われた人たちや、被爆しながら事故現場で働いている人々のことを考え、未来の子供たちに想いを馳せれば、このシステムが百害あって一利もないことはもはや疑いようがありません。にもかかわらず、知らぬ存ぜずで再稼働へ舵を切っている現政権(自民党政権でも同じ結果だろうが)を見るにつけ、極めて近い過去と同じ道を性懲りもなく進んでいるとしか思えません。前にも、なりふり構わぬTPPへの参加表明がかつての三国軍事同盟と重なる、と書きました。六十五年前、この国は焼け野原と化したけれど、今度は相手が(経済だろうと放射能だろうと)見えないだけに、より深刻な気がします。汚染は半世紀で浄化されるのでしょうか?
3月27日付の『東京新聞』の「筆洗」で、わが意を得たりな文章が掲載されていました。このところ時間がなくて、全く記事が書けないこともあり、一部異論はあるのですが、全文を紹介します。
「東京電力柏崎刈羽原発6号機が天気検査で運転を停止し、五十四基の原発のうち、動いているのは一基だけになった。原発が止まったら大変なことになる、と経済界はさんざん脅かしてきたが、どこかで停電が起きたわけではない。東電管内でも、原発ゼロで今年の夏を迎える。でも、恐れる必要はない。電力不足キャンペーンが執拗に繰り広げられた昨年の夏を乗り切り、原発依存社会が虚構であるとわかったからだ。火力発電所の燃料コストが増えたから、電気料金を上げざるを得ないという主張も欺瞞だ。液化天然ガス(LPG)の取引価格は、大きく値下がりしている。問われているのは、安く燃料を買う努力を放棄した電力会社の姿勢なのだ。政府や電力会社は懲りずに電力需要に大きなゲタをはかせるだろう。そのウソを見破ろう。ピーク時の電力を分散させる知恵も絞りたい。例えば、夏の高校野球の全国大会は開催を秋にずらしたらどうだろう。東電への追加融資の条件として、メガバンクは原発の再稼働を挙げている。今後、事故が起きた場合、自らが背負う重大な責任を覚悟しているのか、大変疑問だ。財界や大銀行が原発の再稼働を強く主張する一方、中小企業の経営者が集まった脱原発のネットワークが、急速な広がりを見せている。自然エネルギーの自給自足を目指す地域の熱意を強く支持したい」
少しだけ補足すると、同じ金融機関でも、城南信用金庫はいち早く脱原発に舵を切りました。今夏の電力不足については、節電した去年ではなく、一昨年のデータ(オール電化推進の頃)を基準に「足りない」と言っているのだから、開いた口が塞がりません。電気料金の値上げについても、電力会社の体質が事故前と全く変わっていない隠ぺい体質で、値上げの根拠が全く記されていないことなどから、私も承諾できません(「再稼働させてくれるなら値上げしません」とストレートに言ってくれても承諾しないけど)。そして、繰り返しにはなりますが、どんなに原子力発電所が安全になろうと(まあ、それもあり得ない話だけどね)、発電の結果生じる放射性廃棄物を無害化する技術が確立しない限り、再稼働には反対です。昔はエアコンも携帯もなかったけれど、不自由は感じていませんでした・・・冷蔵庫と洗濯機は欲しいかな?
急行 A列車で行こう』











