『ちりとてちん』第18週(101) ~りある「ちりとてちん」

2008-01-31 21:48:30 | 連続テレビ小説


 今日の一席は、副音声の「二人に割りこめない喜代美」。
 というのは半分冗談で、昨日の『スタパ』のゲスト、林吉弥さん。これは、本気。
 国会中継のために延び延びになっていた『スタパ』(17日収録)が、ようやく30日に放送されました。当日、たわ子さんのブログ(感想は⇒ここをクリックで放送を知り、運良く見ることができましたが(録画は失敗!)見逃した人が結構いるかもしれません。NHKは、『ちりとてちん』視聴者のために急遽再放送を行うべきです。なぜなら、吉弥さんの『スタパ』は、『ちりとてりん』を「うどん」に例えると、「薬味」に相当する内容だったから。葱や七味唐辛子の入ってないうどんなんて・・・

 吉弥さんの話で、『ちりとてちん』の世界がより身近に、そしてよりリアルに感じられるようになりましたし、吉弥さん(=「草原」兄さん)の人となりも、武内陶子アナ(インタビュアーとしても、前任者より上ですね)が巧みな話術で引き出してくれたから、「本物の落語家」を知るだけでなく、「緑さん抜きの草原兄さん」を知る上でも、本日の「草原&緑の今も ♡ ♡ 」放送とトレードした方がいいかもしれません。
(奈津子はんが目撃したら激怒したでしょうが、個人的には「アレもあり」だと思う)

 徒然亭の弟弟子たちとテレビ電話で交わされた会話(吉弥さん、貫禄です)といい、秘蔵のVTRまで出てきた(「人間国宝」の米朝さんを取材中に偶然、吉弥さんや柳眉役の桂よね吉さんが・・・)家事に雑用の内弟子修行といい、『ちりとてちん』そのものではありませんか!
 裏を返せば、『ちりとてちん』が落語の世界をリアルに描いていたわけで、他のお師匠さんに稽古つけてもらうのも、『ちりとてちん』で描かれたとおりだそうです。
(ただし、稽古中はメモなど一切禁止なので、稽古が終わるとそそくさと退散して、玄関から一歩出たところで、覚えていることを必死でメモったとか)
 今日の放送では、草若師匠が一番弟子の草原を「学者肌で、稽古熱心で、面倒見がよい」と評していましたが、本当にそのままの人柄が伝わってきたし(神戸大学教育学部に学び「落研」に所属、桂吉朝さんに恋して高座通いを重ね弟子志願、何度も断られた末、内弟子にしてもらった)、家族を愛する姿も「草原」兄さんとぴったり重なります。最後に、ダイジェスト版だったけれど『ちりとてちん』を披露してくれる一幕もあり、あっという間に45分が過ぎてしまいました。
(「ニュース解説」省略して、目いっぱい時間を取ってほしかったなあ~)

 で、今日の放送に戻りますと、正典&糸子さんに続いて二十の頃を演じた二人、「噛み噛み」草原兄さん&「落研!」の緑さんの手紙のやりとりが、ほのぼの良かったですね~。緑さん(背景も緑で統一)、二十で通ります! 一方の草原兄さんは、「スタパ」によれば、大変な男前。「サッカー!」をしていたせいか(回想場面では自分がサッカーボールみたいでしたが)、今よりうんとスリムでした。
 緑さんは、奈津子はんの天敵の「手編みのマフラー」女で、なおかつ小まめな「文通」女でした。今の若い人は「メール」でリアルタイムにやりとりするから、文通なんてしたことないとは思いますが、どうです、なかなかいいでしょう? こんな時代もあったんですよ~。私も、せっせと手紙を書きました。手編みのマフラーなんていうのも、ひどく懐かしいですね。当時は、憧れのアイテムでした(今でもそうかな?)。
 あっ、もう時間来ました。明日は、いよいよ小草若の出番ですね。えっ、若狭の悩みはどうなったって? 四草の年齢も知らなかった人のことなんか知りません! なんちゃって、小草若が彼女に何と答えるか、密かに楽しみにしております。

 最後に一言。桂吉弥さんが恋人のように慕って弟子入りした師匠の桂吉朝さん(吉朝さんのお師匠さんが米朝さん)は、1999年に胃がんを患い、一度は回復しましたが2004年に再発、治療しながら高座に上がり続けました。
 2005年の10月27日、「米朝&吉朝の会」で米朝師匠が珍しい『狸の賽』を口演、吉朝さんは『弱法師』と『ふぐ鍋』の二席を演じるため、医師付き添いのもと酸素吸入をしながら高座に上がったのですが、45分間『弱法師』を演じたところで精根尽き果て、「劇場の前をたまたま通りかかった」という桂雀松さんが『替り目』を代演したそうです。吉朝さんは、それから11日後に他界しました。
 通りすがりの私でも、すごい人だなあと畏敬の念に打たれる人に恋焦がれて飛び込んだ落語の世界。師匠の早すぎる死に直面して、吉弥さんがどれほど辛い想いをしたか? 察するに余りあります。その人に、ドラマとはいえ「同じ想い」をさせていいのだろうかと、余計なことを考えてしまうのです。
 俳優という仕事は真に因果な商売かもしれません。プロの落語家もまた、どんなに悲しいときだろうと、高座では「楽しく」お喋りしなければなりません。亡くなった人を偲べば、悲しさだけではなくて、楽しい思い出もたくさん蘇ってくるだろうし、吉弥さんを見れば、吉朝師匠が吉弥さんの血となり肉となり、吉弥さんの中で生きていることがわかります。そうしたことは全て承知した上で、脚本・・・恨みます。

  先ほどまで『鹿男あをによし』を見ていました。桂吉朝さんのことでコメントくださったキリコさん、RIKAさん、わらめろんさん、ありがとうございました。私も落語のこと、全然詳しくないんです。でも、吉弥さんが「恋をした」とまで言った師匠の吉朝さんがどういう人だったのか興味を抱いて「付け焼刃」的に調べただけで・・・ちなみに、天狗座の一門会で吉弥さんが演じた『蛸芝居』は、吉朝さんの十八番だったそうです。米朝門下の芝居ネタを得意とし、『七段目』『地獄八景亡者噺』(すごく聴いてみたいですね~)『百年目』そして『愛宕山』も代表噺で、一門以外のネタでは、若狭が二番目に取り組まされた『天災』もよく高座にかけたとか。吉朝さんの代表的な噺はCDなどで聴くことができるので、ひと段落したあたりで私もじっくり聴いてみるつもりです。


『鹿男あをによし』第2話 ~いさなとり キツネとタヌキどっちが好み?

2008-01-31 02:27:50 | 鹿男あをによし=奈良


 『鹿男あをによし』第2話。「いさなとり」は海・浜の枕詞ですが、特に意味はありません。「あをによし」に続いて一話ごとに枕詞をつけようと思っただけ。

 さて、鹿の命を受けて大事な大事な「サンカク」とやらを、使いの狐から受け取って来ることになった小川先生は近鉄電車に乗って京都へ行くのですが、伏見神社の狐の使い?のマドンナ=長岡先生(柴本幸)のことが気になって仕方がなく、藤原先生(綾瀬はるか)はライバル?出現にやきもきする、といった図式ができあがり、日本の運命よりも恋の行方の方が気になるくらいなのですが、この藤原先生、原作では「藤原クン」と呼ばれる年下の男子教師(でも妻子持ち)とのことです。

 理想の女性が(元オトコというか)存在しないキャラだったとは・・・ショックを隠せないニワトリですが、なるほど原作の藤原クンは、主人公の不思議な冒険の手助けをする重要な人物かもしれないけれど、先週黒板に書かれた落書きみたく、鹿男が「かりんとうとラブラブ」になるはずがないわけだから、「藤原クンを女性にするなんて」と、原作のファンは憤慨しているかもしれませんが、個人的にはこれで面白くなったぞ、なんて思うわけです。

 間違えて録画してしまった番組に出演した綾瀬さんを拝見した限りでは、かなり「かりんとう」のキャラクターが入っている人だと見受けましたが、公式HPのインタビューで、「藤原クンは綾瀬さんそのものだから、そのままできるんじゃない?と言われるくらい似ているらしいんです。そういえば、話題が飛んだり、会話が前後することが多くて、そんなところは共通点かなと思うので、自分を参考にしながらやってます」と、マイペースで答えるあたりは「かりんとう」そのもの。ますます、気に入ってしまいました。
 「マドンナ」が狐の使いなら、「かりんとう」は狸の使い?
(綾瀬さんには「ウサギの物真似」というすごい技があって、月のウサギの使いかもしれません)
 小川先生は狐に惹かれていますが、私は狸に惹かれます。
 
 今週は、手酌でグイグイあおって、へべれけになった「かりんとう」をおぶって下宿に帰るシーンがのどかで良かったのですが、大事な「サンカク」を「ネズミ」に奪われてしまった責任を問われて、小川先生は本物の「鹿男」にされてしまいました。
 鏡に映った自分の姿を見て、びっくり仰天! まわりの人々は気づかないみたいだけど、第1話から反抗的な態度をとってきた不思議な女生徒=堀田イト(多部未華子)には、「鹿男」の姿が見えるんじゃないかな? 親切で優しい教頭先生(児玉清)が実は「ネズミ」だった? いよいよ今晩、第3回目を迎えます。


『ちりとてちん』第18週(100) ~十人十色

2008-01-30 09:57:50 | 連続テレビ小説


 なるほど、今週は、こういうことだったのか!
 「どんな長い仕返し」に「真っ赤なスーパーカー」・・・今まで何気なく語られてきたことがジグゾーパズルのコマになっていて、糸子さんという絶妙の聞き役を相手に草若師匠が回想しながら、一つひとつの断片をしかるべき位置に嵌めこんでゆく作業。喜代美のスランプがまた、兄弟子たちの「人となり」を浮かび上らせる「狂言回し」の役目を担っていたとは・・・最後の1ピースを残して「徒然亭」の絵が完成する、という筋書きだったんですね!
 
 選ばれた落語が、多くの人が知っている『饅頭こわい』だったのにも意味があって、この笑い話は、「俺はあれが好きだ」「私はそれが怖い」「なんでそんなものが。こっちの方がもっと怖いと」いった具合に井戸端会議が進んでいき、皆の「怖い」を馬鹿にした男が「饅頭を怖がった」ものだから、「よし、ひとつ懲らしめてやれ」と饅頭を大量に買ってくると、この男は饅頭を見るなり震えあがって、「うわあ~、こわいこわい、こんなこわいものは見たくないから食べてしまおう」「うわあ、今度は粒餡だ。俺はこの粒粒が気持ち悪くて鳥肌が立ってきた~」とか何とか言いながら次々うまそうに食べてしまい、ようやく皆も騙されたことに気づく、というお話なのですが、噺家の実力次第で面白くもつまらなくもなる「怖い」落語ではないかと思います。
 侃々諤々喧々囂々、熊さんや八っさんが手前勝手な「好き嫌い」を、感情から屁理屈まで繰り出して「いきいきと」述べるくだりが面白くて、結局は「十人十色だからこそ面白い」ということを伝えてくれる点でも、今週のテーマにぴったりです。

 喜代美の悩みを聞いた兄弟子たちの対応も、昨日の草々と今日の四草では全く違うのが面白く、草若師匠の回想から、弟子たちの気質や長所、それに弱点までも明らかにされました。
(ミステリアスな四草の「ヘーベー」との馴れ初めや、本名も明かされましたね)
 明日以降、草原&小草若と続き、最後に草若師匠が「十年後になって初めて意味がわかってくる」言葉をアドバイスをしてくれるのかな。
 この【徒然亭ジグゾーパズル】、皆で一緒に完成させましょう!
(でも多分、最後のピースは出てこない。その代わり、全く新しいピースが?)

 今日の「ただいま修業中」は、ヘーベーつながりで「ペットショップ」でした。第100話が、こういう話になったのも計画的?それとも偶然?


日曜日の出来事

2008-01-30 01:48:15 | 自然&いきもの+ゾウのはな子


     

梅の影法師と朝の露


 今年は枝いっぱいに蕾をつけている我が家の白梅に、つがいのメジロが来たと言って、珍しく父がデジカメを手にしている。残念ながらメジロは飛び立ってしまい、私も姿を見ることができなかったのですが、三年前にたった一輪の花を咲かせてから、翌年、翌々年と順調に花の数を増やしており、二年目からはメジロも来るようになったそうだ。もう一度来てくれるかもしれないので、しばらく張り込んでいたのですが、残念ながら見ることはできませんでした。その代わり・・・
 何とはなしに壁に目をやると、こんな模様(上の写真)が浮き出ているではありませんか! この木の枝は例の梅だと思うのですが、壁の正面に梅があるわけではなく(正面には明かりとりの小さな曇りガラスの窓しかない)、どういう光の具合からここに梅の影を投影できるのか、ちょっと不思議な感じがしました。
 この日は風が強く、そのため影絵もさわさわと微妙に揺れています。日差しの加減によって影の濃さも驚くほど変わるので、しばらくの間、無言劇を楽しませてもらいました。右の写真は、シンビジウムにカメラを向けたときに見つけた水滴。朝の露ですね。ほんのり甘かった?


                   

 君子欄も綺麗に咲きました。部屋の温度が低いせいか、最後の花が開くまで最初に咲いた花も枯れずに済みました(花に温風が当たるのでエアコンをオフにしています。おかげでとても寒い!)。FZ18を妹に貸し出し中なので、久しぶりにR6で撮影しましたが、描写力はこちらの方が上かも?(動きものには弱いけど)


     

 シンビジウムは2ヶ月以上咲き続けるタフな草花です。蕾が膨らみ始めたのが去年の暮れ。今年も花をたくさん咲かせてくれました。(私が手入れしているのではないので、偉そうなことは言えませんが・・・)


『ちりとてちん』第18週(99) ~饅頭こわい

2008-01-29 21:47:35 | 連続テレビ小説


 まずは、訂正から。
 昨日私は、「若いということは残酷で・・・」と言った上沼喜代美に反発しました。「自分が清海に対してしたこと(厳密にいえば、しなかったことだけど)」を一般論で正当化していると勘違いして反論したくなったのですが、(あんこさんのブログが考え直すきっかけになりました)自分は本当に誠実だったと言えるのだろうか、胸に手を当てて考えてみたら、出るわ出るわ、大量の至らなかったことが・・・
 「誠実だった」と言ってのけた私こそが「真の大馬鹿者」だったわけで、今は穴があったら入りたく、地面から首だけさらしておりますが、一般論でくくってくれると、確かに少しだけ気が楽になりました。でも、恥ずかし~い!

 さて、『ちりとてちん』第18週に出てきた上方落語は『饅頭こわい』。『寿限無』や『寝床』のように昔から広く親しまれてきた落語ですね。
(「ただいま修業中」の修行中も酒饅頭でした)
 演じるは宝塚歌劇団。特に、奈津子はんの大きな瞳を見ていたら、星組&月組のトップスターになれたかも・・・なんて想像しちゃいました。草若師匠も言ってましたが、この落語を聴いたら、「好きなもの」を訊ねてみたくなりますね。あなたの好きなもの、何ですか?

  草若師匠が縁側で訥々と糸子さんに語る言葉の節々に、落語と弟子たちへの深い愛情が感じられて、心に深く沁みてくるのですが、月曜日の最後の言葉を聞いてしまった以上、何ともいえない気持もこみあげてきます。
(病気も「天災」の一つかもしれませんが、師匠の場合は制作上の都合から「天災」を背負わされるわけで、確かに飲みすぎのきらいはありましたが、それでも「人災」です。また、月曜日のひと言がなくても、悟りを開いた人のような穏やかな表情を見て「不安を覚えた」かもしれませんが、この展開、やはり納得できません)
 今日は草々について喋りましたが(確かに、「でかいけどもろい」恐竜のような男ですね)、明日以降、草原兄さんや四草、そして息子の小草若についても語っていくのでしょう。一言ひとことを噛みしめながら聴こうとは思うのですが、気持ちが乱れて上の空になってしまうかもしれません。ほんと、恨みます。

 ジグゾーパズルのピース、「欠けたままでいい」というのは、例えとしてならよくわかります。(実際、最後の1個が見つからないと癪にさわるでしょうね)
 誰が言ったのだか(トリュフォーの映画だったかしら)、「人生は三つぐらい謎を残しておいた方が面白い」という台詞がお気に入りのニワトリだから。
 完璧主義に関しても同じことが言えるでしょう。100%を追い求める気持ちは必要だけど、機械と同じで「遊び」がなければたちまち壊れてしまうし、逆説的にいえば、人は決して完成することがない生きものだからこそ、完璧を目指すのかもしれません。実際、生きている限りゴールが訪れることはないのだから。
 それを生きることへのプレッシャーに感じてしまうのでなく、生きることの喜びに変えて、人生のど真ん中でもはしっこでもいいから、歩いていけたらいいですね。ときに道に迷ったり、わざと回り道をしてみたり、道端に腰をおろしてのんびり景色を眺めたり、風の音や鳥のさえずりに耳をすませながら。
 行く先々に「別離」が用意されていなければ、楽しい道なのですが・・・

 あっ、書き忘れました。『饅頭こわい』でも、清海の姿はなかったのね。スケジュールの都合かもしれないけど、せめてここだけでも皆と(男がすなる落語の)男装を楽しんでほしかったワン!


カレイが届けてくれた15年前の手紙

2008-01-29 00:08:00 | 独り言&拾いもの


15年後に届けられた手紙


 不思議な不思議な事件です。
 十五年前に小学生が風船につけて飛ばした手紙が、カレイの背中にくっついた状態で見つかりました。「事実は小説より奇なり」と言いますが、こんなことが起こる確率は限りなくゼロに近いのではないでしょうか? 妄想力も膨らんで、風に飛ばされた風船が海に落ち、カレイの背中に乗って水揚げされるまでの変遷が、古い例えで申しわけないけど、あたかも「泳げ、たいやき君」のアニメーション(歌詞)のように、頭の中で展開されています~♪

 その手紙は1993年の11月、川崎市立宮崎小学校の千人の児童が創立百二十周年を記念して風船にくくりつけて飛ばしたものでした。それが「風に運ばれて海に落ちた」まではわかるのですが、15年後にカレイの背中で発見されるとは・・・ 
 手紙の配達人は体長50センチ。表面がサメ肌なのでサメガレイと呼ばれていますが、福島や三陸地方では「ホンガレイ」とも呼ばれ、大変おいしい魚らしい。北海道から南の太平洋や東シナ海に広く生息しているわりに水揚げ量は少なく、配達人のサメガレイは犬吠埼沖合い約40キロの深さ1000mの海底にいたところを底引き網で引き上げられました。カレイは砂に潜る性質があるので、その際に海の底に沈んだ手紙を背中に貼りつけたのかもしれないし、同じように底引き網がすくい上げた手紙がカレイの背中にたまたま貼りついたのかもしれません。

 銚子漁港に水揚げされた手紙は、今月25日に差出人の元に届けられました。当時の小学一年生も、現在は大学二年生のお嬢さんに成長していて、皆で風船を飛ばした後に何通か手紙が拾われ、朝礼で読み上げられたことを覚えているけれど、自分の手紙が今になって届けられたと連絡を受けて、本当にびっくりしたそうです。
 テレビでニュース映像を見ましたが、「見つけてくれた人にもカレイにも感謝します」と、とても嬉しそうに微笑む姿が可愛らしく、見ている私も自然と笑みがこぼれてしまいました。何でも、カレイの煮付けが大好物とのことで、「これからは、カレイがかわいそうになります」と、複雑な胸の内も語ってくれたとか。
 「郵便局」は、直ちにカレイのシルエットをシンボルマークにしよう~♪


『ちりとてちん』第18週(98) ~「三年目の浮気」なら良かったのに・・・

2008-01-28 21:51:05 | 連続テレビ小説


 あれから三年・・・
 良い意味で変わっていないのは熊五郎夫妻くらいで、普通に(一般的には普通でないかも)変わっていないのが青木夫妻と小次郎カップル。あとの人々は様変わりしましたね。
 順ちゃんの「双子」出産。実は読んでました。でも、義理のお母さんを病気にするとは感心しない脚本です(実際の話だったら、心労が重なってその可能性は高いでしょうが)。静さんが孫の顔を見て喜こんでいたのが、せめての救いでした。
 変わったといえば清海。先週私が完全に見落としていた「B子が持っていたはずのキーホルダー」を肌身離さず身につけているようで、石に触ろうとした友春の子供を激しい言葉で拒絶してしまいました。彼女が「良い子」でなくなったのは、ある意味歓迎すべきことですが、ある程度予想していたこととはいえ、痛々しいですね。あのときは喜代美が気の毒に思えて、交換したキーホルダーを海に投げ捨てたことに爽快感さえ覚えたのですが、やっぱり捨ててはいけなかったのではないかと、今更ながら後悔しました。
 「良い子」でなくなった人がもう一人。正平君です。就職氷河期と言われた時期に大学卒業だから、考えられないこともないけれど、彼が変わったのは就職できなかったからではなくて、海外留学のパンフレットを引き裂いてからでしょう。まあ「若年寄」でいるより、あれぐらい変わってくれた方が良かったのかもしれませんが、恐竜博士になる道を自ら閉ざしてしまったのだとすると、残念で仕方ありません。
 何でも正平が、「一番小次郎さんの血を引いていた」らしいのですが、若狭塗箸の腕が認められて人間国宝になった(なってない、なってない)正典さんの血を引いているのも確かだから、この先、正平が若狭塗箸を継ぐことを暗示しているのかもしれませんね。(正平が清海と接近する可能性もありますが・・・)

 それにしても、納得できないのが上沼喜代美(上村喜代美と書いてました。他にもやっている可能性が・・・ナレーションの上沼さん、ごめんなさい~)の述懐。
 「若いということは残酷です」とか何とか言ってましたが、そうじゃないでしょ。その頃の自分が薄情な人間だったんでしょ。
 私はあのとき、喜代美にとって清海は「天災」なんかじゃない、と言いました。清海に対して常に劣等感に苛まされていたけれど、それこそ「自意識過剰のアホ」のなせる業で、「清海だって喜代美のことを羨ましいと思っているに違いない」と考えていましたし、清海本人が「そう思っていた」と喜代美に告げました。私は、「この時点で、二人が親友になるのかな」と期待しましたが、実際はそうならずに音信不通のまま。表面上のつきあいもなくなってしまったわけです。
 このことを「若さ」に共通する「残酷さ」で片づけられてしまったら、心ある若い人たちは憤慨するんじゃないかな? そりゃあ、私だって若い頃は、ときには傷つき、ときには傷つけたと思います。でも、相手に対して誠実でありたいと、決定的なことがあった後でも友達としてのつきあいは続けてきました。もちろん、今では一人を除いて音信不通になってしまいましたし、私が取った態度こそ「残酷」だと言われれば返す言葉はありませんが、今となっては全て良い思い出に昇華されています。
 橋の欄干での感動的な別離がなければ、私も口を挟んだりしないのですが、その後音信不通になってしまったということは、(清海が東京で失敗したことを考えても)「捨て身の戦術で恋のライバルを東京へ追い払った」だけのことだったのかもしれませんね。上沼喜代美はそれに気づいて、「あの頃は自分の恋や生活に必死で他人のことを考えることのできない薄情な人間だった」と述懐しているのかもしれません。
 この頃は、清海のことを「鈍感」だと批判していましたが、喜代美の鈍感さも相当なもので(弟が悩んでいることも気づかなかった・・・)、三年後も「自分のことを考える」だけで精一杯のようです。もしかして、徹頭徹尾「自己中」な人なのかしら?

 人気ブログのコメント欄でも騒がれていた「衝撃の事実」とやらが、明らかになりました。私はネタバレに関して比較的寛容な人間ですが、例えば「どんでん返しがある」と書いただけで、もうネタバレなんだよ! ネタバレはいけないと言っている人々が「衝撃の事実」なんてネタバレ投稿しているんだから・・・でも、色々なところで囁かれているからといって、ドラマの語り手が先手を打って「ネタバレ」するのも変な話だと思います。しかも「死の予告」でしょ。
 「死」の本質が理不尽なものだけに、ドラマの中でそれをどう扱うのか注視しているのですが、この展開には断固異議を唱えます。それとも草若師匠は、『芋たこなんきん』に登場した落語のお師匠さんと同一人物だったのでしょうか? 健次郎さんを訪ねた落語家は大作といわれている『駱駝』を自分の落語の集大成にしていましたが、草若師匠の集大成はやはり『愛宕山』なんでしょうね。


『鹿男あをによし』(第1回) ~朱雀門!鹿!!

2008-01-28 00:51:30 | 鹿男あをによし=奈良


角をつつき合う相手がいないので木の枝相手に格闘中!
(1月26日のヤクシカ。井の頭自然文化園)


 ああ~っ、やっぱり奈良はいいなあ~。平城宮跡の南に復元された朱雀門を見た途端、いても立っていられなくなり、玉木君(ドラマでは小川先生)のように奈良に飛んで行きたくなってしまいました。去年の6月でしたか、「ブログの友」のびわちゃさんが朱雀門と近鉄電車の記事をお書きになって、そのときも奈良に行きたくなったんだよね。「あをによし」は奈良の枕言葉だけど、ここには「猫のまたたび」みたいにニワトリさんを惹きつけるものがたくさんある。猿沢の池と興福寺の五重塔、春日大社と東大寺、唐招提寺に新薬師寺、斑鳩の里に山辺の道、たくさんの古墳群と平城宮跡、救世観音と阿修羅像・・・そうそう、奈良公園の鹿にも会いた~い!
(←鹿のつもり)
  びわちゃさんの「朱雀門と近鉄電車」の記事は、 → ここをクリック
     びわちゃさんの「燈火会」の記事と鹿の写真は、 → ここをクリック

 風の噂に聞いたところ、このドラマでは「奈良の風景は、そのまんま使うのではなく、パズルのパーツを巧妙に入れ替えて、並行世界のように別の空間を作り上げている」そうです。
 この言葉を聞いて、私は思いました。7年ぐらい前ですが、『東京攻略』という奇妙な香港映画がありました。トニー・レオン、イーキン・チェン・ケリー・チャンという人気俳優が、東京を舞台に繰り広げる緩いアクション映画で、阿部寛さんが「開眼」した作品として記憶にとどめておきたい映画です。新木場や目黒、東京フォーラムといった馴染みの場所が出てくるのですが、これが地理的に全然つながらない。ものすごく変な東京なのですが妙に魅力的というか、これが香港の映画人がイメージしている東京だと思うと、面白くも不思議でもありました。
 『鹿男あをによし』で、もうひとつの奈良を作り上げたのも、そうした効果を狙ってのことでしょう。映画やテレビドラマのロケ地に行くと、より映画的によりドラマチックにするための省略や強調を発見できて、なかなか面白いですよ~♪
(私の好きなアニメ『耳をすませば』も、ほら、現実とは少し変わっていましたもの)
 それにしても、玉木君たちが下宿しているあの素敵な「元旅館」は、実際に存在しているのでしょうか? それから藤原先生が小川先生(玉木)を誘って登った丘、というか山はどこ? あんな光景が見られるなら絶対行ってみたい~~!

 第1回は、『帝都物語』を見ているのではないかと思うような冒頭から一転して、大学の研究室に勤める小川孝信(やや神経衰弱)が奈良の女子高に赴任して、鹿に声をかけられるまでがスピーディーに描かれました。
 『のだめカンタービレ』(まだHDDに入ったままだ・・・)で千秋を演じた玉木宏さんが、『鹿男あをによし』の鹿に選ばれし男=小川を演じているのですが、頬がこけてまるで別人です。同時期の撮影だったのか、千秋もゲキ痩せしてしまいましたが、それでもちゃんと別人に見えるから大したもの。「金太郎飴」俳優じゃなかったんだね~。それだけで好感度UP!
 小川君は、日常的な些細な出来事から人生の節目に至るまで、必ず「裏目」が出てしまうという「不運を絵に描いた」ような男なのですが、奈良に赴任することになったものも、結婚を予定していた恋人から、自分の嫌いな同僚と結婚することを告げられたのが原因で・・・

 実をいうと、ニワトリ氏も、風疹にかかってしまったため中学の卒業式に出られませんでした。高校の修学旅行では初日の晩に猛烈な下痢に襲われ、夕食の「鍋」を食べられませんでした。卒業式には出られましたが、卒業アルバムの部活別記念写真には私の姿はありません。大学4年の夏には、骨折して就職活動に支障をきたしましたし、初デートの朝彼女を迎えにいく途中で大渋滞に巻き込まれて大遅刻、それでも何とか彼女の家までたどり着いたら、「ごめんなさい、やっぱりデートできません! 彼氏に悪いから・・・」。頭の中、真っ白のまま帰りました。よく事故らなかったものです。
 極めつけは、結婚してもいいなと思っていた女性から「お見合いをさせられる」と泣きながら相談されたときのこと。「これは彼女にプロポーズしなければならない」と覚悟を決めたのですが(プロポーズをせがまれてる、とも思った)、私の言葉で彼女がお見合いを断ったまでは予定どおりだったのですが、その足で年下の友人の住む名古屋へと去ってしまいました。
 たいていのことには驚かない私も、さすがにこのときは三日間食事をせず一睡もしませんでした。三日後にリバウンドが来て、「ニンゲンって面白いなあ」と、他人事のように思ったものです。今になって考えてみると、私が勝手に彼女のことを恋人だと勘違いしていただけのことだったのでしょう。良き友人だった私のアドバイスを聞いてお見合いを断り、愛する人の胸の中へ飛びこんでいった、というわけです。

 ニワトリ氏がこんなことを思い出したのも、小川君と同じように何をやっても裏目が出てしまう同僚の藤原先生から、「私なんか、つきあっていた人から結婚式に招待されてしまったんですよ~」という話を聞かされたからなのですが、彼女が明るく「多分、彼は、私とつきあっているとは一度も思わなかったんですよね」と言ってくれたことで、目からウロコというか、大いに慰められました。

 これは私だけの妄想ですが、裏目に出てしまうことが必要用件なら、私も「鹿」に選ばれる資格は十分あると思います。歩くのが大好きで、歴史オタクで、話がどんどん飛んでしまう藤原先生みたいな人に巡りあうかもしれません。でも、私が鹿に選ばれたとしたら、題名はきっとこうなるでしょう。
「馬鹿男あをによし」。お後がよろしいようで・・・


 ほら、このとおり、鹿から話しかけられてしまいました。くだんの「馬鹿男」は、第1回を勝手に2時間スペシャルだと勘違いして、9時から23時5分まで録画予約しました。そしたら、前の番組に綾瀬はるかさんが出演していて、ラモスを相手に嫌いな食べ物を当てるというゲームをし、綾瀬さんは藤原先生のキャラクターがかなり入っているチャーミングな人だということがわかりました。罰ゲームの「兎の真似」、可愛かったです。変な顔ができる美人って、大好きなんだなあ~♪


『フルスイング』第2回 ~逃げない

2008-01-27 00:56:35 | 映画&ドラマ

 NHKの土曜ドラマは、質の高さで有名ですが、先週から放送されている『フルスイング』(全6回)は、去年の『ハゲタカ』を超えるかもしれません。
 この物語は実話がベースになっていますが、「実話だから尊い」とか、「実話だから嘘ではない」といった考え方だけはしないように、ドラマを見るつもりです。
 ただ、主人公を演じることになった高橋克典さんがあまりにも素晴らしく(憧れのランちゃんとの共演がモチベーションをいよいよ高める結果に?)、本物の高畠導宏さんがそこにいるとしか思えません。ほんと、「フルスイング」してます!

 先週は、「わたらせ渓谷鐡道」に乗りに行って非常に楽しかったのですが、録画を忘れてしまい、日曜日の朝「昨晩、放送があった」ことを知りました。でも、今回第2回を見て、再放送があると確信したので、まあ良しとしましょう。
 キャスティングでは、里見浩太郎さんがベテラン教師を演じ、小林克也さんが校長先生を演じているところが面白いですね。逆だったら、当たり前すぎますもの。大好きな映画監督=塚本晋也さん(英語教師の太田)の演技を見られるのも、個人的には大変おいしいところ。教頭先生役の本田博太郎さんも適役だし、そして(最初は)ツンツンしているけれど吹石一恵さんが同僚教師と来たものだから、もうニワトリさんも高校時代に戻って吹石先生の授業を受けたい~♪

 第2回「逃げない」、解説することはございません。見ればわかる。見れば力が湧いてきた・・・兎にも角にも、高橋さんが「最高」なのですが(単身赴任だから仕方ないけど、ランちゃんの出番が少ない・・・)、剣道一直線の可愛い女子高校生を演じているのは、何と『フラガール』の徳永えりさんではありませんか! この二人、『フラガール』では親子でした。覚えています?
 えりさんは父親(高橋)に暴力振われ、激怒したまどか先生が男湯に殴りこみに行っちゃうのですが、高橋&徳永の二度目の共演は親子でなくて教師と生徒。二人が徐々に心を通わせていく過程がていねいに描かれていて、ジーンと来ました。
 平凡な感想文になってしまいましたが、来週も「フルスイング」しなくちゃ!

『ちりとてちん』第17週(97) ~和田清海(22才?) ← 子はタフガイ

2008-01-26 09:45:33 | 連続テレビ小説


 昨日のタコ壺(フジツボ・墨壺・痰壺・・・タンツボは嫌だなあ)が、和田小次郎(17才)なら、今日の桐壷の君(光源氏のお母さん)は、ラスト1分に登場した、
和田清海(22才?)でした。?マークがついているのは、22才の誕生日を迎えて、故郷に戻ってきたのかもしれないと思ったからです。
 足元に光るきれいな小石を拾い上げ、愁いのある表情で海を見つめる清海。
 三年間、何があったのか知らないけど、明らかに美しさを増しています。
 アホのニワトリ、腰を抜かして、フォーリン・ラヴ?

 さてさて、オチがついたのに、『天災』の続きを勝手に創作して、時間を稼ぐ喜代美と、立ち上がって「ふるさと」を歌いだした父、正典
 昨日は「五木ひろしは必ず間に合う」と書きましたが、実は、この展開を待っていたんですよ~~。 (mamemo さんが、糸子さんの気持ちを代弁してくれてます) 
 もしかしたら、(五木)ひろしはここまで読んで、最初から和田塗箸店の店先にいたのかもしれませんね。そうだとしたら、草若師匠並の洞察力に乾杯!

 まったく、「子はかすがい」とはよく言ったもので、草々が喜代美に意見したように、彼女が二人の大事なかすがいだったんですね。そうすると、やはり mamemoさんが指摘していた「正平君」ですが、彼が二人のどういう「かすがい」になるのでしょうか?
 部屋に戻ってから、正平は、せっかく取り寄せた留学案内をビリビリに破り捨てていましたが、彼こそ今週のお題である「子はタフガイ」になってくれることを、来週以降期待します。

 それにしても喜代美の鈍感力というか、アホ度はいよいよ輝きを増しているようです。あれだけのことができながら、まだ「人生のど真ん中を歩く」とは「自分がスポットライトを浴びること」だと勘違いしている。まあ、久しぶりに、順ちゃんが「喝」を入れてくれたからいいけど。
 幸せいっぱいのアホヅラ(ごめんね)で、草々の腕にぶる下がるようにして浜を歩く彼女のあとに、清海が登場すると、「やっぱし、あんた(喜代美のことよ。演じている貫地谷さんのことではなくて)はドラマの主役になれんかもね」と思ってしまいました。
 でも来週は、喜代美の真骨頂とも思える「ちょんまげ姿(ちょび鬚まで!)」も披露してくれますので、乞うご期待!

 このドラマ、たわ子さんも「登場人物の一人ひとりが主人公だから好きだ」と仰っていましたが、だから来週以降も目が離せません。和田製作所の問題、正平君の留学問題、小次郎さんのプロポーズ、和田清海さんの動向、そして草若師匠の身に・・・?! 

 HDDが知らない間に満杯になってしまい(容量少ないんです)、今日の放送をお昼まで見直すことができないのですが、クレジット、青木喜代美になってました?