一週間経って、16+2基になりました・・・

2011-05-20 09:38:10 | 独り言&拾いもの

 今週はちょっぴりハードだったので、ブログには手をつけず、睡眠に徹しました。その甲斐あって、日曜日は「喉が痛くて体もだるかった」のですが、夜勤を二回乗り越え、体調も絶好調に戻りました。今晩(金曜日)の社内研修が終われば休みだ~~♪

 振り返ればあっという間の一週間でしたが、疑問に思ったこと怒りを感じたこと呆れたこと情けなくなったことが多々ありました。その中でも、原発事故に伴う牛などの動物の殺処分については到底受け入れることができません。放射能でもがき苦しんでいるなら安楽死という方法もあるでしょうが、今のところはそうした症状は出ていません。ニンゲンがいなくなった場所で自由に生きているのだからそのままにしておけばいいし、ニンゲンのせいでこうなったのだから被爆動物も手厚く保護すべきでは? 「彼らの生を勝手な都合で決めるな!」と、どこでもいいから怒鳴り込みたい! どうしても殺りたいなら、他人に命じず自分の手で殺れ!
 「人類は万物の霊長である」という高慢な考え方が嫌いです。虫の音を右脳で聴くか左脳で聴くかはどうでもいいような気がしますが、キリスト教を信仰する西洋人が音楽を聴くように虫の音を聴かない、というのはわかるような気がします。音楽とは神が奏でるものであり、神に選ばれた特別な人だけが霊感を感じて天上の音楽をこの世に送り届けることができる、という思想(宗教音楽から発展してきた)によれば、万物の霊長ではないコオロギやセミが音楽を奏でることなどありえないからです。
 それとは逆に、我々はごく当たり前に虫の音を音楽を聴くように聴いています。仏教思想を教えてもらわなくても、「草も木も虫も魚も等しく生きている」と言われて違和感を感じないのは、つい最近までそれがごく普通の考え方だったからです。今でも、多くの人が「森羅万象に神が宿る」と考えているのではないでしょうか? だから、物質主義から脱却すると同時にニンゲン中心の考え方もやめられるはず!
 殺処分には「飼育している農家の許可が必要」とのことですが、殺処分を受託しないと補償金も出ない仕組みだろうから(死んでいない家畜に補償金を出しようがないという屁理屈)、事実上の強制です。殺される動物もたまりませんが、住み慣れた土地から強制的に退去させられ、飼っていた動物を皆殺しにされる人々の怒りや悲しみをいったいどこへぶつけたらいいのだろう・・・。不誠実極まりない電力会社の本社前では、二ヶ月前から機動隊の装甲バスが横付けして厳重な警備をしているとのことですが、万が一ぐらいの可能性で起こるかもしれない暴力行為を防ぐために機動隊員を常駐させるよりも、彼らを被災地の支援に向かわせた方が遥かに有効で、(目には見えないけれど)前向きな姿勢ではありませんか? 

 事故以来、気になる記事をスクラップしています。4月26日の時点で、A4のスクラップブックが一冊埋ってしまいました。スクラップブックが何冊たまれば事態が収束するのでしょう? 1号機も2号機も3号機も底抜けの状態で、まやかしとしか思えない工程表の訂正すら正直にできない東電と政府。首相にアドバイスしている斑目さんのあだ名は「出鱈目さん」です。浜岡を止めたのは賢明な措置でしたが、それと引き換えに「他の発電所は安全。原子力政策は堅持する」などと平然と言われてごらんよ、「やっぱりごまかしだったのだ」と怒り心頭、かくなる上は『太陽を盗んだ男』の沢田研二になるしかない?
 先日も、「夏の高校野球の決勝戦が節電のため午前9時からになったこと」が大々的に報道されていましたが、個人的には「(以前から「なぜ一番暑い時間帯にやるのだ?」と指摘されていたように)選手の健康面を考慮して試合開始時刻が比較的涼しい時間帯に変更された」と解釈しています。国を挙げての電力不足キャンペーンにはかなりうんざりしてきました。

 やせ我慢と言われても「夏は暑いのが当たり前だ」で通してきました。一駅二駅は普通に歩いてしまいます。社会全体が「低エネルギー社会」へ移行していくことは大いに結構だし、「原発がなくなれば生活が70年代に戻る」という脅し文句も、『冒険手帳』をむさぼり読んだ「イエスタデイ・ワンスモア」な元少年には全く機能しないどころか、願ったり叶ったりなのです! 
 ニワトリさんは、かなり前から冷房は29度、暖房は18度に設定しています。オーディオ&ビジュアル機器は待機状態でも熱を発するので、(良い音のために常に通電しておくのがマニアの常識ですが)使わないときはコンセントを抜いています。最近は鳴らしていないので、スピーカーの反応も悪くなりました・・・。
 だから、これ以上の節電は難しいとは思うけれど、太陽光発電などを取り入れれば、相対的にさらなる節電が可能になります。電力会社を選べない現状では、早急に自家発電できる設備を整え、少しでも電力会社の電気を使わないようにできたら、多少なりとも罪滅ぼしができるでしょう。「電力不足に陥らないために節電するのではない」ことを公言して「節電」に努めます。もう、元に戻るつもりはありません。

 話は変わって、美浜原子力発電所の1基が定期点検に入り、燃料漏れを起こした敦賀原子力発電所の1基も停止したため、営業運転をしている原子炉は現在16基まで減じましたが、定期検査中の泊3号機と大飯1号機の2基が営業前の調整運転中で、すなわちフル稼動しているため(原発は常に出力100%で運転する。低出力運転により原子炉内が不安定になって爆発事故を起こしたのがチェルノブイリ)、運転中の原子炉は全部で18基ということになります。
 少し前に記事を書いたときは「調整運転」の意味がよくわからなかったのですが、定期検査の最終段階に「調整運転」を行って機器や設備に異常がないかを検査し、合格した上で原子力安全・保安院から営業運転が許可されることを先日知りました。
 この2基は、通常1ヶ月程度で営業運転に移行する調整運転を(許可が下りないために)丸2ヶ月以上続けています。問題がないなら早く許可すべき話ですが、今回の事故を受けて安全対策の見直しが求められているのですから、「営業運転はしばらく先になるだろう」と言いながら「調整運転」を続けているのは、「営業運転を開始したら13ヶ月を超えないうちに原子炉を止め次の定期検査を受けなければならない」と法律で定められていることを考えても、実におかしな話です。そもそも、調整運転の期間が法律で定められておらず、検査完了前に発電した電気を販売することの妥当性も今まで問われなかったのだから何ともお粗末な話で、安全神話が完全に崩壊したのも当然でしょう。安全対策上ありえないとは思うけれど、無制限に調整運転をさせることも可能なわけで、「ザル法がここにもあったのか!」と呆れる次第・・・。
 
 異例の調整運転については、(原子力ムラの)関係者ですら「一度しっかり停めて、新たな基準を満たしたことを確認してから再稼動すべきだ」と発言しています。これだけの事故が起きたにもかかわらず、ニワトリさんもまた、原子力発電所の即時停止は現実的ではないと考えていました。でも、13ヵ月後には残る16基の原子炉全てが定期検査に入るので、再稼動が認められない状況では普通に「原発ドミノ」が完成してしまいます。
 政府としては、ほとぼりが冷めた段階で再稼動を認める方針だったのでしょうが、事故が一向に収束しない現状ではそうもいかなくなりました。「調整運転」を異例に続けることは、代替えエネルギーを確保するまでのつなぎ策としていかにも日本的なやり方だと思うけれど、事故が起きたときの深刻さを考えればすべきではないでしょう。推進派の人々も、なし崩し的に存続させるような姑息なことをせずに、原発の必要性を改めて国民に説いて、正面突破を図ってください。手ぐすねひいて待ってます。

 時間です、行ってきます~♪


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